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先輩で、変態で、ストーカーで ~高橋裕也~

 来たっ! 

 この僕が語り部となる時がついに来たっ!

 脇役脇役と何度も言われ続けてきたこの僕が、ついに主役の座を勝ち取ることに成功したのだ!

 さて、さてさて、この喜びを、まずは愛しの彼女へ伝えないといけないな。

 携帯を手に取り、僕はさっそく電話をかける。相手は、ふふん、決まっているではないか。

『……何だい? じゃあね』

 久しぶりにかけた倉敷さんへの電話は、わずか三秒で強制終了させられた。しかも疑問形と別れの挨拶という何の意味も成さない文脈で。僕としても初めての体験だ。僕の声を彼女の耳に届けることもできなかった。

 うむ、いやしかしだね、僕からの電話を無視しないで一応出てくれることから、まだ一縷の望みは繋がれていると思っていいだろう。

 僕は高橋裕也。あらゆる女性を虜にしてやまない紳士。で、あって欲しいと思っている男子高校生。世の中の女性は何とも愚かなもので、この僕の魅力に一向に気付く気配がない。先の倉敷さんもその一人である。幾度にもわたる僕のアプローチに対して、突き放すことしかできない可哀想な女子なのだ。

 …………はい、わかってます。強がってます。本当のところ、僕が女の子と遊びたくてたまらないのです。お付き合いしたくてたまらないのです。いまだかつて、女の子とそんな関係になったことはありません。いや、原因はわかってるんですけどね。僕がいろんな女の子に色目を使ってしまうから彼女がヤキモチ焼いて……もとい、いろんな女の子に声をかけるから誰にも相手されなくなってしまっているのです。

 心の叫びを聞いて欲しい!

 だってやめられないんだぁっ!

 素敵だよ女の子。素敵だよ。最近では金髪グラマーなシンシア嬢。外国人にはあまり興味がなかった僕でもあのお嬢様だけは別格だった。なぜかお嬢様に好かれる真と一時期付き合うことになっていたみたいだけどね。僕が見つけた噂は間違いなく、レズだったそうだし、事の成り行きは聞いた。あいつも結構苦労人みたいだね。だが例えそれが彼女の悪戯だったとしても、羨ましかった! 形だけでも彼女ができたら、嬉しいじゃないか……。

 あと、倉敷さん。あの不思議な性格は僕を際限なく魅了させる。長い黒髪も相成ってとても神秘的な美人だ。他にもいろいろいるよ。素敵な女性はいろいろいる。だけど特に、今、僕の気持ちの尾を引いているのは倉敷さんなのだ。彼女と付き合う事ができたならきっと特別な毎日を送ることになるだろう。常套句で使われる意味とは違う、きっと、本当に特別な毎日だ。

 だけどまぁ、電話をかけても最近では一言二言で切られることが多くなってきた。状況分析を自分なりにしてみると、飽きられている。最初は何だかんだからかってきて、彼女も少し楽しそうだった。ように思う。きっとそうだったに違いない。だけどやはりそれは過去形でしかなく、僕の携帯電話は僕の声を彼女の耳に届ける仕事を成してくれないのだ。夏休み前の学校でも、もっぱら冷めた目を向けられるばかりだった。それでも僕の姿が彼女の目に止まるだけでもマシだったろう。携帯が携帯の役割を果たしてくれない今、僕と倉敷さんの接点は皆無なのだ。

 ということで、今日も素敵な女神を探しに街に出かけてみよう。きっと僕のことを待ってくれている素敵な女性がいると思うからねっ。昨日も出掛けたけれど、残念ながら僕の魅力を覗き見ようとする女性はいなかった。忌々しき事実だよ、本当に。

 僕自身の第一印象としての反応は悪くない。見た目は悪くないと、そこは自負している。それでもいざ会話に入ってしまうと、女の子たちはみんな忽然と僕の前から姿を消してしまう。僕がいろんな女性に声をかけていると知らない人でもだ。眼鏡の色が悪いのかと思い、眼鏡を変えてみたものの結果は変わらなかった。まあいいだろう。今日こそは、夏を共にエンジョイしてくれる女性を見つけてみせよう。

 家を出ると、空にはどんよりとした雲が浮かんでいた。これじゃあ、せっかくの意気揚々とした気持ちも勢いをなくしてしまいそうだ。

 少し歩いて、ある家の前に差し掛かると、知った顔がその家から出てきた。キャッキャウフフキャッキャウフフと、曇りの本日も、神宮寺財閥のお嬢様はサンサン太陽よろしく輝かしい笑顔だった。それと、お嬢様に引きずられる我が幼馴染、来栖真くん。真とはご近所さんだからね。

「おっ、裕也じゃないか」

「あっ、変態さんだ」

「そ、その呼び名で僕を呼ぶのはやめたまえ。僕は紳士なのだよ、お嬢様」

「あっ、真摯に紳士を演じている変態さんだ」 

 ぐぬぬ、出会って十秒でここまでコケにされるとは。

「梓、本当のことでも言わないでおいた方がいいこともあるんだぞ?」

「あっははは、やだなぁ先輩。梓だって言って良いことと悪いことの区別くらいつきますよー」

 おかしい。今回の主役は僕のはずなのに、これじゃあいつもと変わらない扱いじゃないか。

「先輩、行きましょう。貴重な時間を無駄にしたくはありません」

「あ、ああそうだな。じゃあな、裕也」

 幼馴染である真でさえそんな態度を取るか。いくら僕でも泣いちゃうぞ?

 かといってまぁ、僕も時間が惜しい。ここは涙を飲んで行かせてやることにしよう。出会いっていうのは運命と運命の交差点だからね。信号待ちをしている場合じゃないのさ。

 キャッキャウフフな二人の背中を見送り、僕は歩き出した。向かう先は駅ビル。夏休みで人が多く集まっているのはアーケードかもしれないが、そこには主に地元の住民たちが集まる。女の子たちも西高校に通っている人らが多いわけさ。そこにひきかえ、駅前は我が校以外の女の子も多数出没する場所だ。言わずもがな行き先は一つに絞られるだろう。フフ、楽しみだ。今日はどんな女の子たちに出会えるのだろう。

 足取りは、当初思っていたよりも随分軽い。何の根拠もなく、今日はいいことがありそうな予感がした。本当に何の根拠もない。要はイメージトレーニングなのだ。今日は絶対うまくいくと、自分に言い聞かせる。

 駅前通りが近づくにつれ、だんだんと繁華街のような雰囲気が漂ってくる。毎度赴いている場所とはいえ、人は毎回違うのだから、それに伴い心地良い緊張が体中を駆け巡っていた。これなんだよこれ、この高揚感がたまらないなあ。

 周りを気にしながら歩いていると、うちの高校の制服を来ている女子を発見した。大体うちの高校の女子の美少女はチェック済みだ。

 遠くで顔は良く見えないけれど、僕の美少女アンテナは過敏に反応している。あの子は間違いなく美少女だ。誰だろう。誰だろう。

「こほんこほん」

 喉の調子を整えつつ、先の女の子に忍び寄る。駅ビルに入ろうとしているようで、こちらからは後姿した窺えない。しかしどこかで見たような後ろ姿だけど、きっとそれは気のせいだろう。人が多いところではよくある錯覚にも似た既視感だ。

 僕は女の子の正面に回り込みながら、お決まりの文句を口にする。

「やあ。花のように美しいとよく言うけれど、それは君にとって失礼だよね。だって君は花より美しいんだから」

「……それ、私に言ってんの?」

「……あっ」 

 ……美少女には間違いなかった。僕の女子ノートアンケートでは、例外なく美少女認定されている女子だった。

 僕の褒め言葉に対して、彼女はあからさまに不機嫌そうに眉をひそめた。

「や、やあ。千佳じゃないか。そ、そう、君に言ったんだよ。君は本当に美しい」

 何という事だ。いきなり出鼻をくじかれた。よりによって千佳に声をかけてしまうなんて、とんだ失態だ。千佳は美少女としても有名だけれど、もう一つ、決して誰にもなびくことがないことでも有名だ。決して誰にも落とせない女。それでも、告白しようとする奴が後を絶たないのは、やはり千佳が美少女であるという理由に他ならない。しかも千佳はそれだけではなく、成績優秀で運動神経も良い。品行方正で次期生徒会長の呼び声も高い学園アイドルなのだ。

 だがしかしだね、それは千佳の表の部分でもある。真と同じく僕の幼馴染であるのだけど、幼馴染だからゆえなのか、僕に対してはすこぶる冷たい。僕がよく目にするのは、そんな裏千佳がほとんどなのだ。同じ幼馴染なのに真に対する態度と僕に対する態度の温度差が激しい。きっと、これは気のせいじゃないと思う。最初に言った通り、美少女には間違いないのだけれど。

「……気持ち悪い。なんであんたにそんなこと言われなきゃなんないの?」

 僕もどうして千佳に声をかけたのか猛省しているところだよ。

 正直、千佳は苦手だ。倉敷さんやお嬢様のように、からかうような様子は微塵も感じられない。かなり冷ややかな目が僕に向けられている。

「あ、いや、ごめんなさい」

 僕に残されていた道は、誠心誠意謝罪の言葉を口にすることだけだった。

 千佳は冷めた目つきはそのままで、一つ溜息をついた。

「今日もナンパ?」

 本当に、呆れかえったような口調だった。

「ナンパとは人聞きが悪いな。僕は迷える子猫たちを導いてあげようと出向いてるにすぎないのさ」

「…………裕也ってさー」

「な、なんだい?」

 千佳は一度間を空けて、無表情で、

「馬鹿だよね」

 それだけ言い放ってスタスタと駅ビル内に向かって行った。僕は茫然自失としてその姿を見送るだけだった。

 ふ、ふふ、冷た過ぎるよ幼馴染。

 しかしだね、こういうことが過去の歴史になかったわけではない。突き放されることには悲しいかな慣れている。こんなことでくじけるような僕ではないのだ。

 さぁて、次だ次!

「他を当たってください」はい。

「友達と約束があるので」さっきからずっとそこにいますよね。

「ナンパ男なんてお断り」ナンパじゃないよ。

「キモッ。寄るなっつーの」お前こそキモッ。

「彼氏いるから。ほらあそこ」怖い人だ。あっち系の人だ。

「死ね」性格悪っ。

「あなた馬鹿っぽそうだから」見破られた。

「元男でもいいかしら?」見誤った。

 そんなわけで、今日も清々しく連戦連敗。

 同じところでずっと声を掛け続けているものだから、女性に近付くだけで逃げられる。

 今日はもう無理だと諦めかけていた。

 駅前をあとにしようとしていたところで、ひときわ僕のアンテナが反応した。きっと類稀なる美少女に違いない。

 背中の中程までの黒い髪。白いワンピースに淡いピンクのカーディガン。清楚なお嬢様といった風貌だった。これは間違いないよ。絶対可愛いよ。ひどく突き放されることもなさそうだし。後ろ姿が少し倉敷さんに似ているし。行くっきゃない。

 そして僕はまた、後ろから回り込みながら言う。この瞬間が一番心臓が高鳴る。

「花のように美しいという言葉があるけれど、それは君に失礼だよね。だって君は花よりも美しいのだから」

 こんなおしとやかお嬢様系はこういう言葉に弱い。気がする。僕の真価が発揮される相手だ。と思う。

 僕は、ぎょっとした。

 さっき千佳にやってしまった失敗を、また繰り返すことになった。

「……またあなたですか。ストーカー被害で警察に駆け込みますよ?」

「う、うん、ごめん。でも警察はね、実害がないと動いてくれないんだよ?」

「実害ならあります。あなたに話しかけられました。私の心が犯された気分です。気持ち悪い」

 知り合いだった。一応、知り合いだった。

 心底嫌そうな視線を僕に向けるのは、天根優子あまねゆうこさん。出会いは街の図書館だった。テスト勉強をしようと図書館に赴き、彼女のおかげで全く勉強できなかった。神宮寺さんのおかげでお近づきになれたのだけど、我が思い人倉敷さんのおかげで嫌われてしまったのである。嫌われたけれども、優子さんは、ある程度僕と話してくれる数少ない女子だ。その中で知ったのは、口調は丁寧だけど、その中身は結構きついことを言ってくることだった。彼女は純心女子高等部一年。僕より一つ年下である。端正な顔立ちで、可愛いよりは美人に近い。

「そ、それは申し訳ないことをしたね。だけど、同じくらいきみの一言で僕の心もズタズタになったんだからおあいこってことでどうかな」

「あなたと私の心を比べないでください。気持ち悪い」

「そ、そうだよね」

 まるで、倉敷さんの外見を真似て、千佳の内面を真似たような女の子なのだ。

「じゃ、じゃあ僕は帰るところだったから。今度デートでもしようね」

「嫌です、気持ち悪い。……それより、あなたは私の心を深く傷つけたまま帰るつもりですか? 私がそれなりの心のケアを必要としていることもあなたはわからないのですか?」

「え?」

 僕は記憶の底を掘り起こしてみる。実に対応に困る一言だった。一言二言で終わっていたこれまでの会話から導き出せる答えを僕は持っていなかった。心を傷つけた僕に心を癒して欲しいとおっしゃっているのか、優子さんは。

「今後あなたとデートする予定など全くありません。ですけど、今日は友達に予定をキャンセルされたのです。ちょうど、時間ができてしまったのです。あなたを野放しにしては他の女の子が私と同じように心を傷つけられることがあるかもしれないのです。仕方がないので、私はあなたの興味を私に引くことで他の女の子を助けてあげようと考えました」

 要訳すると、こういうことなのだろうか。

 友達と遊ぶ予定だったのにドタキャンをされ、そこにちょうど僕が現れたと。ちょっとナーバスになっているから楽しませろと、そういうことなのか。

 そんなの、願ってもない話しじゃないか。

 ついに実った! 優子さんにデートを申し込んだ回数実に二十二回! 偶然とはいえ、こんな機会を逃すことなんてありえない!

 だけど落ち着け僕。ここでがっついてはダメだ。紳士なら紳士らしく、目の前のレディーをエスコートしてやらねば。

「ふっ。それじゃあ相手をしていただくことにしよう。さ、お嬢さん。僕の手を」

「い、嫌です気持ち悪い。触りたくありません」

「せ、せめて気持ち悪いって言うのだけはやめよう? 僕はちゃんと手は洗ってるから」

 ……前途多難かもしれないけれど、これが記念すべき僕の初デートになった。

 僕はいまだかつてデートなどしたことはない。つまりは、デート経験値がまるでないのだ。いつもいつも女の子を口説くことばかり考えていて、その先は全く想定していなかった。先があるなんて思っていなかったもので。ノープラン。何をどうしていいのかわからなかった。

 とりあえず、優子さんと並んで歩いてみることにした。女子と肩を並べて歩くなんて、小学生の集団下校以来の体験である。

「あ、あの、どこに行くんですか?」

 優子さんは不安そうな眼差しを僕に向けてくる。きっと彼女も男子と街中を歩くなんて経験はないのだろう。初々しい二人だ。

「ぼ、防犯ブザー持ち歩いてますからね?」

「君は僕を一体何だと思ってるんだ!」

「えっ……変態さん、ですよね?」

「本人に確認を取られても困るというものだよ! ……それにしても防犯ブザーなんて、小学生みたいで可愛いじゃないか」

「ひっ……ろ、ロリコン……!」

「すごいよね。僕が何か言うたびに悪い方へ向かっていくよ。いや別にロリコンが悪いというわけじゃないんだけど――って防犯ブザーから指を離して! 押さないで!」

 こんなやり取りが二、三あり、僕と優子さんは駅ビルの外周をぐるりと一周回って来た。爽やかな午後のお散歩とでもいったところか。でも、空はどんよりとした曇り空なんだけどね。

「ひ、人が多いところに戻って来たとしても安心はしませんからね。むしろ警戒します」

「いいよ。たった数分だったけどそれは理解したから」

 こうやって納得したふりをして、徐々に警戒心を和らげていこうじゃないか。っと、これじゃまるで優子さんを襲ってしまおうと考えている変態みたいだ。いけないいけない、そういうのは他者が思うだけで十分だというのに。うん、他人から受ける思い込みっていうのはすごいね。

「あの……」

「ん? なんだい優子さん」

 本当に、なんとも本当に言いにくそうに優子さんは、指差しながら言った。

「少し汗をかきましたし、喉が渇いたので……」

 汗というキーワードに反応してしまった自分が怖い。それだけで何か性的な表現に聞こえてしまう。それはさておき、優子さんが指差したのは駅ビル一階で営業しているカフェだった。オープンテラスもあるが、今日は曇り空だからか外で歓談している人は少ない。

「奢ってください」

 ストレートだった。実にストレートな欲求だった。僕のストレートな要求を口にすればたちまちブザーを鳴らされかねないので、ここは彼女の欲求を満たすことで僕の心を満たすことにしよう。要は、彼女を満足させることができれば今日の僕にとっては勝利となるのだ。そういう風に、最初に彼女が言っていたから。

 何度か一人で足を運んだことがあるこのカフェに、まさか女の子と二人でご来店することになるとは思わなかった。ここのカフェは通りに面してガラス張りなので、外を眺めながら女子をチェックするにはうってつけの場所だったのだ。僕も僕で、一応体裁を考えることがある。しょっちゅうここで外を眺めていてはただの寂しい人と思われかねないので、間隔を適度に開けながら来ていたわけだが。

 そんなこのカフェの店員さんに、訝しげな表情を向けられながら、僕はキャラメルマキアートを注文する。優子さんは、大人ぶりたいお年頃なのかアイスコーヒーをブラックで注文していた。

 普段座ることのない、窓際から一番遠いテーブル席に腰を落ち着かせ、改めて優子さんと対面する。思えば最初に話して以来のご対面だった。優子さんはアイスコーヒーを一口飲んで、ふうぅ、と感嘆のような溜息を漏らした。

 どうしても、そのこくこくとする喉の動きに目が行ってしまうのは僕にとって至極当然のことだった。少し汗ばんだその肌が、思わず手を伸ばしてしまいそうになるほどに僕を誘惑している。

「なっ、ななななんですか!?」

 気が付けば、本当に手を伸ばしてしまっていた。残念ながら、いや幸いなことに、その手が彼女に触れる前に払われてしまったのだけれど。そしてその手を拭かれてしまったのだけれど。いじめじゃないのかな、これ。

「あ、ごめん。つい」

 だけど僕は紳士だからきちんと謝ることができるんだ。

「あなたはつい、という理由で女の子の首を絞めようとするのですか!?」

「誤解だよ。絞めようとはしてない。むしろ汗を拭いてあげようとした善意だよ。ブザーは置いてね」

「ストーカーは多大な被害妄想で相手を殺めてしまうことすらあるようです」

「それこそ誤解だよ。君とは今日たまたま会ったんだし。君の住所や電話番号は知っていても生活習慣までは把握していないから」

「……どういう経緯で私の住所を入手したのか聞きたくないですし、知りたくもないですけど、今すぐその記憶を消去してくれないと私はあなたの生まれてから今までの記憶が失くなるまであなたの頭を殴り続けるかもしれません」

「う、うん。忘れる。忘れたよ。今忘れた」

 目が笑っていなかった。本気でやりそうだったよ。刺激的な子だったんだ優子さん。

 いや面白い。女子と話すということは実に面白いなぁ。情報だけではわからないことがあるんだって新しい情報だよ。

 でもどうしてかな。実際こうやってデートしているわけだけど、僕はそれほど焦っていないみたいだ。落ち着いているというべきなのかな。目的が達成されたあとのような、達成感ではなく、虚無感に似た感覚だ。安心しているのか、余裕があるのかよくわからないけれど、今まで必死だった自分が嘘のようだ。きっと悟りを開いた高僧も、こういう気分だったんだろう。

「安心してよ。忘れてなかったとしても、家に行ったりはしないからさ」

「当たり前です。その時は本当に警察を呼びます。でも、何か引っかかる言い方ですね」

 優子さんは急に拗ねたような口調で言った。何か気を悪くする事でも言ったかな。

 それから何を言うわけでもなく、優子さんは一気にアイスコーヒーを飲み干して氷だけになってもズズズと音を立て続けていた。すごいね、優子さん。僕はブラックコーヒーをそれほど一気飲みはできないよ。

 そんな浮足だったことを思うよりも、差し当たって僕はこの空気をどうにかするべきなのだろう。実経験がないからそうとは言えないのだけれど、これが相手が何を考えているかわからないという状況なんだろうね。きちんと言ってくれないとわかんないよ! みたいな、恋愛情緒のもつれによくある展開だ。それを付き合ってもいない間に体験できる僕は幸運と言うべきなのかな。これは優子さんとのデートであり、先にできるであろう彼女とのデート体験学習なのかもしれないな。

 とりあえずは、優子さんを褒めてみることにした。

「優子さんってさ、可愛いよね」

「名前で呼ばないでください。気持ち悪い」

「……天根さんってさ、可愛いよね」

「苗字でも呼ばないでください。気持ち悪い」

「…………きみってさ、可愛いよね」

「何度も同じこと言わないでください。気持ち悪い」

 おかしいね。おかしいよねこれ。褒めてるはずなんだけど逆にけなされているなんて。会話のキャッチボールは成り立っているみたいだけど、軟球を硬球で返されてるよ。誰かに似ている気がするね。

「大体あなたの言葉には気持ちが籠っていません。そんなだから変態さんと思われるんですよ」

「僕は嘘は言ってないよ? きみが可愛いから声をかけたんだし」

「そっ……それは、そうかもしれないですけど」

 優子さんは顔をほんのり赤くして視線をそらした。どうやら僕は女の子を照れさせるという所業に成功したらしい。愛いかな愛いかな。思っていた以上に男心をくすぐるものがあるね。普段ちょっとつんけんしている優子さんだからこそなおさらだね。これがギャップってやつなのかな。倉敷さんにもこんな一面があるとしたら、ぜひ見てみたいものだね。

「ど、どうせ誰にでも同じこと言ってるんだから」

「誰にでもは言わないよ。可愛い子だけさ」

「うっ、言ってることはただのたらし男の言葉なのに、なんかすごく正しいことを言われているような気がします」

「たらしと呼ばれるほど、僕は多くの女の子と触れ合ったりはしていないよ」

「誠実さを主張したところであなたが変態さんという事実は変わりません」

「その変態というのをどうかやめてくれないかな! 僕はとても紳士的じゃないか! 百歩譲って紳士じゃなかったとしても、変態的行為には及んでいないはずだよ!」

 優子さんは「はっ」と鼻を鳴らした。

「教えてもいない私の住所を知っているということはすでに変態の域に達しています」

「可愛い子のことを知りたいと思うのは当然だとは思わない?」

「あなたの行動は行きすぎです。常軌を逸しています」

「い、いやでもね、うん、もしかしたらそうかもしれないけどね。そうだな、きみの住所は僕の記憶からは失われたよ。ついさっきね。だけどね、そんなに話したこともない女子からも僕は変態だと思われるんだ。どうしてだと思う?」

「それはあなたの雰囲気が変態だからでしょう」

「元も子もないよねそれ。どうしたいいんだろう?」

「それを私に聞くのですか。あなたはまず女の子の気持ちを全く理解しようとしていません」

 優子さんは一つ大きな溜息をついた。

「それにあなたからは誠実さのかけらも見受けられません。うわべだけの言葉にしか聞こえません。だからあなたに可愛いとか、そういうことを言われたところで喜ぶ女の子なんていないのです」

「でもさっき照れてたよね?」

「照れてないです!」

「さっきのきみみたいに顔を赤くして目線を逸らしていじらしくもじもじしている様子を照れていると言うんじゃないの?」

「具体的に言わないでください! ブザー押しますよ!?」

 ビーッ! ビーッ! ビーッ!

 押しちゃった! この子押しちゃったよ防犯ブザー!

 ほら、ほらほら見られてる。何にも悪い事はしていないのに、みなさんそんな疑いの目を向けるなんてやめてくださいな。痴話ゲンカでもありません。ただ普通にお話ししていただけですから。僕にもこうなった理由はわかりませんからいやほんとに。

 挙動不審に陥ってしまったことが悪かったのかもしれない。

「あの、ちょっとすいません」

 若くて凛々しい男の店員さんが僕に声をかけてきた。睨まないでくれたまえ。僕は紳士なんだぞ。それに男に見られても嬉しくない。

「ごめんなさい。誤作動です」

 店員さんが来てからやっと、優子さんはブザーを止めてくれた。店員さんは最後まで僕を訝しく見て、仕事に戻る。

「こ、困るよ優子さん。いくら何でも不意打ち過ぎる」

「こういうことになりたくなければ、滅多なことは言わないことです。あと名前で呼ばないでください」

 どうも優子さんはご立腹のようだった。からかうつもりなんてなかったのだけれど、やっぱり僕にはまだまだ女心は理解できないようだ。

 いくら僕でもいたたまれなくなったので、店を出ようと提案した。優子さんも自分がやらかしたことに気まずくなってしまったのか、それを了承してくれた。

「次はどうしてくれるんですか? あなたのおごりで」

 優子さんはあくまでも自分のお金は使いたくないらしい。でも、何も言わずに奢られることが当たり前に振る舞われるよりも、いっそこちらのほうが清々しいかもしれないね。

 僕だってそんなに手持ちがあるわけでもないしなぁ。

「カラオケでも?」

「あんな狭い部屋にあなたと二人っきりなんて嫌です」

「嫌も嫌よも好きのうち?」

「嫌で嫌で嫌々です」

「ショッピングでも?」

「全部奢ってくれるんですか?」

 何を要求してくるかわからないけれど、

「ごめんなさい。ボウリングとか?」

「スカートだから体を動かすものは嫌です。それともわざと言ってるんですか?」

「そういう下心はもっと仲良くなってからかな」

「おっ……おまわりさっ……!」

「げ、ゲーセンにしようじゃないか! 駅ビルの中にもあるし!」

「……ゲームセンターですか。行ったことないです」

 ゲーセンにも行ったことないなんて珍しいな。普段は何をして遊んでいるんだろう。

「じゃあ行こうか」

「嫌です」

 あれ?

「あなたと一緒にいるところを知り合いに見つかったら嫌です。何人かの友達は、よく遊びに来ているみたいですから」

 それじゃあここでこうして話していること自体がもう手遅れなんじゃないかな。きっともう見つかってるさ。まあこれだけだとナンパをあしらっているだけと言い訳できるかもしれないけれどね。

「路地裏に古いゲームセンターがあるけど、そこに行く?」 

「……まあ、いいです。とりあえず行ってみることにします」

 それから、僕は路地裏のゲームセンターへ案内する。雑居ビルの間を抜けるように進むと、優子さんは人気がなくなってくるにつれ、防犯ブザーを力強く握り締めていた。

 いっそあれを奪ってしまったらどういう反応を見せるのだろう。ここなら人気もないし、叫んでも気付く人だって少ないと思う。いやいや、本当に襲ってしまおうと考えているわけじゃなくて、何て言うのかな、ちょっとした悪戯心なんだよ。可愛い子に悪戯しちゃいたくなる時ってあるよね。それなんだよね。だから、さ、

「優子さん」

「えっ!?」

 やってしまった。案外あっさりとそれは僕の手に収まった。

「いっ……嫌っ……!」

 優子さんは首をふるふると振りながら怯える目を僕に向ける。

 ふむ。

「ふっふふふ。僕のことを散々変態と呼んでおきながらこんな場所について来るとはね」

 僕が一歩踏み出すと、優子さんは涙を浮かべながらあとずさりし始めた。だけどすぐに雑居ビルの壁に背を預けるかたちになる。

「嫌っ……! こ、来ないで……っ!」

 恐怖に涙する女子。なかなか、いいねっ! だけどここで本当に優子さんを襲ってしまうとあえなく逮捕だ。当前ながら。それくらいの常識は僕だってわきまえているさ。冗談はここまでにして、さて、ブザーを返してあげよう。

「冗談だよ。ごめんね怖がらせて。はいこれ」

「……………………」

 優子さんは、呆気に取られた顔をした。その顔もいいね、優子さん。っと危ない危ない。これじゃ変態街道まっしぐらなところだった。

 優子さんは震える手でブザーを受け取って、強く握り締めた。

 一瞬で後悔した。僕はどうしてブザーをあっさり返してしまったんだ。こんなことをやってしまったあとでブザーを返して、押されるに決まってるじゃないか。

「おふっ!?」

 押されるどころか、無言で腹を殴られた。的確に鳩尾を狙った一発だった。

「~~~~っ馬鹿じゃないんですか!? 変態にもほどがあります! こ、怖かったんだからっ!」

 今度は脛を蹴られた。

 その後は顎を殴られた。

 ものすごく的確に弱点を攻撃された。

 そしてお決まりの、金的。だけはなんとか死守。弱点を狙うことが裏目に出たね優子さん。げへへ。

 だけど僕はうずくまる。両足の脛を思いっきり蹴られて、正直立っていられませんでした。お腹も痛いし、脛も痛いし、押さえさする手が足りない。

「ハァッ……ハァッ……まったく、とんだ変態さんですね」

「ひ、一つ聞いてもいいかな?」

 かろうじて、僕は口にした。 

「ど、どうしてブザーなんて持ち歩いてるの?」

 きっと相手の方が逃げ出すと思うんだけど。

「あなたのような人がいるからです!」

「あぶっ!!」

 ビンタをお見舞いされ、眼鏡が吹き飛んだ。遠慮なんてまるでないんだね、優子さん。素敵です。

「あっ……」

 優子さんは何かに気が付いたように僕の顔をまじまじと見た。ように思う。眼鏡が飛ばされてしまったせいで優子さんの顔はよく見えない。

「な、何だい?」

「あっ……いえ。ごめんなさい。眼鏡が落ちちゃいましたね」

 優子さんは眼鏡を拾って、返してくれるのかと思いきや、僕の目の前まで持ってきてまた顔を見られる。

「優子さん?」

「な、名前で呼ばないでください」

 慌てた様子で、優子さんは何かを取り出した。それを、僕の眼前に固定させる。手鏡だった。

「もみじがくっきりです」

 僕の左頬に、優子さんの手形がくっきりと残っていた。強烈だったからね。それにしても真っ赤っかだ。

「あっはははっ! かっこ悪ーい」

 出会った当初以来の、優子さんの笑顔だった。

 ドキリと心臓が鳴る。ドクドクドクと、心臓が鳴る。

 花よりなんてとんでもない。きみは、世界一美しい。

「は、はははっ。だ、大事にするよ。きみからもらったもの、だからね」

「あはっ、なんですかそれ。そんなのだったらいくらでもつけてあげます」

 な、なんだろう。どうしてだろう。うまく言葉が出て来ない。どうしたんだ僕、いつもの流暢な軽口はどうしたんだ。せっかく笑ってくれてるんだからこういう時こそ彼女を喜ばせる言葉が必要じゃないか。

「はい、これ」

 今度こそ、眼鏡を渡そうと僕の手元に差し出して来た。

「あ、ありがと――あれ?」

 眼鏡に、ぽつ、ぽつ、と滴が落ちた。それは数を増して、すぐに眼鏡を埋め尽くす。

「あ、雨だっ!」

「きゃーーーーっ!」

 迂闊だった。曇り空だったけれど、雨が降ったことも考えて傘を持ってくるべきだった。言い訳させてもらうと、こんなに長く駅前に留まるつもりがなかったということだ。

 二人で猛ダッシュして、近くの雑居ビルの階段に逃げ込んだ。会社の事務所だけが入っているようなビルで、傘が売られている様子はない。しばらく、ここで雨宿りさせてもらうことにした。階段に二人で座り込む。けっこうな雨の勢いで、僕も優子さんもびしょ濡れになってしまった。

「いきなり降ったなあ」

「ひ、ひどい目にあいました。変態さんのせいです。あんなことせずに早くゲームセンターに行っていれば濡れなかったかもしれないのに」

「そ、それは謝る――」

 ドキリと心臓が鳴る。ドクドクドクと、心臓が鳴る。

 シンシアさんなんてとんでもない。きみは、世界一セクシーだ。

 先に述べた通り、優子さんの格好は白いワンピースに薄ピンクのカーディガンだ。白い、というのがポイントだった。だって、濡れているんだから。夏だから、素材は薄いものだから。透けて、はっきり見える。肌色までが、はっきり見える。

「ん? どうしたん……~~~~~~っ!!」

 優子さんは顔を真っ赤にして、胸元を両手で隠した。もう遅いよ。はっきりと僕の脳裏に焼きついたから。焼きついてしまったから。何度殴られようと忘れてしまわないくらいに、焼きついてしまったから。

「へっ、変態ですっ! 何見てるんですかっ!」

 定番イベントだけど、定番だからこそ、その威力はすさまじい。定番になるだけのことはある。定番万歳。濡れ女万歳。

「み、見たくて見たんじゃないよ。いや嬉しかったけどね、わざとじゃないよ」

 ますます、優子さんは顔を赤くして、体ごと僕から背けてしまった。

 また怒らせてしまった。だって仕方ないよね。男なんだもの。自然に目がいってしまうよね。逆に見なかったら相手に失礼だよね。紳士として。

 ではここで、場を和ませることを。

「ちょっと聞きたいんだけど」

「……何ですか?」

「女子校って、百合の子が多いって本当?」

「知りませんそんなの!」

 冗談だったのに、本気で聞いていると思われてしまったみたいだ。女子校通いの女子高生のためのとっておきだったんだけど。

 というよりも、冗談でも言っていないと僕がどうにかなりそうだった。すごくドキドキしている。こんなの今まで体験したことがない。

 もしかして、もしかしてだけれど、勘違いかもしれないけれど、これが恋、なのか?

 僕は優子さんに恋してしまったのだろうか。女の子と仲良くなれば、それはそのうち好きになってしまうかもしれない。恋してしまうのかもしれない。そしてこの心臓の高鳴りが、恋、なのか?????

 張り裂けそう張り裂けそう張り裂けそう。心臓が張り裂けそうだ。

 優子さんの濡れた髪。透き通るような肌。可愛らしい声。少し強気な目。どれもこれも、好きだ。

「ゆ、優子さん」

「な、名前で呼ばないでくださいって何度言ったら……」

「こっち、向いてくれないかな?」

「…………」

 ゆっくりと、手は胸元に当てたままで優子さんは振り向く。恨めしそうに僕を見る瞳に吸い込まれそうになった。僕の全てがその瞳に支配されてしまいそうになった。

 僕の、優子さんを僕のものにしたい。

「す、好きだ」

「ふぇっ!?」

「き、きみが好きだ。優子さん」

 初めてだった。今までいろんな女子に声をかけてきたけれども、『好き』と言ったことはこれまでなかった。

 好きだ。優子さん、好きだ。好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ!

「ま、またからかうつもりですか? 私はあなたのそんなところがへんた――」

「本当なんだ」

 力強く、僕は言う。

 優子さんは、また慌てて顔を背けてしまった。

「ゆ、優子さん」

「話しかけないでください」

「あっ……」

 やっぱり、こんな僕じゃダメ、なのかな。

 変態、だもんな。

 それっきり、優子さんは一言も喋らなかった。

 そしていつの間にか雨は上がり、晴れ間が差していた。

 優子さんはおもむろに立ち上がり、僕の方を見ようともしないで、来た道を引き返す。僕も無言で、あとを追った。

 このままじゃ終わらせられないから。

 このまま帰してしまってはいけない。

 無言で後を歩き、駅前に戻ってきたところで、優子さんは足を止めた。

 優子さんはくるりと振り返り、とびっきりの笑顔を見せてくれた。

「散々でしたけど、今日はありがとうございました。少し気分がすっきりしたような気がします」

 それは別れの言葉だった。

 僕は、言う。

「その、優子さん! よ、よければ、こんな僕だけど、それでよければ、また会ってくれないかな?」

 付き合ってくれなんて、そんな大それたことは言えなかった。この期に及んで、勇気が出なかった。

「嫌です」

 きっぱりと、優子さんは明るく笑って返事をした。

 強烈な衝撃を受けた。その場に倒れそうになった。なんとか踏み止まり、喰らいつく。

「た、たまにでもいいんだ」

「ごめんなさい」

「ど、どうしても?」

「どうしてもです。だって……」

 そして、優子さんは少しだけ寂しそうに、だけど笑って、衝撃的な事実を口にした。

 今回の、オチでもある。


「私、彼氏いますから」


 …………………………は?

「えっ、えええええええええええええええええぇぇぇっ!?」

「そ、そんなに驚かなくてもいいじゃないですか。可愛いんですよね? 私って」

「だ、だって、今まで二十二回だよ!? きみをデートに誘った回数! そんなこと今まで一言も言わなかったじゃないか!」

「だって、聞かれませんでしたし。今日だって、本当は彼氏と待ち合わせしてたんです。それなのにあいつってば」

「そっ、そんなぁ……」

 と、友達じゃなくて彼氏と待ち合わせだった? だから落ち込んでいたわけか……。

 僕は利用されていただけだったんだ。なんていうことだ。これが今までのツケなのか。でも僕は今までいい思いなんてしたことなかったし。ひどいよ神様。

「それじゃあ裕也さん。今日は楽しかったです」

「あっ、うん。……サヨウナラ」

 僕にはもう彼女を追う元気がなかった。気力も尽きた。名前を呼ばれたことも、このときは気付いていなかった。

「もし彼氏と別れたら、連絡しますから」

「えっ!」

 優子さんは悪戯っぽく笑って、背を向けた。

 そしてもう一度振り返り、最後に言った。

「そうそう、コンタクトにしたらどうですか? 素顔の方が格好良いですよっ」

 今度はもう振り返らずに、軽い足取りで、優子さんは去って行った。

 まんざら、でもなかったのかもしれない。

 僕は彼女の背中が見えなくなるまで立ち呆けていた。

 いろんなことが頭を巡って、しばらくそこから動けなかった。

 心臓の高鳴りは、まだ収まらない。

 優子さんから連絡が来ることは、おそらくないだろう。

 なんとなくだけど、そんな笑顔だった。

 それでも、僕は彼女からの電話を待つのかもしれない。

 一日限りの恋心じゃ終わらせないようにと。

 今までの自分に叱咤するように。


 帰り道のことだった。

 駅前でそばにいた少女の黒髪よりも長い黒髪を持つ少女を見かけた。

 倉敷さんだ。

 それじゃあ、声をかけましょう。

 いや、うん、あのね、やっぱり僕は僕だから。優子さんは優子さん。倉敷さんは倉敷さんなんだよね。

 じゃあそういうわけでいってみましょう。

 優子さんからのアドバイスを実行に移して。

 眼鏡を外して格好良くなった僕を見ておくれ! 飽きてしまった僕のアプローチに新たな花を咲かせましょう!

「何だい? 睨みつけないでくれるかな」

 ……そうだよね。

 今度、コンタクトを買いに行こう。

 


 



 

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