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第一章〜不憫のカトレア〜

目が覚めると、草原にいた。

自分以外の生物はおそらくいない。

当たり前だが高層ビルが建っているなんてこともない。


ただ目の前には脛あたりまで生えた植物の緑と空の青だけが広がっている。

そのほかの色はなく、絵画の世界に飛び込んだようだ。


手も足も動く、なぜか履き慣れたスニーカーも履いている。

パジャマを着ていたはずなのに、黒い長ズボンと白い無地のシャツを着用していた。


まるでRPGの初期装備のようじゃないか。

裕はそう思いながら解けかけている靴紐を結び直す。


困惑はあれど、不思議なことに焦りはない。

メィリオに授けて貰った知識のおかげで今自分がどこにいるのか把握しているからかもしれない。


ここはドーナツ平野。

メィリールでは比較的安全な場所で魔物・・・もいない。

ドーナツを食べられるぐらい安全だからドーナツ平野。


知らないはずの知識が頭の中に湧き出る感覚に、裕のかおは自然と綻ぶ。

転移したというのに自分が全くの別人になってしまったようだ。


「そういえば」


誰が聞くわけでもない。

出す必要のない声なのだが、自分に言い聞かせるように呟く。


「ステータス」


瞬間、目の前に半透明のディスプレイのようなものが現れた。

メィリールでは自身の能力値をステータスとして確認することができる。

基礎項目として6つ、そして人それぞれに与えられたユニークスキルの項目、計7つが表示される。

基礎項目の平均値は100で、訓練や生来の才能なんかで能力値を上げることが可能だ。


そんな、生きる上でこの上なく必要なステータスは次の通りだった。

・攻撃力:350

・防御力:200

・俊敏:150

・体力:600

・魔力:1000

・運:0

・固有:女神の加護、夢追人


運0はおそらく今週のドリーム3で1度もリーチすら出せなかったことが原因だろう。

とはいえ、その他の能力値は平均よりはるかに高く魔力に至っては平均値の10倍。

この世界だと英雄クラスの能力だ。


「意外と親切な女神じゃないか。固有スキルの夢追人が気に触るけど。ん?」


顔の高さあたりをふわふわ浮いている白い球体が目に入った。

なんだあれは。

メィリオに貰った知識にあの存在の情報は無い。


裕の身体に緊張が走る。

あれがもし、女神の知識外の何かならまずもって助からない。

恐怖で動けないでいると、白いふわふわは徐々にこちらに近づいてきた。速度はない。かなりゆっくり。でも確実に。


そしてついに


『こんにちは』


脳内に電子音声のような男性の声が響く。

初めての経験だ。耳から聞こえているわけではないはずなのに、耳の奥がくすぐったい。

おそらく目の前のこのふわふわが語りかけているのだろう。

緊張で言葉が出ない。

そんな裕を見かねてか、ふわふわはさらに続けた。今度は女性の声、それも聞いたことのある声だった。


『ワタシはメィリオに生み出された存在。この世界で貴方をサポートすることを命じられています』


メィリオと同じ声。敵意は全く感じられなかった。

一瞬で緊張が解ける。力の抜けた足では身体を支えることが出来ず、その場に尻餅をつく。

初めて死を感じた。現実世界で感じたことのないそれに、ここが異世界なのだと痛感させられた。


「ハァ、良かった。敵じゃなくて」


『失礼しました。ワタシは個体名SEI:JINエス・イー・アイ・ジェイ・アイ・エヌ。メィリオが貴方をサポートするために生み出したAIです。ワタシはこの世界のものではありません。故に貴方の知識にもいません』


なるほどあの女神のご厚意というわけか。

ふわふわは反応を待っているかのように何も言わなくなった。


「名前、長いな」


『どうぞお好きなようにお呼びください』


感情のない声。


「じゃあこれからはセイジンと呼ぶことにするよ。よろしくなセイジン」


『承知しました』


「ところでセイジン、俺はこれからどうすればいい?」


メィリオから一般常識は貰っても、結局何が今回の転移のゴールなのかさっぱりわからない。

かぐや姫が婚約者候補に言い渡したような無理難題じゃなければ良いが。


『ワタシから直接お答えすることは出来ませんが、ひとまず近くの街に向かうことをお勧めします』


近くの街と聞いて脳が瞬時に答えを出した。


「ドリームシティか」


知らないはずなのに知っている。

やはり不思議な感覚だ。


セイジンは何も答えなかったが間違っていないのだろう。


おそらく徒歩だと半日はかかる。何が起こるか分からない異世界で半日も1人だなんて…。

そんな心配をしているとセイジンが右方向ですと無機質に伝えてきた。

まるでカーナビのようだと思う。フッと笑うとどこか心が軽くなってゆくのを感じた。


意を決して一歩踏み出してみる。

植物を摘みしめる感覚は現実世界と同じで少しホッとした。


この道中できればセイジンと仲良くなってみたい。AIと2人(AIの単位がわからないが)旅なんて現実世界でもまだ出来ない体験だろう。

今頃どこかでみているかもしれない女神に少しだけ感謝しつつ、裕はドリームシティへと向かった。



--------------------


ここは夢の街。

夢を追う者が集う街。


「あーあ。あたしほんと何やってんだろ…」


冒険者ギルドの片隅でカトレアは物思いにふける。

先日新調した相棒の双剣も、ギルドの中では威を示さない。


魔物という脅威が身近にあるメィリールにおいて、命をかけて偉業を成す冒険者は人気の職業だ。

ドリームシティで古くから続く酒屋の娘であるカトレア自身も幼い頃から冒険者になるんだと言っては両親の頭を悩ませたものだ。


15歳で冒険者になって以来、とにかく無我夢中でクエストをこなし続けた。

時には命を落としかけたこともある。

それでも歩みを止めなかったカトレアは、ドリームシティの女性冒険者で初となるドラゴンキラーの称号も獲得した。


名実ともにトップ冒険者となったカトレア。

誰しもが彼女の活躍に期待を抱き、彼女の冒険譚に子供たちは心を躍らせた。


そして5年後。


「なんでこんな最近ついてないのよ!」


思いの外大きな声が出た。

集まった冒険者たちの視線。


「おい、あれ不憫の…」


睨み返すと冒険者たちはそそくさと離れてゆく。


ここ最近の度重なるクエスト失敗。

特段彼女の腕が落ちたということはない。むしろ年々彼女の実力は増している。


しかし、なぜかうまくいかない。


魔獣を討伐しようとすれば、あと一歩のところで雷に打たれ討伐失敗。

ドラゴンを相手に激闘し、トドメを刺そうとした瞬間に双剣が折れて討伐失敗。

もちろん武器の手入れを怠ったなんてことはない。なのに折れた。


兎にも角にも何故か運悪くクエストの失敗を繰り返すカトレアにつけられた蔑称、それが不憫のカトレアだった。


「お父さんのご飯が食べたい…」


父親の作るチキンライス。

冒険者にも大好評のメニューであるチキンライスは、子供の頃からの大好物だ。


半ば強引に冒険者になった娘を、なんだかんだで両親は常に気にかけてくれている。

張り詰めた緊張感の中で日々を過ごすカトレアにとって、実家はやはり心のオアシスなのである。


お父さんのチキンライスが食べたい!

もう抑えきれない欲望に身を任せ、カトレアは冒険者ギルドを飛び出した。


いつもより少し早く歩く。

チキンライスチキンライスチキンライス…。頭の中で呪文のように唱える。

道中、何度か通りすがりの人たちから不憫のという言葉が聞こえたがそんなことは今どうでも良かった。


歩くこと5分。

ドリームシティの西地区は商業地区である。

中心には商業ギルドが鎮座し、宿屋や酒場、工房など所狭しと並んでいる。


日々職人たちが鎬を削るそんな場所に【あけぼの亭】は居を構えている。

その歴史は100年を超え、現在は3代目である店主アケボノとその妻マリサが店を守っている。


店内はカウンター席が10、テーブル席が8。

従業員はマスターのアケボノとウェイトレスのマリサ、そしてアルバイトが1人。

100年前から変わらない店内だが、清掃は行き届いている。

若かりしアケボノが商業ギルドの人気受付嬢だったマリサに交際を申し込む際、不潔な男は嫌と言われたことがきっかけであけぼの亭は見違えるほど綺麗になった。


そんなあけぼの亭のドアが開く。

急いで来たのだろう。母親に似た赤茶色の髪が少し乱れている。

腰のホルダーに格納されている双剣が以前と異なる。


カウンターから顔を覗かせ、アケボノが言う。


「おかえり、カトレア」


--------------------


ドリームシティを目指し歩き始めて半日ほど経っただろう。

夕暮れ時、空には星が顔を出し始めた。

当たり前だが黄道十二星座といった見知った星座はいない。


『ナシトゲ、そろそろ見えてきますよ』


脳に響く電子音声が、目的地への到着を告げる。

薄暗い視界の中で、等間隔に橙色の光がぼうっと輝いている。

数百メートル先に見えるそれはおそらく外壁に掛かる松明のようなものだろう。


道中、裕はセイジンと会話をしてこの世界ではナシトゲを名乗ることにした。

別にユウでも良いのではとセイジンは言うが、異世界にきて本名は何か違う。

異世界転移のお作法なのだと言うと、数秒黙った後、そうですかとセイジンは諦めた。


近付くと、外壁は想像以上の大きさだった。

首が痛くなるほど見上げても外壁の果ては見えない。

10メートル以上の高さはあるだろう。


門前には衛兵らしき2人の男性は、長槍を片手に鋭い眼光で街に侵入しようとする者を阻む。


異世界人との初遭遇だ。コミュニケーションはきっとメイリオからもらった能力でなんとかなるはず。一般常識もある。

きっと大丈夫。


ナシトゲは息を吸い込み、片方の男性に話しかけた。


「あの」


声がうわずった。

途端に顔が熱くなるのを感じたが、平静を装うように続ける。


「ここはドリームシティで合っていますか」


門番の2人は顔を見合わせる。


「少年、この街に何のようだい?」


少年?

そう言えばメィリオが10代後半ぐらいまで若返らせてくれたんだった。

この世界に来て未だ自分の容姿を確認していないことに気付いたが、メィリオはちゃんと仕事をしてくれたようだ。


とはいえ10代後半は大人の部類だろうと思ったが、現実世界でも日本人は世界的に童顔で知られている。


明かりに照らされた門番2人は、確かに見慣れた系統の容姿ではない。

制帽が落とした陰ではっきりとは見えないが、鼻は高く目は窪み、凹凸のある顔。


以前、タイムスリップしてきた古代ローマ人が現代日本の銭湯から知識を得て、古代ローマに戻り風呂文化を発展させるとった漫画を読んだが、古代ローマ人は日本人を【平たい顔の民族】と称していた。


彼らの美しく整った顔立ちの前では、純然たる日本人は未成熟な、まさにベビーフェイスと呼ばれても仕方ない。


「ちょっと世界を救いに」


間違っていない。

女神からそう言われてこの世界に来た。

何をするかはわからないけれど。


門番たちはまた顔を見合わせる。

今度は先ほどのような鋭い眼光ではなく、目を丸くし、驚いた表情だ。


「ハッハッハ。世界を救うか。でかい夢だな」


「悪いかよ」


「いやいや笑ってすまない。ここはドリームシティ。夢を追う者たちが集まる街さ。バカみたいな夢を追っている奴は大歓迎さ」


そう言うともう1人の門番が門を2回ノックする。

それを合図に門はゆっくりと開いた。


「ようこそドリームシティへ。頼むから街の中で悪さはするなよ。俺が上司に怒られる」


「善処するよ」


ナシトゲが街に入って少し進むと、門はゆっくりと閉じていった。

門が閉じ切ったことを見届けて、ナシトゲは振り返る。


街灯が夜の闇を照らす。

電球のような明るさではなく、中で炎が踊る造りのようで、明るさは一定ではない。

門から続く道の両端には高くとも三階建ぐらいの建物が綺麗に整列している。


通りにはまばらに住人がいて、皆門番と同様にはっきりとした顔立ちだ。


視界に入る全てが新鮮で、キョロキョロと辺りを見渡しているとナシトゲの脳内に声が響く。


『何をしているんですか』


「何してるって…まぁわからへんかAIには」


『…』


「ごちゃごちゃした世界に住んどった俺にとって、ここはあまりにも新鮮やねん。田舎に行った時、田んぼとか神社とか見て異世界やなぁて感じてた俺を殴りたいわ。異世界とはまさにこうなんや!」


この興奮よ伝われ!と鼻息荒く関西弁でAIに説明するが、そんなナシトゲに対しセイジンはどこまでもクールだった。


『ちなみにですが』


「なに?今忙しいんやけど!」


『私の姿は貴方しか見えません』


「それが何?」


『この世界の人間にとって、今貴方はこんな夜更けに道端で、ミーアキャットのようにキョロキョロと辺りを見渡しながら、1人でよくわからないイントネーションの言葉を話している不審者です』


辺りを見渡すと、通行者たちが歩みを止めてこちらをじっとみていた。

ある者は怯えながら、ある者は好奇心から。


顔から火が出る。もしかしたら本当に出ているかもしれない。

それならそうと言っておけよと心の中でツッコミを入れる。きっとあのAIは何も感じないのだろうが。


ナシトゲが反論してこないとみると、セイジンはさらに続ける。


『なので、ワタシとの会話をする際は貴方も口に出すのではなく、念じてください。わかりやすく言うならテレパシーのような感じです』


『こ、これで聞こえてるのか』


ナシトゲは恐る恐る脳内に言葉を並べる。


『はい』


何と便利な。

驚きと関心が怒りを凌駕したせいでセイジンを怒らずに済んだ。

とはいえ、人々から向けられた好奇の目に耐えかね、ナシトゲは下を向きながら足早にその場を離れる。


『どこに向かっているのですか』


知らない。

知らないけれど異世界転生漫画ではこういうシチュエーションの時、決まって訪れる場所がある。


『酒場だよ酒場。案内してくれるかいセイジン』


『では次の角を右に、そして200メートルほどのところにあけぼの亭があります。老舗のようなので情報収集にはうってつけでしょう』


カーナビもといセイジンに言われた通り右に曲がり、暫くするとあけぼの亭と大きく書かれた看板が見えた。


小窓から灯りが漏れている。

老舗と聞いたから古い建物かと思いきや、外装は白で統一され清潔感がある。

酒場というよりおしゃれなカフェのような佇まいだ。


中から誰かが会話している声が聞こえる。


ナシトゲは両開きのドアの片方に手をかけて、グッと押す。

店内から一気に美味しそうな匂いが溢れかえってきた。

その匂いを嗅いでナシトゲは空腹だったことに気づく。

確かにこの世界に来てからまだ何も食べていない。

気付いてしまうと空腹は非常に辛い。早く何かを口にせねば。


店内はテーブル席は埋まり、カウンター席には女性が1人居た。

騒がしい店内を縫うように、カウンター席の1番奥に座る。


すると、ウェイトレスらしき制服を着た女性が近付いてくる。


「いらっしゃいませ。何にします?」


「あ、ちょっと初めてでメニューもわからないんでオススメありますか?」


ウェイトレスは微笑み、それならチキンライスねと言うと、厨房の中へと消えていった。


店内を改めて眺めていると、カウンター席に座っている女性が目に入った。


腰に着いたホルダーに双剣が格納されている。

ゲームに出てくる冒険者そのままといった格好をした女性は一心不乱にチキンライスをかきこんでいる。

カウンターにはおそらく彼女が食べたのであろうチキンライスの残骸がタワーのように積まれていた。


不意に彼女が振り向いたせいで目が合う。

口いっぱいにチキンライスを頬張り、さながらハムスターのようだ。


「何ジロジロ見てんのよ」


「あ、すいません。よく食べるなぁと思って」


「冒険者は身体が資本だからね…ってお父さーん!おかわりまだ??」


まだ食べると言うのか。

女性の呼びかけに応じてカウンターの奥から190センチほどの立派な体格(形容するなら熊だ)をした男性がチキンライスを2つ持って現れた。

頭髪は完全に剃られている。釣り上がった目尻、凛々しい眉毛、おそらく料理人なのだろうが戦場にいてもおかしくないような風貌だ。


「カトレア、これで終わりにしておきなさい。食べ過ぎもまた身体に毒だ」


カトレアと呼ばれた女性は面白くなさそうにはーいと返事をしながらチキンライスを受け取る。

男性はカトレアの頭をポンポンと叩いた後、ナシトゲの目の前にもチキンライスを給餌してくれた。


「すまないねお客さん。娘が騒々しくて。二十歳になったんだがまだまだ手がかかる」


「いえ、お気になさらず」


「それにしてもお客さん、見ない顔だね。この街は初めてかい?」


「さっきここに着いたんです。あっ、ナシトゲっていいます」


「ご丁寧にどうも。俺はアケボノ。ここの店主。そんでさっきいたのが妻のマリサで、こっちが娘のカトレア」


「ご家族だったんですね。なんていうかその…」


「ガハハ!似てないだろう俺とカトレアは。だが本当にマリサに似てくれて良かった。娘は父親に似ると言うから。俺に似たら大変だ」


アケボノが豪快に笑う。

不躾な話だったと後悔したが、アケボノのおおらかな性格に救われた。


ごゆっくりと言ってカウンターの奥へ消えていったアケボノに頭を下げ、ナシトゲは目の前のチキンライスに対峙した。


米から立ち上がる湯気、そしてケチャップの香りが鼻に侵入してくる。

なんて美味そうなんだろう。

現実世界にいた頃は菓子パンやらカップヌードルやらが主食だっただけに、目の前の料理は輝いて見える。


添えられたスプーンで、チキンライスの牙城を崩す。


「美味い!!」


思わず出た声にナシトゲ自身驚く。

誰にも聞かれていないかと心配していると、カトレアがニヤリと笑いながら「でしょ?」と自慢げに言った。


照れ隠しも込めてチキンライスを口にかき込んでいるとセイジンから交信が入った。

突然のことにチキンライスが喉に詰まり咳き込む。

あらぁと言いながら別テーブルに給餌をしていたマリサがグラスに水を注いでくれた。


『ナシトゲ、やらなきゃいけないことを忘れていませんか』


『忘れてないよ。ただチキンライスを食べることがやらなきゃいけないことより優先順位が上になっただけ』


『忘れていないのならよいですが』


セイジンは(AIのくせに)不服そうにすると、それ以降話しかけてくることはなかった。


ひとしきりチキンライスを堪能した後、客足もだいぶ落ち着いた店内には、カトレアとテーブル席に冒険者集団が1組いるだけだ。

先ほどまでの喧騒が嘘のようだ。

ナシトゲは、どの世界でも1日の終わりはこんな感じになるんだなと感心した。


マリサは手際良くテーブル席に取り残されたグラスや皿を集めてカウンターに置いてゆく。

カトレアはなんだかんだでチキンライスを食べた後にデザート(アイスクリームのようなもの)まで頼んでいた。


日本人としての癖だろうか、自分が使った食器を自分でカウンターに置いてご馳走様とアケボノに伝えると、アケボノは信じられないものを見たと言う表情を浮かべる。


「こりゃご丁寧に」


「ところで…」


食器を片付けようと、奥に向かおうとしたアケボノが足を止める。


「この世界を救いたいんですけど、どうすればいいですかね」


聞こえなかったのだろうか。アケボノは微動だにしない。

店内が騒がしくないせいで、会話の内容を聞かれたのか、テーブル席の冒険者たちは何やらヒソヒソと会話し、時折嘲笑のような笑い声が聞こえる。

視界の端でカトレアが小刻みに震えているのがわかる。


ナシトゲはなんだか急に恥ずかしくなってきた。

門番の2人に話した時は何も感じなかったが、確かにいきなり世界を救いたいんだなんて伝えられたらどう思うだろうか。


見た目は10代後半かもしれないが、精神年齢は30手前。当たり前だが青臭い理想論を語る年齢ではない。


顔が赤くなっていないだろうか。悟られていないだろうか。

いやもはやそんなことはどうでも良い。とにかくこの話題を終え、宿屋か何かを教えてもらえたらここをすぐに出て行こう。

そして明日、仕切り直して調査しよう。


アケボノの反応を待たずに店を出ようと踵を返す。

カトレアは机に突っ伏してまだ震えていた。


扉の前に辿り着くと、後ろから「待て」という言葉が聞こえた。

待ちたくない。ナシトゲは早く外に出ようと扉に手をかけた。

半分ほど開いたドアに体を捩じ込みながら外に出ようとすると、店内に残っていた右肩を掴まれ、そのまま引っ張り込まれた。

予想だにしない衝撃に、よろける。

あわや尻餅をつくところだったが、すんでのところでなんとか耐えた。


「少し話を聞かせてくれないか」


アケボノだった。


「いや、今のはちょっと若気の至りというかなんというか、その…」


「いいから来い!奥で話をきせてくれ」


まるで野球ボールでも掴むかのように頭を掴まれた。

抵抗しようにも力が違いすぎる。

どう足掻いたって振り解けそうにない。


抵抗する気力を失った人形のような男を引き摺りながら、アケボノはテーブル席の冒険者たちに今日は店仕舞いだと伝える。


冒険者たちは何も反抗することなく、そそくさと店を出て行く。

ズンズンとカウンターの奥を進む。

洗い物をしているマリサがやれやれと言った表情を浮かべ、小さい声で頑張ってと伝えてきたが、今から何が起こるのだろうか。


カウンターの奥には階段があった。

店内の明るい照明とは異なり、少し薄暗いながらもオレンジ色の暖かみのある照明が木製の階段を照らす。

そこそこ急な角度がついた階段は、田舎の祖母の家の階段を想起させた。


2階はリビングになっていた。

テーブルには椅子が4脚、奥にはソファが置いてある。

壁紙は白く、置かれている家具は基本的に木製だ。

食器棚や他のインテリアを見てもホコリひとつないショールームのような清潔さは、店内と通ずるものがある。


UFOキャッチャーの景品かのごとくアケボノに持ち上げられ、ナシトゲはそのまま椅子の一つに座らされた。

向かいの席にドカッとアケボノが座る。

怒っているわけではない。茶化しているような様子もない。ただ彼は真剣に話を聞いてくれようとしている。

こんな素性もよくわからない男の、まだ世間も知らないような子供の戯言とも取れる発言に、なぜここまで真剣になれるのだろうか。


「で、なんだって?」


「せ、世界を救いにきました」


言葉は徐々に力をなくし、最後まで届いたかはわからない。


「どうやってだ」


「それはわからなくて」


「…わかった、質問を変える。ナシトゲ、お前はどこから来たんだ。俺も伊達に商売やってねぇ。この世界の人間かどうかは見りゃわかる」


言葉に詰まる。

茶化されているようなら、もっと笑ってくれていたなら適当に流すこともできた。

遠くから来たんだと。記憶喪失なのだと。適当な話をでっちあげることなんて簡単だ。

ただ目の前の男は本当に自分のことを気にかけてくれている。

だが、本当の事を言っていいのか?

自分が異世界から来た人間だと。女神の気紛れでこの世界を救いに来た異世界人だと。


誰がそんな馬鹿みたいな話を信じるんだ!

当たり前だが、与えられた一般常識の中に異世界人の項目なんてものはない。

つまり自分はこの世界の明確な非日常イレギュラーなのだ。


汗が頬を伝う。

葛藤。

考えろ。考えろ。


その時だった。


『ナシトゲ、問題ありませんよ』


もはや聞き慣れた電子音。

しかし、極度の興奮のせいで苛立ちを抑えきれない。


『問題ない?問題ないやって!?アケボノさんの日常を壊すかもしれへんのに?そんな無責任なこと…』


『問題ありません。解析の結果、この方はターゲットの1人です』


意味を咀嚼するのに時間が必要だった。


『なんだって?』


『ですから、世界を救うという目的にこの方の協力は欠かせません。なので、全て話して問題ありません』


少し間をおいて、ナシトゲは一気に身体から力が抜ける感覚を覚えた。

未だこちらの反応を伺っているアケボノをまじまじと見る。

何かついてるか?と髪の毛のない頭をペチペチと叩き始めた。


「フッ、ははは!」


AIの言う事をどこまで信じて良いものかわからないが、少なくともこの世界で1番会話した彼(もしくは彼女)の言うことを信じる以外、今できることはない。

そう思うと気が抜けて、今まで色々と心配していたのが馬鹿らしくて、目の前の大柄の男が禿頭を叩いている姿があまりにも滑稽に見えて笑いが堪えられなかった。


「実は」


そこからは自然に言葉が口から出た。

自分がここに来た経緯。

子憎たらしい女神の話も、口うるさいAIの話も、そして自分がこの世界の人間ではないことも。

その間、アケボノは静かに聞いていた。途中で言葉を挟むことなく、時折頷きながら。


そして夜は静かに更けてゆく。








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