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匹夫の勇  作者: れんじょう
【本篇】
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第三話

そんなにお待たせしてしまったかしら。


エーヴァとしてはできるだけ精一杯早く歩いてきたつもりだったのだが、応接室の前の壁に背中を預けつつも苛立たし気に足を踏み鳴らすイェルハルドを見る限り、随分と待たせたようだった。

 だがその隣でうっすらと不敵に笑うエディエット=マーヤを見て、もしかして何かまた彼女に何かを吹き込まれて苛立っているのかもしれないと思うと憂鬱になった。

 それでも二人の前に行き、軽く頭を下げると、学生会から預かっている鍵を応接室の鍵穴に差し込んで二人を招き入れる。

 エーヴァより遅れて入室してきた二人は、その室内に驚きの声を上げた。

 

 校長室の横に位置する応接室は一般の生徒の入室が禁止されている。

 そのため在校生の誰一人として在学中に応接室に入ることなどない、いわば学生にとって未知の空間で、そのため憶測が飛び交うこととなった。

 曰く、初代校長が設立当時の王族出身者だったために宮殿と見まごうぐらいの調度品をふんだんに使用した美術館さながらの部屋であるだとか、寄付金を募るためにあえて簡素に設えられているなどだが、それ以上に噂話となって花が咲くのは長い学校の歴史の中で入室した者がいるに違いないというのに何一つ応接室についての情報が学生に伝わってこない理由で、応接室には記憶を操作する魔術が仕掛けられていてそこで見たもの聞いたものをすべて忘れるようになっているだとか、校長に呼び出され応接室に入ったものはそのまま二度と教室に戻ることが叶わないせいだなどだった。

 その応接室に入室を許さるなど、ランドル校の学生であるならば狂喜しても仕方がない。

 実際の部屋は噂とは違い、教師が使用する応接室よりも少し重厚感がある程度の家具が設えているだけで、大した見世物でもなんでもないし、もちろん忘却の魔術など施されているわけがない。

 だから二人が驚きや失望で声を上げたとしても不作法などとは思わないが、すぐに姿勢を正して椅子に腰かけたイェルハルドとは違ってエディエット=マーヤはきょろきょろと興味深げに長い間部屋を見渡している。


 今はそれどころではないでしょうに。


 エーヴァはすでに座っている不作法者のイェルハルドは捨て置いて、エディエット=マーヤに椅子を勧めてみたものの、一向に座る様子のないエディエット=マーヤにしびれを切らしそうになった。

 いやそれよりも、疲労が溜り、足元から崩れてしまいそうで、早く椅子に座りたかった。

 だからイェルハルドがエディエット=マーヤに自分の隣に座れるようにと椅子をぽんぽんと叩いて促したときには、口には出さないものの心から感謝をしたくらいだった。

 誰がこの不愉快な状況を作ったのかは忘れることにして。




 机を挟んで改めてイェルハルドとエディエット=マーヤと対峙したエーヴァは、酷く疲れを感じていた。

 自分の婚約者は、ここまで周りを見ることができない人であったのか、話が通じない人であったのか、と。


「貴方は確か前期学生会会長であったかと存じますが、その元会長が学生会が数か月にわたり奔走し睡眠を削り知力を振り絞って成功させようとしている卒業パーティの会場で騒ぎを起こすなど、あってはならないことだと思いますが、違いましたか? わたくしは彼らの苦労が報われなければならない場所から騒ぎの原因であるわたくしが退出しなければならないと判断したに過ぎません。 それを逃げ出すと受け取られるほうがどうかと思いますし、わたくしは逃げ出すなどと卑怯なまねは致しません」


 椅子に腰かけた途端に会場でのことをあげつらわれる。

 

「はっ、何を言う。まるで私が騒ぎを起こしたように聞こえるが。エディを階段から突き落とした犯人である貴女が被害者のいるパーティに参加することなど弁えてしかるべきだと伝えたかったまでだ。それをまるで芝居の様に声を張り上げて逃げ口上を言われれば、どちらが騒ぎを起こしたのか自ずからわかるというものだ」

「騒ぎなど起こしてはおりませんし、逃げ口上などと問われることすら心外です。

 それに何度でも申しますが、学生会が今日この日のために準備してきたこと、よくご存じのはずの前会長なのではないですか。その前会長が楽しむべきパーティに水を差されてどうします」

「それこそ詭弁だ。その楽しむべきパーティを壊そうとしたのは貴女だ。貴女が彼女に謝罪し、二度と彼女の前に現れないとあの場で約束をし、その足で退場すればよかっただけのことをわざわざ場所をかえさせてまで言い逃れしようとしたのではないか」


 ため息しか出てこない。

 これではまるで駄々をこねている子供と変わらない。

 ちらと横目でエディエット=マーヤを見れば、すりとしなやかな体をイェルハルドに摺り寄せてしなだれかかり、絹の手袋をはめた手を彼の膝の上に置いている。

 

 婚約者(わたくし)という存在が目の前にいるというのに。


 彼女の行動にも呆れるが、それを当たり前のように受けているイェルハルドには失望しかない。

 ここ数か月の二人を見る限り、そしてこの数週間のイェルハルドを知る限り、もうどうしようもないことはわかっている。

 さきほどの会場での罵倒もそうだ。

 だが、エーヴァは葛藤する。

 相手は子供の頃からの知り合いで、見知った仲で、婚約者でもある男だ。

 彼女と出会う前のイェルハルドの為人を知るだけに、エーヴァはあっさりと切り捨てることができない。


 ああ、駄目。

 こんなことでは、私は。


 愛情がなかったわけではない。

 胸が痛むほどの愛情を向けられたわけでも向けていたわけでもないが、お互いを労わりあえるほどの情愛は確かに存在したはずだった。

 それがそれはイェルハルドにとってはすでに過去形となってしまったことは残念だが、エーヴァにとっては違う。

 いや、違ったのだ。

 

 私は、決別する。


 膝上に置かれた細い手の上に武骨なそれが置かれた瞬間を、エーヴァは見逃さなかった。


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