第6話 初めて並ぶ舞台
文化祭当日。正門には色とりどりののぼりがはためき、来客のざわめきが校舎全体を包んでいた。最新棟の廊下は照明が普段よりも明るく、冷房の風に紙飾りが小さく揺れる。
クラスの出し物は合唱。練習のときは何度も中断して、まとまりを欠いていたが、本番の舞台はもう待ってくれない。
控室代わりの講堂脇で、生徒たちが整列を始める。澪はリボンを直しながら、隣に立つ遥斗をちらりと見た。眼鏡の奥の表情は、緊張とも諦めともつかない。
「佐伯くん、大丈夫?」
「……別に」
いつもの答え。だが、その指先が楽譜をわずかに震わせているのを、澪は見逃さなかった。
講堂の中は熱気と光に満ちていた。観客席には保護者や来賓が並び、旧館の重厚な扉を思わせる拍手の響きが、舞台袖まで伝わってくる。
スポットライトが落ちてくる瞬間、澪は小さく囁いた。
「一緒に、歌おう」
合唱が始まる。最初の和音が響き、ざわめきがすっと消える。
澪のソプラノに重なるように、遥斗の声が伸びてきた。教室では目立たない低い声。けれど、舞台の上では、他の誰よりも安定して伴奏を支える音になっていた。
譜面を追う横顔が、スポットの光に淡く照らされる。眼鏡のレンズに反射した光が一瞬白く弾け、観客の拍手が未来のように一気に押し寄せてくる錯覚を、澪は覚えた。
最後のフレーズが終わると、客席から拍手が巻き起こる。
舞台の中央で、澪はほんの少しだけ体を傾け、隣にいる遥斗に視線を送った。彼は俯きがちに楽譜を閉じる。だが、その頬は赤くなっていた。
カーテンコール。クラス全員が礼をする。拍手はまだ続いている。
観客のざわめきの中で、澪は心の中でつぶやいた。
――ほら、ちゃんと見つけてもらえたよ。
講堂を出た廊下は、冷房がよく効いていて、汗がすっと引いていく。窓の外、中庭のクチナシはもう花を落とし、緑の葉だけを残していた。
それでも、澪の鼻腔にはあの甘い香りが残っている気がした。雨の日の昇降口、黒板の裏、そしていま、この舞台。
影にいた人が、光の下に並んだ瞬間の香りとして。




