3 戸惑う彼女と、自信に満ち溢れた彼
「……」
メアリーは、
『前に、好きだと言っていたと記憶しているんだが。良ければ受け取ってくれないか』
帰り際に、ディアンからそう言われ、受け取ってしまったそれらを眺めながら、どうすべきか迷っていた。
それは、この街の菓子店の砂糖菓子と、庶民向けだがデザインに定評がある宝飾品店の、髪留め。砂糖菓子も、その宝飾品店も、ディアンが言った通りに、メアリーは周りに好きだと言っている。
ディアンが真面目な性格なのは、この一年で分かっている。なので、自分が言ったそれらを覚えていることは、あまり、不思議には思わない。
けれど、それとは別に。
こういう扱い──淑女へのそれのような対応をされると、大いに戸惑う。受け取った時にその戸惑いに気付かれなかったらしいことに、メアリーは胸を撫で下ろした。
メアリーは、男慣れはしているが、口説かれ慣れはしていない。
魔法使い界隈の男女比は、協会の統計によれば、全体の八割が男性なのだ。だが、その八割は、女性魔法使いに対して、周りの男性魔法使いと同じ態度をとるのが常で。
魔法使い、もとい、魔女は、その名の通り、昔は女性が大半を占めていた。けれども、時代が進むにつれ、男の魔法使いが増え、肉体的な性差も有意性として働くのか、今や、魔法使いの最上級クラスを表す『大魔導士』も、七人のうち五人が、男性だ。
残り二人、女性の片方である、カーラ・アーチボルドがメアリーの師匠である。
男性社会の中で堂々と振る舞うカーラに、メアリーは憧れを抱き、弟子入りした。
そのカーラの弟子たちも、ほぼ、男性で。そしてその兄弟弟子たちは──どこもそうだと聞くけれど──上下関係に厳しく、メアリーは荒波に揉まれるようにしながら、時に立ち向かいながら、魔法使いになるための修行をして、独り立ちしたのだ。
「……美味しい」
砂糖菓子を一つ食べれば、それは口の中でホロリと解け、爽やかさとコクのある甘さが口の中に広がる。
「……これも、人生経験。止められなかった私にも責任があるし」
メアリーは言って、砂糖菓子の袋と髪留めの箱を作業テーブルに置くと、着替えるために自室に服を取りに行った。
自力で用意できない素材などを注文し、届いたその在庫確認は昨日のうちに終わらせた。けれど、これから、それらの処理と、店の開店準備をしなければならないのだから。
◇
魔法使いは古くから存在しているが、聖騎士というものはここ百年ほどで確立された存在である。
それ故に──他にも理由はあるが──聖騎士の仕事がなんなのか、詳しく知らない人間も多い。ディアンも、その一人だった。
「──神の使徒である我ら聖騎士、決して、驕り高ぶること無く、聖なる力を持ってして、悪を討ち取らんと心に刻む。我らが聖騎士足り得るために、主神の御心を一時も忘れず、闇の中へと我が身を放つことに、躊躇いなど覚えない。天に在す──」
アンドレアスの聖堂で、隊列を組むように並ぶ聖騎士たちと共に、ディアンは聖騎士の祝詞を朗々と響かせる。
聖騎士とは、聖職者であり、騎士である。
それぞれの階級毎に、その聖職者と同等の知識を学ばねばならず、また、その階級によって、騎士としての立場も変わる。
ディアンの正式な階級名称は、準一階級聖騎士だ。ざっくり言えば、聖職者としては中級貴族に教えを説くことの出来る立場であり、騎士としては、有事の際、最大千の隊の長として動かなければならない。
そして、聖騎士としての一番重要な仕事は、冥界から湧き出てくる、化け物たちの始末だ。化け物たちを始末するには、魔法使いほどではなくとも魔法が使え、更に、魔力とは違う、『イエディミナル』と呼ばれる神聖な力を持ち、それを扱えなければならない。
けれど、冥界からの化け物たちは、この三十年ほど、こちらの世界に攻撃を仕掛けてきていない。湧き出てきたという報告もない。
聖騎士は、聖騎士たる所以の仕事を、三十年、行っていないのだ。
だから近年の多くの人間は──聖騎士になる前のディアンも含め──聖騎士を、教会の護衛兵のように思っているフシがある。
ディアンは十四の時、その、イエディミナルを見出され、魔力も多少扱えたことから勧誘を受け、十五で聖騎士見習いになった。家に金を入れられることと、食うに困らないという言葉に、飛び付くように。
実際、家に金を入れることは出来ているし、食うにも困っていない。ただ、冥界の化け物たち、という存在をあとから知って、そして聖騎士として学ばなければならないことの、その膨大な量に、多少の後悔はしたが。
「──聖騎士たる者、いついかなる時も、主神を、そして誇りを、忘るる事勿れ」
祝詞が終わり、聖堂を満たすように放たれていたイエディミナルが、薄くなっていく。
「よう。昨日の今日で、どうよ?」
仲間である聖騎士の一人が、ディアンの肩に手を置き、聞いてきた。
「今までの自分が嘘みたいに、メアリーへの想いを口にできる。彼女は優しいからそれを受け止めてくれるし、俺の我が儘にも耳を傾けてくれる。愛しさは増すばかりだ」
真剣な顔で言ったディアンに、
「酔ってないのにそれだけ言えるって、マジで凄いな」
隣に居た別の一人が、呆れた口調で言う。ディアンが横目で見ると、顔も呆れたものになっていた。
そこに続々と、ディアンを囃し立てるように仲間たちが集まってくる。皆、ディアンの状態を──惚れ薬を飲んでいることを知っているので、遠慮がない。
「期限付きとはいえ、こんなお前が見られるとはなぁ」
「成功しても失敗しても、酒の肴にしてやるよ。また飲み明かそうぜ」
仲間に周りを固められ、色々と言われながら、仕事──朝の鍛錬──に向かうためにと、ディアンは外へと繋がる扉へ足を向ける。
「なんとでも言ってくれ。メアリーの心を掴むためにも、今の俺に出来ることを全力でやる」
それを聞いた一人が、
「お前一応エリートなんだから、いつもそんくらい自信持てば良いのに」
その言葉に、ディアンは小さくため息を吐き、
「上が決めただけだ、階級は」
と言った。
準一階級聖騎士と認められる者たちの年齢は、四十歳を超えた聖騎士が多くを占める。けれどディアンはその半分の、二十歳という年齢で、準一階級へと上がった。
ディアン本人はそれを、少々不服に思っている。
「いつも言ってるが、聖騎士としての実力を、イエディミナルの扱い方だけで決められても困るんだがな。俺は、冥界の化け物たちと対峙したことなど、一度も無いんだから」
「そういうトコは変わってねぇんだ? お前」
「惚れ薬飲んでも、真面目なまんまか。大丈夫か? ちゃんと口説けるかお前」
呆れながらも心配する周りに、
「口説くさ、全力でな。メアリーのことは愛してるし、一度口にした言葉は、俺の記憶からも、メアリーの記憶からも消えない。それに、薬の効果が切れても、メアリーへの想いが消える訳じゃないからな」
今度は自信たっぷりな様子で言ったディアンに、仲間たちは、再度、呆れた。
◇
ディアンがなぜ、これほどまで、自信を持っているのか。
それは、惚れ薬の効果もあるだろうが、メアリーからの事前説明も、大いに関係している。
『惚れ薬の、最大の注意点を言いますね。自分に惚れている人間に惚れ薬を飲ませる……まあ、ウォーカーさんの場合、失恋した相手を見ながら飲む、という状態になると思いますが。その状況下では、惚れ薬の効果は薄くなるんです。相乗効果で気持ちが増幅はしても、最高到達点には届きません。その三分の一くらいなんです。ですから、飲む時には、相手を選んで飲んで下さいね』
どうして最大の効果が得られないのかと聞けば。
『そもそもですね、惚れ薬というのは〝惚れさせるための薬〟なんです。ですから、惚れていない相手に飲ませる、が、通常の条件になるんですよ。だからこそ、自分に惚れている人間には、効果が薄い。そういう、ある意味とても危険な薬なので、簡単には依頼を受けませんし、受けるとしても詳しく話を聞いて、妥当と判断できなければ、売ることは出来ません。値段設定が馬鹿高いのも、まあ、材料も関係していますが、概ね同じ理由です』
聞きかじった知識しか無かったので少し不安だったディアンは、それを聞いて、内心、大いに喜んだ。
つまり、メアリーに惚れているのだから、言動全てを惚れ薬に操作されることなく、メアリーを口説けるという訳だ。
自分の言葉は、惚れ薬から来るものだけではなく、自分自身の心からの言葉であり、行動もまたそうであるのだ。
なら、存分に、心の内をメアリーに見せよう。想いを告げよう。
この想いは、嘘の想いではないのだから。
だからディアンは、これほどまでに堂々としている。
それに、薬の効果が切れても、本当のことを話せば──驚かれるだろうが──メアリーはきっと、僅かでも、自分の想いを受け止めてくれる。
そこからが正念場だが、とも思いながら、ディアンは朝の鍛錬をこなした。