波乱の予感
二人っきりの、空の旅。
なんてことはない。いつもの俺と梓だった。たしかに二人っきりだった。本当に空を飛んでいる間だけだったけれども。シンシアさんとしては嘘は言っていなかったんだろう、嘘は。
そんなことよりもだ。来てしまったものは仕方ない。どうせ来たのならリゾート施設を満喫したいところなんだけれど、その前に整理しなくてはならない問題が一つある。正確に言えばいくつかあるのだけれど、俺にとって大きな問題は一つだ。
千佳、倉敷さん、裕也がいるのは、まあわかる。あの件に関してまったくの無関係だったとは言えまい。きっとそういう理由でシンシアさんが声をかけたのだろう。シンシアさんにとって俺たちの個人情報はあってないようなものだし、連絡先くらい容易に入手できたはずだ。
だから、それはわかる。
この三人がいることは納得しないまでも容認してやろう。
俺が問題視しているのはその他である。
妹のあゆみと、道寺健介くんと、なんとか優子さん。
俺が真っ先に詰め寄ったのは、他でもない、道寺健介くんのところだった。
「おい貴様。なぜお前がここにいる。まさかお前、あゆみと二人で来たとか言うんじゃないだろうな?」
「ひっ、ひあっ! お、お兄さん、あの、これは」
「お義兄さんだと!? 俺はお前とあゆみの仲を認めてなんかいないんだからな!」
いやもう、頭に血が昇ったね。あゆみが道寺くんの影に隠れているものだからなおさら頭にきた。
「あ、あゆみちゃ――あゆみさんに、誘われてですね、だから、あの、ごめんなさい!」
そこで俺はあゆみを見る。
あゆみはさらに、道寺くんの影に隠れた。
実の兄から隠れるのにそいつの背中を使うとはどういうことだあゆみ!
梓はみんながいたのがショックだったのかいまだ放心状態で、俺を止めに入る様子もない。
「あゆみ、説明してもらおうか」
「その必要はありませんわ」
梓の代わりに割って入ってきたのは、シンシアさんだった。お久しぶりの対面だ。相変わらず余裕のある表情で、余裕のある口調で、相変わらずお美しい。
「あなたのご家族にもご迷惑をおかけしたと言っても過言ではないでしょう? あなたのご両親もお誘いしましたのよ。ですけど、やはりわきまえていらっしゃるようで、ご遠慮なされましたけれど」
そりゃあそうだろう。うちの両親はあゆみほど梓と親しかったわけじゃないし、この世界にも慣れちゃいない。いきなりこんな誘いが来ても驚きふためくばかりがやっとだったろう。
家族だから、と言われれば一応納得してみることはできる。だけど、なあ。道寺くんと、いつかの図書館少女はどちらさまって感じですよ。
「ペアで、ご招待いたしましたのよ。そこで、あなたの妹さんがお誘いしたのがそこの彼。そして、えーと、ユウヤ、でしたわね。彼が招待したのがそこの彼女というわけですわ。あと、チカとミチルはお互いに二人でいいということでしたので」
今度は残りのメンバーを見やる。
千佳と倉敷さんはどことなく面目なさそうに笑っていて、裕也は満面の笑みだった。なんとか優子さんはぺこりとお辞儀をした。
「初めまして、でいいですよね。私は天根優子といいます。裕也さんにお誘いを受けて、ご一緒させてもらいました。その、神宮寺さんも来ると聞いたので。もう一度会いたかったから」
図書館で裕也がナンパした女子。裕也のやつ、結構うまくやってるみたいじゃないか。だけど、倉敷さんがいるのに優子さんを連れてきているっていうのは、それどうなんだろう。俺が関心することじゃないのかもしれないけれど。まあそれで、裕也と仲良くなれたのは、梓がきっかけを作ってやったってこともある。勉強の面で、優子さんは梓に尊敬の眼差しを向けていたところもあったし、会いたかったというのは正直な気持ちなのかもしれない。
俺も自己紹介をして、お互いの顔と名前は認識した。
そして千佳と倉敷さん、裕也に向かい合う。
「また面倒事かもしれないぞ?」
千佳は慌てて、釈明するように言う。
「だ、だって、海外旅行だよ! 滅多にできるもんじゃないよ! シンシアさんに限って面倒事なんてあるはずないよ!」
倉敷さんが、いつものように柔和な笑みを浮かべて言う。
「お詫びっていうんなら、ありがたく受け取っておかないとね。それに、楽しそうじゃないか」
裕也が、言う。
「海と言えば水着だよね!」
倉敷さんと優子さんに殴られた。共通の敵を発見したようでお互いに意気投合を図っているようだ。
そして俺は、もう一度あゆみを見た。
「お、お兄ちゃん……」
怯えている。
悪い事をしたと思っているのだろう。俺の方から悪い事をした、とは言えないけれど、一言くらい言って欲しかったって言うのが兄としての本心だ。だってあゆみが誘ったのは友達は友達だろうけれど、男なんだからな。俺が、みんながいるからまだいいものの、下手をすれば中学生が男女ペアで海外旅行だぜ? 家族として、兄妹として、それは心配せざるを得ない状況だ。
「ハァ……」
大きく、嘆息する。
あゆみと道寺くんを交互に見て、嘆息する。
もう来てしまった。ここまで来てしまっている。それを今から帰れと言うのも酷なことだろう。それに俺もあゆみに対して、自分だけ旅行に行くといううしろめたさがなかったわけじゃないから。
「あんまりはしゃぎ過ぎるんじゃないぞ?」
「……うんっ!」
道寺くんを睨……優しい目で見てやると、申し訳なさそうにお辞儀をした。彼も誘われたから来てみたものの、決して居心地の良いものではないだろう。知っている人間は、あゆみしかいないはずだからな。友達のお兄さんとして、少しくらいは優しくしてあげてもよかろう。友達の、お兄さんとして。
「では、そろそろホテルへご案内いたしますわ。あ、みなさん、先に申し上げておきますけれど、ここに滞在なさっている間は、飲食店ならびにその他施設の利用はご自由になさって結構ですわ。無論、ご招待したのですから、料金の方は頂きませんわ」
みんなから、感嘆の声が漏れる。
さすがと言えば、さすがだ。さすが世界有数のお金持ち。
無論、金なんて持ってきてはいないけれども。
んじゃま、そういうことで。
「行くか、梓」
振り返る。
振り返った先には、わなわな震えて拳を力強く握り締めている梓がいた。
「な、な、な、なんじゃこらあああああああああああぁぁっ!!」
さながらおたけびをあげるがごとく、梓の罵声が轟いた。
いやね、道中あんまり語っていなかったけれど、こいつ、すっごく楽しみにしてたみたいなんだよね。本当に、ものすごく。そりゃあもうこれが初デートかってくらいに。
それがいざ着いてみたらこんな状況だ。叫びたくなる気持ちもわかる。
俺としては、多少メンバーが増えたものの、みんなとまた集まって遊びたいと思っていたもんだから、好都合と言えば好都合な状況だったりするんだけど。
「な、なんで!? どうして先輩以外の人間がいるの!? 二人っきりだったはず! いや夢か、夢かこれ!? ドリーム! ネヴァードリーム!! 覚めろ夢! 消えてなくなれ! いひゃひゃひゃっ!!」
行き先をドリームツアーに変更した梓のほっぺをつねる。
帰って来い。旅先には着いてしまったんだ。
「せ、先輩……!」
夢から覚めた梓はぐっと俺を見つめる。
うわ、泣きそう。それに何この罪悪感。
そんなことを思ったのは俺ばっかりじゃなかったようで。
「やっぱり、まずかった、かな」「なんだか見てられないよ」「梓お姉ちゃん……」「神宮寺さん……」 そんな女子たちの呟きが聞こえてきたりした。
ただ、こんな状況を作り上げた張本人といったら、梓を目の敵にしているのか知らないけれど、やはりとんでもない人物だった。
「あっはははっ! そう! 良い顔ですわアズサ!」
高笑いを上げるシンシアさんだった。
ひでえ。
普段から梓を罵倒し続けている俺も、さすがにドン引き。こんな状態の梓にそこまで非情にはなれないわな。シンシアさんを梓の代わりに責めてやるべきか、梓を慰めるべきか、それすらもわからなくなってしまっていた。
そして梓は、
「うがーーーーーーーーっ!!」
吠えた。
「だ、騙したなシンシアちゃん! 今度という今度は許さないですね!!」
混乱というか、怒り心頭して語尾が滅茶苦茶だった。
「あら、騙したとは失礼ですわ。わたくしはたしかに、空でも海でも二人っきりの旅をお楽しみあそばせと言いましたのよ。そんなに二人っきりの時間を楽しみたかったのなら、海路にすればよろしかったのに」
まあ、そうだな。嘘じゃなかったんだろう。同行するんじゃなくて、先回りされていたってところか。言ってみれば、現地集合。そのあたりを考えると、俺にも責任はあるってところか。シンシアさんと直接話したのは俺なんだから。だから、ハァ。俺の役目だろうなあ。
「梓、どーどー。落ち着け」
「これが落ち着いていられますか! 先輩も何か言ってやってください! あの金色に!」
「あら、輝いていると言っていますの?」
「むっきゃーーーーーーっ!!」
「やめい! 二人とも」
最悪だな、この組み合わせ。梓×みっちー以上だ。
この梓をなだめるのにどういう手を使うか。手っ取り早いのはキスでもなんでもしちゃえば大人しくなるんだろうけどさ、みんなもそう思ってるんじゃないの、どうせいつものパターンだろって。でもねえ、そうしたくてもねえ、今日は二人だけって話しじゃないわけだ。あの時のように危機迫る場面でもないわけだ。人の目もある中、そんなことはできません。特に妹の目の前でそんな兄の姿は見せられません。今後に悪影響だ。
ギャグパートでもなんでもない。面白いことなんて何もない。
ただ、謝る。それだけだ。
「悪かった、梓」
梓の両肩に手をかけて、そのまま頭を下げた。
「い、いやいや、先輩が悪いわけじゃないですよ。諸悪の根源はシンシアちゃんなんですから」
「でもさ、お前を誘ったのは俺だし、勝手に勘違いしたのも俺だ。お前に詫びるのも、お前が責めるのも、俺が相手で妥当だろ?」
「…………ハァ。わかりました。わかりましたよ、もう。いいです、帰ったら、思いっきり甘えさせてもらいますから」
「望むところだ」
こんな感じで、落ち着いた。
「さすがと言うべきかしらね、マコト。ではでは、行きましょう。旅の疲れがあるのはあなたたちだけではなくってよ?」
シンシアさんと梓の一悶着があってかなくてか、みんなの顔にはこれから思いっきり遊ぶという喜々とした表情よりも、疲れの色が濃く出ていた。
「みんな悪い。待たせた」
その一言で、みんなの肩からふっと力が抜けたように見えたのは、気のせいじゃなかったのだろう。
「それでは、今後の予定ですけれど、基本的に自由行動ですわ。これから向かうホテルで二泊していただき、翌朝、本島を発つ予定ですわ。それと、自由行動で構いませんけれど、一応、わたくしからもてなしの催しを明日の夜に予定しておりますので、よろしければそちらもお楽しみ下さいませ」
空港にリムジンを二台調達し、こちらのリムジンには俺と梓、それにシンシアさん、千佳、倉敷さんが乗っていた。
「催しって、何ですか?」
そう聞いたのは倉敷さんだった。
「どうせろくでもないことですよ、みっちー先輩」
面白楽しい出来事が大好きな倉敷さんは興味津々の様子だったけれど、梓はやはりシンシアさんを信用していないようだ。俺も一応は、シンシアさんのことを訝しんでみる。素直に受け入れてはいけないことを確認したばかりだからな。
「テーマは、日本。それだけ言っておきますわね」
あなたたちなら、きっと楽しめるはずですわ、そう付け加えた。
何をたくらんでいるかはわからないけれど、梓の言う通りろくでもないことなら参加しなければいいことだ。自由行動でいいっていうのなら、極端な話しホテルでずっと過ごしても構わないわけだ。まあせっかくの楽園を目の前にして、そういうことはしないけれども。
シンシアさんに梓がつっかかり、倉敷さんもその輪の中に入り楽しそうに談笑していた。
俺は乗り遅れた感じになり、そしてもう一人、乗り遅れたというのか、妙に静かな奴がいた。必然的に、俺の話し相手はその千佳になった。
「どうした? 妙におとなしいな。飛行機で酔ったのか?」
「あっ、ううん。そんなんじゃないの。ちょっと、緊張しちゃって」
「まあ、お前はこんな経験あんまりしてないだろうしなあ」
ていうか、シンシアさんと梓を除いた中では俺だけがこんな状況に免疫があるのでは? 倉敷さんはリラックスしている様子だけど。やはり肝が据わっているというか、マイペースというか。
言い忘れていたけれど、もちろん全員私服だ。シンシアさんこそ白いスーツ姿だけど、倉敷さんはノースリーブのシャツとジーンズに帽子をかぶり、ボーイッシュといった格好。髪はやたら長いのにやけに似合っていた。千佳はシャツの上にもう一枚薄手を羽織り、ベージュのパンツだった。文句なしに似合うし、可愛い。よくよく考えれば俺の周りには美少女ばかりだな。妹も含めて。そりゃあ裕也に憎まれ口の一つも叩かれる。
「そ、そうなんだよね! やっぱりさ、こういうところってそこの流儀とか、礼儀とか作法とかあるじゃない?」
「ああん? そんなこと気にしなくていいって。俺らだけの貸切らしいし、好きなように振る舞おうぜ。せっかくみんな集まったんだしぱーっと遊びたいし。ほら、何か今年の夏休みって、お前ともなかなか時間合わなかったしさ」
「あ……う、うん、そうだね」
そして、あはは、と口だけで笑って俺から目を逸らす千佳。
えっ、何その態度。
その白々しくていかにも何か隠してますって感じの仕草。
もしかして。
もしかしてだよ。
俺って、避けられてた?
そういえば、夏休みに入って何度か千佳を遊びに誘ってみたものの、全部用事があるって断られた。
いや、思い当たる節がないわけじゃないよ。梓のことでいつも迷惑をかけてたし、シンシアさんの件でも迷惑かけたし、保健室では怒らせてしばらく避けられてたし、この前は都合良く梓を探してもらったし。いい加減、世話をかけさせるなってこともありえる。幼馴染ならびにお世話馴染みを卒業しろってことなのか? いやいや、千佳に嫌われるって、結構ショックだぞ。
「な、なあ千佳。俺、何か気に障るようなことしたか?」
「えっ? 何? な、何? 私に何かしたの? 真」
うん? この千佳の様子だと、俺の思い過ごしなのか?
「何も、してないとは思うけど」
「ちょ、何? すごく気になるんだけど」
あーもう、千佳相手に気張っても仕方ないし、素直に言うか。
「ほら、夏休みの間、何度か遊びに誘ったけど、お前いっつも用事あるって断ってただろ。だから、もしかしたら、俺ってお前に避けられてるのかなーって、思ったり」
「え゛っ……」
うわあ、露骨に痛いところをつかれたってような顔された。真くん大正解? ってウソウソ、いや……マジで?
千佳は精一杯に作り笑いを浮かべて、そうして、少し言葉を詰まらせて、ようやく言った。
「さ、避けてなんかなかったよ?」
全然説得力ねえ!
「絶対ウソだろその言い方!」
「な、何よ! 避けてないって! ちゃんと用事あったもん!」
「じゃあ言ってみろよ。何の用事だったんだよ。俺が誘ったとき何してたんだよ」
「えっ、そ、それは、勉強とか、部活とか……勉強、とか?」
「俺に聞くなよ! やっぱウソじゃん!」
「いいじゃない別に! 私が何してたって真には関係ないでしょ!」
「そ、そりゃあそうだが。だけど、理由もなく避けられるのって、やっぱ嫌だし」
「り、理由は……!」
「何だよ。何かあるなら遠慮なく言ってくれ。俺とお前の仲じゃないか」
「……私と真の仲って何?」
急に千佳の態度が変わった。何だろう、千佳が俺に向ける視線は、目の前に見えない壁があるような、本当に赤の他人に向けられるような目だった。
「幼馴染ってこと?」
「あ、ああそうだ。昔っからの付き合いなんだから、今さら遠慮することなんてないだろ?」
それに対して、千佳は聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で、呟いた。
「よく言うよ。何にも覚えてないくせに。私のことなんて――」
――何にも知らないくせに、と言う。
何も知らない。
俺は幼馴染のことを何も知らない。
そんなわけがない。俺らは小さいときから一緒だったんだ。千佳が小さい時からずっと見てきたんだ。千佳の仕草とか、好きなものとか、嫌いなものとか、性格とか、知ってる。わかってるつもりだ。
千佳は昔、いじめられっこで、よく俺が助けてた。千佳は昔、運動音痴で、勉強も苦手だった、いつの間にか、俺なんか到底及ばない成績になってしまっていたけれど。昔は危なっかしくて、いつもちゃんと見てやっていないと、すぐに泣いてしまう女の子だった。今は、とても頼れる奴になった。すごいと思える奴になった。
それが、俺の幼馴染だ。
俺が知っている、笹野千佳だ。
ただ、梓がやってきてからの二年間。その間の千佳を知らないと言われれば、俺はやはり知らないのかもしれない。
「千佳は……千佳だろ」
千佳は、何も言わなかった。
「はいはいお二人さん。その辺でいいんじゃないかな?」
俺も千佳も、倉敷さんの声にハッと我に返る。
「み、見てたの!? 聞いてたの!?」
倉敷さんは千佳の肩をぽんぽんと軽く叩いた。
「見てたも聞いてたも、この狭い車内だ。しょうがないじゃないかー、ちーちゃん」
「えう……」
千佳は恥ずかしそうにうつむく。これが、千佳の昔っから変わっていない仕草の一つだった。
人見知り、だったな。昔は。
不意に、左腕に痛みが走った。痛みと言うよりは、圧迫感。腕を組まれているよりは、締めあげられているようだった。
「いって。いきなり何すんだ、梓」
「先輩、もう着くみたいですよ」
「あ、ああ」
俺は言葉を詰まらせてしまった。梓は笑っていた。笑っていたけれど、笑っていない。何と言えばいいのだろう。うまく言葉にできない。笑顔じゃない笑顔を見て、一瞬戸惑ってしまった。
「あれが、みなさんが宿泊なさるホテルですわ」
シンシアさんが指差す方を見る。
「おお……」
少し丘を登り、高く生い茂ったヤシの木々の間を抜けると、目の前には、ホテル。
駅前の国際ホテルもそれは高級ホテルらしくて立派なものだったけれど、リゾート地にそびえる最高級リゾートホテルとなれば、それはまた別格だった。
外観は真っ白で、大きさはそれほどではないけれど、宮殿とホテルを合わせたような洒落たデザイン。外周を囲むように何段階かの構造に分かれたプールがあり、いちいち装飾が豪華だった。散歩するだけで一日費やせるのではないかと思えるほど敷地は広い。丘の下に見えるのは、海と、おそらくはゴルフコース。なんかもういろいろと、現実ではないような現実がそこにあった。
「もちろん、最上級ロイヤルスイートをご用意しておりますわ」
本当になんかもういろいろとごめんなさい。
ホテルの正面に車をつけ、こちらの組と、裕也の組が合流する。やはりホテルを目の前にして呆気に取られている様子だった。
ロビーに案内されるとまたその内装に圧倒される。床を踏むことがおこがましいと感じさせるほど高級感あふれる大理石。ふわふわの絨毯。置かれているソファーにしろ調度品にしろ、普通に生活をしていれば触る機会はまずないだろう。
聞いていた通りの貸切状態で、中には出迎えてくれたスタッフの他には誰もいなかった。静観としたロビーに俺たちだけしかいないことでどこか申し訳なさを感じる。恐縮である。梓を除いた全員がそんな感じだった。梓といえば、品定めでもしているかのような目で中をまじまじと見回していた。お嬢様同士、超一流企業同士、そこはやはり気になるところなのだろう。
「荷物はあとでうちのものがお持ちいたしますわ。お部屋に案内いたしますわね」
先導してくれるのはスタッフではなくシンシアさん。自身でロイヤルスイートをお披露目したいのだろうか。
やけに広いエレベーターで向かった先は最上階である三十階。どうやらそこがロイヤルスイートらしかった。専用のカードキーを使ってエレベーターを操作する。到着して扉が開くと、そこはもう部屋だった。だからこその専用キーだったのだ。
「うわあ」
誰が口走ったのかわからない。気付かぬうちに声に出したのかもしれない。俺だって思わず息を飲んだ。
広過ぎる。おそらくはフロア全体がロイヤルスイートだろう。キャッチボールなんて余裕でできてしまう。全面のパノラマの窓から見えるのは、輝く海だった。
部屋のあちこちに絢爛豪華なテーブルやソファーがあり、隅にはバーカウンターもある。そして巨大なテレビと、プロジェクター。さしあたって目につくものはそれだけだが、部屋の中央付近にどんと構える二本の大きな柱がこの部屋の広さを物語っていた。
「こちらがうちのロイヤルスイートですわ。いかがです?」
楽しそうに微笑むシンシアさんを前に、誰も何も言わなかった。言えなかった。そしてエレベーターを降りた先から誰も動けていなかった。
「いやはや、なかなかじゃないですか」
ここで動ける人物と言えば、梓しかいなかった。それを見て、全員が安心したかのように、まだらに動き出す。
とりあえずは、部屋の散策を試みる。
広間を少し進むと、左右に広がる通路があり、ドアがいくつも並んでいた。聞けばそこが個室のようで、手前の一部屋開けてもらうと、その中がまたホテルの一室になっていた。広々としたリビングに寝室にはベッドが二つ。バスルームにはジャグジーとサウナも完備されてあり、それが各部屋にあるそうだった。
広間に戻り窓から外を覗くと、そこはバルコニーでプールがあった。そのプールも余裕で泳ぎ回れるほど広い。海を見下ろしながらプールで遊ぶなんて、どういう贅沢だ。
バルコニーに出ると、気持ちの良い乾いた風が吹き抜ける。青々とした空で透き通る色の海。眺めは最高。絶景だった。
「うふふ、ここから見る夕陽は格別ですのよ」
振り返ると、満足そうなシンシアさんが立っていた。そのまま、俺の隣までやってきて、海を眺める。風になびく金髪が本当に女神のようで、この場所と空と海にものすごく溶け込んでいて、思わず見とれてしまった。
「いや、何と言えばいいのか。すっげーいいところだよ。招待してくれてありがとう」
「あら、お礼なんて結構ですわ。言ったでしょう? お詫びですのよ」
それにしては行き過ぎてると思うけどなあ。
ちなみにここって、一泊いくらだろう。なんとなく聞くのがはばかられる。きっと想像しているよりもずっとお高いんだろうなあ。おそらくはもう来ることはないだろうし、ここは聞かないでおきますか。
広間へ戻ると、みんなたいしたもので、もうそれぞれくつろぎムードに入っていた。
「あ、真」
俺に気が付いた千佳が手招きをする。俺が向かうと、みんなも自然に寄って来た。
「部屋割りなんだけど……」
おいおいおい、みんな何だ。その俺の答えに期待をしているような視線は何だ。俺はリーダーでも何でもないんだぞ。
特に梓、その嫌な笑顔の無言のプレッシャーはやめろ。すっげー笑顔じゃないか。俺がお前と同じ部屋を望むとでも思っているのか?
「えーと、じゃあ――」
「くじびきで決めましょう。抽選で」
自由で、そう言いかけたところに、シンシアさんからの横やりが入った。
何やらすでにブラックボックスを手に持っており、最初っからやる気だったことをわからせる。
「でも、それだと……」
男女同じ部屋になる可能性があるじゃないか。俺とあゆみならまだしも、裕也と道寺くんもいるんだしそれはまずいだろ。特に裕也と一緒になった奴は最悪だ。夜は眠れもしない。
「マコト。心配なさらなくても、部屋数は個人で使っていただける分はありますわ。端部屋は景色がよろしいので、そこが当たりということで」
「なるほど……」
それなら別に構わないか。寝るだけならあゆみ一人にしても大丈夫だろうし。女子もしっかり部屋の鍵をかけてさえすれば裕也の魔の手に迫られることはないだろう。
「ちょっと真くん。さっきから僕の顔を見てなにを考えているのかな? 誓って倉敷さんや優子さんの部屋に夜這いをかけたりしないさ」
「名前を呼ばないでください。気持ち悪い」
「おっ、久しぶりに聞いたよその台詞」
ふむ、裕也と優子さんとやらはお馴染みのやり取りを交わしているらしい。それなりに仲が良いということかな。優子さんは心底嫌そうな顔をしているけれども。
「異議あり!」
誰と言うまでもなく、抗議の声を上げたのは梓だった。
「梓は先輩と同じ部屋で!」
それに対してシンシアさんは人差し指を立て、ノンノンと横に振った。
「アズサ、今回わたくしがご招待したのはあなただけじゃありませんのよ。アズサもみなさまもわたくしにとっては同じお客様ですわ。ここは各部屋に一人ずつ、公平に割り当てさせていただきますわ。それが、ここに留まる最低条件ですわね」
梓は奥歯を噛み締める。招待とはいえ、ことはやはりシンシアさんの手の内にあるようなものだ。梓だって一成さんから逃げてきたものだからそうそう帰れないだろうし。そして、親の目の届かない場所で羽を伸ばしたいだろうし。
「部屋の行き来はご自由になさって構いませんわよ」
その一言で、梓もどうにか納得したようだった。
しかしそれでは梓に対してこのくじ引きはあまりにも無駄な気もするが。でも鍵をかければ安心か。俺の家じゃないんだし、梓だってそう易々とピッキングスキルは発揮できないだろう。
みんなも特に異論はないようだった。
「それでは、どうぞ。中にはカードキーが入っていますわ」
俺、梓、千佳、倉敷さん、裕也、あゆみ、道寺くん、優子さん。十部屋の内、八部屋をそれぞれに割り当てているらしい。
シンシアさんは「わたくしはお招きしている側ですから」とくじ引きには参加しないようだ。あくまでもここは客間ということだろうか。
それぞれがそれぞれのタイミングでキーを取っていく。
俺が引き当てたのは、当たりと称されていた角部屋だった。対して梓も角部屋。広間を挟んで通路一本の、俺と梓は、それぞれが一番奥の部屋を引き当てた。ようするに、一番遠い部屋同士になってしまったのだ。
俺の隣はあゆみ。少し安心した。こちら側にはあと、千佳と裕也。反対側には梓と倉敷さんと道寺くんと優子さん。組み分けのようにして見ると、平和な部屋割りだった。
「ぶーっ! ぶーぶーぶーっ! もーいっかい! もーいっかい!」
「諦めろ梓。部屋の鍵は夕方までは開けといてやるから」
「ぶー……。ぶーぶー……。斎藤さんがいればすぐにキーのコピーができるのに」
俺の部屋の合鍵を作ったのはあんたか斎藤さん! 何でもありだなやっぱ。
ぶーたれる梓の頭を撫でてなだめ、部屋に移動を開始する。バルコニーに出てる間に荷物は運ばれているようだった。
どうでもいいけれど、あゆみと道寺くんの中学生コンビがいるのに梓が一番子供に見える。
「ああ~、僕の天使は向こう側に堕ちてしまった」
「個室が離れたってだけで、同じ部屋には変わりないだろ」
「ふんっ、真には僕の気持ちなんか一生わからないだろうね。この年中ハーレム主人公気取りめ!」
「ハーレムじゃねえし、気取ってねえし、迷惑してるし」
「きっと、僕なんかじゃ一生言えない台詞なんだろうなあ」
うわこいつ、初っ端からテンション落としてやがる。
「ほんと、真は贅沢」
何故か千佳が裕也に乗っかってきた。すました顔で、どことなく攻撃的だ。俺の味方であるはずのあゆみは緊張しているのかおとなしい。
「お嬢様なんか真にはもったいないよ」
「はっはー。あいつはお嬢様っぽくないしな、だから俺でも付き合えるんだろうよ」
「ふ、ふんっ」
まずは裕也が部屋に入り、次に千佳。そしてその次があゆみだった。
「何かあったら俺のところに来いよ?」
「うん。わかったーお兄ちゃん」
まあ、特に心配することもないだろう。
そして最後は俺。
通路の突き当たりにも出窓があり、そちらからは島全体が一望でき、海に浮かぶ空港も見えた。
なるほどこりゃ絶景だ。
納得して、カードキーを差し込む。
「はああ~……」
さっき他の部屋を覗いたときには大きめの窓が一枠あっただけだったけれど、この部屋は横一面がガラス張りだった。通路から見えた景色がほぼパノラマに展開されていた。自然と感嘆のため息が漏れていた。
そしてとりあえず荷物を置いた矢先、ドアがノックされた。
やれやれ、さっそくか。
梓の部屋からはどんな景色が見えたのか、その話しでもしよう。そう思ってドアを開けた先には、
「お邪魔いたしますわね」
またまたシンシアさんだった。
「えっ、ちょっ」
強引に部屋に押し入られる。
何事かと思っていれば、その手には大きめの荷物があった。乱暴にそれをソファーに放り投げ、くるりと俺の方へ振り返って、にこりと笑みを浮かべた。
「合鍵を使ってもよかったのですけれど」
「はい?」
「いえ、ですから、わたくしもこの部屋で寝ますわね」
「はいぃ!?」
え、それ、お泊まりセット!?
「いやいやいやいや! いや! ダメでしょ! それにさっき招いてる側だからどうのって言ってたじゃん!」
「ええ、ですから、わたくしは好きな部屋にいたしますね、という意味ですわよ。この部屋が一番眺めが良くて好きな部屋ですもの。別にマコトがいるから選んだわけじゃありませんのよ? ご期待に添えられなくて申し訳ないのですけれど」
「あいわかった! 俺が部屋変わる! どうぞここをお使い下さい!」
「あら、残念ながらキーはもうフロントへ返してしまいましたわ」
「借りてきて下さいお願いします!」
「嫌ですわ。面倒ですもの」
「面倒って! これからの二日間のことを考えると一緒の部屋にいるってことが一番面倒でしょ! お互いに!」
男女的に!
「マコト、もしかしてわたくしとマコトの間に何かあるとでも思っていますの?」
う、うーん、それはないと思うけれど、思いたいけれど、このシンシアさんのことだから、何があるかわからない。万が一のことがあれば今度こそ梓に殺されかねん。
「以前言いましたわよね、わたくしは男性が嫌いですのよ。ですけどマコトにはそれほど嫌悪感がありませんわ。同じ部屋ということだけなら我慢できますのよ。それでしたら、マコトがそのような気を起こさない限り、何も心配なさるようなことはないと思いません?」
我慢する前に、心配する前に、鍵を借りれば済むことじゃないか!
「まあ正直に申しますと、残った二部屋なんですけれど……出ますのよ」
「で、出るって、何が?」
「このホテルを建てた際に取り壊した墓地に埋められていた、原住民の霊が」
「絶対嘘だね!」
「悲しいですわマコト。わたくしのことをほんの少しも信用なさっていないのですわね」
「できるか! 自分の胸に手を当てて何をしてきたか思い返してくれ!」
するとシンシアさんはおもむろに歩み寄ってきて、ぴとっと、俺の手を自分の胸に当てた。
「な、何しやがる!?」
即座に手を引っ込める。
いや柔らかかったけど! ありがとうですけど!
「うふふ、面白いですわマコト。自分で言ったことじゃありませんの」
「わざと素敵に勘違いするなよ!」
もうやだこの人。何この人。何がしたいのこの人。お詫びのつもりなんてこれっぽっちもなかったよね?
そしてまた、コンコンとドアがノックされた。
「きっと梓ですわ。うふふ、わたくしがここにいて、どういう顔をするのかしら」
俺はドアに向かって行くシンシアさんを止めることもできずに、ただこれからの修羅場のことを思い生唾を飲んで身構えるのだった。
かくして、前置きのようなものが長かったけれど、ようやく八人+一人のバカンスが、ここに幕開けとなった。
さしあたってまず俺がしたことは、隠れられる場所を探すことだった。