星屑日記(二)
二◯二四年一二月八日
写真を撮るべきか、撮らないでおくべきか、タノスケは悩んでいた。スマホはある。だから、撮るとなれば、撮れる。しかし、撮ったとして、その写真を見返した時、自分は一体どんな気持ちになるだろうか? いや、自分ならばまだいい。見返すのが自分ならば、気分が悪くなることはあっても深刻な問題になど発展しない。しかし、見たのが自分以外の人だったら?
タノスケはトイレにいた。個室トイレである。男性の場合、小便ならば専用の、あの、仕切られていない、横にいくつも並んで設置された便器があり、そちらを利用する方が楽だし時短である。
だから、タノスケがわざわざ鍵のある個室トイレのその内部にいるということは、そういうことである。〝ダイ〟の方なのである。〝ダイ〟とは、代用とか時代の〝ダイ〟ではない。ちゃぶ台とか灯台の〝ダイ〟ではもない。題名とか課題の〝ダイ〟でもない。大統領とか大自然とか大宇宙とか大成功とか大勝利とか大金星とか大大大大大好きとかの〝ダイ〟である(ミチミチミチミチミチィーッブフォッ♪)!
んなわけで、タノスケはトイレの個室にいるわけだが、それで、撮るべきか撮らないでおくべきか悩んでいる対象というのは、言うまでもない、今先ミチミチーっと出したばかりのウ◯チである。もちろん、凡百の、無個性、平民風情のウ◯チならばそんな、撮るべきか否かなぞの悩みが生じるわけがない。今回はそんなカスウ◯チではない。ヤバいのである。今回出たウ◯チ、ほんとにヤバすぎなのである。まさにウ◯チ界の傑物とでも称すべきレベルなのである。数十年に一本、いや、人の一生、その長い時間の中で一本、出るかどうかの、そのレベルの傑物なのである。
それは、見事な〝巻きグソ〟だった。
水面に半身を浸し、便器の構造もあり、最下部まではしかとは見えぬが、しかし、見えぬ部分がどうなっているかなぞどうでもいい。シンクロナイズドスイミング方式でもって気にする必要はまったくない。見える部分だけ、その、この世界に突如、美を表現せんと現出し、孤高とアートの気品をまとうその部分にだけ注目し、それがいかに美しいか虚心坦懐、神仏の後光に目が眩む人の細めた麗しい目つきでもって眺めればそれでいいのである。
実際、それは目も眩むほど美しかった。
それは古代の数学者が見たならば即座に円周率の存在を直観しそうな曲線、そんな美しい曲線を描きながら天に向かい巻かれていた。質感は国宝級建築に使われている土壁を凌ぐほど滑らかで、色はどこか伝統ある国の王室の方々の髪の色はたしかこんな色であったと、そう素直に信じられるほどの気品高きブラウン。香りは高級なチョコとマンゴーとハチミツを天使達が笑い合いながら練り合わせたような幸福な香り。そして味は、ミシュラン五つ星を軽く凌ぐ、百つ星レベル(食ったんかい)!
ともかく、その巻きグソは完全なる美であった。
思わずタノスケは叫んだ。
「大傑作(〝ダイ〟の傑作という意)!」
(別に説明されたくないと思うが)事の経緯を説明しよう。
タノスケは四十四というあり得ない年齢でプロレスを始めた。それは、打ちのめされて崩れ落ち、ダウンしながらも何度でも立ち上がり、何度でも全力の攻撃を繰り出すプロレスラーの姿を観て、こういった人生力とでもいうべき力を、このダメダメ過ぎる我が身に宿したならば、自分の元を去っていった妻子(冬美、夏緒、春子)に対し響く言葉を届けられるようになるのではないかと思ったからである。
タノスケは、こんな自分を全力で愛してくれた冬美に対し、どうしても、本心からの「愛している」を言いたいし、成長し、時に世界の残酷に言葉を失う夏緒と春子に対し「大丈夫だよ」と言いたいのだった。それらの言葉を、相手にしかと届くような重みをもって発せられるような自分になりたいのだった。
だが今のままでは到底無理である。今のタノスケの言葉はダウンジャケットから飛び出した羽毛の繊維一本よりも軽いのだ。
しかし、それは仕方の無いことである。自業自得ここに極まれりとでも言いたくなるほど、仕方の無いことなのである。
共に暮らした約十年もの間、冬美は繰り返されるタノスケのアル中行動、暴言虚言、マッチングアプリ浮気に悩まされてきた。しかも、このタノスケ、病気一つないのにもかかわらず常に無職無収入状態であったのだ。そして、そんなタノスケのクソ過ぎる行状に悩む母親の姿を夏緒と春子は見て育ったのである。
こんな状態ではタノスケが如何に衷心よりの言葉を渾身の力を込めて放ったところで無駄である。妻子の心には擦りもしないのである。
そこで一念発起、プロレスを始めたわけだが、年齢もさることながら、身体の状態が悪すぎた。タバコで肺はボロボロ、酒で肝臓はボロボロ、脂っぽいもの甘いものの暴食で腸はボロボロでいつも体調が悪かった。なんとか肺と肝臓を健康にし、腸内環境を整えなければ、そもプロレスの練習すらできないほどであったのだ。
んで、タバコと酒はなるべく控えるのは当然とし、腸内環境はどうしようかとユーチューブで色々動画をタノスケは見たのだが、いくつも、色々な専門家の説明を聞いた結果、数日前、一つの結論に達した。
「食物繊維だ! これからは食物繊維の時代だ!」
タノスケは、なぜか? という部分、すなわちなぜ食物繊維が腸内環境を良くするのかというメカニズム部分、そして、腸内環境が良くなるとなぜ全身の好影響が出るのかという理論の部分も、まるで一つも理解しないまま、ことの表層をつまみ食いし、それをいたずらに繋げただけのような、傍から見たら実に危うい理解の仕方でもって理解し、これからは食物繊維の時代だと確信したのであった。
「よし! これからは食物繊維をいっぱいとるぞ!」
というわけで、ここ数日タノスケは、玄米や大麦や押し麦やオートミールやサツマイモなど、食物繊維が多いと聞いたものばかり食べていたのであるが、その結果、思いもよらぬ果報が訪れたというか、家宝が出たという、そういうわけなのである!
「どうしよう……。撮りたい……撮らなければ、ほどなくして失われる……しかし……」
ほどなくして、呆気なく失われるが故に美しい、そういう美もあろう。短い時の中にこそ永遠がある、そう気づかせてくれる美はふいに人の心を激しく揺さぶり、生の実感と、生きる意味を人に与えてくれる。その時、頬を流れる涙の熱は店で買える温度計で測れるような種類の熱ではない。人が人を心から愛し、掻き抱くよう抱き締める時にだけ互いの胸に生ずる、あの〝愛でできた温度計〟でしか決して計測できぬ熱である。
美を前に、タノスケは逡巡した。この美を写真として残すべきか。たまに自分で鑑賞し、楽しむために、心地よき感涙の涙を流すために、残すべきか。
だが、決断できなかった。思い浮かぶのは夏緒と春子の顔である。今は別々に暮らしているが、共に暮らしていた頃、二人はタノスケのスマホを勝手にいじって写真を撮ったりゲームをしたりして遊ぶことがあった。いつのまに暗証番号を知ったのか不思議に思ったが、タノスケは二人を咎めることはしなかった。マッチングアプリ利用の痕跡は完全に消していたし、こうして無防備にスマホをいじらせる寛大ムーブが、浮気なぞしていないという誠実な雰囲気を醸しだし、もってそれがおおいに冬美を幻惑するだろうというさもしい計算をしていたからである。
んで、もしもであるが、もしもいずれ再び家族の絆が修復されたならば、また再び夏緒と春子が戯れに何気なくタノスケのスマホをいじるということもきっとあるはずなのである。で、その時である。その時、パッと、写真が、スマホ画面いっぱいに、巻きグソの写真が写し出されたらならば、どうしたらいいだろうか。夏緒と春子に、いや、きっと二人から慌ててその報を受けるであろう冬美も含めて三人に、何と申し開きすれば良いであろうか? 誠実に説明すればするほど、何やら三人の顔が険しくなっていくのが想像される。せっかく修復しかけた絆が、再び疑念の風に乾燥し、ボロボロに亀裂が入っていくのが想像される。
タノスケは便器の洗浄スイッチを見た。
━━このスイッチを押せば……そうすれば……━━
スイッチを見つめているうち、タノスケの頬に、二本の熱い、熱が流れた。
【次戦の情報】
2025年1月19日です!
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