トワの大いなる学習帳:「耳かき」
俺は白い部屋の真ん中で右手に握られた耳かきを呆然と見下ろしていた。この夢の世界では寝る前に身につけていたものや強く念じた私物をそのまま持ち込むことが出来る(持ち込んだ物は帰還する際に自身の体と接触させておかないと夢の世界に置き去りにすることになってしまう)。ということは、俺は寝る直前まで耳かきを使っていたということになる。なんて危険な寝落ちをしてくれたんだこの男は、と自分の腿を抓りながら両耳が正常に聴こえることを確認するため頭を左右に振った。
「どうした?」
何の前触れも無しに目の前に現れた少女(名をトワと言う)が俺の不自然な行動を不思議そうに見ていた。
「何でも無いよ。保険について考えてただけ」
強そうな剣、と少女が僅かに眉を上げた。たしかに、きっと生命の存在そのものを操るような根源的な力を秘めた剣なんだろうな、と俺は相槌を打った。
「それ、何?」
少女が耳かきを指さして言った。はじめ手の中にある耳かきの存在に気付いた時には焦ったものだったが、少女の難儀な質問を掻い潜るための良い吸収材になったので結果オーライと言えるかもしれない。怪我の功名だ。いやそれは違うな。違うし、怪我していたら困る。
「これは耳かきといって、耳を掃除するためにあるものなんだ」
ここのへら状の先端部分で溜まった汚れをそっと掻き出すんだよ、と俺はジェスチャーで示してみせると、トワが自分の両耳を掌で塞いだ。どうやら危険なものだと判断したらしい。
「言っておくけど、今回は一切嘘の無い情報だぞ」
「おかしい。中を傷つける」とトワはプルプルと首を横に振った。「吸いだすとか、あるだろう」
俺は人間が耳の手入れをするために小型の掃除機の吸い込み口を耳にあてがっている光景を想像した。就寝前の余暇に本を読みながら行う吸引活動。あるいはポピュラーにグッズ化されて、学校帰りにポケットから可愛くデコレーションされた吸引機を取り出す女子高生が現れるかもしれない。未来的過ぎる。恐らくそんな未来の人類のことだから、吸いこまれたカスはリサイクルされてビニール袋やペットボトルにでもなるように出来ているのだろうな、と俺はビジネスの明日へ想いを馳せた。
「残念ながら内耳の汚れはしっかり張り付いてるから、吸引機みたいなのは使えないと思うぞ。それに、それこそコントロール出来ずに耳の奥を傷つけそうだ」
細かい作業は結局アナログな手法が一番良いんだよ、と俺はいまいち腑に落ちていないような表情をしている少女を諭した。
「それにほら、前にも言ったけど普段手の届かないデリケートな部分って敏感だから快感を得やすいんだよ。耳の中も優しく触れるとなかなか気持ちいいもんなんだぜ」
「足の指の間ブラシ・・・!」と少女が思いだしたように目を丸くした。それはまだ開発中だ、と言うと、露骨に表情を曇らせ項垂れる。以前少女に歯ブラシについて問われたことがあったのだが、その時に彼女が発案した“気持ちいいグッズ”が「足の指の間ブラシ」である。こちらも中々近未来的な発想だ。もしかしたらこの夢の世界の少女は未来人なのかもしれない。いやしかし、それにしては知識の欠落が現代の事柄に偏り過ぎている。どちらかというと中世や近代の人間と言われた方がまだ納得がいく気がした。
少女は「足の指の間ブラシ」と同種のものだと知った途端、耳かきに俄然興味を持ち始めたようで、俺に品を渡すよう両手を器にして促してくる。俺は、ゆっくり、浅く入れるんだぞ、と念を押して彼女の手に耳かきを乗せた。
「こっちは、何?」
少女がさじの反対側にあるたんぽぽの綿毛のような白いフワフワをつまみながら言った。
「それは梵天、だったかな。耳掃除が終わったら仕上げとしてそっちを使って、残ったものを綺麗に拭うんだ」
まぁまずは普通にやってみな、と少女を促す。少女はどこかの戦場に赴く前のような凛と引き締まった決意の表情を作り、へら状の戦略爆撃機をそっと自身の耳に潜入させた。
「わっわっ」
「こら、危ないから跳ねるな!もう良いから反対使って終わりにしろ!」
「・・・わっ」
今日学んだこと
耳かき・・・武器。
・快感を誘発する間接的な攻撃や、聴覚機能を破壊する直接的な攻撃を行うことが出来る。