第一章〜決着〜
翌日、ナシトゲは外の喧騒で目が覚めた。
小窓から見える空はまだ暗い。
酔っ払いか何かだろうか、そう思いながらゆっくりとソファから身を起こした。
目を閉じると、昨夜の凄惨な光景が瞼の裏に思い浮かんだ。
しばらく何も口にしていないのに、胃の中がぐちゃぐちゃにかき混ぜられたような気持ち悪さがナシトゲを襲う。
そうしていると階段から誰かが上がってくる音が聞こえてきた。
ナシトゲは一瞬身構えたが、それはあまりにも杞憂だった。
「あら、起きたの」
ひょっこり顔を出したのはあけぼの亭の女将マリサだった。
落ち着いた雰囲気、そしてカトレアと同じくよく通る透き通った声。
少し前まではギルドの看板受付嬢だったという彼女の容姿は今尚衰えておらず、あけぼの亭に通う常連客の中にはマリサ目当ての者も少なくない。
「とは言え旦那がなぁ」
ナシトゲは咄嗟に口を手で押さえる。
「あの人がどうかした?」
「いや、別に…」
戸惑うナシトゲを見て、マリサは微笑みながら暖かい紅茶を出してくれた。
「昨日は大変だったみたいね」
「…はい」
「きっとあなたがいた世界の非日常が、この世界では日常的に起こるものね。受け止めるには時間がかかるかもしれないけど」
ナシトゲがティーカップに口をつけようとした瞬間、マリサが「あっ!」と声を出した。
危うく顔面に紅茶を浴びるところだったナシトゲは、ティーカップをテーブルに置く。
「そういえばあの人からナシトゲが起きたらギルドに来るように伝えておいてくれって言われてたんだったわ」
「ギルドに?」
ナシトゲは胸のざわつきを覚えた。
何かあればカトレアに叩き起こされていただろうし、何よりカトレアだけでなくアケボノまでギルドに行っているのは何故なのか。
ここでナシトゲは外が何やら騒がしかったことを思い出した。
マリサが出してくれた紅茶には手を付けず、椅子にかかっていたコートを手に取り袖を通す。
急いで階段を駆け下り、あけぼの亭の扉から外に出た瞬間。
「なんだよこれ…!!」
家の壁、路面、ありとあらゆるところに描かれた顔文字。
昨夜見たあの忌々しい顔文字が、そこら中に描かれていた。
まるでナシトゲを嘲笑うかのようなそれらは、視界に入る全てに描かれている。
行き交う人々は顔文字を見て、こんな悪戯をしたのは誰だと騒いでいた。おそらくこの人たちはこの顔文字の意味を知らないのだろう。
『ナシトゲ』
セイジンの声で我に返ったナシトゲは、ギルドへと急いだ。
ギルドへの道中もその顔文字が途切れることはなかった。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ギルドの扉が勢いよく開いた。
現れたナシトゲに、数多く集まった冒険者たちの視線が集まる。
殺気、不安、恐怖様々な感情がその視線から伺える。
200人以上いるだろうか、その数の多さが緊急度合いを物語っている。
ナシトゲは辺りを見回し、カトレアとアケボノの姿を探す。
「ナシトゲ!」
雑音を無視するようにナシトゲの耳に届いたその声のする方へナシトゲは視線を移す。
受付の前辺りにアケボノとカトレア2人の姿を確認できた。
人混みをかき分けながらナシトゲは目的地へと向かう。
ついに辿り着いたナシトゲの前に、いつもの姿をしたカトレアとは対照的に、エプロン姿ではない、あまりにも歴戦の戦士といった出立ちをしたアケボノがいた。
背中には斧を背負い、鈍い銀色の鎧に刻まれた傷の数々が纏う者の威をさらに引き上げていた。
「カトレア、これどうしたんだよ」
「どうもこうも、見たでしょあの顔文字。朝起きたらあんな事になってたから、とりあえず私たちだけここに来たの。他のみんなも何かしらおかしいって事で集まってきたみたい」
カトレアは顎をクイッと動かし、周りの冒険者たちを指した。
「俺たちもまだ何が起きているのかわかっていない。ただ嫌な予感がする。任海堂がこれまでこんな大それたことをしてきたことはないからな。ひとまずギルドに集まって情報収集ってところだ」
ナシトゲの不躾な視線にアケボノが気付く。
「あぁ、これか?俺も昔冒険者を齧っていてな。その頃の名残りだ」
似合うか?という問いかけにナシトゲはただ首を縦に振る。
『アケボノは若い頃、破壊戦斧のアケボノと言われ、パラティマと共に一時代を築いた冒険者です。ちなみにマリサとの出会いはその頃で…』
セイジンが、聞いてもいないアケボノとマリサの馴れ初めを話し始めたが、ナシトゲはそれを無視した。
この体格、そしてあの覇気からしてただの料理人ではないと思っていたがなるほどそういうわけかとナシトゲは納得した。
そうしていると、2階からパラティマが現れ「みんなよく集まってくれた」と一言発した。
その声を聞いた冒険者たちは話をやめ、一斉にパラティマに目を向ける。
先程までの喧騒が嘘のようだ。
「みんなも既に目にしていると思うが、街中に顔文字が描かれた。中には知っている者もいるかもしれないが、あれは任海堂の実行部隊、スタンパーズのマークだ」
“任海堂“という単語を聞いて、若い冒険者たちはざわつき、老練な冒険者たちは既知であると言わんばかりに、落ち着いてパラティマの次の言葉を待つ。
「昨夜、冒険者であるワリコーがスタンパーズによって殺された。その時の犯人かどうかは不明だが、これまで任海堂がここまで堂々と犯行に及んだことはない。何かが起こる前触れかもしれん。各自、何か気付いたことがあれば…」
その時。
「報告!!ドーナツ平野に大量の魔物が発生!!推定一万の軍勢がこちらに向かっています!」
血塗れのギルド職員は今にも消えいりそうな声を発した後、その場に倒れ込んだ。
受付にいたウサとうさが倒れた職員に駆け寄る。
ウサは手首に指を当て、脈を確認したが項垂れたまま首を横に振った。
「全員聞いてくれ!緊急クエストだ!」
パラティマの檄は続く。
「正直敵の目的がわからん。この戦いで命を落とすこともあるだろう!無理に参加してくれとは言わん。しかし!俺たちは夢を追ってこの街に来たんだ!冒険者として名を上げるために!かの英雄ファラオのように!今こそ立ち上がれドリームシティの冒険者たちよ!俺たちの手でこの街を守るぞ!!」
一瞬の静寂の後、地鳴りのような怒号がギルド中に響く。
ナシトゲは鼓膜が破れるんじゃないかと耳を押さえたが
あまり意味をなさなかった。
パラティマの檄の後、冒険者たちは各自ドーナツ平野を目指し、散り散りになって行った。
「ナシトゲ、準備いい?」
カトレアは真っ直ぐナシトゲを見た。
ナシトゲはこんな世界に送り込んだ女神に一つ文句でもいってやりたい気持ちを抑え、その視線に応えるように頷く。
「ナシトゲ、カトレア、2人ともよく聞け。冒険者は命あっての物種だ。絶対に生きて帰ってこい。逃げることは罪じゃない。死こそ最大の恥と思え」
歴戦の冒険者の言葉には重みがあった。
その言葉は若者2人の胸に刻まれた。
ギルドから出る冒険者の波に乗り、3人は外へ出た。
そして決戦の地、ドーナツ平野へと向かった。
ーーーーーーーーーーーー
ドーナツ平野は魔物が出ないからピクニックに最適。
春は花が咲き誇り、夏は草木が生い茂る。
秋は子供らの声が響き、冬は寒くても美しい。
そんなドーナツ平野に武装した冒険者たちが集結している。
事情を知らない者に伝えたら、全員嘘だと言うだろう。
ナシトゲもその冒険者の中にいた。
隣にはアケボノとカトレア、そして前にパラティマが立っている。
遠くに見える土煙。響く地鳴り。
魔物の軍勢は黒い波のように、すぐそこまで押し寄せていた。
目一杯呼吸をするが、身体に酸素が行き渡らない。
死の影が隣り合わせに存在する緊張感。
現代日本人であるナシトゲにこの空気はあまりにも酷なものだった。
そんなナシトゲの背中にそっと手を当てて、カトレアは「大丈夫だから」と呟いた。
手から伝わる温かさにナシトゲの目に涙が溢れる。
怖い、逃げたい。
そんな想いが胸の中で込み上げてくるが、この世界で生き残らないと元の世界に帰ることができないのだ。
「俺は…俺はナシトゲ!!成し遂げるまで死ねないんだ!!」
「いいぞナシトゲ!その意気だ!俺も久々の戦場で血が湧き立ってきたぞ!!」
アケボノはそう言うとパラティマの前に出る。
「アケボノ、久々だが体は鈍っていないか?」
「ふっ、愚問だな。まぁ見ておけ!」
アケボノは斧を両手に握ると、大きく頭上まで振りかぶる。
「うぉぉぉ!!女神の一撃」
斧が地面を叩くと、その衝撃が地面の下をまるで大蛇が通っているかの如く敵陣の真下まで伸びてゆく。
そして大蛇は敵陣近くまでゆくと地面から無数の棘が出現し、逃げ遅れた魔物たちはなす術なく宙を舞った。
そして無抵抗に空を舞う魔物たち目掛け、パラティマが大剣を構える。
その構えはまるで居合のようだが、彼が構えているのは細身の日本刀ではなく、彼の身体の幅と同等の大剣だ。
あまりに異質な光景に、ナシトゲは目が離せなかった。
パラティマは静かに息を吸い、目を閉じる。
「瞬閃」
ナシトゲは何も見えなかった。
見えなかったが、狙われた魔物たちの悍ましい程の断末魔で何が起こったのか悟った。
「斬撃を飛ばしたのか!?」
「ふはは!パラティマ、衰えていないな!」
「そっくりそのまま返すぞアケボノ」
2人の元冒険者の姿に、集まった冒険者たちが歓声をあげる。
ナシトゲ自身も胸の奥に込み上げる熱を感じた。
一方約5分の1程度が居なくなった魔物たちだが、勢いそのままに進軍を続けていた。
パラティマが大剣を高々と掲げる。
「全員!突撃!!」
高々と振り上げられた大剣が敵陣の方へ振り下ろされると、冒険者たちは声を上げながらそれぞれ魔物の軍勢はと向かう。
ある者は魔法を使い、ある者は矢を使い、ある者は剣で斬りかかった。
「行くわよナシトゲ!」
そう言うとカトレアも双剣を構え敵陣に突撃した。
踊るように双剣を振るうカトレア。
ナシトゲも後を追うように走り出したが、数メートルほどして立ち止まる、
『おいセイジン!俺ってどうやって戦うんだ!?』
少年時代剣道を少しだけ齧った程度のナシトゲは、当たり前だが戦い方を知らない。
こんな土壇場でこんな1番重要な事に気づくなんて、と自分の愚かさを悔やみながら相棒に問いかける。
『ナシトゲ、超没入を実行しますか?』
意味がわからない単語にナシトゲの思考が止まる。
しかし、目の前にはすでに狼に似た魔物が迫っていた。
『わかんないけど超没入!超没入だセイジン!!』
『ステータスチェック…ラックが極めて低い状態を確認…』
『おい!セイジン!?はやく!!』
『ラックについてはその他ステータスでカバーします…オペレーションオールクリア…超没入を実行します』
狼型の魔物が獲物に喰らいつかんと口を開けて突進する。
しかし、その攻撃がナシトゲに届くことはなかった。
ナシトゲの拳が魔物の顎を捉え、吹き飛ばした。
「な、なんだ今の…」
まるで何者かに操られているかのように身体が勝手に動いた。
ナシトゲは自分の拳をまじまじと見る。ナシトゲの四肢は虹色に光り輝いていた。
「やるじゃん!さすが英雄様ね。それ、精霊憑依でしょ?初めて見た!」
「ん?いや、えー…そうなのかな」
「正直アンタが戦えるのか心配だったけど、問題なさそうで良かった。死ぬんじゃないわよ、ナシトゲ!」
カトレアはまた魔物の軍勢に突撃する。
『セイジン、なんだこれ!精霊憑依ってなんだ!?』
『カトレア達はアナタのことを精霊使いだと思っています。この世界にごく稀に存在する精霊使いは、契約した精霊の力を自分に憑依させ、常人以上の力を使いこなすことが可能です』
『なんだそれすげー!』
『とはいえワタシが実行したのは超没入です。これはワタシの中にあるすべての知識を用いて、その瞬間ごとの最適な動きを使用者に取らせるもの。たかだか少し力を上乗せする精霊憑依と同じとは心外です』
セイジンの抑揚のない喋り方は、どこか不満を感じさせたが、この説明の間にナシトゲは魔物を4匹倒していた。
『すごいぞセイジン!無敵だこれ!』
『盛り上がっているところ申し訳ありませんが、この超没入はアナタの魔力を消費しています。過度な使用は危険ですのでご注意ください。とはいえ今回の転移に関して、アナタの魔力は強大なので、そうそう無くなりませんが』
『それ先言ってくれよ!でもまぁ、そこら辺もなんとかしてくれるよな相棒!』
やれやれと言う声が聞こえた気がしたが、ナシトゲは自身の無敵感に酔いしれるように拳を振い続けた。
ーーーーーーーーーーーー
戦いが始まってしばらく経ち、状況は冒険者側が優勢だった。
明らかに魔物の数は減っている。
とはいえ波のように襲いかかってくる魔物に冒険者達も疲労の色を隠せなくなっていた。
「いけそうだな」
アケボノが戦況を見つめるパラティマに言う。
「あぁ。このままなら大丈夫だ。このままならだが…」
「大丈夫だ。俺の魔力ももうそろそろ回復する。最後にもう1発女神の一撃をぶち込んで終わらせてやるさ」
「ふっ。あの大砲をもう一度喰らったら、奴らも流石に懲りるだろうな」
パラティマたちの元にナシトゲとカトレアが戻ってきた。
2人ともかなり呼吸が上がっている。魔物の返り血を拭いながら、カトレアはその場に腰を下ろした。
「ほんと全然引き下がらないんだけど!こんなの初めて」
カトレアの言う通り、魔物達の目に恐怖の色は見えなかった。
優勢であるにも関わらず、死を厭わずに突撃してくる相手に冒険者達の目に戸惑いすら感じる。
数分の休憩の後、カトレアは立ち上がると双剣を握り汗を拭った。
「ここが最後の正念場ね。さぁいくわよナシトゲ!」
『ナシトゲ、現在の魔力残量は60%程です。このままであれば超没入を使い続けても問題ありません』
ナシトゲは2人に対して頷く。
体育の時間に長距離走をした後のような疲労感。
息を吸っても気管が張り付いて上手く肺に行き届かない酸素を、目一杯取り入れるために深呼吸した。
拳を握る力が少し弱くなって、上手く力が入らない。
だが、泣き言を言える状況ではない。
そんなナシトゲを見て、アケボノはいい顔になったじゃないかと背中を平手で叩いた。
叩かれた背中のジンとした熱に生を感じながら、ナシトゲが魔物軍勢に再度攻撃を仕掛けようとしたその時だった。
「近くて遠い♪遠くて近い♪近くて遠い♪遠くて近い♪」
戦闘音を無視するように楽しげな声が戦場に響く。
それはまるで遠足の前の子供がはしゃいでいるかのような声だった。
ナシトゲが声のする方に顔を向けると、黒いマントを被った人物が3人、上空数メートルほどの所に浮かんでいた。
1人は仮面をつけ、1人は杖のようなものをクルクル振り回し、そしてもう1人はあの夜見た赤眼白髪の男だった。
「あいつら…!!」
突然の乱入者に戸惑う冒険者たち。
パラティマは一瞬呆気に取られたがすぐに我に返る。
「スタンパーズか!!」
「あれぇ?ボク達のこと知ってるのおじさん!バレちゃってるよローロロ!」
青目の子供は赤眼白髪の男、ローロロに話しかけたがローロロは何も答えなかった。
「ちぇっ!話せないって嘘だと思うんだけどなぁボク!まぁいっか!!」
「魔導士ノコミサ、今は戦場ですよ」
仮面が杖の子供、ノコミサに注意する。
しかしその声は変声機を使っているような声で、男か女かすら分からなかった。
「ううう!なんでボクばっかり!イライラするなぁもう!」
ノコミサは杖を振り回しながら悪態をついた。
しかしノコミサは、視界を下ろした瞬間に捉えたカトレアの姿を見て表情をころりと変える。
「あ!あの女がいる!」
ノコミサがカトレアの前に降りてくる。
カトレアは双剣を構えたまま、その光景を見守った。
「ねぇねぇ!ボクがかけた呪い、どう!?」
その言葉を聞いた瞬間、カトレアは右手の双剣で相手に容赦なく斬りかかった。
カトレアの息は荒く、目には怒りの炎が浮かぶ。
ノコミサはその攻撃を予知していたかのように身を翻す。そして何事もなかったかのように続けた。
「おまかせの呪いって言うんだ!ボクが考えたんだよ。何が起きるかボクにも分からない、でも呪われた人は一生何をやっても上手くいかない、そんな呪いなんだよね♪」
ナシトゲはノコミサのあまりに純粋無垢な笑顔に背筋が凍った。
楽しかった出来事を母親に報告しているときのように頬を紅潮させながら浮かべる屈託のないその表情。
善悪のついていないが故の笑顔か。否。相手はあの暗殺集団の一員なのだ。
殺しこそ善。死は最大の救済。そう信じて違わぬ笑顔なのだろう。
「貴様ァァァ!!」
カトレアは何度も双剣を振るうが、一向に当たらない。
「どけカトレア!!この一撃で沈める!!」
アケボノが戦斧を振りかぶる。
戦いの開幕に放ったあの一撃を、大切な娘を害する仇敵に打ち込もうとした。
「女神の一撃!!」
「遅い」
戦斧が地面を叩く直前、仮面が指を鳴らした。
戦斧は問題なく地面に振り下ろされたが、何も起きない。地を這う大蛇はなぜか現れなかった。
「何をした!?」
「単純なことです。貴方の魔力をゼロにしました」
アケボノはわなわなと震えると、そのまま地面に倒れ込んだ。
パラティマが倒れ込んだアケボノに駆け寄る。
「いかん、魔力欠乏だ。アケボノはもう戦えん」
この世界では魔力がゼロもしくはさらに近くなると、回復するまでに時間を要する。
アケボノは先程の一撃に全てを込めたのだ。
「ふっ。とはいえやりますね。まさか私もここまで魔力が削られるとは。ノコミサ、ローロロ。私は離脱します。貴方達だけでも十分でしょう」
そう言うと仮面の男はナシトゲ達に向かい「最期の時を楽しんでください」と言うと、一瞬にして姿をくらました。
「全員構えろ!!こいつらを抑えれば俺たちの勝ちだ!」
パラティマの声に2人は臨戦体制をとる。
周りの冒険者達も同じく構えた。
「んーーーーボクは雑魚には興味ないんだよなぁ」
ノコミサは空中で横になりながら自分を取り囲む冒険者達を一瞥した。
「あ!そうか!消しちゃえばいいのか」
ノコミサが杖を握り何かを呟き始める。
「まずい!止めろ!」
パラティマがノコミサに切り掛かった瞬間、周りにいた冒険者と魔物達が消えた。
ナシトゲ、パラティマ、カトレア、そしてノコミサとローロロ以外誰もいなくなったのだ。
先程までの喧騒が嘘のように静寂が広がる。
戦闘の痕跡を除けば、それは日常のドーナツ平野だった。
「何が起こったんだ…」
呆然とするパラティマにノコミサが笑いかける。
「邪魔だから消えてもらったんだぁ!大丈夫。殺したんじゃなくてボクが作った異空間に飛ばしただけだから。まぁ、ボクが死なないと出られないんだけどね♪」
「くっ!ナシトゲ、カトレア!そいつを頼む。俺はこの白髪を倒す!」
パラティマがローロロに切り掛かった。
ローロロはパラティマの大剣をダガーナイフでいなす。
「ナシトゲ!行くわよ!」
「だからぁ、お姉さんの攻撃はボクに当たらないんだって!ハハっ!お姉さんの死は近くて遠いかな?遠くて近いかなぁ!?!?」
ノコミサの側に紫色に光る二匹のサメが現れ、カトレアと戦闘を始める。
空を泳ぐサメたちとカトレアの戦闘は、まるで映画のワンシーンのような華麗な空中戦だった。
しかし、呪いのせいかカトレアは決定的なダメージを与えることはできない。
このままだと先に体力が尽きるのはカトレアだろう。
「さてとお兄さん」
カトレアをサメたちに任せることで余裕が生まれたノコミサが成し遂げに向き合う。
その表情に先程のような笑顔はない。
「お兄さんは何者なの?聞いた話だとあの戦場で気をつけないといけないのは倒れたおじさんと、ローロロと戦ってるおじさん、あとはあのお姉さんだけのはずなんだけど」
「何者かなんて関係ないだろ!」
ナシトゲが渾身の右ストレートを放つ。
しかしノコミサは動かず、瞬きすらせずじっとナシトゲを観察していた。
ナシトゲの拳はノコミサの30センチほど手前で何かに弾かれた。
おそらくノコミサは見えない壁のようなもので攻撃を防いだらしい。
「ヤバそうだから連れて来ちゃったけどさぁ…。まぁいいや。どうせお兄さんも死ぬんだし」
ノコミサが杖を構える。
「ボクは天才魔導士ノコミサ。ボクに勝てる魔法使いはこの世にいないんだ!!“近くて遠い死という概念”!!」
ナシトゲは身構える。
ドッキリパラドックス。一体どんな魔法なのか。
見た目には何も現れていないが、ノコミサはナシトゲを見て不敵な笑みを浮かべている。
「一体何が起こっているんだ…!」
「今お兄さんにはお姉さんと同じ呪いをかけたんだ!!つまり、お兄さんがボクに決定的なダメージを与えることは無くなったってわけ!ねぇ今どんな気持ち!?」
最悪の状況だった。
ナシトゲは視界の端でパラティマとカトレアが苦戦している姿を捉えていた。
呪いの影響で決定的なダメージを相手に与えられていないカトレアを助けられるのはナシトゲしかいなかったのだが、同じ呪いをかけられてしまった。
「くっ…。ジリ貧すぎるだろ」
「まぁ元々攻撃当たってなかったけどね♪いいよ。バリアは消してあげる。ほら、攻撃してみてよ!」
ナシトゲは右拳に力を入れる。
虹色の光は膝あたりまでのびていた。
「うぉぉぉぉ!!」
ナシトゲは十分な助走の後、数メートル飛び上がり空中に浮かぶノコミサの目の前で拳を振りかぶる。
ノコミサは余裕の笑みを浮かべたまま「バカだなぁ」と呟きながら笑った。
この攻撃は当たらないかもしれない。
それでも戦うことを諦める理由にはならない。
この世界を、カトレアを救って現実世界に戻る。まだ配信でやり残したことが山ほどある。
こんなところで死んでたまるか!強い思いでナシトゲは拳を繰り出した。
先程のように何かに阻まれる感覚はない。
拳はすでにノコミサの数センチのところまで迫る。
しかしそれでも未だノコミサは笑う。
「とどけぇぇ!!!」
「ぎゃぁぁぁぁ!!」
繰り出した拳に人肌の感触が残る。
柔らかい頬に拳が限界までめり込み、そして空中に浮かんでいたノコミサは悲鳴を上げながら地面に叩きつけられた。
「あ、当たった…?」
ナシトゲは地面に着地したあと、数メートル先で倒れるノコミサを見て驚く。
その時、セイジンの声が頭に響いた。
『僭越ながら説明します。ノコミサは呪いをかけたと思っていたようですが、今回の転移で得たアナタの異常な魔力量により呪いは効きませんでした。そのためアナタの攻撃は決定打となり、ノコミサは戦闘不能になったということです。また、一度攻撃が防がれたのは、アナタのラックがあまりにも低いせいで、偶然にも攻撃が外れてしまったのです』
『え、じゃあ何?これ勝ち?』
『はい』
あまりにも呆気ない幕切れに、ナシトゲは困惑する。
術者が戦闘不能になったことにより、召喚されていたサメたちも姿を消した。
「ナシトゲ!あんたすごいじゃない!流石英雄様ね!」
駆け寄ってきたカトレアに褒められても、なぜかすっきりしないが、ナシトゲはこの状況に安堵した。
そして、先程までノコミサに異空間に転移されていた冒険者たちが次々に姿を現す。
どうやら異空間での魔物たちとの戦闘は冒険者たちの勝利で幕を下ろしたらしい。
「パラティマさんは!?」
ナシトゲはパラティマの姿を探す。
膝をついたパラティマとは対照的に、表情ひとつ変えずローロロは相手を見下ろしていた。
しかし、帰ってきた冒険者たちが2人を取り囲むと、ローロロはパラティマから視線を外しあたりを見回した。
そして一瞬で倒れたノコミサのもとへ移動する。
ノコミサも気が付いたらしい。ゆっくりと身体を起こすと、殴られた左頬を抑えながらナシトゲを指差した。
「あり得ない!!ボクの呪いが効かないなんてあり得ない!!ボクより優れた魔導士が存在するなんてあり得ないんだぁぁ!!!」
泣き喚くノコミサ。
落ちていた杖を拾い上げると、その杖でローロロの背中を叩く。
「ローロロ!こいつらやっちゃってくれよ!ムカつくんだよ!!」
ローロロはナシトゲたちに視線を移した後、もう一度ノコミサに視線を移す。
「なんだよ!ボクの言うことが…って何するんだ!?グフッ…!!」
ローロロはダガーナイフでノコミサの背中を突き刺した。
その一撃は確実に致命傷となったであろうことは、吹き出した血液の量で見て取れた。
前のめりに倒れ込むノコミサをローロロは一瞥すらしなかった。
「な、なんで…なんでボクを…」
そう言うとノコミサは動かなくなった。
しかしローロロの赤眼はナシトゲを捉えていた。
そして、ダガーナイフをナシトゲの方に向けるとニヤリと笑い(いや実際は笑っていないのだがナシトゲには笑ったように見えた)、姿を消した。
その光景を見ていることしかできなかったナシトゲや周りの冒険者たちは言葉を失っていた。
だが、パラティマは大剣を地面に突き刺しながら震える身体に鞭打って立ち上がり、左拳を天に突き上げる。
「みんな!この戦い、俺たちの勝ちだ!!」
その言葉を皮切りに、ドーナツ平野に歓声が巻き起こる。
未曾有の敵との戦いに生き残った者たちの喜びの声は、しばらくの間続いたのであった。




