第二十六話
「いくら権力があるからといって、目の前にいる人間の話を聞こうともせず小馬鹿にする態度は酷すぎるのではないですか」
父親のおどけた仕草にいら立ちを募らせたイェルハルドが敬意など持ち合わせていない口ぶりで言う。
「誰が小馬鹿にしたと?
私は言ったはずだ、"君から教えを頂くとは、私もまだまだ若輩ということだろう"とな。
私が馬鹿にしたのは私自身であって君のことではないのだが、感情が高ぶっている君には微妙な言い回しを理解しなかったようだね」
なんともまあ、しらじらしい。
権力云々は違えども小馬鹿にしているのはまさにその通りだというのに、平然と額面通りだと言い張る父親にエーヴァは内心呆れながらも口の端が持ち上がりそうになった。
機微を悟れないと言われたイェルハルドは握り拳を震わせる。
実際のところ、額面通りに受け取るほうがおかしいことは考えなくてもわかるだろうに、それを少し否定されたくらいですぐにその意見が正しいのだと主張を変える、それこそが間抜けだと言われていることにも気が付かない。感情が高ぶっていようがいまいがこの程度で翻弄されるようならば、彼が警察隊に入隊したとしても栄進などありえないだろう。
会話を繋ぐこともできずにその場に立ち尽くすだけのイェルハルドを父親は手を振り払って切り捨てた。
「まあそれもどうでもいいことだ。
元々の話に戻そうか。
結論から言うと、君のその推測は間違いだ。
私はこの件に関して指ひとつ動かしてはいない」
自分の無能さを思い知らされて固まっていたイェルハルドもさすがにこれだけは譲れないのだろう。爪が食い込むほど拳を強く握りしめた。
「またそのように嘘を!」
「いいや、嘘などつく必要がない。
だいたい少し考えれば分かるだろう?
君は確かに優秀で、警察隊の入隊試験も首位で合格したと聞く。
内定通知書はその時点での君に対する評価にだった。
だが入隊試験はいつだったな?」
「半年前ですが、それがなにか」
「そうだ、半年前だった。
その後内定通知書が届き、入隊に必要な書類にサインをして送付した覚えはあるだろう。
その必要な書類の中に書かれていた言葉を覚えているか?」
「それは……。
いえ、さすがにすべての文章を覚えているわけではありませんが、家に帰れば控えがあります」
「君はなぜ使者が書状を差し出した際にその控えを見ようとしなかった?
もし控えを見ていたならば、わざわざ顰蹙を受けてまで早馬で我が家に駆けつける必要はなかったと理解できただろうに」
「何をおっしゃりたいのですか」
「控えなどなくても何が書かれているかなど承知している。
昨日似たようなことを実行された人が間近にいただろう?」
昨日のことだと言われてもいったい何のことを言っているのか意味が解らないとイェルハルドは首をかしげる。
すでにイェルハルドを見切っている父親は、彼の反応に今更どうのこうのというつもりもないらしく、一拍おいて言葉をつづけた。
「……昨日君が必死で庇っていたエディエット=マーヤ・クリングヴァルのことだ。
今でこそ彼女はランドル校から除籍された身だが、卒業式の時点では退学処分相当でしかなかった。
それがどうして退学となってのち除籍とされたか、昨日の今日でわからないとは言わさない」
「そ、れは。
卒業式に参列したとはいえ、卒業日までに不名誉な行為をすることで卒業を取り消される可能性があると、式の前に……」
「それは一般的な学生の話だろう?
彼らであれば多少の悪さでは退学ではなく留年処置だ。まあ、留年となれば恥ずかしくて自主退学をする輩も多いが、彼女の場合は自主退学ですまされるほど甘い話ではない。学校側からの強制的な退学、そののちの除籍という不名誉極まりない扱いだということを忘れてはいけない。
君の書面は、彼女が行ったランドル校での不名誉な行動と同等の行為に対する処遇でしかない」
「わ、私が彼女と同等の不名誉な行為を行ったと言われるのですか!」
イェルハルドが失礼極まりないと声高々に主張するも、一段と冷めた瞳に見返され、怯む。
深く長いため息はもちろん、父親がわざと吐き出したものだった。
「ここまで話してもまだ己が潔白だと思える君が素晴らしいよ。
君が就職するのはどこだね?
どこかの商会か、それとも小さな露天かなにかか?
君が内定をもらったのは国の機関である警察隊ではなかったか?
昨日、君はその警察隊の前でどのような行動をとったか、本当に覚えていないのか?」
「私が警察隊を見たのは、彼女が連れ去られていくときだけです。
その時私は椅子の前に立ち、連行される彼女を見送ったとしか記憶しておりませんが、それだけで他にはありません。彼らの前で何かをする暇もないでしょう」
「馬鹿なことを。
応接室での茶番は私を含め、該当生徒の保護者と校長、およびクリングヴァルを逮捕するために控えていた警察隊の面々が聞いていたことを忘れたのか」
「確かにそうですが、それが今回の話と何の関係があるというのです?」
「君は自分がクリングヴァルの件についてまったくもって潔白だと考えているようだが、おかしなことに君以外の誰が見てもクリングヴァルの件について君は黒なんだがね」
「なぜですか?
確かに彼女の振る舞いで私が間違った選択をしたかもしれませんが、それは彼女に非があるのであって私ではありませんし、私個人としては弱っている彼女の手助けをしたまで。白、とは言い難いかもしれませんが決して黒ではないと考えますが」
「それは君だけが唱える理屈だ。
実際その書状が届いたということが、君の理屈を覆している。
確かに君はクリングヴァルが犯した犯罪に加担しているわけではない。ある意味被害者ととれるかもしれない」
「いいえ、私は純粋に被害者です」
イェルハルドは父親の言葉を拾いあげ、うなづきつつも間違っている箇所の訂正を入れた。誤りはその場その場で正さなければ禍根になると知っているからだったが、その言葉に異を唱えたのは話を遮られた父親だった。手で空を切り、受け付けない言葉をなぎ払う。
「いいや? 私はある意味被害者だといったのだ。君が純然たる被害者のわけがない。
たしかに彼女はその手腕で君を惑わせ手に入れた。それだけだったから君は確かに被害者と言ってもよかったのだが、君は彼女を守るために昨日何をしたのかまさか忘れてしまったのかい?なんとも都合の良い記憶力だ。君が忘れてしまったのなら何度でも教えてやろう。君は公の場で無実の我が娘を蔑んだのだよ。この時点で君の言う”被害者である君”は存在せず、加害者側となったことをいい加減に理解しろ。婚約破棄をする理由すら都合よく忘れてしまえるとは呆れて物も言えない。
そして婚約破棄された理由とは別視点で警察隊はこの件を重要視したのだ」
婚約破棄などすっかり忘れていたのか、くっきりと眉間に皺を寄せたイェルハルドだったが、父親がやっと内定取り消しという衝撃の確信に触れることを理解したのだろう、身を乗り出して続きを待った。
まあ、その程度の関心だったのでしょうけど。
あからさま過ぎる態度は、己に対する無関心を理解していたエーヴァには苦笑して受け入れるしかなかった。
「君は警察隊に入隊するのであれば当たり前のように行動できなければいけないことができなかった。
それは起こった事件の当事者二人のうち、一方ばかりの言葉を重んじ、もう一人には話すらまともに交わすことなく断罪したことだ。
警察隊であれば双方の言い分を聞き、現場検証なり聞きこみなりをして第三者の視点から証拠を集めていく。その上でどちらに罪があったのかを確定する。
もちろんまだ警察隊に入隊しているわけでもない素人の君にそこまでしろとは言わないが、内定をもらっているのであればその精神は警察隊のそれに相応しいものでなければならない。
君はクリングヴァルの言葉だけで判断し、婚約者であったエーヴァにそのことについて問い合わせひとつせず彼女を公の場で罵った。
最近の若い者の間では公開処刑というのだそうだね。上手い言葉を考えたものだ。
たしかに公の場で罵られればそれがどのような内容であったとしても今後何かにつけて噂されるだろうし、蔑みや軽蔑の眼で見られ、知人たちは避けて通るようになる。
君はわざと一人の女性の公的立場を貶めたのだ。
断罪者を気取った君に必要であった公平さと思慮が欠落している様を目の前で見せられた警察隊の内の一人がたまたま君の入隊試験時の試験官であったことが君には災いだったといえよう。「ありえない」と呟いた彼の心情は手に取るようにわかるね。
ここからは憶測となるが、彼はクリングヴァルを連行後、今回の一連の出来事を書面に残す前にでも口頭で上司に報告したのだろう。その場に誰がいたのかということも。そうでなければたかだか内定者一人の取り消しにこれほど迅速な行動をとるはずがない。
君は自分でその首を絞めたのだ。
その結果が君の手の中でしわになっている通知書だとして、それのどこに私が介入する必要があるとでも?」
「わ、わたしは……あの時点においての自分の行動が間違っているとは……」
「その言葉は聞き飽きたが、言葉に力が籠らなくなっていることを思えばやっと多少の理解を示したというところか。情けないほどに、遅い。
君のすべてを知っているわけではないが、このことだけを見ても君は随分と責任を転嫁する癖があるようだね」
「責任転嫁をしたことなどありません。私はランドル校で学生会会長という役職を得ていましたが、学生会の長であることを誇りにしておりましたし、その責任は重大で、それを誰かに請け負わせることなどしたことがない。無責任な行動をとるものが学生会会長となれるわけもない。そのことを鑑みても二期に亘り学生会会長という役職を得られていた私がそのような下種の行為をするわけがないということをご理解いただけたでしょうか」
「……いうにことかいて下種とは。
低俗な言葉をばかりよく知っているなと感心するよ。
そうそう、たしか元婚約者に『性根が腐っている』『卑怯者は悪知恵も随分と働く』などという言葉を平気で使う人間だったね、君は。下種などという言葉をさらりと使えるだけのことはある。
いったいいつそのような不愉快な言葉を身につけたか、ぜひとも知りたいとは思わないかね、男爵?
それともそれが私たちの前では決して話さない、君たちが普段使っている言葉だとでもいうのかな。道理で言葉使いに違和感がない。その歳でこれほど悪意に満ちた語彙が豊富な者はそうそういないだろう。このことだけでも婚約を破棄したことに喜びを感じるね」
「どういう意味ですか」
「いやなに。つまらないことだが、将来生まれるだろう我が孫が、赤子のころからそのような不愉快な言葉に晒され続けた揚句、無垢な口から悪意ばかりの言葉を紡ぐようになってしまうのかと考えるとぞっとする。君はこのヴァクトマイステルに入る予定だったから、目の前でその悪夢を見続けなければならないわけだろう?まあ、私や妻の前では控えるかもしれないが、子供というのはなんでも吸収が早いものだ。その上汚らしい言葉ほどなぜか好んで覚えてしまうきらいがある。となると必然的に屋敷の中が不愉快な言葉が満ち満ちるようになる。それを思うと正直、君と関わりがなくなる未来は明るさしか見いだせない」
「お言葉ですが、あの程度の言葉など、私くらいの年齢ならば誰もが使っている言葉です。そうやって気に食わないものをなんでも排除なさることこそが情操教育に支障をきたすのではないでしょうか」
「情操教育!
その言葉を君が使うとは!!
だが君はそれを使ったことで自分が使った言葉の不適切さを自分自身で肯定した。
君が言うようにあの程度の言葉を君の年齢ならば知っていても当然だ。ただそれを口に上されるかどうかは人間性による。真に情操教育を学び、人との関わりを表面だけに止まらそうとしない者ならば決してしない行為だ。
なんてことだ、君は自分の価値を自身で貶めたのだよ。
それに加えて昨日から私が目にする君の行動を鑑みるに、君はまさしく我がヴァクトマイステルに相応しくない男と言えよう。
いい加減、その無駄に立つ口を閉じて自分自身を見直してみると言い。
そうすれば少しはましな未来が見えてくるかもしれないだろう。
これから考える時間だけは沢山あるだろうからね」
勿体ぶって一呼吸置かれた言葉に、イェルハルドの虚勢は崩れ落ちた。
毛の長い絨毯に座りこみながら、私は正しい、私は間違っていない、私は誰もが認める学生会会長であり検察長官になるに相応しい人間のはずだなどと聞き苦しい言葉をぶつぶつと呟いている。
男爵は横にいながらも彼を慰めようとも、手を貸して立たせようともせず椅子に座ったままだ。一見冷静に見えなくもないが、小刻みだった貧乏ゆすりが音を荒くしているあたり小心者の心の内を窺えた。
時折ひくつくように嗚咽をもらすイェルハルドと息子によって閉ざされた未来の行く末を案じる男爵を一瞥した父親は椅子を深く座りなおして手を打った。
ぱんと乾いた音が響くとすかさず、堅く閉ざされていた扉が開き、執事が何事もなかったように一礼をする。
「お客様のお帰りだ。玄関まで見送って差し上げなさい」
執事は命令通りにイェルハルドを丁寧に引き上げ、泥沼に思考がのめり込んでいる男爵に声を掛けて先導する。
なすが儘の二人は言葉もなく足を引きずるように部屋を歩いていくが、廊下に出る直前に父親が世間話をするような口ぶりで男爵に話しかけた。
その声かけに、男爵の虚ろだった瞳が小さな光を灯した。
だがその灯もさらなる暴風によって儚く消え散ることになるとは予想もしなかったことだろう。
「それから男爵。婚約破棄に至った経緯は昨日の校長室で十分理解されたかと思うが、それに加え、名誉棄損罪も適用させてもらおう。成人前の子の暴言くらい大目に見てやろうかと思わなくもないが、横に保護者である貴方がいたというのに止めることがなかったことで、貴方は子を利用し、自分の言葉を代弁させていたと認識する。被害届は今日にも警察隊に提出する。
ああ、もちろん言い逃れなど出来ないことは言っておこう。
昨日の校長室でも話題となった我が家預かりの異界人が持つ道具が先程の一部始終を明確に記録してくれているのだから。
もし異議申し立てがあるのというのなら、今後は私ではなく弁護人を立ててもらおうか。第三者を交える方が冷静になれるだろうからね。
では今度こそ、
―――――さようなら」




