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エピローグ 窓辺の席にて
翌朝の教室は、いつもと変わらないざわめきに包まれていた。
冷房の風が一定に回り、窓からは夏の光が差し込んでいる。黒板の縁はすでに白く、誰かが消した跡が残っている。
澪は席に着き、窓の外を眺めた。昨日のクチナシはもう散っていた。白い花は緑の葉の中に影を残すだけで、香りももう届かない。
それでも澪の胸には、あの甘さがまだ残っていた。
後ろの席から、ノートを揃える小さな音。
「……おはよう」
振り返ると、遥斗が眼鏡を指で直していた。少し照れたように目を逸らす仕草。
「おはよう、佐伯くん」
澪は、昨日よりも自然に微笑んで言えた。
クラスの数人がそのやりとりを見て、軽く囁き合う。
けれどもう、彼を“影”とだけ呼ぶ声はなかった。
窓の外、旧館の煉瓦は陽射しを受けて赤く輝いている。
その横を歩く風は、花の香りを運んでは来ない。
けれど澪にとっては、隣に座る彼の声が、それ以上に確かな「香り」になっていた。




