↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鳴らない鐘を、あなたと調律する  作者: 銀細工ナギ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
13/20

王都からの停止命令

 鐘が鳴り終わると、地下の空間に奇妙な静けさが戻った。


 けれど、それは最初の沈黙とは違っていた。以前の沈黙が、何かを押し殺すための重い蓋だったのに対し、今ここにある静けさは、無数の声が次に何を語るべきかを待っているようだった。


 リゼットは聴魔針を抜いた。針の先から、淡い金色の光が細く伸び、水面の上を漂っている。


「全部を返すと言ったが……どうするつもりだ」


 エドガルが尋ねた。


「わかりません」


 リゼットは正直に答えた。


「ただ、ここに残っているものを、また一つの音にまとめてはいけないと思います」


 鐘の表面には、無数の名前と記録が刻まれていた。誰かの訴え。誰かの警告。誰かが見た洪水や崩落、飢え、疫病。そして、助けを求める声を無視した役人の記録まである。


 それらは混ざり合い、互いを打ち消しながら、ひとつの巨大な響きになろうとしていた。


「このまま放っておけば、また暴走する」


 ヴァルターが言った。


「王都中の鐘が、すべての声を一度に流し始めるぞ。人々は何を信じればいいのかわからなくなる」


「だから、止めるのですか」


 リゼットが振り向く。


「いいえ。分けます」


 彼女は水路の壁を見渡した。壁には、細い溝が幾本も走っている。これまで一つに集められていた音を、別々の流れへ導くための道だ。


「災害の知らせは災害の知らせとして。訴えは訴えとして。記録は記録として。それぞれが、聞くべき人のところへ届くようにします」


「そんなことができるのか」


「一人では無理です」


 リゼットはエドガルを見た。


「でも、鐘を鳴らす人が各地にいて、聞いた音を記録する人がいて、その記録を誰でも読める場所に置けるなら」


「調律院か」


 エドガルが言う。


「新しい調律院を作る」


 その言葉を口にした瞬間、胸の奥で何かが定まった。王都の許可を待ち、資格を与えられる日を待ち、誰かに価値を認められる日を待つのではない。聞こえたものを、聞こえたまま伝える場所を作るのだ。


 少女が水路の溝を指差した。


「ここ、音が流れています」


 彼女の声に、リゼットは耳を澄ました。


 たしかに、ひとつの細い音が西へ向かっている。色は青に近い灰色。危険の知らせではない。誰かが、長い間閉じ込められていた記録を取り出そうとしている音だった。


「地上です」


 リゼットは立ち上がった。


「誰かが記録を読んでいます」


 その直後、地下全体が震えた。


 遠くで、扉を叩く音が響く。続いて、金属を引きずる音。こちらへ近づいてくる足音が、いくつも重なっていた。


 エドガルが剣を構える。


「王都の兵か」


「おそらく」


 ヴァルターの顔から血の気が引いた。


「戻った鐘の音を、停止させに来たのだろう」


「停止命令が出たのですか」


 少女が尋ねる。


「王都は、民が勝手に聞くことを許さない」


 ヴァルターは苦く笑った。


「知らせを止めれば、混乱も止まる。そう考える連中だ」


 扉の向こうから、声が響いた。


「辺境領主エドガル、ならびに調律師リゼットに告げる。王都評議会の命により、鐘の使用をただちに停止せよ。地下施設を封鎖し、記録はすべて王都へ引き渡せ」


 リゼットは鐘を見上げた。


 表面の名前が、かすかに揺れている。命令を聞いた者たちの恐れが、黒い色となって広がっていた。


「引き渡すことはできません」


 エドガルが扉へ向かって答えた。


「この記録は、王都の所有物ではない」


「命令に逆らうのか!」


「領主として、領民の安全を守る」


 エドガルの声は静かだった。しかし、以前のように誰かの判断を借りている響きではなかった。


「安全を理由に、声を奪うことは認めない」


 扉が激しく揺れた。封印を破ろうとしている。


 リゼットは水路の溝へ聴魔針を置いた。一本、また一本と、色の異なる流れが分かれていく。赤は東へ、青は北へ、金は地上へ。混ざり合っていた音が、それぞれの行き先を持ち始めた。


「何をしている」


 ヴァルターが問う。


「鐘を、命令の道具から戻します」


 彼女は針を押し込んだ。


「誰か一人が意味を決めるのではなく、聞いた人たちが確かめられる鐘へ」


 地下の鐘が低く鳴った。


 扉の向こうで兵士たちが息をのむ。音は壁を抜け、階段を上り、王都のあちこちへ広がっていった。


 それは停止命令を打ち消す音ではなかった。


 命令が発せられた事実そのものを、隠さず知らせる音だった。


 地上から、ざわめきが起きる。人々は聞いた。王都が何を止めようとしているのかを。誰の声を恐れているのかを。


 エドガルがリゼットの隣に立った。


「上へ戻ろう」


「兵が待っています」


「だから戻る。ここで隠れていては、また誰かが一人で意味を決める」


 リゼットは頷いた。


 少女が小さな金属板を拾い上げる。ヴァルターも震える手で記録の束を抱えた。


 扉は、次の衝撃で開いた。


 まぶしい松明の光の向こうに、王都の兵士たちが並んでいる。先頭には、王都の印章を掲げた男がいた。


「最後の警告だ。調律師リゼット、抵抗すれば反逆罪となる」


 リゼットは地下の鐘を振り返った。


 無数の色が、暗闇の中で消えずに揺れている。


「聞こえた声を伝えることが反逆なら」


 彼女はまっすぐ男を見た。


「私は、何度でも反逆します」


 地上で、鐘が鳴った。


 今度は王都だけではない。遠く離れた辺境の鐘も、海沿いの村の鐘も、山道の小さな鐘も、同じ時刻に応じた。


 命令を知らせる鐘ではない。


 誰もが、自分の耳で確かめるための鐘だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。