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匹夫の勇  作者: れんじょう
【イェルハルド篇】
31/37

第二歩

 本当によく見かける。


 一度転入生を意識に留めるようにしてから、イェルハルドはよく彼女を見かけるようになった。

 今も廊下の向こうからイェルハルドの友人数人と一緒になって歩いている。たぶん次の講義に向けて教室を移動しているのだろう。大切そうに教科書を胸に抱いていた。友人たちは彼女を守るようにして歩いているところを見ると、彼女に対する風当たりが強まっているのだろうか。女性というのは存外に厄介な存在だと改めて思う。

 その厄介な存在を理解し慣れるためには目の前で瞳を輝かして自分を見上げる転入生を利用する。

 彼女にはできるだけ過ごしやすい環境になるように手配しているから等価交換みたいなものだろう。

 イェルハルドに人を利用するという罪の意識などない。

 転入生にできるだけにこやかに、当たり障りのない話を振った。


「もしかして教室の移動の最中かな。場所はわかるか?」

「はい。こうして皆様とご一緒に移動させていただいておりますので、間違えることなどございません」


 転入生は周りを取り囲む友人たちをぐるりと見回して頼りにしておりますと笑いかける。途端、彼らは口元をだらしなく緩め、任せておけと力強く頷く。まるで彼女に自分の存在を主張するように執拗に頷いているのには眉を顰めたが、彼女の賢さと愛らしさを思えば将来を見据えて前向きに動き出しているのかもしれない。婚約者がすでにいるイェルハルドにはまったく関係のないことだったのでどうでもいいことだ。


「そうか。それならよかった。またこの前の様に迷子になって泣きそうになっているところに私がたまたま通りかかるとは限らないからな」


 つい先日、実験棟の奥にある道具小屋の前で彼女が焦ったようにうろついているところをちょうどその小屋に用事のあったイェルハルドが見つけ保護したことがあるのだ。もしあの時イェルハルドが講師に頼まれたものを取りに道具小屋に出向かなければいつまでもあそこでうろうろとしていたことだろう。よくよく聞くと本来の目的地は敷地内の反対側にある競技に使われる道具を入れるための小屋だったというから、もしかしたら誰かがわざと間違えた場所を教えたのかもしれないが、そのことまで口にする必要はない。


「イェルハルド様! あの時のことはお忘れくださいとお願いいたしましたのに」

「貴女は願ったかもしれないが、私は了承した覚えなどないな。こういう時にこそ使える話だとは思わないか?」

「まあ、なんて意地悪なんでしょう!皆様方もそうは思いませんか?」 

  

 同意を求める転入生に、口々に賛同する友人たち。

 普段の彼らならばイェルハルドが意地悪だなどいっても誰も信じることはなく、決して首を縦には振らないだろう。けれども今は目の前の庇護するべき女性を守るべく、軽い冗談とはいえ肯定し、イェルハルドに非難の目を向ける。

 

 なるほど、女性に警戒心を持たれずにいるには彼女たちの言葉を否定せず頷いておけばいいということか。だが、たとえ気の置けない友人関係とはいえ、女性が絡むとこうも簡単に踵を返すとは。


 イェルハルドは長年の友人たちに対して小さな不信を抱いたことを、貼りつけた笑顔の下にそっと隠した。


 それにしても女性というものはこうもころころと表情を変えるものなのか。

 

 拗ねたように口を少しとがらせた顔も、同意を得てほっと胸をなでおろす姿も、イェルハルドの婚約者であるエーヴァにはない仕草で新鮮で可愛らしく映った。

 イェルハルドの婚約者、エーヴァ・ヴァクトマイステル。

 いつでも公明正大で、決して感情に揺り動かされずマスクのように無表情な女性。

 彼女を思うと自然と眉が潜まった。

 常日頃から平静でありつづけるエーヴァが最も間近な女性だったせいか、己の感情がそのまま仕草や表情に現れる女性というものにイェルハルドは驚愕する。いや、よくよく周りを見てみればエーヴァほど冷静なものはいず、女子学生たちの表情はみな豊かだ。ただ彼女たちは私的と公的を使い分け、公の場であるランドル校校内では豊な感情をできるだけ抑えているだけで、転入生のようにあからさまにはしない。だからこそ余計に転入制がひときわ鮮やかでまぶしく思えるのかもしれない。

 彼女の見せる色とりどりの表情に、イェルハルドは好感を持った。


 それからしばらく話し込んで、時間が迫っているからと彼らに背中を向けた時、驚くべきことにエーヴァとその友人がイェルハルドを射るような眼差しを向けて立っていた。


「御機嫌よう。イェルハルド様」


 冷気を含んだような声色が背中をぞわりと這い上がっていったが、なぜエーヴァがそのような声を出すのかイェルハルドにはわからなかった。

 それとも前からそのような口調で話していたのだろうか。

 風紀委員長を務める彼女と仕事以外のことで話すことなどここ最近は全くなく、記憶を探ってみてもそうだったのだろうかという曖昧な答えしかでてこない。


「……そろそろ次の講義が始まるころだろう?急がなければならないのでは?」


 友人たちと少し話し込んでしまったせいで時間が押している。久しぶりに会った婚約者だとはいえここで挨拶以上の話を振って講義を遅刻しては学生の本分から外れてしまうし、学生会会長の名が泣くことになる。

 イェルハルドはこの邂逅を打ち切る言葉をエーヴァに向けたが、エーヴァは片眉を上げつつ「そうですわね。では御機嫌よう」と軽く礼をとってあっさりとイェルハルドの脇を通り過ぎる。その後ろをついていく友人がイェルハルドに刺すような一瞥をくれたが、なぜ名も知らない学生から蔑んだ目で見られなければならないのか理解ができず不愉快になった。

 だがわかったこともある。

 かたや口から息を吐くだけで氷を生み出し、矢となって辺りに突き刺す氷の女王。

 かたやそこにいるだけでぽかぽかと温かで、微笑むだけでとりどりの花を咲かせることのできる陽だまりの君。

 対称的な二人の存在を時間が開くことなく見せつけられたイェルハルドは、急に酷い疲れを覚えてまなじりを揉み押した。



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