第8話「公爵令嬢、はじめての拗ね」
冷静沈着、感情を揺らすことなどない――
それが、“氷の公爵令嬢”と呼ばれるリュシエンヌの代名詞。
けれど、いつも隣にいたフィオナの無邪気な笑顔が、別の誰かに向いた瞬間。
彼女の中で、言葉にできない想いが小さくうずくまりはじめる。
これは、リュシエンヌが初めて経験する「拗ね」。
不器用な感情がにじみ出す第8話を、どうぞお楽しみください。
「リュシー、ごめんねっ! 今日の稽古、急に変更になって見学できなかったの……!」
夕暮れの中庭で、フィオナ=ルミエールは両手を合わせて笑っていた。
いつものように、悪気は一切ない。けれどその無邪気さが、今日に限って――少しだけ刺さった。
「……そう。別に気にしていません」
リュシエンヌ=フォン=アルセリオは、そう返した。
声の温度はいつも通り冷たく、表情も微動だにしない。
けれど、胸の内側はどうしようもなくざらついていた。
(わざわざ時間を空けて……紅茶も彼女の好みに合わせて用意して……)
言葉にしない思考が、ゆっくりと沈んでいく。
「ほんっとにごめんね~! セドリック様が急に別メニューの演技を提案してくれて、練習見てたら時間が……」
「殿下と? それは……充実した時間だったのでしょうね」
「うんっ、すっごく素敵だったよ! ほら、即興で“僕は君を選ぶよ、銀の姫”って言われて――きゃ〜っ♡ ちょっと心臓止まるかと思った!」
リュシエンヌは、無意識にティーカップを置いた。
陶器が小さく鳴った音が、やけに響いた気がする。
「……そちらの方が楽しければ、わたくしのことなど気にせず、どうぞ好きなように」
「えっ、なにそれ……リュシー、ちょっと怒ってる?」
「怒ってなどいません」
「むぅ、それって“怒ってないけど怒ってるときの声”だよね?」
「……そう思うなら、そうなのでしょう」
拗ねている――
自分でも気づいていた。
けれど、認めるのは難しい。
(何故、こんなにも……)
ただ、少しの時間、一緒にいたかっただけ。
それを“優先されなかった”という事実が、思いのほか堪えていた。
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その夜、寮の私室。
フィオナは珍しく、ドアの前でうろうろしていた。
「リュシー……さっきの、やっぱり怒ってるよねぇ……」
ドアは閉ざされたまま。
「……もしかして、わたし……何か、ひどいこと言っちゃった?」
普段のリュシエンヌなら、“突き放すように見えて実は甘やかしてくれる”はずなのに――
今日だけは、ほんの少しだけ、距離があった。
(私が誰かに“夢中”になってるように見えたの、かな……)
ふと思い返す。
いつも自分を一歩引いた位置で見ていたリュシエンヌが、今日はわずかに視線を逸らしていたことを。
「……リュシー、私、やっぱりリュシーが一番好きだよ」
ぽつりと呟いて、そっと手を伸ばして扉に触れた。
その瞬間、カチャリとドアが開いた。
「あ……」
「こんな夜更けに廊下で立ち話とは、見苦しいわね」
「リュシー……!」
「今日は茶葉の香りが違います。反省の気持ちがあるなら、飲んでいきなさい」
差し出されたカップは、ほんの少しだけ甘めのブレンドだった。
「うん……うんっ!」
にこにこ笑って椅子に座るフィオナを見ながら、リュシエンヌはふぅ、と一息つく。
(……面倒な感情ね、まったく)
けれどその瞳は、どこかいつもより、柔らかく揺れていた。
今回もご覧いただきありがとうございました。
いつもはフィオナの後始末役に徹していたリュシエンヌが、ほんの少しだけ素直になれなかった今回。
“特別”にされたかった気持ちと、それを伝える術を持たない不器用さが、彼女の冷たい態度に滲み出ていました。
そしてフィオナもまた、リュシエンヌの機嫌の変化に気づき、少しだけ胸を痛める。
少しずつ、けれど確かに近づく心の距離に、変化の兆しが見えはじめた回でした。
次回は、そんな二人の“関係性”を揺るがす出来事が。
学園騒然の告白騒動と、氷姫の沈黙の裏に隠された本音――どうぞお楽しみに。




