好奇心は人をも殺す
晴れた空の下、カップルたちが騒ぐカフェテラスに彼女はいた。腰まで届く長い髪を靡かせながら、手にした本に目を落としている。
彼女の名は高嶺華。我門秋良が来るのを今か今かと待ち侘びている。その様子をカフェテラスの一番端で眺めているのがこの俺、如月空白だ。
憂える瞳、半開きの口、髪からほんの少し覗く耳、すべてが愛しい。俺なら彼女の髪の毛からつま先まで、細胞の一つ一つを愛でることが出来るだろう。我門秋良なんて俺の愛に比べればちっぽけな男だ。
――彼女を幸せに出来るのは俺だけだ。……なんてもちろん思っちゃいない。俺なんぞに愛されて、さぞかし不幸なことだと思いはするがな。
俺はそんじゃそこらのストーカーとは一味も二味も違うのだ。……うん本当に一味も二味も違うなこのケーキ。常連になってもいいぐらいだぜ。貧乏学生だから毎日は無理だけど、たまにならいいかも。
しかし妙なものだ。デートだというのに我門秋良の野郎は一向に姿を見せない。まさか仕入れた情報が間違っていたのか?
デートではなくてただ単に一人でカフェを楽しんでいるだけとかか。もしそうなら、あのアマぶっ殺す!
彼女の愛らしい唇から、小鳥のような声が聞こえた。耳に心地よく馴染むその声は、やはり僕にこそ相応しいものだ。けして如月空白なんて軽薄な男のものじゃない。
僕には使命がある。あの憎き如月から――高嶺さんを守る義務が。
僕は嘘だと思った。――高嶺さんが如月と付き合っているなんて。高嶺さんはその名の通り、クラスのみんなにとって高嶺の花だった。それをあんな男が手にするなんて、あっていいはずがない。
これは僕に与えられた試練なんだ。如月の魔の手から高嶺さんを救うという試練。やってやる僕はやってやるぞ。見てろよ如月空白。
僕はポケットに入れたナイフを強く握り締めた。
――そういえば僕にこのことを教えてくれた彼女は一体誰だったのだろうか?
私は頼んだアップルティーを飲みながら、恍惚とした気分になっていた。気づいてないとでも思っているのだろうか彼は。
本当に可愛くて……哀れな人。私を見ていることしか出来ない彼がとっても愛しい。でも哀れなのは私も一緒。話しかける勇気なんてこれっぽっちもないもの。
私に勇気さえあれば、彼と――恋人に成れたのかしら。
でも今のままの関係でも幸せ。見られている私、見ている彼、どうしようもない私たち。普通ではないけれど、幸せの形は人それぞれ。私と彼の幸せはきっとこういう形。
できることならもっと側に寄りたいとも思うけれど、今の私にはこれが精一杯。私に勇気が湧いたら、すぐにあなたの元に行くのに。
「知っている? 平和ってすぐに、壊れるの」
さてカフェテラスで起きた悲劇を簡単にご説明しましょう。えぇ、本当にあっけないものでしたわ。
では回想編と行きましょう。
一向に来る気配のない我門秋良にほとほと呆れた俺は、何気ない足取りでさりげなく高嶺の隣に座った。
「突然ですがここでクイズです。なぜ俺はお前の隣に座ったのでしょう。イッツシンキングタ~イム」
「ストーカーだからでしょ如月君」
バレてやがったか。こいつは驚きだぜ。ストーカー検定を贈呈したい気分だ。もちろん嘘極まりない冗談だ。
「いつから気づいていた?」
「ずっと前から、私が行く先々で待ち構えているあなたの視線には気づいていたわ。知ってる如月君、見られるって案外気持ちの良いものなのよ」
「もちろん知ってるさ。俺を誰だと思っている、天下の如月空白だぜ。俺以上に目立つ奴なんて俺とお前の通っている学校には居ない」
「そうね、いい意味でも悪い意味でも目立っちゃうのが如月君の良いところであり、悪いところだものね。ほんとつくづく変わり者だわあなたって」
「それはお前も一緒だよ。なんせ我門と付き合っちゃうんだから恐れ入るぜ。忠告しておくぜ、あの男はストーカー気質だ。現在進行形でストーカーの俺が言うんだから間違いない。ストーカーのことはストーカーに聞くのが一番だ」
「何言ってるの? 如月君」
「信じられない気持ちも分かる。だが先人の教えというのは何時如何なるときも偉大なものだ」
「そうじゃなくて、私、我門君と付き合っていないわよ」
「……マジ?」
「そうよ。というかそもそも喋ったことすらないわよ。何でそんな勘違いしたの?」
「だってお前の友達がそう言ってたんだもん。ぷぅー」
「気持ち悪い」
「おやひどい女だ」
「思ったことを言っただけなのにそれは心外ね。まぁ、いいけど。それはそうと私の友達ってもちろん柊詩織のことよね?」
「そいつ以外に誰がいるんだ?」
「詩織に我門君と付き合ってるって思われてたの? 変ね、詩織は私が誰を好きなのかちゃんと知っているはずなのに」
「俺、そいつにお前と我門がこの場所でデートするって聞いたんだが? これは一体どういうことなのだろうな?」
「知らないわよ、詩織に聞いてみないことにはね」
簡単に説明するつもりが思っていたよりも長くなってしまいましたわカットしましょう。悲劇の少し前から改めてどうぞ。
僕は足音を殺して、高嶺さんと如月が談笑しているテーブルに近づいた。失敗は許されない。一撃で決めなければ。
ポケットに忍ばせたナイフを取り出す。待っててね高嶺さん、僕が救い出してあげるよ。僕が絶対に助けるからね。
あと数歩。僕はナイフを構え、如月の背に向かって――走り出す。
グサリ。鈍い音と手ごたえが僕を襲う。視界は眩い鮮血に彩られ、如月はどさりと音を立て崩れ落ちた。やった、僕はやったんだ。やり遂げたんだ僕は。
「高嶺さん! 助けに来たよ」
あれ? どうして高嶺さんは泣いているの。どうして如月にすがり付いているの。どうして、どうして、どうして?
私は目の前で何が起きたのか一瞬分からなかった。如月君が前のめりに倒れていくのが、スローモーションのように映った。それ以上のことはすぐには分からなかった。
ただ煩いほどにカップルたちの悲鳴だけが聞こえていた。
「高嶺さん、助けに来たよ」
えっ? 我門君どうしてここに? なんで手が赤いの? 如月君の背中に突き刺さっているのは何?
――目を背けるな。
声が聞こえる。分かっている、本当は分かっている。理解することを心が拒否しているだけ。如月君はナイフで刺された。我門君が刺した。これが目の前で起きたことの一部始終。
如月君、如月君、如月君。イヤだよ、死んじゃやだ。
震える手を私は如月君に伸ばす。手が血で赤く染まる。けどそんなことはどうでもいい。助けなきゃ、絶対に。如月君を助けなきゃ。
痛い。そして燃えるように熱い。――どくどくどく。はっ、まるで全身が心臓にでもなった気分だ。
泣いている顔もすごくそそられる。そんな場合じゃないことは分かってはいるんだが、染み付いたストーカー気質は納まるどころか火を噴いてやがる。俺の体は血を噴いているけどね。
あっ、これ笑うところね。誰に言ってんだって感じだけど。ふざけてないと意識が飛びそうなんだ。まずいなこの状況。わりと本気で死ぬかも知れない。
「如月君、絶対に死なせないから。救急車呼んだから待ってて、絶対に助かるから」
うーん、絶対って言われると逆に死ぬ気配が濃厚に漂う気がするのはどうしてかな? 俺が漫画や映画に出てくる主人公だったら生き残って、高嶺と結ばれてハッピーエンドなんだろうけど。現実はそんなに甘くないからな。
うーん、でも俺って案外余裕ぶっこいてるし、もしかしたらいけるかも。いけるが逝けるにならなければいけるかも。
なんで高嶺さんは泣いているんだ? おかしい。如月はちゃんと殺したのに。
あれ、微かにまだ動いてる? そうか、止めを完全に刺しきれなかったから泣いているのか。そうと分かればもう一回。
僕は如月の背中のナイフに手を伸ばし、力を込めて深く突き刺した。如月の体が痙攣している。まだ生きているのか、案外しぶとい男だ。それもういっちょ。
ドンッ。痛っ! なんだ誰だ僕を突き飛ばしたのは?
あれ? 何で何で高嶺さんが僕を突き飛ばすの? 僕は高嶺さんを救うためにやっているのに何で?
「させない、絶対に如月君を殺させやしないんだから!」
高嶺さんは叫んだ。僕を睨みつけるようにして。高嶺さんの目には憎悪と嫌悪が宿っていた。
僕は何か間違えてしまったんだろうか?
「待ってくれ高嶺さん。僕はただ如月の魔の手から救おうとしただけなんだ!」
気づけば僕の体は押さえ込まれていた。周りにいた大人たちがいつの間にか集まっていたようだ。如月も応急処置のようなものを受けている。
サイレンの音が徐々に近づいてきていた。
「この後、我門秋良は即座に現行犯逮捕され、如月空白は搬送先で死亡。高嶺華は如月空白の後を追うかのように飛び降り自殺をし、そのことを知った我門秋良は刑務所で発狂。見回りに来ていた看守を殺害し、鍵を奪って檻から脱出。他の囚人や刑務所の職員を次々と殺害していたところを駆けつけた警官によって射殺される。これが今回の顛末ですわ」
「今回のことで高嶺華は望みを叶えましたわ。自殺にはかなりの勇気が必要です。それを成し遂げて如月空白の元にいけたのですから本望でしょう」
「皆さんも気になっているであろう私の正体ですが、勘の良い方はすでに気づいておられるでしょう。私の名前は柊詩織。如月空白に高嶺華と我門秋良が付き合っているという嘘の情報を与え、なおかつ我門秋良にも高嶺華と如月空白が付き合っているとの情報を流し、唆した張本人。それが私の正体ですわ」
「どうしてそんなことをしたのか、それは実に簡単なお話です。私はこの計画を実行するために高嶺華と親友になったのですから」
「私は昔から完全犯罪というものにすごく興味がありました。自分の手を汚さずに犯罪を遂行する、それが私の考える完全犯罪です。今回の場合は我門秋良に如月空白を殺害させるという完全犯罪。如月空白が死ねば、高嶺華は必ず自殺するだろうことは分かっていました。そして高嶺華が死ねば、必ずや我門秋良も死ぬだろうと。でもまさか殺害を繰り返した挙句に射殺されるとは思いませんでしたが」
「とにかく今回の事件の当事者は全員死にました。私は殺せと命令したわけではなく、誘導しただけ。私が企てたという物的証拠はどこにもありません。それに我門秋良が殺人に及ぶかどうかなど、実行するまで私には分かりません」
「私は完全犯罪を見事にやり遂げました。完全犯罪なんてそうそう成功するものでもありません。そう私は偉業を達成したのです。」
「この私の偉業を記録したビデオレターを最初に見ることになるのは私の両親かそれとも警察か、どちらでもかまいません。私が言いたいのは一つだけ、時に好奇心は猫だけでなく、人をも殺してしまう。私を狂気に導いたのは強すぎる好奇心、それだけなのです」
沈黙が部屋を支配した。誰も口を開かない。それもそうだろう。まさか少女の部屋でこんなものが見つかるとは思わなかった。
俺は少女の両親の顔をそっと盗み見る。可愛そうに。自分の娘が完全犯罪を企んでいたとはさぞ悲しかろう。
少女の部屋を見渡すと、今時珍しいくらい簡素な部屋だった。必要最低限の物しか置かれていない事務的な印象を受ける。少女の勉強机の引き出しの中には、完全犯罪の計画と思わしきものが書かれている紙がいくつも見つかった。まだ実行に移されていない計画もいくつかあるようだ。本当に恐ろしい子供だ。
この若さで完全犯罪を実行に移すとは恐れ入る。しかしなぜビデオレターなど撮ったのだろう。見つかれば人生が終わるとは考えなかったのだろうか? いやおかしな点は他にある。どうして当事者全ての視点からビデオが撮られている?
この少女の視点だけからビデオが撮られているのならば納得できる。しかしこのビデオにはストーカーに殺人者、モテモテの女子の視点からの映像もある。これは一体どういうことだ?
完全犯罪を企んだ女の子。巻き込まれた三人の男女。……分からない。これも犯罪計画の一端なのだろうか? 今時の子供が考える事は理解不能だ。
俺が子供の時はどんなことを考えていただろうか? 生きることに精一杯で何かを考える暇なんてなかった。少女は心に余裕があったのだろう。だからこそ完全犯罪を考えることができた。余裕がない人間はこんなこと考えない。ただがむしゃらに目の前の出来事を処理していくことしかできない。――俺みたいに。
俺は目前に転がる二体の死体をどう処理するか考える。やはり最初に家に人がいるかくらい確認しておけばよかった。そうすれば殺すなんて手間を取らなくても済んだのに。
俺は少女――柊詩織の計画書を読んでみた。どこかにバレない死体の処理法は書いていないものか? 端から端まで目を通してみるが、そのような記述は見当たらない。
むやみやたらに盗みに入らなければ、悩む必要もなかったと後悔してももう遅い。過ぎてしまったことは元には戻らない。とりあえずやれることはやってみよう。ポジティブに考えれば、この家には俺しかいない。盗み放題ということだ。
俺は部屋を出て金目のものがありそうなところに足を向けた。しかし柊詩織も予想していなかったことだろう。ビデオレターを最初に見たのが、盗みに入った強盗だなんて。つくづく運の悪い女だ。
俺はもう一度完全犯罪計画書に目をやった。すると先ほどは気づかなかった文字が目に入る。そこには小さく台本と書かれていた。台本? 一体どういうことだろう?
ガチャ――俺はすぐさま近くの部屋に身を潜め、音が鳴ったほうに目を凝らした。どうやら誰かがこの家にやってきたようだ。どうしようか?
「みなさんようこそ私の家へ」
「詩織の家に来るなんて初めて」
「へぇー、親友のクセに来たことねえの?」
「如月君うるさい」
「へいへい」
「僕は誰かの家に来ること自体初めてだ」
「俺もだぜ我門」
まさかこの少女たちはさっき見たビデオレターに登場した人物か? どうして生きている? なぜ一緒にいる?
「で、例のものはどこにあるの?」
「もちろん私の部屋ですわ。ささやかながら鑑賞会と行きましょう」
「ちゃんと撮れているかの確認に来たのだから、鑑賞会とは違うと思うけど?」
「私の作品に不出来なところなんてありません。完成といっても差し支えないほどの出来ですわ」
作品、ちゃんと撮れている、鑑賞会? ……そうかだから当事者全員の視点から撮影されていたのか。――俺が見たのは自主映画のようなものだったのだ。ということは完全犯罪の計画書じゃなかったってことか。
少女たちは俺が身を潜める部屋を通り過ぎ、死体が転がる部屋へと向かう。これはまずいことになった。面倒だが殺すしかない。
俺は二つの死体を生産したナイフを片手にゆっくりと部屋から出る。
そういえばビデオレターで一人の少女が――平和ってすぐに、壊れるの――とか何とか言っていたな。それは案外的を射た答えかもしれない。
俺の手によって少女たちの平和は壊されるのだから。
少女たちの悲鳴が聞こえるまであと――