第7話「氷姫、嫉妬(仮)」
氷のように冷静で、感情を揺らすことのなかった公爵令嬢リュシエンヌ。
けれど、いつも隣にいた“お花畑ヒロイン”が誰かの隣で笑いはじめたとき――
その胸に、初めての“ざわめき”が芽生える。
恋か、嫉妬か、戸惑いか。
無自覚な感情が揺らぎ始める、第7話をどうぞ。
ある日、学園の掲示板に貼り出された一枚の紙が、静かに波紋を広げた。
それは、学園内の有志による**「演劇部・新設記念公演キャスト募集」**の告知だった。
演目は、古の王国に伝わる恋物語『金の鳥と銀の姫』――
伝説の王子と、感情を持たぬ銀の姫が、旅を通して絆を深めるという、いかにも“ヒロイン枠”が映える内容である。
「ねぇリュシーっ、私これ応募しちゃった♡」
「……まさか、主役狙いですか?」
「うんっ! “感情を持たない姫”とか、なんだかリュシーみたいだなぁって思って!」
「それ、私に言ってますか?」
「うん♡ 愛を知ることで涙を流す……って、素敵じゃない?」
「あなたの場合、台本が無意味になる可能性が高いです。“感情が薄い”どころか、全力で感情表現してしまうでしょう」
「大丈夫、演技も妄想でカバーできるから!」
「むしろ問題発言です」
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後日、キャスト発表。
主演:フィオナ=ルミエール
相手役:セドリック=リオネス王太子
――そして、リュシエンヌの紅茶がその日、ほんのわずかに苦く感じられた。
「……何故、わざわざ王太子殿下が“主演”を?」
「生徒会の推薦だったそうですよ、リュシエンヌ様」
シャーロット=ラミュールが苦笑混じりに囁く。
「……殿下、フィオナに“何か”を感じてるらしいです」
「“感じた”のは被害では?」
「たぶん“ときめき”です」
リュシエンヌは、ため息をついた。
それはいつものように冷静で、いつものように無感情に聞こえたが――
本人にも、説明しづらい何かが胸に残った。
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演劇部の稽古が始まった。
「わたしが……あなたを……好きになるなんて……!」
フィオナは劇中の台詞を、うるうると瞳を潤ませて王子に向かって叫んだ。
周囲が感嘆の声をあげる。
「演技じゃない……あれ、本気の恋してる顔だよ……」
「まさか王太子殿下と……?」
リュシエンヌはその光景を、遠くから見ていた。
視線は冷たく、表情は変わらない。
けれど、その手元の紅茶カップは、わずかに震えていた。
(……演技、なのよね?)
いつもなら、心のどこかで「どうせ勘違い」と切り捨てていたはず。
だが今回ばかりは、演劇という“公認された恋愛”に、自分だけが蚊帳の外に置かれているような、妙な疎外感があった。
(違う。私は……別に……)
「リュシー?」
フィオナが稽古帰りに手を振ってきた。
「明日の稽古、見に来てくれる?」
「……予定が空いていれば」
「わあ♡ じゃあ空けておいてね!」
満面の笑みで返すフィオナに、リュシエンヌは何も言えなかった。
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その夜、独り、寮の自室。
「嫉妬……など、していない。する理由など……」
つぶやいた声は、どこか幼かった。
(もし“演技”ではなく、本当にフィオナが誰かを好きになったら……
それが、私ではなかったら――)
その“仮定”に、胸の奥がじくじくと疼いた。
氷のように冷たく、感情に支配されないと思っていたこの心が、
“あの娘の笑顔”一つで揺らいでしまうのは――
それがきっと、“答え”なのだと。
まだ、彼女は気づかないふりをしていた。
今回もご覧いただきありがとうございました。
いつも「涼しげなため息」で終わっていたリュシエンヌの一日が、ほんの少しだけ、色を帯びはじめました。
フィオナの“恋愛ごっこ”は相変わらず本気か天然か分かりませんが、それが周囲に与える影響だけは、誰よりも強い。
リュシエンヌの中に芽生えた小さな違和感――それが“恋”であると気づくまでには、もう少し時間がかかるかもしれません。
次回は、そんな彼女が“拗ねる”という人生初の感情をこじらせる回です。
どうぞ、次回もお楽しみに。