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匹夫の勇  作者: れんじょう
【本篇】
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第十五話 【エディエット=マーヤ・Ⅳ】

「……勧告?」


 もう何度目かわからないほど差し込まれる紙を拾い上げると、そこに書かれていた文字に眉を顰めた。

 今までなら『注意』と書かれていた場所に『勧告』とあるのだ、何かあるのかと思ってしまうが何のことはない、書かれていた内容はいつもと大して変わらないものだった。


 紛らわしいわね。


 大して変わらないとはいっても内容が内容だけに苛立ちは募る。

 始終後を付け回しているのかと疑うくらいに行動が筒抜け状態だ。

 ローランドとの予期せぬ密会すら詳細に記入されている。


 ほんと、陰湿。


 朝から鬱陶しくさせられた感情を、紙と一緒にため込んでいる箱の中に入れ込んで蓋をした。




 

 いつも見られているような気がする。


 教室の中は言わずもがな、廊下や小路を歩いているときも、食堂や実習棟、音楽室に図書室も。

 いつでもどこにいても誰かがエディエット=マーヤをじぃと見ているような気がしてならない。

 もちろん(しもべ)たちの熱がこもった視線を浴びるのは嫌ではない。

 女子たちが発する嫌悪のこもった視線は敗者の愚でしかないので何とも思わない。

 だがそのどちらでもない寒々しい視線はエディエット=マーヤには経験のないもので、浴びる度に体の芯から冷えていく感覚に囚われる。


 犯人はわかっているのだけれど。


 どうせエーヴァに決まっている。

 そうでないとあれほど詳細な文句を書くことができないのだから。

 

 (しもべ)たちの存在をこれほどありがたいと思ったことはない。

 彼らからの惜しみない賛辞はエディエット=マーヤの自尊心を大いに満足させるし、愛をささやく唇や指は彼女の体を至極熱くする。


 零れるほどの愛を頂戴。


 監視されている時間が長ければ長いほど、エディエット=マーヤの憂鬱な時間も増える。

 真実の憂いを帯びた彼女の瞳に、イェルハルドもとうとう落ちた。

 エディエット=マーヤの苦労を知らない指先を優しく持ち上げて口づけてきたのだ。

 

「近頃の貴女は深刻な心配事でもあるのか、皆と語らってるときも楽しくしているようで憂いている。

 よければその憂いを晴らさせてくれないか」


 同じ言葉を(しもべ)たちからもらったとしてもこれほど嬉しくは感じない。

 指先から流れてくる歓喜にエディエット=マーヤは酔いしれた。

 だが表面上は憂いをさらに深めて、心配そうに見上げてくるイェルハルドに溢すのだ。


「……最近、わたくしを柱の陰からじぃと見ている方がいるのです。

初めは気のせいかとも思ったのですが、わたくしが目をそちらにやりますとあわてて柱の陰に隠れるのです。そんなことを何度か繰り返しておりますので、皆さまと談笑させていただいていたとしてもどこからか見られているのではないかと気になってしまって……。

 先程も木の陰からこちらを覗いていた方がいらっしゃって……それを見つけてしまったために、どうしても気持ちが落ち着かなくなってしまいました。

 イェルハルド様には御心配をお掛けしてしまい、申し訳ございません」


「いったい誰がそのようなことを」


「……どなたが、といえば実は心当たりがあるのですが、お忙しい身でありながらわたくしごときのことにかまっていられるとは到底思えない方なのです」


「誰だ、それは」


「あの……え。い、いいえ。いいのです。

 わたくしのことですから、イェルハルド様の手を煩わすことなどできませんわ。

 わたくしが解決しなければ……!」


「ああ、なんて貴女は健気なのか。

 だが私は学生会会長の身分もある。そのような輩がいるとなれば、見つけ出して問わなければならない。

 だからどうか教えてほしい。

 その不届き者の名を」


「え……ですが、多分この名を告げれば、きっとその方がこのようなことはされないとイェルハルド様はおっしゃいますわ。

 わたくしだって、このようなことがわたくしの身に起こらなければ到底信じられないことですもの。

 彼女と関係が深いイェルハルド様ならば、余計に信じられないと思いますわ。

 もちろん公平なイェルハルド様のことですから、彼女の名を伝えればわたくしの言葉を信じられなくてもお調べになられるでしょう。ですがその代償がわたくしへの不信感であれば、わたくしは彼女の名を口にすることができないのです」


 はらはらと涙が青白い頬を伝っていく。

 エディエット=マーヤの脆く儚げななりに、さしものイェルハルドもおろおろとまごつくことしかできない。

 恐る恐る華奢な肩に腕を回して自分に引き寄せることが精いっぱい。

 初々しいといえば聞こえが良いが、どうも色事には臆病すぎるきらいがある。


 まあそこがまた新鮮なのだけど。


 エディエット=マーヤは厚い胸板に手を置くと、その上に頬を添わせてゆっくりと体ごと預けていく。

 ため息を添えることは忘れない。

 潤んだ瞳で見上げると、そこには心配をしつつも欲情にけぶった瞳が見下ろしている。


「イェルハルド様……わたくし、」


「貴女の言葉を信じなくなるなどありえないが、言いたくないのなら今は聞かないでおこう。

 その代り辛くなったらいつでも私を頼ってほしい。

 ……待っている」


 私のものだとばかりに一層の力を腕にかけられて、エディエット=マーヤはくらくらと酩酊する。

 

 やった、やったわ!

 とうとう雪辱を果たしたわ!


 うねる様な歓喜が体の奥から怒涛の如く流れ出て、歓声を上げそうになる。

 先ほどとは違う喜びの涙がぽろぽろととめどなく落ちるが、イェルハルドはその涙を都合よく自分という味方がいることの喜びに震えているためだと勘違いしてくれたようで、感無量に仰いでいた。


 後はあのにっくきエーヴァさえいなければ!


 悲願を達成し、イェルハルドという強力な駒を得た今、新たなる目標を見つけたエディエット=マーヤはイェルハルドの胸の中でしばしの休息をとる。

 次なる獲物はいつもエディエット=マーヤの前に立ちはだかり邪魔をする、あのすかした女だ。

 負けるとは思わないが英気を養わなければ容易くはないだろう。

 

 ああ、わたくしを愛で満たして。

 いいえ、わたくしを愛で溺れさせて。


「ありがとうございます、イェルハルド様。

 貴方のおかげでわたくし、立ち向かう勇気を得ることができましたわ」


 エディエット=マーヤは胸の中でほくそ笑む。

 イェルハルドを振り向かせるという当初の目的は達したのだからやめておけばいいものを、散々不愉快な思いをさせてくれた陰湿なエーヴァをやり込める手立てが手に入ったせいで、与えられた屈辱をそのまま彼女に戻してやろうと考え付いてしまったのだ。


 役者は揃った。

 もう知らぬ存ぜぬでは通させない。

 

 エーヴァに、思い知らせてやる。




 エディエット=マーヤの小さな復讐劇が始まった。

 

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