8 もう一生、離さない
「訳が分かりません助けて下さい……」
店のカウンターに、突っ伏すようにしながら、メアリーは言う。
「まずはその、分からない『訳』の話を聞かせてよ。そうじゃないと私も分かんないよ」
ベラは、友人のそんな様子に、呆れたように言った。
「……もう、薬の効果は切れてる筈なんです。飲んでから三十五日経過してるんです。簡易の検査もしましたけど、体内に残ってる様子も無かったんです……なのに……」
『だから、前に言っただろう? 以前からずっと、メアリーとこうしてみたかったと。愛してるよ、メアリー』
「そんなことを言うんですよ……どういうことですか……」
カウンターに突っ伏したまま、呻くように言うメアリーに、
「なら、事実なんじゃない? 受け止めたら?」
ベラはまた、頬杖をつきながら、そう言って、そこにつけ加えるように。
「メアリーもさ、今も髪留め、着けてるじゃない? そういう気持ちがあるって、私には見えるんだけど」
ベラの言う通りに、メアリーは髪留めを着けている。
そして、服の下になっているので見えないが、ネックレスもしている。
「……そういう気持ちって……その……好きってことですか……?」
「自覚できてるじゃない」
「いや……分からないんですよ……」
メアリーはまた、呻くように。
「そもそも……そういう感情って……初めてでして……合ってるのか……間違ってるのか……もう……」
ベラはまた、こりゃ駄目だ、と思い、
「じゃあさ、例え話。ウォーカーに恋人ができたら、嬉しい?」
「ディアンさんに、恋人……」
メアリーは、それを思い浮かべる。
自分にではなく、他の人に向かって、愛しているとディアンが言う。
愛していると言って、微笑みを向けて、抱きしめて、結局自分にはしなかった、キスをする。
メアリーは、髪留めに触れながら、
「……嫌です……」
泣きそうな声で言った。
「なら、そういうことでしょ?」
「みたいです……」
「ウォーカー、今日はもう、来ないの?」
「分かりません……」
「なら、会いに行けば?」
「えっ」
メアリーは、狼狽えながら顔を上げて、
「そ、それは流石に……迷惑になるのでは……?」
「メアリーはさ、来てほしいんでしょ? ウォーカーに」
ベラの言葉に、メアリーは一瞬詰まり、
「……それは、そうですけど……」
「ウォーカーを好きなメアリーは、ウォーカーに会いたい。なら、メアリーを好きなウォーカーも、メアリーに会いたい。だと思うけど?」
思うというか、確定事項だけど。
ベラは、心の中でつけ加える。
ディアンとメアリーのデートや、ディアンが冥界の化け物を倒したこと、メアリーのもとへ戻ってきたディアンとメアリーが抱きしめ合っていたこと、化け物の事後処理をしながら「メアリーに会えない……」と愚痴を零していたディアンの様子も、見かけた住人たちから伝播するようにして、アンドレアスの人々はそれらを把握している。
そして今度こそ、二人の問題だからと、下手に手を出すのはやめよう、という意見で一致していた。
「そ、そうですかね……?」
迷う素振りを見せるメアリーへ、
「そうでもそうじゃなくても。気持ちを自覚したんなら、ちゃんと伝えなよ? ウォーカーのためにもさ」
「ディアンさんのためにも……」
メアリーは、俯いて、少し考えて。
そして顔を上げて、
「あの、また、服とか選んでもらって良いですか? そういう時の格好、分からないので」
そのままでも良いと思うけど。
ベラはそう思ったが、メアリーの真剣な表情に、
「よし。分かった。また見繕ってあげよう」
◇
「おい、ディアン。面会希望だ」
仕事終わりに、仲間にそう言われて、
「面会? 誰だ?」
メアリーに会いに行こうと思っていたディアンは、若干顔をしかめた。
「そんなツラすんな。愛しの彼女さんからだぞ」
「……は?」
それは、メアリーが? 自分に会いに来たということか?
「どういうことだ……?」
「それを確かめるためにも、ほら、早く行け」
「あ、ああ……」
ディアンは、メアリーに何かあったのかと、半分駆け足で面会室へ向かう。
そして扉を開けて、
「あ、ディアンさん……」
デートの時のような、誰にも見せたくない愛らしい格好をして、困ったような顔を赤らめて瞳を潤ませて、自分の名前を呼んだメアリーを見て、
「…………」
固まった。
◇
ディアンが動かなくなったのを見て、メアリーは不安になり、
「あの、すみません……突然、尋ねたりして……」
座っていた椅子から立ち上がって、自信なさげに言葉を紡ぐ。
「……あ、いや、それは全く問題ない」
動き出したディアンは、素早く扉を閉め、メアリーまで数歩の距離を縮めて、
「どうしたんだ? 何かあったのか? ……化け物の気配はしないが……」
言いながら、メアリーを心配そうに見つめる。
「いえ、あの……ごく個人的な理由で、来ました」
メアリーは、俯きそうになるのを、ぐっと堪えて、
「あの、」
ディアンの、若葉色の瞳をまっすぐに見つめて、
「……私、ディアンさんが、好きです」
勇気を振り絞って言った。
ら、
「…………」
ディアンがまた、固まった。
「……ディアンさん? その、……やっぱり、ご迷惑、でしたか……?」
泣きそうになってしまって、それを見られたくなくて、俯いてしまう。
「──え? や、ち、違う。メアリー、違う。迷惑とかじゃない。その、……夢かと思ってしまったんだ。自分に都合の良い夢かと」
「夢じゃないです……」
「そうだよな、すまない。メアリー、顔を上げてくれないか。君の顔が見たい」
その言葉と、困ったような声に、メアリーはそろりと顔を上げる。
「……メアリー……」
泣きそうになっている赤い顔を見て、ディアンは途方に暮れたような声を出してしまう。
「メアリー、抱きしめて良いだろうか。君が愛おしく見えて堪らない」
それを聞いたメアリーの顔が更に赤くなり、ディアンはもう、耐えきれなくて、メアリーが何か言う前に、
「メアリー。愛してる」
メアリーを抱きしめた。
「わ、私も好き……あの、愛してます……」
メアリーがおずおずと、ディアンを抱きしめ返す。
「ありがとう、メアリー。……恋人になってくれないか」
「よ、よろしくお願いします……」
「こちらこそ、メアリー。とても嬉しいよ。夢みたいだ」
「夢じゃないです……」
「ああ、そうだな」
ディアンはメアリーを、その愛おしい存在を確かめるように抱きしめ直すと、
「……メアリー」
少しだけ、体を離して、メアリーの顔を見て。
「キスをしても、いいか?」
その頬に触れ、顔を近寄せ、
「この前は、できなかったから。ずっと後悔してたんだ。チャンスを逃したって」
苦笑しながら言われて、それを聞いたメアリーは、目を見開いてしまった。
「なあ、メアリー」
その時と同じ──それより、熱のこもった眼差しを向けられて。
「……はぃ……」
熟れたリンゴのように赤くなったメアリーは、か細く返事をする。
「ありがとう、メアリー。愛してる」
もう一生、離さない。
ディアンはそう思いながら、メアリーの唇に、自分のそれを重ねた。