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匹夫の勇  作者: れんじょう
【本篇】
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第二十三話

「なぜですか!納得できません!」


 自室で寛いでいたエーヴァに父親から呼び出しがかかったのは、思っていたよりも随分と早い時間だった。

 慌てて身なりを整えて部屋を後にすると、呼び出された応接室まで急ぐ。

 もうすぐ応接室という廊下で、扉を閉めているのにもかかわらず響いてきた不穏な声に形の良い眉を顰めた。

 その声はよく聞き馴染んだ声で、夢での出来事だと思っていた昨日はその声の主に謂われ無い罵倒をされたことをいやおうなく思い起こさせた。

 なるほど、父親が朝食の席で解説めいた話を振った理由はこれだったのかと納得する。

 両親は団欒の機会とはいえ、食事の席で出された暖かい食事が冷めていくまで話し込むことを厭う。

 それなのに今朝に限っては母親に注意をされるまで話し込んでいたのだから、何かあるとは思っていたが、まさか昨日の今日で彼が屋敷(ここ)にやってくるのだとは考えもしなかった。

 だが疑問も残る。

 

 なぜこんな朝早くからやってきたのかしら。


 婚約者に会いに来るにしても他家を訪れるのに早朝といっても過言でない時間帯は、特別な理由がない限り避けるべきものだ。

 その特別な理由とは大公家からの伝令や親族に不幸があった場合の緊急時を指す。

 もちろん時間指定をして屋敷に招いた場合は省くが。

 長年 友人(・・)として隣にいたイェルハルドのことは多少なりとも理解しているつもりだが、彼がこのような不作法な行為をするとは思えなかったのだ。

 現実には扉の向こうにいるわけだが。


 わたくしは招いたわけでもない、朝食の席での父の口ぶりからは招いたにしてもこのような時間ではないことは確か。

 すると彼は自ら常識を顧みず屋敷(ここ)にやって父と穏便(・・)に話し合いをしているということね。


 エーヴァは昨日から何度目かわからないため息をついた。

 昨日の出来事を考えると入りたくない部屋の扉を開けたくないと考えることは至極当然と言えるが、父親から呼び出しを受けたのだ、入るしかない。

 エーヴァは意を決して扉を叩いた。


「失礼いたします。エーヴァですが、入ってよろしいでしょうか?」


 それでも諍いが終わるまで入室しない方がいい、というよりもしたくない気持ちが勝っての口上に内心苦笑しかなかったが。

 一瞬、扉の向こうが静かになり、父親の許可する声が聞こえると、持ち手に力を入れて静かに扉を開けた。

 飛び込んできた光景は予想に違わず、目の前で指を交差させながら余裕の微笑みで座っている父親と、机を挟んでイェルハルドとその父親であるジークバーン男爵がいたのだが、問題は顔を赤らめたイェルハルドが立ち上がって父親に抗議しているようにしか見えないことだった。

 だがエーヴァの入室を確認したイェルハルドが助けを得られたとばかりに顔を高揚させ、挨拶もなくエーヴァに嘆願してきたことに、エーヴァは少なからず驚いた。


「エーヴァ! 貴女も口添えてくれないか。

 どれほど言葉を尽くしても、義父上に理解してもらえないのだ」

「……おはようございます、ジークバーン男爵。そしてイェルハルド様。

 申し訳ございませんが、いきなり話を振られてもわたくしには何の事だかさっぱり分からないのですが」


 最低限の挨拶すら返されず、エーヴァは不快になる気持ちを押し殺しながら首を傾げた。

 発した言葉の通り、何のことだかさっぱりわからないからだ。


「そんなはずはない!

 今しがた義父がエーヴァも承知の上だと言っておられたのだ。

 エーヴァが知らないはずないだろう!」


 わたくしが承知した、と?

 いったい何を承知したというのだろう。

 

 イェルハルドが理不尽だと怒りに震えるほどのことを、いったい何を承知したのか全く理由がわからないと父親を見れば、口元に手をやって笑いを堪えている。


「……お父様?」


 エーヴァの小さな誡めは父親の微笑みを深めたばかりで、何一つ教えてくれようとはしなかった。


「まあまあ、イェルハルド君、君も少し落ち着きたまえよ。

 君の不作法に横にいる男爵も困惑していらっしゃるようだが、それすらもわからないのかな」


 確かに男爵は細い体躯をさらに縮こませているようだ。

 三人掛けのソファがことのほか大きく見える。

 もちろんイェルハルドが立ち上がっていることも大きな要因と言えるだろうが。


「……っ!も、申し訳ございません。

 ですが、」

「エーヴァはここに腰かけなさい。体がまだ辛いだろう」


 ぽんぽんと小さな子供にするように自分の隣にあるソファの肘宛てを叩く。

 エーヴァは素直に椅子の前に立ち、一礼をして腰を掛けた。

 その間にイェルハルドも座り直し、四人は改めて親同士、子同士で対面する。

 父親は余裕の笑みを、エーヴァは当惑を、男爵は恐縮し、イェルハルドは憤怒で相手を迎えたが、口先を切ったのは、もちろんこの場の支配者である父親だった。



「イェルハルド君。君には失望したよ。

 エーヴァは昨日のこともあってまだ本調子とは言い難いというのに、彼女の体を労わることよりも自分の意見を通すことの方が優先するなどとは。

 ジークバーン男爵はどうお思いか?」


 エーヴァが知る父親とは別人のように威厳に満ちた声は鷹揚に目の前の男を問い詰める。

 びく、と体を小さく爆ぜさせ、さらに顔色を悪くした男爵は羽虫が飛び交うほどの細い声で弱弱しく答えた。


「重ね重ね申し訳なく」

「では男爵はご理解頂けたと受け取ってよろしいですな?」


 力なく項垂れる男爵は、さらに肩を落として頷いた。

 対照的なのはエーヴァの父親だ。

 男爵が了承したと同時に無表情だった顔にゆっくりと微笑みを浮かべたのだ。

 途中から参戦したエーヴァには何のことやらさっぱりとわからない。

 だから頷いた男爵を見るイェルハルドの絶望した表情も、見る見るうちに怒気を強め、膝に置かれた握りこぶしがわなわなと戦慄くのもまるで劇を観に来た観客にでもなったような気持ちで眺めているしかなかった。


「そんな馬鹿な!

 私が一体何をしたというのですか!」

「……何かを間違えているようだが、未成年である君の保護者である男爵が了承しているのだ。君の意見などなぜ私が受け入れなければならない?

 そもそも婚約とは近い将来結婚するための前契約と同意語だ。

 その契約を堂々と違反しておきながら、なぜ破棄をされると考え付かないのかは不思議だよ」


 小さな子供を諭すようにこれ見よがしにゆっくりと語る父親に、馬鹿にされたことは理解したのかイェルハルドの顔色がさらに赤味を増した。


「私は違反などしておりません!」


 どちらに軍配が上がっているのかは火を見るより明らかだというのに、よくもまだ反論しようとするものね。


 事情は知らなくても情勢は読める。

 どれほどイェルハルドが詰め寄っても父親の態度は崩れない。

 イェルハルドが何をしかけようとしても無駄にしかならないだろう。

 

「おや。これは不思議だ。

 君には貞操観念というものがないのかな。

 それとも貞操観念(それ)は女性側にしか存在しないとでも?

 まあそれだけで破棄したわけでもないのだが、男爵には理由をご理解頂けたからこその了承だと、その息子である君がなぜ理解しない?」


 まさかの爆弾発言にエーヴァははしたなくも勢いよく父親に振り向いた。

 破棄という言葉の前に貞操観念という単語が並んでいなかったか。

 そうすると考えられることは一つ。


 



 ―――――――婚約、破棄。




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