第二十一話
エディエット=マーヤにはエーヴァが何をいっているのか理解できなかった。
いや、理解しようとしても聞きいれたくない言葉は彼女の耳を通り過ぎる。
「……なにを、言っているの?」
「貴女は退学です。
二度とこの校舎に立ち入ることを許されません」
エーヴァが彼女の眼をまっすぐ見ながら一言一言区切りを付けて無情の言葉を告げると、今度こそエディエット=マーヤははっきりと理解した。
「な、なにを!なにをわけのわからないことを!
わたくしが、このわたくしがっ!退学などという不名誉なことが許されるわけがないでしょう!
それに貴女が何の権限があってそんな戯言を言うのです?
貴女は風紀委員長ですらないではないですか!」
なりふり構わず激高するエディエット=マーヤを前にしてもエーヴァはちらと視線を揺らしただけで冷静に対応する。
「ええ、そうですね。
わたくしはすでに風紀委員長を退任しているために、行使する権限は持ち合わせておりません。
ですが……」
エーヴァの言葉が終わらないうちに校長室へ続く扉が音を軋ませて開き、応接室に座っていた四人は突然のことに一斉に振り向いた。
「そうだな。ヴァストマイステル君には権限がない」
心地よい、人を安心させるバリトンを響かせて扉から現れたのは卒業式で式辞を述べたランドル校校長であるアーベル・シェルヴェンだった。
「校長」
誰が入ってきたのかをすぐさま認識したイェルハルドと咲綾は立ち上がり、素早く礼をとったが、エーヴァは体を軋ませながらゆっくりと立ち上がろうとしていた。
事情を知る校長はエーヴァには礼をいらないとばかりに手で制していたが、残る一人は礼儀などどこかに捨ててきたようで椅子から立ち上がるとそのまま校長につかみかかる勢いで詰め寄った。
「校長!
そうですわよね!?
エーヴァ様にわたくしを退学処分にさせる権限などこれっぽっちもありはしないですわよね?」
必死の形相は、可憐だともてはやされたころの名残などみじんも感じさせないほど醜かった。
もちろん校長が礼儀作法もなっていない、たかだか小さな小娘の泣き落としなどに屈するわけもない。
「貴女は気づいていなかったようだが、ここでの話は隣の校長室で全て聞いていたのだよ。
理由は一つ。
そこにいるエーヴァ・ヴァストマイステル君が己が矜持を曲げ、もしこの話し合いで貴女が己の非を認め、謝罪した場合に貴女の退学処分を取り消してほしいと嘆願したからに他ならない。
ところが貴女は非を認めるどころかさらに罪を重ね、身体に怪我を負っている彼女を叩いた。
それもその怪我は貴女自身が負ったものを彼女が負担したものではないか。
なんと愚かな。
守るべき校則は守らず、我が校の風紀をこれ以上に無いほど乱し、己の欲望のみに囚われて罪を重ねていくとは。
たとえ成績が飛びぬけていようが、一芸に秀でていようが、これほど我が校に相応しくない人間も存在しないだろう。
先ほどまでであればヴァストマイステル君が告げたように貴女は退学処分で済んだのだ。
だがそれももう生ぬるい。
エディエット=マーヤ・クリングヴァル。
大公陛下とランドル校校長の名において、貴女はランドル校学籍より除籍とする。
貴女の二年間の在籍は取り消され、貴女はランドル校での存在を無くした。
もし万が一貴女が我が校の名を出し、在籍、卒業したと騙ったならば、我々は法に訴えることもやぶさかでないことを伝えておこう」
校長は学生の父親同然。
温かで慈愛に満ち、懐が深く、また厳しい。
エディエット=マーヤの知る校長は、まさにそういう人物であったはずだった。
ところがどうだ。
今は一片の優しさも見せることなく、エディエット=マーヤにしてみれば冤罪に等しい罪で裁かれる。
そんなことは公平であるべき校長が一番よくわかっているはずだというのにどうしてこのような目にあわなければならないのか。
エディエト=マーヤには校長の真意が掴めなかった。
「そんな馬鹿かな。
わたくしがいったい何をしたというのです。
除籍処分を受けるほどのことなど、していないではないですか。
校長、わたくしは無実です!
このような処分を受けるほどのことを、わたくしがいったいなにをしたというのでしょうか。
それに先ほど卒業いたしましたわ。
ほら、ここに卒業証明書がありますもの。
わたくしが除籍だなんて、そんな馬鹿なことが……」
どれほど言葉を尽くしても校長が揺らぐことはなく、エディエット=マーヤの立場はだんだんと怪しくなっていく。
だが彼女の手には卒業式で校長から手渡された卒業証明書がある。
そうだ、卒業したのだ。
エーヴァがいう退学も、校長のいう除籍も、今更処分といわれようがすでに卒業した身には関係ないではないか。
何を焦っていたのだろう。
卒業したからこその卒業パーティだ。
彼らの言葉など全く持って意味がないのだ。
エディエット=マーヤはクラッチバックの中にある卒業証明書を思い出してやっと人心地つくことができた。
それも次の言葉で暗転する。
「卒業式は今日だが、卒業するのは今日ではない。
末日まではこのランドル校の学生だから騒ぎを起こせば取り消されると担当教師からは事前に伝えてあったはずだが?
それに貴女は除籍までなくとも退学処分はほぼ決定しての卒業式だったために、人とは違う証明書を手渡している。
その証明書には大公陛下の名と我が校の証印が押されていないだろう?
よく確かめなかったのは貴女のミス、ということかな」
校長の嗤いを含んだ言葉に慌ててクラッチバックの中を探り証明書を取り出すと、確かに卒業証明書と書かれてはいたものの、校長の言うように大公陛下の名とランドル校の証印である校章をもじった印が型押しされていなかった。
なんてこと。
こんなことが許されていいはずないじゃない!
エディエット=マーヤの憤りは、そのまま憎々しい女に向けられた。
「あ、貴女!
エーヴァ、エーヴァ・ヴァストマイステル!!
貴女がわたくしを厭うからといって、なぜこれほどの辱めを受けなければならないのですか!!」
「まだそのようなことを言っているのか。
呆れて物も言えないとはこのことだな」
心底呆れたと首を振る校長は、先ほど自分が使った扉を開き放ち、校長室にいる誰かを呼びいれた。
「お待たせいたしました。
我が校での処分は終わりましたので、後はお任せいたしましょう」
恭しく校長が下がると、扉から現れたのは警察隊の紺色の制服に身を包んだ男たちとその後ろで疲れたように体を丸めている老年の夫婦だった。
その姿を認めた途端、エディエット=マーヤはぴたりと動きを止め、震える両手を口元に当てて零れる言葉を飲み込んだ。
「お父様、お母様」
先ほどまでとは打って変わったか細い声とその言葉に誰もが驚きを隠せない。
一目みて、午前中の卒業式に参列した保護者とわかる華美ではないが改まった服装を身にまとった男女が、一人は涙で目を真っ赤にして、もう一人は怒りからか顔を赤らめてエディエット=マーヤの前にでた。
「ああ、エディ。貴女はいったい何をしたの」
「お母様……」
老婦人はエディエット=マーヤの両腕を老人斑の浮き出た手で握り締めて泣き崩れた。
そしてその傍らの老紳士は禿げ上がった頭の先まで赤く染まり、エディエット=マーヤを非難した。
「エディエット=マーヤ。
私の可愛い娘。
だがあの時、あの程度のお仕置きではお前の性根は治らなかったと見える。
せっかくお前のためにとヴァストマイステルの勉強会に入り込ましても莫迦なことをして追い出され、修道院でしおらしくなったと思ってランドル校に編入させてもまたも色沙汰で今度は除籍だと?
だが除籍などまだましな方だ。
お前は人間としてしてはならないことをしたというのに、そのことすら理解しようとしていないではないか」
「……お父様」
いつにない怒りの声を上げる父親にエディエット=マーヤも項垂れる。
それを見届けると、父親はくるりと向きを変えて、椅子の背に体を預けているエーヴァに深々と頭を下げた
その横では細すぎる体をさらに小さく縮こませている母親が同じように体を曲げる。
二人は頭を下げたまま、くぐもる声でエーヴァに謝罪し始めた。
「エーヴァ・ヴァストマイステル様。
不出来な我が娘のために貴女様には多大なご迷惑をおかけいたしましたこと、心より申し訳なく謝罪いたします。
また謝罪自体も時期を逃してしまい、さらなるご負担をおかけいたしましたこと、深くお詫び申し上げます。
わたくしどもは親としての在り方を見直し、今度こそ我が娘の性格を正して見せますことをここに申し上げます。
もし矯正が効かないとあれば、我が家に生涯閉じ込め、皆様方にご迷惑の掛からないよう取り計らいますので、どうかお許し願えないでしょうか。
いいえ、もちろんランドル校の処分に対して許しを得られるとは到底思ってなどおりません。
ただただ、貴女の心を傷つけたことに対する謝罪を受け入れていただければと願う限りでございます」
地に届くほど頭を下げてエーヴァに許しを請う父親に、エディエット=マーヤは違う、違うと首を振る。
「お父様、どうしてですか」
「黙れ!
お前がその心根を正してさえいれば!
お前は自分でその首を絞めているのが、どうしてわからないのだ!!」
「お、お父様」
激高する父親になすすべなく立ち尽くす。
父親は温厚であったはずだ。
確かに野心家でもあったが、一人娘であるエディエット=マーヤにはことのほか優しく接してくれていたはずだった。
その父親の怒りは、一度目とは比べ物にならないほどの刃となってエディエット=マーヤに突き刺さる。
違うのだ、この罪は間違いだ。
父親を安心させるために言葉にしようとしても喉の奥で詰まってしまって、口から零れようとはしなかった。
「お前のために、お前のよかれとしてやってきたことが、全く身につかないどころかどこかでどこでどうねじ曲がってお前に定着したのか、私にはわからない。
だが腐っても私はお前の親だ。
成人していない子の不始末は親の責任。
私はその責任を他人に押しつけ、放棄することなどしない」
立ち尽くすエディエット=マーヤを父親の瞳が射抜く。
今言っている言葉が嘘ではないのだと、その強すぎる眼力で伝えてきた。
エディエット=マーヤは恐ろしくてへなへなとその場に崩れ落ちていた。
私のせいではない、この罪は誤りだとぶつぶつと呟いているが、誰もその言葉をまともに聴くつもりもなかった。
「どうぞ、よろしくお願いいたします」
クリングヴァルが深々と頭を下げて一歩退いた後、前にでてきたのは後ろでずっと控えていた警察隊だった。
警察隊は蹲るエディエット=マーヤの両脇に腕を差し入れて立たせると、隊長がすかさず令状を取り出して項垂れるエディエット=マーヤに見せつけた。
隣の校長室ですでに校長と警察から事情説明を受けていた彼は、娘がどのように処分されるか知っていた。
娘の罪がつぎつぎと明らかにされていく間、さめざめと泣き崩れる妻の横で顔を青ざめながら一言も漏らさず聞いていたのだ。
娘が犯した罪は、もしそれが娘がされた側であれば許しがたいものだった。
何人もの人の心を弄び、大けがを負った学生を助けることもせず放置する。
娘の受ける処分は正当だった。
親であれば少しでも減刑を願うのだろうが、エーヴァの負った傷を知らされてはそれももうできなかった。
目の前では親に見捨てられたと喚く娘が警察隊に名の確認をされ、罪状を読み上げられていく。
まるで三文芝居の様に。
そして最後になりふり構わず縋りつこうとするエディエット=マーヤを叱責しつつ、一礼をして連れ出していった。
エディエット=マーヤの両親もエーヴァや校長に深々と礼をとると、そのまま後を追っていった。
違う違うと叫ぶ声が廊下伝いで聞こえてきたが、それもすぐに掻き消えて、応接室には久方ぶりの静寂が訪れた。
「エーヴァ、貴女はいったい……」
イェルハルドは扉を見ながらエーヴァに問いかけようとした。
だが何の返事も返ってこないことに訝しみ、そこで初めてエーヴァを振り返った途端、大声を出して駆け寄った。
「エーヴァ? エーヴァ!」
「ああ、まさか!
エーヴァ、しっかりして!」
イェルハルドの掛け声と咲綾の悲鳴が応接室に反響しても、エーヴァは閉じた瞼をピクリとも動かすことはなかった。
皆がみな、エディエット=マーヤの退場劇を観ていたそのときに、体力を使い切ったエーヴァは一人、誰に気付かれることなく意識を失っていたのだった。
22日に間に合いませんでした……反省。




