75話 フェルドガルド
5日の旅を経て、一行はついにアストラリア王国の国境を越え、帝国領内に入っていた。
険しい山々を縫うように進む街道では、時折モンスターと遭遇することはあったものの、強化された馬車のスピードで振り切ることができた。
以前のように真正面から道を遮られない限り戦闘になることはないが、それでも誰もが緊張を解くことはなかった。
異国の地に足を踏み入れたという実感が、一行の心を更に引き締めていた。
「フェルドガルドの街が見えたぞ!」
ガイラスの力強い声が、まるで暗雲を払うかのように響き渡る。
一同が窓から外を眺めると、巨大な城壁に囲まれた都市が、まるで絵画のように視界に飛び込んできた。
灰色の石壁は威圧的な存在感を放ち、その上には整然と並んだ見張り台が連なっている。城壁の上を行き来する衛兵たちの姿は小さく見えたが、その動きには厳格な規律が感じられた。
遥斗は思わず息を呑んだ。これこそが、軍事国家と呼ばれるヴァルハラ帝国の威容だった。
城塞の正門に近づく一行を、屈強な体格の門番が出迎えた。彼の鎧には帝国の紋章が刻まれており、その一つ一つの装飾が帝国の威信を示しているかのようだった。
「アストラリア王国、エリアナ王女ご一行でしょうか?」
門番は馬車に付けられた王家の紋章を確認しながら、厳格な口調で尋ねる。
その声には、外交上の礼儀と、警戒の念が混ざっていた。
「はい、その通りでございます」
御者が丁重に答える。
「確認させていただきます」
門番は馬車のドアを開け、中を覗き込んだ。その動作には無駄がなく、長年の訓練の跡が窺えた。
「お初にお目にかかります、エリアナ姫。フェルドガルド正門を守護しているアディラウスと申します。ここまでご無事で何よりです」
その声には、わずかながら冷徹さが混ざっていた。
「ありがとうございます。こちらで1泊させていただいた後、帝都に向かわせていただきます。それまでよろしくお願いいたします」
エリアナは優雅に頭を下げる。
その仕草には、王族としての気品と、外交官としての細やかな配慮が表れていた。
「かしこまりました。お気をつけて」
アディラウスは軍人らしい正確な動作で敬礼する。
馬車は街中を進んでいく。通りを行き交う人々の服装は、王国とは僅かに異なる雰囲気を醸し出していた。黒や灰色を基調とした重厚な衣装が目立ち、それは都市の石造りの建物との調和を感じさせた。
街全体が、どこか軍国主義的な印象を与える。
整然と並ぶ建物、規律正しく行進する兵士たち。
しかし、その中にも確かな生活の息吹があった。
市場では威厳のある建物の下で、活気のある取引が行われており、路地では子供たちが笑顔で駆け回っている。
宿屋に到着した後、トムが提案する。先ほどの街並みを見て、彼の目は好奇心で輝いていた。
「魔道具屋に行ってみない?帝国の魔道具って、どんなのがあるのかな」
「いい考えね」エレナが賛同する。
彼女の声にも、錬金術師としての探究心が滲んでいた。
帝国のアイテムに興味を持った一行は、ガイラスから「夕方までには戻るように」と言われ、「クリスタル・フォージ」という魔道具屋を目指した。
「なんでマーガスがいるの?」
トムが不思議そうに尋ねる。その目には、多少のからかいの色が浮かんでいた。
「いちゃ悪いのか!貴様らだけで何かあったらどうする!」
マーガスが大声で反論する。
「まぁまぁ」
遥斗が仲裁に入る。彼は既にマーガスの性格を理解し始めていた。
店内に入ると、所狭しと並ぶ魔道具の数々。色とりどりの液体が入った瓶、輝く金属の装飾品、不思議な形をした道具たち。しかし、品揃えは王国とさほど変わらない。ただし、一つ気になる商品があった。
浄化のポーションの棚が空になっている。
「浄化のポーション?王国では見たことないな」
遥斗が首を傾げる。
「すみません、浄化のポーションは売り切れなんです」
小さな声が響く。振り返ると、店員らしき少女が立っていた。
薄紫色の制服を着た少女は、10歳くらいだろうか。大きな瞳には不安げな色が浮かんでいた。
「こんにちは、お店のお手伝い?」
エレナが優しく話しかける。その声は、まるで妹に語りかけるような温かさを帯びていた。
「はい!」
少女は元気よく頷く。その仕草には愛らしさがあふれていた。
「浄化のポーションは良く売れるの?」
トムが興味深そうに尋ねる。
少女は表情を曇らせる。その変化に、一行は思わず身を乗り出した。
「最近、アンデッドが出現するようになって...みんな身を守るために買っていくんです」
その声には、かすかな恐れが混ざっていた。
「アンデッド...」
遥斗はゲームでは知っている存在だが、この世界での特性が気になった。
「アンデッドについて教えてもらえない?」
マーガスが得意げに説明を始める。
「ふむ。アンデッドは大きく三つに分類される。リビングデッド系、ゴースト系、不死者系だ」
「リビングデッドは死者の体に悪霊が取り付いて動いているもの。ゴースト系は悪霊そのもの。不死者系は体は死んでいるが魂は元のままという奴だ」
突然、遥斗が思いついたように尋ねる。その目には、実験を思いついた学者のような好奇心が宿っていた。
「アンデッドはHP回復ポーションでダメージを与えられるの?」
三人の表情が固まる。まるで時が止まったかのような静寂が流れた。
「ちょっと、何言ってるか分からないわ。ごめんなさい」
エレナが困惑した表情で答える。彼女の声には、遥斗の突飛な発想への戸惑いが滲んでいた。
「回復魔法は効果がなく、浄化魔法のみダメージを与えられる。そんなの常識だろう」
マーガスが呆れた声で言う。
「きっと、実体があるタイプなら回復するんじゃないかな」
トムが考え込みながら答える。
(なるほど、ゲームとは違うんだ。だから浄化のポーションだけが売れるのか)
遥斗は理解を深める。
「アンデッドにHP回復ポーションを使用する発想はなかったわ」
エレナが感心したように言う。その声には、遥斗の異世界の知識がもたらす新しい視点への興味が込められていた。
「じゃあ、どうやって倒すの?」
「実体があるものは依代を破壊すれば悪霊は消える。ゴースト系は物理攻撃が効かないが、魔法は有効だ。そして浄化魔法は全てのアンデッドに特別な効果を発揮する」
「アンデッドはモンスターなの?」
遥斗の質問は尽きない。その瞳には、この世界の謎を解き明かそうとする強い意志が宿っていた。
「素材を落とすからね。モンスターに分類されているよ」
トムが答える。
「異世界人は無知だなぁ」
マーガスの言葉にエレナの肘打ちが炸裂する。
「いっ!どうしたんだい、エレナ?」
「失礼なことを言わないの」
エレナは厳しい目でマーガスを見つめる。その眼差しには、遥斗を守ろうとする強い意志が込められていた。
「また来てくださいね」
手を振る少女に見送られながら4人はエリアナ達の待つ宿屋への帰路につく。
夕暮れの街並みは、帝国特有の厳かな雰囲気を漂わせながらも、どこか不安げな空気を感じさせていた。
空には、まるで彼らの前途を予言するかのように、不吉な雲が広がり始めていた。