79話 月下の騎士
銀色の月光が石畳を照らす夜。ヴァルハラ帝国の古都フェルドガルドの街並みに、不穏な影が忍び寄っていた。
街灯の明かりが点々と並ぶ通りを、一人の騎士が駆け抜けていく。
マーガス・ダスクブリッジ。その純白のコートの裾が、夜風に翻る。街角から悲鳴が響き、その声に彼は躊躇なく動き出した。
老婆の悲鳴が石造りの建物に反響する中、暗闇から矢が放たれる。
月光に照らされた骸骨の姿—ボーンハンター。アンデッドの中でも特に単調な動きで、低級なモンスターの部類だ。放たれたその矢は何かを狙っている訳ではなく、動くものに無差別に降り注ぐ。
「アルケミック!」
マーガスの詠唱が夜気を震わせる。彼の特技である錬金魔術が展開され、純銀の壁が瞬時に形成される。矢が跳ね返る音が、深まりゆく夜の静寂を切り裂いた。
「この程度ではお話にならんね」
月光に照らされた彼の表情には、どこか楽しげな笑みが浮かんでいる。錬金術と戦闘スキルを組み合わせた独自の戦闘術。それを磨き上げてきた自信が、その微笑みに表れていた。
「アルケミック!」
銀の壁が流れるように形を変化させる。まるで生きているかのような動きで、優美な弓へと姿を変えた。その造形の美しさは、王立博物館に展示されている芸術品さえも凌ぐほどだ。
「チャージショット!」
詠唱と共に、矢に魔力が注ぎ込まれる。青白い光が放つオーラは、月光と共鳴するかのように輝きを増していく。一瞬の狙いで放たれた矢は、ボーンハンターの胴を貫く。アンデッドの体が光の粒子となって夜風に消えていく様は、どこか儚げでありながら、浄化された魂の解放を思わせた。
「大丈夫ですか、レディ?」
マーガスは颯爽と老婆の元へ駆け寄る。その仕草には、ダスクブリッジ家で代々受け継がれてきた騎士道精神が自然と表れていた。月明かりに照らされた彼の立ち振る舞いは、理想の騎士そのものだ。
「あ、ありがとうございます。なんとお礼を...」
震える声で老婆が感謝を述べる。その目には、安堵の涙が光っていた。
「このアストラリア王国ダスクブリッジ家次期当主、騎士マーガス・ダスクブリッジにとっては当然の事をしたまで」
マーガスは老婆の手を取り、月光の下で輝く白い歯を見せながら決めポーズを取る。その姿は、少々大仰ではあるものの、確かな誇りと使命感に裏打ちされていた。
「お若いのに、なんとご立派な騎士様であられることか」
老婆の感嘆の言葉に、マーガスは満面の笑みを返す。遠くから新たなボーンハンターの気配を感じ取った彼は、老婆に軽く会釈を送る。
「それではお気をつけて」
優雅に言葉を残し、彼は次なる戦場へと向かう。その背中には、月光が作る影が寄り添っていた。
街灯に照らされたボーンハンターの骨の姿。それは不気味な存在感を放っていたが、マーガスの目には単なる退治すべき対象としか映っていない。
「アルケミック!」
弓が流麗な動きで剣へと変化する。まるで銀が空中で踊るかのようだった。
「オーラブレイド!」
剣に込められた魔力が青白い光となって広がる。一閃する剣の軌跡が夜空に弧を描き、ボーンハンターの胴は見事に両断された。
消えゆく敵を見送りながら、マーガスは己の戦術を分析する。
(銀はアンデッドの弱点。そして魔力の伝導性も優れている。錬金術での加工性も良く、俺の戦法にぴったりだな...)
赤い光に包まれるマーガス。レベルアップの効果だ。
「ふっ、この程度でレベルアップとはね...俺もまだまだのようだ」
その時、ガラスの割れる音と少女の悲鳴が夜の静けさを引き裂く。
「!」
即座に反応したマーガスの動きに、迷いはなかった。
「クリスタル・フォージ」—魔道具店の看板が月明かりに浮かび上がる。
(ここは...さっきの魔道具屋か)
店内に飛び込んだ瞬間、凄惨な光景が広がっていた。魔道具に使われる水晶や宝石が散乱する床。その上に映る月明かりが、不気味な影を作り出している。
店主らしき男性が、先ほどの店員の少女を追い詰めていた。その手に握られたナイフが、月光を受けて不吉な輝きを放つ。
そして男の背後には、炎のような姿をしたミストレイス―ゴースト系の危険なモンスター―が浮かんでいた。
「やめて!お父さん!」
少女の悲痛な叫びが、マーガスの心を締め付ける。彼は瞬時に状況を理解した。ミストレイスに精神を支配された父親。
この父娘を守るために、今こそ騎士としての力が必要な時だった。
「アルケミック!」
即座に剣を変形させ、殺傷能力の低い銀の棒を形成。正確な一撃で、男を吹き飛ばす。陳列棚に激突する音が、静寂を破った。
「大丈夫か!逃げろ!」
「でも、お父さんが...」
「俺が何とかする!行け!」
少女は一瞬躊躇したものの、マーガスの声に背中を押され、店を飛び出していく。彼女の足音が遠ざかっていくのを確認し、マーガスは再び戦いの態勢に入る。
のそのそと起き上がってくる男。その目は既に人のものではなく、ミストレイスの支配下にあることを示していた。マーガスはマジックバックから鉄の塊を取り出し、男に投げつける。
「アルケミック!」
鉄の塊が細い糸となって男の体を拘束していく。抵抗むなしく地面に転がる男の姿に、マーガスは一瞬の憐れみを覚えた。
そして、本命のミストレイスが接近を始める。その青白い炎のような姿に、さすがのマーガスも一瞬の戦慄を覚える。
(店内は不利だ...!)
即座に店を飛び出すマーガス。狭い店内での戦いは、相手に有利に働く。広い通りでこそ、彼の錬金術は真価を発揮できるからだ。
ミストレイスが追随してくる。月明かりの下、通りに立つマーガス。
銀の剣が月光を受けて輝く様は、まさに月下の騎士だった。
「さて、アンデッド退治、本番といきますか」
マーガスの口元に浮かぶ笑みには、もはや迷いはない。
これこそが、彼の選んだ道。騎士として、守るべき者を守る。その揺るぎない決意が、夜空に輝く星々のように、確かな光を放っていた。




