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匹夫の勇  作者: れんじょう
【本篇】
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第十四話 【エディエット=マーヤ・Ⅲ】

「卑怯者」


 エーヴァと出会うことを望んでいた時はまったく出会うことがなかったというのに、風紀委員会からの注意書を受けてからはなぜかやたらと出くわすようになった。

 とはいってもエーヴァはいつも風変わりな学生と一緒にいることが多く、こちらに気付いているくせに全く見えていないように二人で談笑をしながら通り過ぎる。


 忌々しいったらない。


 何度か無視をされているうちに不愉快な感情が膨れ上がり、ある日とうとう爆発した。


「……何でしょうか」


 通り過ぎざまに放った言葉に彼女が反応したときは憎々しいと思いながらも暗い喜びが沸きあがった。


「卑怯者と申したのですわ」


「その言葉を投げつけられる覚えはないですが、いったい何をそういきり立っていらっしゃるのかしら」


 白々しく首を傾げながら逆に問いかけられて、血が沸騰するほどの怒りを覚えた。

 どういいかえしてやろうと煮えたぎる思い中、必死で言葉を探っている間にも、エーヴァは話が長くなると思ってか隣にいる女にここはいいからと先に行くように促していた。

 後ろ髪を引かれるように何度か振り返る女に、エーヴァは笑って手を振っている。

 

 驚きだわ。

 笑うこともできるのね。


 ところがエディエット=マーヤに向き直るとその珍しい笑顔も一変、いつもの取りすました顔になってじっとこちらの出方を待っている。

 余裕ぶっているところが怒りの炎に油を注ぐ。


「卑怯者を卑怯者と罵って何が悪いのです。

 イェルハルド様がわたくしと親しくお話しするからといってちらちらとこちらを覗くような真似をして。

 そのような陰鬱な性格だからこそ、イェルハルド様も貴女よりもわたくしとお話しする方を好まれるのでしょう。

 だいたいわたくしに何か言いたいのであれば直接いえばいいのではないですか。

 それを寮室の扉の下に紙を挟むだなんて陰湿にも程があるというものですわ」


「寮の部屋の扉に紙、ですか?

 申し訳ないですがわたくしはそのようなことを致しません。

 何かとお間違いになっていらっしゃるのではないですか?」


「何を白々しい!

 貴女の名前が書かれた紙が、二回ほどわたくしの扉の下に挟まっていましたわよ。

 それもわざわざ自分が有利なように役職(けんりょく)までご丁寧に書いてくださっていましたわ。

 人を見下すことが本当にお好きなようですわね」


「本当に何をおっしゃっているかわかりかねます。

 もし何らかの紙が貴女の扉の下に挟まっているのならば、その紙をもう一度よくご覧になってみればよろしいのではないでしょうか。

 わたくしといたしましては貴女と個人的にお話しすること自体これが初めてだと認識しておりますし、その方と個人的に手紙などのやり取りを行うほど暇ではございません。

 貴女の言う紙にわたくしの名前が書かれているのならば、どういった経緯でそのような紙が挟まっているのかをお考えになられたほうがよろしいと思いますわ」


「確かにわたくしは貴女と直接話したことはこれが初めてのことでしょう。

 ですが、わたくしとイェルハルド様がお話ししている時によく貴女の姿をお見かけしますわ。

 イェルハルド様と少しばかり親しくさせて頂くだけで貴女にとってわたくしは嫌悪する存在のようですわね。

 いつもとても憎々しげに睨まれていらっしゃいましたわ。

 それでも貴女は個人的にわたくしとやりとりをするほどではないとおっしゃるのですか」


「ないですわね」


 嘘ばっかり。

 

 どれほどエーヴァが巧妙に嫉妬心を隠そうとしても、エディエット=マーヤにはわかっていた。

 そうでなければ人目を忍ぶようにわざわざ朝の早い時間に部屋の扉の下に紙を差し入れるなどするわけない。


「貴女が白を切るのであれば、それはそれでもかまいません。

 ですが貴女の様な姑息な方がイェルハルド様の傍にいることで、彼の尊い時間を無駄にしていることを自覚なさるといいですわ」


 そしてさっさと退場すればいい。


 エディエット=マーヤの声ならざる声を聞き取ったのか顔を顰めたエーヴァに多少の溜飲を下げてさっさとその場から立ち去った。






 あれほど卑怯なまねをするなと伝えたはずなのに。


 その後も飽きもせず扉の下には紙が挟まった。

 その内容がだんだんと詳細になるにつれ、エーヴァの陰湿さの度合いを見せつけられているようでそら恐ろしくなった。

 『昨日の四限目が終了後の休憩時間の間中、第三音楽室いおいてラスムス・タウベ様と密会し、お互いの体を紙一枚の隙間もなく添わせていたことについて』だの、『要件がなければ入室を許されない学生会会長室にエドヴァルド・ベンディクス様と二人きりで入室、話し声ではない声がしばらく続いたことが……』など、その場にいなければわかないような文章に、知らない間に付け回され記録を取られているのかと思うとぞわりと背中に何かが這い上がっていくような気持ちになる。

 

 仮面のように表情の動かないつまらない女としか思っていなかったけれど、まさかここまで気持ちが悪い女だなんて思わなかった。

 イェルハルド様も本当にお気の毒。

 親の策略か何かは知らないけれど、あんな女が婚約者だなんて。

 私だって可哀想。

 あんな女とずっと比べられては馬鹿にされてきただなんて。

 ああ、―――――気持ち悪い。


 急に寒気に襲われて体を震わせると、華やかで厳粛な匂いを漂わせて温かな体がエディエット=マーヤを包み込む。

 

 この匂い、ローランド様ね。


 厚い胸板に体を預けて、エディエット=マーヤはほっと息をつく。

 僕たちはエディエット=マーヤには大切な清涼剤であり活力剤でもあり情報源でもある。

 先ほどまでの不愉快さは温かな体温で癒された。

 すると今の状況が非常にまずいことになると気が付いた。

 いくら人気のない図書室とはいえ、ローランドがエディエット=マーヤを見つけたように他の誰かが二人を見つけるかもしれない。

 それだけは避けたいと内心焦っていた。

 

「ローランド様、ありがとうございます。もう大丈夫ですわ」 

 

 平らな腹の上に合わさった手をぽんぽんと優しく叩く。

 すると余計に力を込められて強く抱きしめられた。


「ローランド様?」

「弱っているときぐらい、私の腕の中でゆっくりと休めばいい。そのくらいの時間は許されるはずだ」


 気遣いと甘い言葉に先ほどとは明らかに違う震えがエディエット=マーヤの体を駆け巡る。


 ああ、なんて美味。


 見つかるかもしれないという緊張感の中、熱い愛を与えてくれる男に抱きしめられて酔わない女などいるわけがない。

 エディエット=マーヤは酔いしれて一瞬我を忘れてしまった。

 身じろぎをして腕を逃れると、ローランドの少し開いた唇にちょんと自分の唇を触れさせてしまったのだ。

 驚くローランドに首をすくめてはにかむエディエット=マーヤの姿は、彼の理性を簡単に吹き飛ばした。

 エディエット=マーヤの腕を掴むと強く引き込み、不安定に揺れる彼女の体を片手で抱きしめつつ、もう片方の手で小さな顔を支える。

 あ、という時間すら与えられることなく唇が合わさって、熱い舌と瞳でエディエット=マーヤを翻弄した。

 


 

 二人は気づかない。

 突然の逢瀬をつぶさに見られていたことを。

 本棚の陰から息を殺して見続けられていたことを。


 

 そして翌日の朝に新たな紙がエディエット=マーヤの部屋に差し込まれることを。

 

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