541話 概念を喰らう
「こいつらが……全ての元凶。このまま思い通りにはさせないよ」
遥斗は呟いた。
その声は決して大きくはなかったが、不協和音轟く戦場において、不思議なほど鮮明に仲間たちの耳に届いた。
死から帰還した少年の瞳は、以前よりも深く、澄んだ光を宿している。
それは決して復讐の炎などではない。
世界の構造そのものを理解し、未来を託された者の瞳。
「遥斗!聞いてくれ!イドが……いや、イドと繋がってしまった。勇者の心臓が飛び出しあのような姿に!それに次々とバケモノ共が……」
遥斗にしがみ付いていたエーデルガッシュが、早口で状況を説明しようとする。
しかし、遥斗は優しく手で頭を撫でた。
「分かってる。大丈夫だよ、ユーディ」
その一言には、根拠のない自信ではない安心感があった。
エーデルガッシュは、遥斗のその表情を見ただけで、張り詰めていた緊張の糸がふっと緩むのを感じた。
ああ、遥斗が帰ってきたのだ。
どんな絶望的な状況も、魔法のような発想で覆してきた、あの遥斗が。
「お兄様……!」
そこへ、ハルカが駆け寄ってきた。
目元を赤く腫らし、それでも気丈に振る舞おうとしている。
「心配しました……。もう、だめかと……」
「ごめん、ハルカ。心配かけたかな」
遥斗は妹の瞳を真っすぐ見つめる。
もう逸らさない。
仮死状態で見た夢——加奈との再会——を告げようかとも思った。
だが、遥斗はそれを胸の内に留めた。
今、ハルカを動揺させる必要はない。
母から託された最期の言葉。
『ハルカとアマテラスを守って』。
その誓いだけを、胸に深く刻み込む。
背後から、おずおずと近づいてくる気配があった。
美咲、大輔、さくらだった。
再会を喜ぶべき場面だが、美咲の顔は蒼白で、唇は震えていた。
「遥斗、君……」
美咲はその場に崩れ落ちるように膝をつき、地面に額を擦り付けた。
「ごめんなさい……!私たちは、あなたにひどいことを……!それなのにエレナさんは涼介君のためにポーションを……!」
それは許されることではない。
友情や愛情を踏みにじった、非人道的行為。
美咲は自分を責め続けていた。
だが、遥斗は静かに美咲の前にしゃがみ込み、その震える肩に手を置いた。
「もういいんだ。……もういいんだよ、美咲さん」
遥斗の声は、温かかった。
「美咲さんも必死だったんだよね。みんなを助けたい一心で……誰も責めたりしないよ」
顔を上げた美咲の目に映ったのは、いつもの遥斗だった。
元の世界で、教室で一緒に笑い合っていた頃の、弟みたいに可愛がっていた優しい少年の顔。
地獄を見てきたはずなのに、彼の魂は少しも汚れていなかった。
むしろ、より純粋に研ぎ澄まされている。
「うぅ……っ、遥斗くぅん……!」
美咲は涙を流し、遥斗の手を握りしめた。
大輔とさくらも、言葉にならずに何度も頷いている。
わだかまりは、完全に消えていた。
「お兄様、これを」
ハルカが、背中に隠していたある物を差し出した。
それは、ボロボロになった革袋。
遥斗が愛用していた、マジックバッグだ。
涼介にベルトを切られ、奈落へと落ちていったはずのものを、ハルカがミヅチを使って回収していたのだ。
「ハルカ……ありがとう」
遥斗は迷わず、それを受け取った。
ずしりとした重み。
中には、旅の思い出と、アイテム士としての武器が詰まっている。
ハルカはこの世界でたった一人、血の繋がった本当の兄妹。
もう言葉はいらなかった。
ただ、通じ合える何かがそこにあった。
遥斗はバッグに手をかざした。
イメージする。
元の形、あるべき姿、構成する分子の配列。
「……ポップ」
生成魔法の呪文が紡がれる。
遥斗の手から溢れた光がバッグを包み込む。
マジックバッグそのものを素材とし、欠損部分を魔力で補填して再構築する。
光が収まると、そこには傷一つない新品同様のマジックバッグがあった。
まるで魔法だ。
いや、実際に魔法なのだが、その手際はもはや芸術の域に達していた。
装備を取り戻した遥斗は、視線を転じた。
その先には、血の海に沈むかつての親友と、彼を生かそうと必死になっている少女がいる。
遥斗は歩き出すと全員に緊張が走る。
遥斗の母を破壊し、殺し合いの果てに心臓を貫いた相手だ。
止めを刺しに行くのか、それとも——。
「来ないでッ!!」
千夏が牙を剥いた。
彼女の目は、完全に敵を見る目だった。
憎しみと、恐怖と、絶望が入り混じった狂気。
「……涼介に!涼介に近づいたら殺すから!脅しじゃないよ!」
気功を練り、威嚇する千夏。
だが、遥斗は止まらない。
敵意など意に介さないかのように、自然体で千夏の目の前まで歩み寄ると、マジックバッグから数本の小瓶を取り出した。
カラン、と千夏の横に置く。
中身は鮮やかな青色の液体。
『上級MP回復ポーション』だ。
「……は?」
千夏は意味が分からず、呆気にとられる。
「涼介を死なせないで。……お願い、千夏さん」
遥斗は真剣な眼差しで言った。
「君の気功術が頼りなんだ。MP無くなったら、これで回復して」
「な……なんで……?」
千夏の手が震える。
殺そうとした相手に、なぜ塩を送るのか。
「涼介は、僕が必ず助けるから」
その言葉に、千夏も、そして意識を失いかけていた涼介も目を見開いた。
嘘ではない。
遥斗は本気で言っているのだ。
その時。
ギョロリ。
背筋が凍るような気配。
遥斗たちのすぐ背後に、巨大な影が差した。
先ほど美咲たちを絶望させた、頭が目玉で構成された異形の天使。
それが、いつの間にか音もなく接近し、興味深そうに遥斗を覗き込んでいたのだ。
「ひっ……!」
千夏が悲鳴を上げる。
距離はゼロ。
巨大な眼球が、遥斗の目の前まで迫る。
恐怖に慄く人間の顔を観察し、楽しもうとしているのだ。
だが。
遥斗は眉一つ動かさなかった。
怯えも、焦りもない。
研究対象を見るような冷徹な目で、眼前の怪物を観察し返した。
(……不思議だ)
天使の思考が、動きから読み取れる。
なぜ怯えない?なぜ泣き叫ばない?と。
遥斗は、ゆっくりと天使に向けて右手をかざした。
「君たちは、天使なんかじゃない」
遥斗は静かに告げた。
母から教わった真実。
そして遥斗自身の推論の結果。
「イドに溜まったエネルギーを再物質化しただけの……HPとMPの塊」
遥斗の精神が極限まで集中する。
対象の定義を書き換える。
そこに「在る」敵を、ただの「素材」へと認識をスライドさせる。
形はあれど、概念に近い存在。
ならば、その概念を上書きして、別の形に変えてしまえばいい。
それが、最弱にして最強のジョブ『アイテム士』の理。
「——ポップ!」
遥斗が呟いた瞬間。
天使の視界が反転した。
身体の一部が、強烈な吸引力に引かれるように歪んだ。
構成していた高密度の魔力が、遥斗の手のひらに向かって奔流となって吸い込まれていく。
「ギ、ギギ……!?」
急速に半透明になっていく天使。
HPとMPを根こそぎ奪い取られているのだ。
遥斗の手の中に生成されたのは、光輝く小瓶。
この世界における最高位の霊薬。
——エリクサー。
天使一体分の膨大な生命エネルギーが、たった一本の瓶に凝縮される。
素材となるエネルギーを奪われた天使は、その存在を維持できず、希薄な影のようになっていく。
目は口ほどに物を言う。
天使の目は、恐怖一色に染まっていた。
捕食者が、被食者に転落した瞬間の絶望。
天使は踵を返して逃げようとした。
が、恐怖で足がもつれ、その巨体で地面を踏み抜いて無様に転倒する。
必死に這って逃げようとして、振り返る。
そこには、無慈悲に手をかざす遥斗の姿があった。
「ポップ!」
二度目の生成。
ダメ押しの一撃。
「ア”ア”ア”ア”ア”ア”……」
天使は歪な断末魔を上げ、最後は空気中に溶けるように消滅してしまった。
何も残らない。
いや、遥斗の手の中に、エリクサーだけを残して。




