バニーボーイ
『LAZULI』の番外編の読み切りです。
本編よりも二年程前のお話になっています。
タイトルが『バニーボーイ』ですが、多分、想像しているバニーボーイではないです。
赤、オレンジ、黄色、緑、青、紫――
極彩色の様々なオーナメントで重たげに飾り立てられた針葉樹は、質素だがどこか神聖でもある教会のそれとは違い、雑然としていて全く統一感がなく安っぽい印象を受けた。しかし、同時にオモチャのように賑やかで楽しげでもあり、幼い少年の目には非常に素晴らしいものとして映っていた。その木の周りを、子供達に絶大な人気を誇る絵本のヒーローの衣装と同じザインの寝間着姿をした子供が、手に入れたばかりのオモチャを抱え、大はしゃぎで走り回っている。
「変なの」
まだ誰も起きていないような早朝に浮かれて騒いでいる子供の様子に侮蔑の言葉を呟き、コッソリ窺っていた自室の扉の隙間から頭を引っ込めパタンと閉じると、少年は自分の体温の残るベッドの中に潜り込んだ。もう一眠りするつもりだった。
その少年のベッド近くの小さなテーブルの上に、小さな紙切れが乗っている。そこには辿々しい字ではあるが精一杯丁寧に書いたと思われる、短い文が綴られていた。
「ラビくんがいるから、いいよ」
そう、自分に向かって小さく言い、添い寝の大きなウサギのぬいぐるみを抱きしめる。今年も、彼は”良い子”ではなかったらしい。もう少し時間が経って辺りが明るくなれば、”良い子”だった証としてプレゼントされたオモチャを見せるため、同じ家に住んでいる子供や、町の子供達が彼の元を訪れるだろう。
ずっと夜だったらいいのに。ねえ、ラビくん
* * * * * * *
「……あれ?」
寒いと思ったら、眠っていたのは温かいベッドの中ではなかった。
「よくこんな所で眠れるな」
起こしたエトワスが、呆れた表情を見せる。
「ホントだな。危うくこのまま永眠するとこだった」
日が落ちて、気温はグッと下がって来ている。実戦の試験帰りで疲れていたとはいえ、公園のベンチで凍死するところだった。せっかく学院指定の野戦服を着ているので、どうせなら討ち死にの方がいいような気がする。
「買い物は、済んだんだな。じゃあ、早く帰ろうぜ」
エトワスの荷物を確認し、ディートハルトはベンチから立ち上がった。眠っていたせいか、酷く寒い。一刻も早く部屋に戻りたかった。
「先に帰ってていいよ。翠がまだだから、俺は待ってる」
試験帰りに商店街に寄り、学生寮でルームメイト同士の三人で手分けしてきらしていた生活雑貨等の買い物をし、この公園のベンチで待ち合わせをしていた。
「……」
ディートハルトは立ち上がったベンチに再びストンと腰を下ろした。
「帰らないのか?」
不思議そうに尋ねるエトワスに、ディートハルトは小さく頷いた。
「……鍵、持ってねえ」
嘘だった。ちゃんとポケットの中に入っている。
「ほら」
ディートハルトの言葉を信じたエトワスは、自分の服のポケットから鍵を取り出すとディートハルトに差し出した。
「……」
仕方なく受け取ろうと手を伸ばし掛けたディートハルトは、再び考え直して手を引っ込めた。
「気が変わった。おれも待ってる」
一人で帰りたくないから、エトワスと一緒にいたいから、等という本心は口に出さない。ルームメイトの気変りもやはり信じたエトワスは、鍵を再びポケットに収め、自分も並んで腰を下ろした。
「……綺麗だよな、あれ」
公園の中央に設置された大きなツリーに視線をやり、ディートハルトがポツリと言った。毎年この時期になると、針葉樹が町の至るところに飾られる。最近では宗教色は随分薄くなっているが、この大陸で信仰されている大地の神が”ヒト”として大地に下りた事を祝う”降誕祭”と呼ばれる祭で、その日を祝い同時に神に祈りを捧げる事を目的として生命力の象徴とされる常緑樹が飾り付けられている。ディートハルトが帝都に来てから今年で三年目になるが、この公園のツリーをちゃんと見たのは初めてだった。派手ではないが、沢山飾られた明かりが煌めいていて温かい光を放っている。それは、出身地の町にある教会で目にしたものによく似ていた。
「あんまり好きじゃねえけどな」
「どんなのが好みなんだ?」
飾り付けが気に入らないと言っていると思ったエトワスが、そう尋ねる。
「どんなのが好きってのはねえけど……」
一瞬、ディートハルトは黙り込んだ。
「あのツリーがヤダって事じゃなくて。イベントそのものが好きじゃねえっつーか。……あんな風に飾ったりするのは綺麗だと思うし、この時期の雰囲気は嫌いじゃねーんだけど」
再び言葉を切ったディートハルトは、自嘲するように小さく笑った。うたた寝していた時に見た幼い頃の夢が蘇る。ほぼ確実に、エトワスは幸せそうに走り回っていた方の子供と同じ立場だったに違いない。
「分かんねえだろうな」
その時、偶然、家族と供にツリーを見物しに来ていたらしい少女が、うさぎのぬいぐるみを手にはしゃいでいる様子が目に入った。少女の両親が楽しげに笑いながら窘めている。
「おれさ、あんなの持ってた。もっと大きなヤツ」
「え?ああ、ぬいぐるみ?」
エトワスは、ディートハルトの視線の先を追った。
「初めて貰ったオモチャだった」
「サンタに?」
エトワスが何気なく聞いた言葉に、ディートハルトが苦笑いする。
「まさか。おれのとこに、サンタが来たことなんて一度もねえよ。だってほら、サンタって”良い子”のとこにしか来ねえんだろ。自覚ナシでバカみたいに毎年手紙書いてたけどな」
視線をツリーに戻し、フッと鼻で笑う。
「ラビく……うさぎのぬいぐるみは、神父様がくれたんだ。バザーの売れ残り」
複雑な表情をして聞いているエトエワスに気付き、ディートハルトは再び苦笑した。
「でも、おれにとっては大切な宝物だったんだぜ。同じ町に住んでる、裁縫が趣味のどっかのご婦人の手作りだったらしいんだけどさ、すげえ可愛くて、手触りも抱き心地もサイコーなんだ。流石に、帝都に来るときには持ってこなかったけど。……バカみたいだって思うかもしんねーけど、今でもおれの唯一の親友だって思ってる」
少しふざけた口調で、ディートハルトはそう言った。
「エトワスは?どんなプレゼント貰ってた?お前も、”サンタさんへ”とかって手紙書いてたんだろ?」
自分の話をするのが嫌になったディートハルトは、エトワスに何か言われる前に質問する側にまわった。
「次期公爵だもんな。朝起きたら、枕元に名馬が!とか、お城の鍵が!とか、そんな感じ?」
半ば冗談で言ったつもりだったが、真顔で頷かれた。
「流石に枕元には居なかったけど、子馬と別荘は貰った事があるよ」
「……そうだったな」
ちょうど今年の夏休み、エトワス専用の別邸だというウルセオリナ地方にある湖の畔の城に、招待されて翠と共に泊りがけで遊びに行った事を思い出していた。サンタが実在しているなら、恐ろしく差別するかなり嫌なヤツだ……そう思った。
「ねだったのは、普通に子供が欲しがるようなものばかりだったよ。オモチャの剣とか、はやりのボードゲームとか。ディートハルトは?何が欲しいって手紙に書いてたんだ?」
結局、ディートハルトの方が再び質問される側になってしまった。
こんな話題、持ち出すんじゃなかった……そう後悔しながら、決して楽しいとは言い難い記憶を辿る。
「おれは……大したもんじゃねえよ。色んなお菓子がブーツ型の入れ物に入ったヤツとか、何て言うんだろう?こう、硝子の球体の中に水と白い粒?が入ってて、振ると雪みたいなのが中で動くヤツとか、子犬も欲しかったな。……あとは、うん、毎年書いてたのは、”喋って動く”ウサギのぬいぐるみ、かな。だって、ほら、おれの持ってた奴は無口だし動かねえし」
そう言って「バカだよなー」と、自分でクスクス笑う。そこへ、荷物を抱えた翠がようやく姿を現した。
「あ、ごめん。2人とも居たんだ?とっくに帰っちゃったかと思ってたから、寄り道してたわ」
彼はあちこち寄り道した挙げ句、知人と話し込んでいたらしい。
「遅えよ。凍死しかけたじゃねーか」
「あー、マジでゴメンね」
勢いよくベンチを立ったディートハルトは、二人に背を向け逃げるように足早に歩き出した。相手がエトワスだからまだ良いが、話したくもない過去をわざわざ話してしまった。何故か損をしたような気分になって後悔し、少し憂鬱になっていた。
『こーゆー日は、さっさと風呂入って寝よう……』
翌日は授業もろくになく、午前中のみで学校から解放された。明日からは冬季休業が始まり、7日程経つと今年も終わり新しい年へと変わる。
夕方近くになり、一人で校門を出たディートハルトは、いよいよ降誕祭の前日で賑わっている大通りを避け寮への道をゆっくりと歩いていた。ほぼ日課となっている、リカルド、ロイコンビとの殴り合いも今日はいつもより短時間で終了していた。二人組もイベント前で浮かれているらしい。おかげで、手の甲に少し擦り傷を作った程度の軽傷で済んだ。これで二人組との今年の小競り合いは最後だ。しばらくは平和な日々を過ごせるだろう。
学生寮の冷たい石造りの階段を上り、部屋の扉に手を掛ける。普段より辺りが静かなのは、帰郷している学生達が多いからだった。
カチャリ。
鍵のかかっていないドアを開けて中に入る。
「お帰り」
いつもの様に、ルームメイト達は先に部屋に戻っていた。
「……」
出迎えたエトワスの笑顔より、やや上空に視線を向けたディートハルトの瑠璃色の瞳は、ある一点で固定された。
「何突っ立ってんの~?」
部屋の奥から翠が姿を現すと、瑠璃色の瞳が見つめる先は今度は彼の頭上へと移動する。
「”ぴょんぴょん”って呼んでくれると、嬉しいぴょん♪」
止まりかけていた時を正常に戻したのは、満面の笑顔を浮かべてそう言った翠の言葉だった。
「じゃあ、オレは”うさぴょん”」
「…………」
エトワスの言葉に、ディートハルトは本気で目眩がした。
「見て見て!ちゃんとシッポもあるぴょん。らぶり~?」
クルリと背中を向けた翠の尾てい骨付近には、自己申告通り丸いフワフワのシッポらしきものがくっついている。シッポだけではない。エトワスにはうす茶色のウサギらしき耳とシッポが、翠には灰色のウサギ耳とシッポが生えていた。
「黙ってないで、何か反応示してよ~♪ぴょんぴょん?」
鮮やかな瑠璃色が、一気に冷却されたかのような冷えきった光を湛える。ディートハルトは翠と視線を合わさないようにして顔を背けると、エトワスに向き直った。
「……」
「念のため言っておくけど、嫌がらせとかじゃないよ」
口を開き掛けたディートハルトを遮りエトワスが言ったのは、まさにディートハルトが口にしようとした言葉だった。
「……じゃあ、新手の宗教にでも入ったのか?」
「そーそー。ウサギ様を唯一絶対の存在と崇め奉り……なワケないでしょ。単にぷりてぃなかっこで、ディー君をお出迎えしただけだぴょーん。和むぴょん?」
どうしても語尾に”ぴょん”を付けたいらしい翠に、さらに冷えた視線が注がれる。
「……アホだ」
「やーやー。むしろキュートって言ってやってよ。エトワス君が、パーティーグッズを買おうって言うからさ、オレはトナカイさんとか、サンタさんコスチュームにしようと思ったわけよ。でも、何か知らないけど、”ディートハルトと友達だと思うなら、ウサギセットにしろ”って言われてさぁ。何で?」
「……おれに聞くな」
一瞬沈黙したディートハルトは、プイとそっぽを向いた。
「っつーか、全然ラブリーでもプリティでもキュートでもねえよ。そーゆーのは、もっと似合う奴がやるもんだと思う」
ディートハルトがフンッと鼻で笑うと、翠とエトワスは顔を見合わせた。
「オレらもそう思う」
「ああ。だから、ほら。ちゃんとディートハルトの分もある」
「!?」
ゴソゴソと紙袋の中を漁ったエトワスは、驚きで固まっているディートハルトを素早く捕らえると、手際よく3人目のバニーボーイへと仕立て上げた。
「これで、三人お揃いだな♪」
エトワスが、そう満足げに笑う。彼が選んだディートハルトの分は、白い耳に白いシッポだった。
「……」
「白ウサちゃんたら可愛い~。よぉっしっ じゃあ、腹も減った事だし、ウサちゃん達のディナーの用意をしますぴょん」
しつこく”ぴょんぴょん”言いながら、翠は予めテーブルの上に用意されていた食器や食べ物を並べ始めた。ディートハルトが知らないうちに、エトワスと翠が用意していたのは降誕祭用のスペシャルメニューだった。もちろん、ケーキもある。
「……ほんとに、嫌がらせじゃねえのか??」
ディートハルトは、少し睨み付けるようにエトワスに視線を向けた。
「違うって。昨日、言ってただろ?”喋って動く”ウサギのぬいぐるみが欲しかったって」
白いウサギ耳の位置を調整してやりながら、エトワスが言う。ディートハルトは意表を突かれたような表情でパチリと瞬きし、不意に拗ねたような表情になった。
「……でも。……お前ら、”ぬいぐるみ”じゃねえだろ」
「ああ。でも」
翠が二人に背を向けたタイミングで、エトワスはディートハルトのウサギ耳ではない方の耳に囁いた。
「”喋って動く”、ウサギの友達がいるってのも、悪くないだろ?」
やはり拗ねたような表情のまま眉を寄せたディートハルトの頬が、ほんのりと染まった。
「どうしてもぬいぐるみがいいって言うなら、今度は顔まですっぽり隠れる着ぐるみを探しておくよ」
「……最初からそっちの方が良かったかもな。ほんと、お前ら全然似合ってねーもん」
頬を染めたまま、ボソボソボソと愚痴っているようだが、ディートハルトの表情は暗くない。
「ディートハルトは似合ってるよ」
笑うエトワスに、ディートハルトは一層ふてくされたような表情を見せた。
* * * * * * *
普段より豪勢な食卓を囲み、ディートハルトにとっては初めての降誕祭を祝う時間を過ごした翌日、目を覚ましたディートハルトは、枕元に憶えのない封筒が置いてあるのに気付いた。中を見てみると、紙切れが1枚と番号の記された小さな鍵が入っている。紙には、すぐ近くの商店街にあるコインロッカーへの地図が書かれていた。
「何だ、これ?」
尋ねようにも、朝から出かけているのか、部屋に他のルームメイト二人の姿はない。
「……」
しばらく、どうしたものかとボンヤリ鍵を見つめていたが、結局好奇心に負け、パジャマを脱ぎ捨て服に着替えた。
「おはよう」
部屋を出ようとしたところ、ちょうどエトワスが戻ってきた。郵便受けを見に行っていたらしく、手には何通か封筒を持っている。
「あのさ……」
「出かけるのか?いってらっしゃい」
笑顔で手を振られ、鍵の事を話しそびれてしまった。
早朝という事もあり、殆ど人気のない商店街へ一人で向かったディートハルトは、書き記されていたコインロッカーまで行き、番号を確認して鍵を使った。
「?」
扉を開けると、ロッカーに詰まるようにして大きな紙袋が入っていた。中を覗いてみると、赤い紙と銀と金二本のリボンでラッピングされた大きな箱が入っている。そして、またもや白い封筒がリボンの下に挟まれていた。今度は”ディートハルト君へ”という宛名が書かれている。
「……おれ?」
封筒の中身は、雪の結晶の模様が透かしに入ったカードだった。
『ディートハルト君へ
今まで、ディートハルト君のところへ行くのをウッカリ忘れていたので、
これまでの分も合わせて、プレゼントを贈ります。
サンタより』
「…………」
何が起こっているのか状況を整理できないまま、ディートハルトは紙袋を地面に下ろし、ノロノロとした仕草でラッピングされていた箱を開けてみた。
「スゲ……」
それだけしか言えなかった。
箱には大きなブーツ型の容器に入ったお菓子の詰め合わせや、ガラスの球体の中に雪だるまとツリー、建物と、雪を模した粒と水が入った置物―オルゴールにもなっているスノードームを初め、様々な雑貨が入っていた。箱に詰まった綺麗なチョコレートや、ディートハルトが好きなブランドのシルバーアクセサリー、暖かそうなマフラーやウサギのパペットも入っている。これなら動くし喋るだろう。
どの品も、わざわざ丁寧にギフト用としてラッピングしてあるところからして、それぞれの店を回って買い集めた物だという事が窺えた。
「……」
茫然と箱の中身を眺めていたディートハルトの肩が震え、次の瞬間には吹き出していた。
「ウッカリ忘れてたって……。しかもサンタがコインロッカー?ありえねえ」
笑いすぎて出てしまったと思いたい涙を手で拭い、ここには居ない自称”サンタ”に向けて言う。
「何でここまでするんだ?訳わかんねえよ。並はずれたおせっかいなんだか、異常に物好きなんだか……ってゆーか、カッコつけすぎ」
……ありがとう。
見慣れた筆跡の綺麗な文字で綴られたカードを封筒に戻し、箱も再び丁寧に紙袋に収めると、ディートハルトはサンタ本人の元へ帰るため、ロッカールームを後にした。
商店街を抜けていくと、オモチャ屋のショーウィンドウ内に飾られているウサギのぬいぐるみが目についた。
おれのとこにもサンタが来たよ、ラビくん。
それと、”喋って動く”ウサギの友達も出来たんだ。
ご覧頂き、ありがとうございました!