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匹夫の勇  作者: れんじょう
【イェルハルド篇】
32/37

第三歩

 もうすぐ来期学生会役員の選出選挙が始まる。

 誉あるランドル校の学生会役員に一度でも選出されたならば卒業後の進路に多大な影響を与えてくれるとなれば立候補する者が後を絶たず、選出選挙の事前審査である程度の人数に絞り込む必要がでててくる。立候補たちの学内での立ち位置、成績、背景等を調べ上げ、最後に風紀委員会で審査をかけて通過した書類だけが選挙管理委員会に手渡り、該当立候補者たちは正式に出馬を認められる。

 イェルハルドは学生会が執り行う事前審査のためにいつにも増して忙しくなった。講義以外のほとんどの時間は学生会室で机に向かって事務処理に追われている。それは最近仕事をさぼりがちだった他の役員たちも同じで、それどころかさぼりがちだったからこそ溜りに溜った即採決の書類から手を付けなければならず、選出後の交代に必要な書類や代々伝わる手引書に追加事項を記入する作業は当然のごとく後回しとなる。そのしわ寄せはイェルハルドにくるのだから真面目に仕事をしていた自分に憐れみを覚えても仕方がない。文句を言っても始まらないので彼らには発破を掛つつも効率を上げるために定期的に休憩を取らせ気持ちをリフレッシュさせている。ぐだぐだと作業をするよりは気持ちのメリハリをつけて進める方が仕事が捗るからだ。実際机の上には彼らのチェックが済み後はイェルハルドのサインを待つ書類が次々と積まれていく。喜ばしいのか嘆かわしいのか、積み上がる書類の束をため息とともに受け入れる。そろそろ立候補たちの身上書が出来上がり、イェルハルドは多忙を極めることとなる。その前段階で疲れてしまっては後が続かない。

 正午を知らせる鐘の音で、イェルハルドはペンを机の上に置いた。

 

「昼食に行こうか」


 その一言で書類に埋もれるように作業をしている役員たちが一斉に顔を上げて返事をする。どうやら集中力がそろそろ切れていたようだ。嬉々として机の上を片付け、早い者はすでに扉の向こうへと駆けだしていた。現金なものだ。

 イェルハルドは苦笑しながらその後を追った。


 

 昼食とはいっても、ランドル校では明確な昼休憩というものが設定されていない。休憩は教室の移動時間を想定しての十五分だけで、後は朝から夕方までびっしりと講義で埋め尽くされる。ただ、講義は学年の開始時に学生が選択して日程を組むため、空いた時間で個々に昼食をとることになる。

 イェルハルド達が学生食堂に足を踏み入れた時、席は半分ほど埋まっていた。

 もうすぐ講義が終わるだろから丁度良い時間だったなと話しながら食事を受け取る列に並ぶ。いくら食堂が空いているからといって昼食時に五人も座れるテーブルが空いていることは少なく、どこに座ろうかと見渡していると、日当たりの良い席だというのにそこだけ誰も近寄らずにぽっかりと空いている場所があった。

 ―――――いや、誰も座っていないわけではない。


 転入生、か。


 背筋がぴんと張った美しい姿勢で椅子に座り、丁寧な口運びで食事をとる転入生は独りきりで座っていた。

 まるで彼女が病原菌であるかのように誰もが遠巻きにし、話しかける者など皆無だ。


 彼女がいったい何をしたというのだ。

 転入生というだけで、皆よりも秀でているというだけで、こうもあからさまな態度をとられるとは。


 イェルハルドは食事の乗ったトレイを受け取ると混み始めた食堂をすたすたと横切り、黙々と食事をとる彼女に声を掛けた。


「ここに座っても?」


 びくんと小さな肩を揺らし、転入生はイェルハルドを見上げた。その瞳は驚きに大きく開かれる。そしてイェルハルドの後ろに並ぶ既知の顔ぶれを見つけるとほっとしたのか微かに顔を赤らめつつ小さな声で「どうぞ」と呟いた。

 食堂中の視線が一斉にイェルハルドたちへと集まる。

 あり得ないだとかなぜだとか囁かれる声を無頓着を装って聞き捨てると、イェルハルドは微笑みながら椅子に腰を掛けた。それが合図となって他の役員たちもそれそれに席につき、いつものようにくだらない話を始める。機転のきく彼らの話は転入生でも知りえる話題を取り上げ、また彼女がはじかれないようにと時折話を振ることを忘れない。初めはぎこちなく会話に加わっていた彼女も、時間がたつにつれて強張った笑みがほぐれ出し、会話を楽しむようになっていった。イェルハルドは彼らの話術に感服し、また彼女の鈴を転がすようなかわいらしい笑い声に聞き入った。

 だが楽しい時間も終わりを告げる。

 講義の始まる時間を気にしてかぽろぽろと席を立って行く人影に、イェルハルドたちもそろそろ学生会室に戻って仕事を始めなければいけないなと腰を上げる。


「貴女はこの後どうするのかな? 我々は仕事に戻るが」

「今日はもう講義もありませんし、このまま寮に戻ろうかそれとも図書室に本を借りに行こうかと考えていたところです」

「そうか。ではまた」


 別れの挨拶をしながらも、気持ちはすでに学生会室の机に山積みされた書類へと向いている。今回は役員立候補者が多いためかかる費用も多く、そろそろ予算が尽きる。顧問に連絡を取ってどこからか補填しなければ赤字になることを告げなければならないと思うと頭痛がしそうだ。

 学生会室へとはやる心を抑えながら他の役員が立ち上がるのを待っていると、誰もが立ち上がらずにイェルハルドを意味ありげに見つめている。

 なんだ、と横に座っていた書記に問うと無言で反対側の席を指示(さししめ)された。するとそこには何か思いつめたような、切羽詰まったような顔をした転入生が自分を守るようにか手を胸の前で祈るように組みながらイェルハルドを見上げていた。


「……なにか?」

「あのっ!」


 よほど声掛けを待っていたのか、あまりの食いつきぶりに思わず引き気味になったが、実際は片眉を上げて先を促しただけにとどまった。このくらいのことでいちいち感情を見せていては学生会会長としては相応しくないだろう。


「……あの、よろしければ、皆様のお仕事のお手伝いをさせていただけませんか?」


 大きな瞳を輝かせて、転入生は言い切ったとばかりに肩の力を抜いた。

 だがその言葉は将来官僚となるべく日々努力しているイェルハルドを不愉快にさせただけだった。

 

「手伝い? せっかくだが助力の必要はない」

「イェルハルド。せっかくの好意をそんな堅い言葉でばっさりと切り捨てることはないだろう?」


 何を言っているのか。


 イェルハルドは訝しげな目を向けた。


 もともと学生会室は一般学生の出入りを制限しているが、特にこの時期は役員以外の出入りは禁止とされる。なぜなら現在、学生会室の室内のあちこちには立候補者たちの個人情報が散らばっているからだ。

 ランドル校の学生が不信な行動をとるとは思えないが、それでも万が一ということもある。一般学生の手伝いなどもってのほかではないか。まさかそのことが解らない書記ではないだろう。


「ほら、彼女を見てごらんよ。勇気を出して手伝いを申し出てくれたというのに君の言葉で項垂れてしまっている。君はもう少し人に対して優しい言葉づかいを学ばなければならないね」


 彼にしては珍しく、イェルハルドに苦言を呈した。

 意外に思えこそその内容はイェルハルドが転入生と親しくあるべきと判断した理由そのものだ。受け入れざるを得ない―――――のだが、何かがひっかかる。

 すると彼はイェルハルドの疑問などわかっているさとばかりに肩をすくめた。 


「私は何も規則を曲げてまで彼女に手伝いをしてもらおうなどとは思っていないよ。ただ、断るにしても言い方というものがあるだろう。君のそれはあまりにも端的すぎる。普通の、それもか弱い女性相手に使うべき言葉ではないということさ」

「だが、エーヴァなら」

「ああ、()の女史ならばその物言いでも反感は買わないだろうね。なにせ彼女はランドル校きっての才女であるし、恐ろしい風紀委員長様でもある。長い付き合いである君の物言いに今更動じたりはしないだろう」


 だがね、と彼は戸惑うイェルハルドをよそに話を続ける。


「彼の女史は例外中の例外と思っていい。ほとんどの女性は庇護すべきもので、きつい物言いが彼女らのか弱き心を簡単に抉るのだよ。現に君が放ったたった一言の言葉が、転入生を苛んでいるだろう?」


 彼がちらと向けた視線の先を追えば、イェルハルドの言葉に傷つき、今にも流れ落ちそうなほどの涙を湛えた大きな瞳がじっとイェルハルドを見つめていた。

 その姿にイェルハルドは衝撃を受ける。


 なんてことだ。

 女性に涙を流させるほど、私は酷い言葉をかけていたというのか。


 そんなつもりなど毛頭なかったイェルハルドは転入生の小刻みに震える手を見て愕然とした。

 他の役員たちが次々に声をかけて彼女を慰めているが、転入生は首を横に振りながらも一心にイェルハルドだけを見続けて、その小さな唇を震わせながら言葉を紡いだ。


「いいえ……いいえ。慰めて下さる皆さま方にはありがたいことだとは思いますが、このことはランドル校では誰もが知っているべきことを知らなかった私の不注意ですわ。イェルハルド様がおっしゃることはごもっともなのです。わたくしが、わたくしが余計なことを差し出がましく申し上げてしまったのです」


 ほろほろと頬を伝う涙をいといもせず、彼女はイェルハルドに規則を知らなかったことを、そして規則を破ろうとさせていたことに対しての詫びを入れてくる。


 ああ、なんと潔い。


 明らかな非は彼女にあるとイェルハルドは知っている。

 いくら転入生とはいえ、ランドル校に在籍してる身には変わりがない。彼女はこの学校に席を置いたその瞬間にランドル校の校則に則り、正しくあらねばならない。知らなかった、わからなかった、誰も教えてくれなかったでは済まされない。転入してまだ一週間やそこらであれば難しいといえるかもしれないが数か月たって今だに校則や学生会会則を理解していないのであればそれは十分問題視されても仕方がない。

 だというのに彼女はそれを知らなかったと自分で認め、また謝罪した。

 たいていの学生は自分の非を決して認めず、自分以外の何かに落ち度があったのではないかと攻め立てる。攻撃は最大の防御だと言ったのは誰だったか。言い負かすことができるのならばそれはすなわち誤りではないと言い切る無責任さにイェルハルドは人とはなんと卑怯なものかと思っていたものだ。

 それを目の前の儚げな女性が簡単に覆す。

 イェルハルドは彼女の潔さに感服し、己の固定観念を恥じた。


「私こそ、貴女に不愉快な発言をしてしまったことを心からお詫び申し上げる。どうも私は言葉が足らないようだ。これからは出来るだけ不快にならないような言葉使いを心がけるが、もし私の言葉がきつく感じたのであれば教えてくれないか」

 

 これに驚いたのは彼女だけではない。

 イェルハルドの端的な物言いは今に始まったことではないと半ばあきらめていた役員たちも、まさかイェルハルドが女性に向かって教えを乞うなど思ってもみなかったようであんぐりと口をあける者までいる。


「まあ、イェルハルド様。わたくしごときがイェルハルド様に教えを授けることなどできるわけがございません。それにイェルハルド様のお言葉はいつも真摯で、心に響いております。不快になるようなことなどございませんわ」

「だが貴女は恐れたではないか。女性に涙を流させるなど男としてこれほど恥ずかしいことはない。情けないことに私は女性が好み、また落ち着くような言葉を掛けることができないようだ。貴女はとても潔白で心根が美しい人だ。そんな貴女だからこそ恥を忍んでお願い申し上げるのだ」


 イェルハルドは懸命に彼女に願った。

 女性に願いを乞うことなどいまたかつてなかったことだが、誰かに教えを願うのならば清廉である彼女以外には考えられなかった。

 困ったように首をかしげた彼女に他の役員たちもここぞとばかりにイェルハルドの図々しい願いを受けてくれと懇願する。彼女を狙う彼らがこの機会を逃すまいとしているだけだとしてももとはといえば彼らのほうが転入生に気安い存在だ、この助力はありがたいと受け取った。

 案の定、彼女は困惑しながらも友人たちからの後押しもあってかイェルハルドの願いを受け入れてくれた。


「有難う。とても、助かる」


 心からの感謝を彼女に贈った。





 イェルハルドは、気づかない。

 その一部始終を見ていた存在を。

 イェルハルドは、知らなかった。

 彼女が孤立している本当の理由を。

 イェルハルドは、教えなかった。

 自分には婚約者がいる事実を。

 イェルハルドは、はき違えた。


 ――――たとえそれが学生会会長として行うべき行為だとしても節度を持つべき行動であったことを。

 


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