530話 狂信は無邪気に笑う
空間が歪み、光の粒子と共にエレノアたち決死隊の姿が現れたのは数十分ほど前。
転移先はソフィア共和国軍が展開する「闇」の周辺部、その前線基地。
本来なら、作戦成功を祝う凱旋となるはずだった。
だが、そこでエレノアたちを待ち受けていたのは、怒号と罵声が飛び交う一触即発の事態だった。
「ふざけんじゃねぇぞ!どういうつもりだてめえッ!!」
「そうです!国使に薬を盛るなど……明確な不法行為!宣戦布告も同義です!どう責任を取るつもりですか!」
「責任?今更何を言っておられるのですか。あなた方は人族に対する明確な反逆にあたります!即処断されていないだけ有難いと思ってください!」
睡眠薬で眠らされていたはずのゴルビンとデミットが、セリカに掴みかからんばかりの勢いで詰め寄っている。
その横では、魔術総監バレーンがオロオロと仲裁に入ろうとしているが、興奮した二人の耳には届いていないようだった。
「まあまあ、お二人とも落ち着いて……」
「落ち着いてなどいられるか!世界が終わるかもしんねーんだぞ!!この女のせいでな!」
ゴルビンの怒声が響く。
帰還したばかりのエレノアは、その騒ぎを見て小さくため息をついた。
(……ああ、うるさい)
責任がどうの、不法行為がどうの。
エレノアは何度も同じ議論を聞かされて、心底うんざりしていた。
かつては同じ志を持ち、人族の未来を憂いていた同胞だったはずだ。
それがどうだ。
陽動作戦から戻って来るやいなや、意見が百八十度変わっている。
彼らの意味不明さに、エレノアは頭痛すら覚えた。
「エレノア殿!あなたもだ!今すぐ『暁』を中止させてください!早く勇者に連絡を!」
エレノアの落ち着き払った姿に、デミットが血相を変えて詰め寄ってくる。
その顔は焦燥と恐怖で歪んで、醜悪と言えるほど。
『慧眼』の二つ名をどこに置いてきてしまったのやら。
「……無理ね」
エレノアは冷ややかに言い放った。
「全ては勇者様に託したわ。もう、誰にも止められない」
「なっ……正気か!?世界が終わってもいいのかよ!」
「終わる?あの御方が失敗などするはずがないでしょう」
エレノアは信仰にも似た瞳で、遠くを見つめた。
そんな彼女を、デミットの後ろで腕組みをしながら見下ろす一人の男がいた。
人間離れした威圧感を放つ、竜の化身『バハムス』だ。
(……セリカは本当によくやってくれたわ)
エレノアは、涼しい顔でゴルビンたちを受け流しているセリカに、心の中で称賛を送った。
竜王バハムス。
この世界最強の生物を敵に回しながら、彼女は戦闘を回避し、『ラグナロク』を守り抜いたのだ。
もし竜族が全力で壊滅作戦を行っていれば、いかに六芒結界陣といえど突破されていただろう。
それを死者も出さず、簡単な策だけで収めた。
まさに英雄と称えられてもおかしくない功績だ。
(英雄……)
その言葉が脳裏をよぎった瞬間、エレノアの背筋にゾクゾクとした快感が走った。
あの勇者の姿。
圧倒的な力で敵をねじ伏せ、迷いなく決断を下すその背中。
あれこそが真の英雄。
いや、それ以上の存在。
神の代行者。
彼の行う作戦を立案し、サポートし、成功に導いたのは自分だ。
最高の誉れ。
そのことを想うだけで、身震いするほどの法悦がエレノアを満たしていく。
「おい! 聞いているのかエレノア!」
「……失礼。少し黙っていてくださる?」
エレノアが一瞥すると、後ろに控えていた決死隊のメンバーが一斉にゴルビンを睨みつけた。
彼らの目にもまた、迷いはない。
デミットの話を聞いても、誰一人として戸惑う者などいなかった。
彼らは「選ばれた」のだ。
勇者と共に世界を救う、偉大なる聖戦の参加者として。
「……話がかみ合わんぞ!こいつら!」
ゴルビンは愕然と呟いた。
口論をしているセリカもそうだ。
世界が滅びたらどうするのだ、と問えば、彼女は事もなげにこう返す。
『滅びたら、なんだというのです?』
理解できなかった。
勇者様が決めたことなら、その運命を受け入れればいい。
彼は全てにおいて正しく、我々を導く者なのだから。
彼女たちの思考は、そこで完結していた。
論理も、理性も、生存本能さえも超越した、狂信。
その時。
ズズズズズズズズズズズズズ……!!
大地が大きく揺れた。
立っていられないほどの激震。
悲鳴が上がり、兵士たちが地面に這いつくばる。
「……なった」
エレノアは直感した。
揺れに恐怖するどころか、その顔には歓喜の紅潮が浮かんでいた。
「『暁』が……成ったのよ!!」
ワァァァァァァァァァッ!!
事情を知るソフィア共和国軍の一部から、爆発的な歓声が上がった。
作戦成功。
長年人類を脅かしてきた「闇」が、勇者の一撃によって消滅したのだと、彼らは信じて疑わなかった。
一方、ゴルビン、デミット、バレーンの三人は、顔面蒼白になっていた。
彼らは知っている。
この作戦の成功の『その先』を。
ユグドラシルを破壊することが何を意味するのかを。
「……バハムス殿! これは……大丈夫なのでしょうか!?」
デミットがすがるように竜王に尋ねる。
バハムスは、揺れる大地に馳せるように目を瞑る。
彼は一度、この事態を体験していた。
前回のエリュシオン。
あの日も、こうして世界が揺れた。
「……始まったか」
バハムスが低く呟く。
やがて、大きな揺れは収まった。
だが、地面の底から響くような、微細な振動は止まらない。
ミシミシと、世界の骨組みがきしむような不気味な音。
「マ、マジでや、やべーぞこれは!」
ゴルビンが冷や汗を流しながら叫ぶ。
「ただの地震じゃねぇ!逃げろ!避難するんだ!」
「どこへ逃げるのだ?」
バハムスの静かな問いが、ゴルビンの足を止めさせた。
「え……?」
「世界は等しく終わる。……逃げ場など、どこにもない」
淡々とした事実の宣告。
その言葉に、ゴルビンはその場にへたり込んだ。
「そ、そんな……」
「こんなことをしている場合じゃない!皆さん!聞いてください!」
デミットは叫んだ。
必死に声を張り上げた。
「先ほど説明したように、このままでは世界は崩壊します!一刻も早く対策を……!」
だが。
エレノアも、セリカも、歓声を上げる兵士たちも、誰一人としてデミットの方を見ていなかった。
「素晴らしい……! 感じますかセリカ、この振動を!」
「ええ、エレノア様。勇者様の力が、世界を揺るがしているのですね」
「ああ……なんと心地のよい……」
二人は手を取り合い、うっとりと目を閉じていた。
自分たちが勇者と行った「正義」に酔いしれている。
足元の崩壊が、自分たちを飲み込むための予兆であることすら、今の彼女たちには「勇者の偉業の余韻」にしか感じられないのだ。
言葉は、届かない。
危機感など、共有できるはずもない。
彼女たちは別の世界に生きている。
「勇者」という名の神が支配する、狂った楽園に。
「……馬鹿な……あなたたちは正気じゃない」
デミットは絶望と共に呟いた。
終わりゆく世界の中で、敗者たちは無邪気に笑っていた。




