90話 国を越えた友情
朝日が完全に昇り切った頃、宿屋一階の酒場では不安と緊張が漂っていた。
エリアナたちは、遥斗とマーガスの帰還を今か今かと待ち続けていた。
「姫、どうか休まれては...」
「いいえ、遥斗様たちが帰ってくるまで、ここで待ちます」
エリアナの顔には、疲労の色が滲んでいた。
先に帰還したエレナとトムから話を聞き、一睡もせずに心配し続けていたのだ。
「なんてバカな真似を...!」
ガイラスの声が、酒場に響き渡る。
「アンデッドがどれだけ危険か、分かっていないんだ!」
「そうだ!」
「命知らずにも程がある!」
「尻の青い小僧どもの分際で...!」
ガイラス隊の騎士たちが、次々と怒りの声を上げる。
「エレナ殿、トム殿も止めるべきでした!」
ガイラスの怒りの矛先が、二人にも向けられる。
「遥斗殿に万が一のことがあれば、これまでの苦労が水の泡ですぞ。アストラリア王国の未来に関わる重大事です」
エレナとトムは、申し訳なさそうに俯く。
「ガイラス」
エリアナの声が、静かに響く。
「彼らは王国のために命を賭して戦ってくれているのです」
その声には、芯の強さが感じられた。
「感謝こそすれ、責めるのは筋違いです」
エリアナの言葉に、騎士たちの表情が曇る。
彼らもまた、遥斗とマーガスを心配しているからこその言葉だったのだ。
その時、宿の入り口から陽気な声が聞こえてきた。
「ははは、お前こんなボロボロの服で、良く外歩けるよな」
「仕方ないだろ!ポーションじゃ服まで回復しないんだから!」
遥斗とマーガスが、まるで散歩から帰ってきたかのように、雑談しながら入ってくる。
「あれ?みなさん、おはようございます。朝食の時間ですか?」
遥斗の明るい声が響く。
「遥斗...!」
エレナが駆け出す。
その目は、遥斗の服を見つめ、激しい戦いがあったことを悟る。
「エレナ?」
遥斗が首を傾げる。
「パシーン!」
軽快な音が響き渡る。
遥斗の頬が、エレナの平手打ちで真っ赤に染まる。
「しん、ぱい...したんだから...」
エレナの声が震える。
「無茶しないって約束したのに...なのに...!」
堰を切ったように涙が溢れ出す。
「あ、あの...エレナ...」
オロオロとする遥斗。なんとかエレナを慰めようとするが、どうしていいか分からない。
「はっはっはっ!形無しじゃないか、遥斗!」
笑うマーガスの声が響く。
しかし―
「うぐッ」
エレナの蹴りが、マーガスの急所を直撃する。その顔色が、見る見るうちに赤から緑へとグラデーションを描いていく。
「元はと言えばあんたが悪いんでしょ!死んで詫びなさい!」
エレナの怒声が響く。
「そのくらいにしておきなよ...姫様の御前だよぉ」
トムが慌てて仲裁に入る。
クスクスという可愛らしい笑い声。
エリアナが、優しく微笑んでいた。
「無事で何よりでした、遥斗様」
「申し訳ございません」
遥斗が深々と頭を下げる。
「しかし、騎士として、貴族として、街の人々を見捨てられなかったマーガスの気持ちを...どうか理解してあげてください」
「遥斗...お前...」
マーガスの目に、痛みによるものか感動によるものかわからないが、涙が滲む。
「ま、まぁ...無事なら良いんじゃねぇか」
「そうだな...」
「結果オーライってやつだ」
異世界人の遥斗に騎士の在り方を諭され、先ほどまで怒りに満ちていたガイラス隊の態度が急速に軟化していく。
「皆さん、お腹が空いているでしょう?」
エリアナが、さりげなく場の空気を変える。
「朝食にいたしましょう」
「はい!」
遥斗の笑顔が、朝日のように明るく輝いていた。
朝食を終え、出発の準備が始まった。
「着るものがないのは困ったな...」
遥斗は御者が至急用意してくれた一般市民用の服を手に取る。
とりあえず着てみるが、それは農家の作業着のような素朴な衣服だった。
「プッ...!」
「くっ...!」
堪えきれない笑い声が漏れる。
振り返ると、トムとマーガスが腹を抱えて笑っていた。
「よく似合うじゃないか!農夫の遥斗殿!」
マーガスは貴族の子息と葉思えぬ程の大はしゃぎだった。
「さすがに、これで旅を続けるわけには...」
遥斗が困惑の表情を浮かべた時、玄関に来客が現れる。
「失礼いたします」
アディラウスの凛とした声が響く。
なんと来客はアディラウス一行だった。すぐさまエリアナ以下全ての王国の人間を集めて、会合が始まった。
アディラウスは一礼して、エリアナの前に進み、片膝をつく。
「この度は我が帝国の民を救っていただき、誠にありがとうございました。皇帝陛下に代わりまして、感謝の意を述べさせていただきます」
その声には、帝国騎士としての誇りと礼儀が込められていた。
「いえ、王国としましては、隣国の危機を見過ごすわけにはまいりません」
エリアナの応答もまた、優雅さを湛えていた。
表面上は友好的な会話。しかし、これは犬猿の仲である王国と帝国の微妙な駆け引きの一環だった。
帝国としては借りを作りたくない。しかし、都市の壊滅すら想定された非常事態を、自分たちが非難している異世界人に救われたのだ。
「つきましては、些少ではございますが...」
アディラウスが手を振ると、従者たちが次々と品物を運び込んでくる。
山のように積まれた中級HP回復ポーションと中級MP回復ポーション。
そして遥斗に向けて、特殊な衣服とマントが差し出される。
「この服は魔力を帯びており、それ自体が防具として高い性能を持っております。特に属性耐性に優れ、火・水・風・土、いずれの属性攻撃も大幅に軽減いたします」
アディラウスの説明に、遥斗の目が輝く。
「マントは耐衝撃性に特化しており、物理攻撃からの防御に絶大な効果を発揮します」
「あ、ありがとうございます!」
遥斗は満面の笑みで品物を受け取る。
「そして、マーガス殿へ」
アディラウスが差し出したのは、大きな金属の塊。
その純白の輝きに、マーガスの顔から血の気が引く。
「み、ミスリル鉱石...!?」
その量は、数十人が一生遊んで暮らせるほどの価値があった。
しかし、マーガスにはそれ以上に重要な意味を持つ。
ミスリルで武器を錬金すれば、今の銀の武器とは比較にならないほどの性能を発揮する。
だが、その価値故に王族クラスでなければ手の届かない代物だった。
「い、いいのですか?」
マーガスの手が震える。
「もちろんです」
アディラウスの笑顔には、純粋な友情が滲んでいた。
「正直に申し上げますと」
アディラウスの声が、静かに響く。
「我々は異世界召喚を嫌悪してまいりました」
その言葉に、場の空気が凍り付く。
しかし、彼は続ける。
「しかし、これは帝国としてではなく、一帝国騎士としての言葉です。異世界人も我らと同じ人族。共に助け合える存在だと今回の一件で強く感じました」
その言葉には、深い信頼が込められていた。
いつか、立場の違いで戦わねばならない時が来るかもしれない。
しかし、今このときには確かな友情が芽生えていた。
帝国と王国、ほんの僅かだが、希望の光が灯されたのだった。