第十一話
「嘘を申すな!
その言い方ではまるでエディが同時に複数の人間と現在進行形で交際しているように聞こえるが、そのようなことがあるわけないであろう!」
だんっ、とテーブルに拳を叩きつけながらエーヴァを睨みつけるイェルハルドだったが、エーヴァの射抜くような視線に貫かれるとその動きを止めた。
「いいえ。残念なことに真実ですわ。
ですのでその名前の方々はエディエット=マーヤ様にとってはとても証言が受けやすい人物たち、というところでしょうか」
「……馬鹿、な」
信じられないと呟きながらも、その発する言葉すでにエーヴァの言葉に真実を見たことを物語っている。
衝かれた拳は力を無くし、だらりと腕にぶら下がった。
「ランドル校では別段恋愛が御法度ではありませんが、同時に複数の人間と交際することは規則に反しております。
エディエット=マーヤ様には以前よりその点に置いて規則違反をされているとお話させてただいておりました。
もちろん不名誉なお話ですので注意する場所を選んでおりますが、それがかえって仇となったようす。
第三者がいない状態ですから、自分の都合のいいように何とでも話を捻じ曲げることができるようですね」
エーヴァが口を開く度に頭痛を覚え、頭を抱えて座り込むイェルハルドに、違います、嘘ですわと縋りつくエディエット=マーヤの姿があった。
「違う、ですか?
申し訳ありませんが、そんな嘘はもう結構です。
証拠ならいくらでも提出できますし、もしよろしければ今すぐにでもお見せいたしましょう。その代り言い逃れは一切できませんがよろしいですわね?」
「嘘ではありませんわ!
証拠があるとエーヴァ様は言いますが、わたくしにも証拠がございます。
貴女がすれ違いざまに言われた蔑みに対してはもちろんどんな証拠もあり得ませんからどうしようもありませんが、毎朝のようにわざわざわたくしの寮室のドアの隙間に入れられた紙片ならわたくしの部屋にほとんど保管しております!
嘘だとおっしゃるのでしたら、今ここに一枚。
一枚持っておりましてよ」
薔薇をモチーフにしたリボンで覆われた小さなクラッチバックからごそごそと取り出された紙を項垂れるイェルハルドに見せつけるようにしながらエーヴァに広げて見せた。
「ええ、これは間違いなくわたくしの筆跡です。
―――――が、細工なさいましたね?」
見せつけられた紙にちらと目をやると、なるほど確かにそれはエーヴァの筆跡に間違いがない。
だがその紙はどこか歪に割かれていてエーヴァがエディエット=マーヤに渡したままの状態で見せられたわけではなかった。
「いいえ。いつかこういうことがあるかもしれないと本能が告げていたというのでしょうね。
紙片が扉の下に挟まり、わたくしが一度広げてから今まで持ち運びは致しましたがそれ以外はなにもしておりません。
正しくそれは頂いたままの状態の、中傷が書かれた紙、すなわち証拠ですわ」
どうだとばかり、妙に得意げに話すエディエット=マーヤだったが、一向に動じないエーヴァの姿に形の良い眉を顰めた。
「間違いなく、ということでしょうか」
「ええ、もちろんですわ。それとも決定的な証拠を突きつけられて自棄になっていらっしゃるの?」
「いいえ、自棄になどなりません。
では言質もとりましたから、これからなぜこの紙が細工されているとわたくしが言ったのか証明したいと思いますが、よろしいですわね?」
なぜそこまで強気でいられるの?
エーヴァの念押しにそこはかとない不安を抱いたが、それこそ今更だ。
エディエット=マーヤにはもう札がないのだから押していくほかない。
「ですから細工などしておりませんと言っているではないですか」
「あまり余計な言葉を差し込まない方がよろしいかと思いますわよ。
……まずこの用紙ですが、この用紙は特殊加工をしておりまして、日に透かしますとランドル校の校章が浮き出る仕組みになっております。
この紙がわたくしのものではなく公用のもの、ということがお分かりになるかと思います。
そしてこの公用の紙の大きさが奇妙なことにお気づきになりましたか?
前学生会会長であるイェルハルド様でしたらもちろんお分かりになるかと思いますが、公用用紙には一種類しかサイズがございません。
この紙はそのサイズと長さが明らかに違う。
つまり切れ端を使用したか、もしくは切り落としたか、ということになります。
透かしていただければわかりますが、大きな校章が用紙の中心にあり、上下部分が切り落ちている。
つまりは切れ端などではなく意図して用紙の上下を切ったもの、ということですわね。
さて、ではその切られた上下の部分には本来何が書かれていたとお思いになりますか、イェルハルド様?」
「見出しと委員会印だろう」
疲れてくぐもった声が地を這うように伝わってきた。
「まさにその通り。
さすが元会長ですわ。
この上部分には中傷と言われた内容の件名、そして下部分には我が風紀委員会の印とわたくしのサインがございました。
……それを切り落としましたね?」
「いいえ、いいえっ!そのようなこと、するはずなどありません。
イェルハルド様、わたくしがそのようなことをするとでもお考えですか?!」
形勢不利を悟ったのか、イェルハルドに加勢を求めたエディエット=マーヤだったが、膝に手を置いても肩を揺さぶっても頭を抱えたままで、エディエット=マーヤを見ようともしなくなっていた。
「まさか。公文書を偽造するなど……」
「偽造?偽造など恐ろしいことをおっしゃらないでください」
「いや、だがこれがもし本当なら、」
「本当ですわ。
では真実を明らかに致しましょう。
咲綾、冊子をいただけるかしら?」
横でスマフォの操作をしていた咲綾に手を差し出せば、心得たようにすっと一冊の冊子を載せられた。
とじしろ部分に厚みはあるものの紙の部分は随分と薄いそれは、使い切った複写式の冊子のものだった。
「こちらに用意いたしましたものは、公文書を作成するための冊子ですわ。
イェルハルド様にも十分に見慣れたものだと思います。
そして公文書を作成するときには万が一のことを考慮して必ず複写を行います」
「ふく、しゃ?」
「ええそうですわ。
どのような文章、どのような内容かをきちっと残しておかなければ、苦情が来た時に対処できないでしょう?
人は自分が不利だと悟ると箱の隅をつつくように相手の小さなミスを見つけてはそれがあたかもすべての悪の根源であるかのように大きく誇張する。
それを防ぐために、まあ言い方はなんですが、保身のために複写しておくのです。
ほら、ここにこれと同じ文章の控えがございます。
その件名をご覧いただけますか、イェルハルド様」
冊子を開いたままイェルハルドの目の前に差し出すと、ゆるゆると頭を上げて目で文字を追っていた。
すると突然エーヴァの手から冊子をひったくり、鬼気迫る勢いでばさばさと頁を捲り上げ、時にはたと手を止めてまた文字を追うと、また捲っていく。
そして最後にはわなわなと震える手から、ばさりと冊子が滑り落ちた。
「『警告』……?警告だと?!
どういうことだ、エディ!!」
まるで神話にでてくる雷神のような恐ろしい形相でエディエット=マーヤに迫るイェルハルドに、エディエット=マーヤが後退る。
とはいってもお互いソファに座っているのだ、距離が縮まるのはすぐだった。
「ひ、、。イェ、イェルハルド様?なぜそのような恐ろしげなお顔をなさるのです」
「恐ろし気? その程度で済むと思っているのか!」
「わ、わたくしがいったい何をしたというのです」
このようなイェルハルド様なんて、知らない。
目の前のイェルハルドは卒業パーティでのパートナーに申し込まれた時の少し不器用な、けれども熱心に誘ってきた彼とは到底同人物とは思えない。
甘い囁きも吐息も今は影すら見えず、くり出される言葉は灼熱の怒号となってエディエット=マーヤに襲いかかり、あまりのことにうっすらと涙が浮かんだ。
「自分が何をしたかわかっていないのか。
エーヴァ、いや、風紀委員会から受けた警告を何だと思っている!」
証拠が突き付けられ、結果が見えているというのに、一向に態度を改めようとしないどころか泣いて誤魔化そうとするエディエット=マーヤにとうとうイェルハルドの理性の糸が切れたようだった。
激高に拳が戦慄いている。
目の前で繰り広げられようとする茶番劇を見せられることすら馬鹿らしいと、こほんと軽く咳払いをすると、面白いように二人の動きがギチッと止まり、示し合わせたようにぎこちない動きで二人同時に顔を向けてきた。
「イェルハルド様がお怒りになられている理由がエディエット=マーヤ様におわかりにならないようですので、説明をいたしますわ。
風紀委員会が扉の下に潜ます紙は、その行動が他の学生にとって悪影響を及ぼす可能性のある学生に注意、勧告、警告するためのもの。
すでに校内で噂の対象となっている人物が風紀委員会室に呼び出すことによって指導を受けるという事実を他人に知られることによる噂の拡大、中傷などをされないように配慮した処置です。
初めは注意、それで改めなければ次に勧告、それでも改めないのであれば警告と三段階に分かれて風紀委員会から指導が入ります。
このことは学生心得に明記されていますが、また都合よくお忘れのようですわね。
風紀委員会の警告を受けて改善がみられない場合、退学となることは必須。
その冊子の複写文書をご覧いただければわかりますが、貴女は半年前に風紀委員会より警告を受けられました。
ですが貴女は警告を無視、そしてわたくしからの再三の忠告にも耳を貸さず、それどころかわたくしの警告を中傷と名をかえてイェルハルド様を含むあなたの大切なご友人方にお話になっていらっしゃったとか。
改善されることなく、それどころか責任を転嫁し、逆にわたくしを貶めたこと、すでに上層部には伝えております」
「エディ。風紀委員会から注意を受けるだけでも十分に恥だというのに、それどころか勧告を受け、警告までされていたとは。いったいどれほどの行為をすれば……」
「わた、わたくしは潔白です!」
「では、潔白ではない証拠を提出させていただきましょう。
イェルハルド様、その冊子をお渡しください」
エーヴァは冊子を受け取ると、慣れた手つきでぱらぱらと頁をめくる。
うんうんと頷きながら必要な箇所に付箋を付けてから二人に向き直った。
その間数分。
たったそれだけの時間だというのに目の前の二人には長かったらしい、イェルハルドはいらいらと指を腕に打ち付けているし、潔白だと叫ぶエディエット=マーヤに見向きもしないせいで彼女の顔色は蒼白だ。
「エディエット=マーヤ様には現在、お付き合いされている殿方が五名いらっしゃいます。
さきほどイェルハルド様が名を上げられた方々ですわね。
その方々には風紀委員会側から注意など一切しておりません。
理由といたしましては彼らはご自身がエディエット=マーヤ様の恋人であるとしか認識されていなかったからですわ。
対するエディエット=マーヤ様は違います。
貴女から”彼らと付き合っている”という証言はいただいてはおりませんが、事実として貴女だけが複数の殿方をお相手にされていた、ということです。
貴女はうまく隠していたつもりでしょうが、貴女の素行は校内では随分と噂になっておりましたわ。
お気づきではなかったようですが、風紀委員は校内のあちこちに配置されます。
複数の委員から違う男性との密会を同時期に確認した時点で注意、あからさまな体の接触――この場合キスですわね――を確認した時点で勧告、その後婚約者のいる方からプロポーズを受けた時点で警告とさせていただきましたが、
―――――それでも潔白だと?」