52話 スタンピード(8)
黄金の鷲を出た瞬間、アリアと遥斗の姿は夕暮れの街に溶け込んでいった。
二人は驚くべき速さで街を駆け抜けていく。遥斗は、自分の体の変化に驚いていた。加速のポーションの効果で、今まで経験したことのない俊敏さを感じていたのだ。
「す、すごい...こんなに速く走れるなんて」
遥斗は息を切らせながらも、アリアについていこうと必死だった。
アリアは走りながら、後ろを振り返ることなく遥斗に説明を始めた。
「遥斗、お前あのデカいの見たか?」
「はい。さっき少しだけ」
「聞け。今からあの化け物について話す。あれはただの魔物じゃない。攻撃しても、何かがおかしい。まず、その姿だ。巨大な泥のような存在で、形がはっきりしない。時に岩のように見えるかと思えば、次の瞬間にはドロドロになって揺らめいている」
アリアは一瞬言葉を切り、遠くを見つめた。その目には、戦いの記憶が蘇っているようだった。
「攻撃を加えると、実体があるかのように反応する。剣が当たった感触もある。だが、その後体の一部が泥のように姿を変え、ダメージを受けていないかのように元の形に戻るんだ。ダメージを与えているのに与えていない、まるで、実体と幻影が混在しているような...そんな不可思議な感覚なんだ」
遥斗は眉をひそめた。
「それは一体...どういうことなんでしょうか?」
「正直、わからない。シルバーファングの面々も、同じような感覚を報告している。マルガの魔法も、レインの矢も、一瞬は効いているように見えるが、次の瞬間には何事もなかったかのようになる」
「それじゃあ、倒すことは...」
「極めて困難だ」
アリアの声に力が込められた。
「だが、不可能ではと思う...」
アリアは言葉を濁す、珍しく弱気が顔を覗かせていた。
「そして、ヴォイドイーターの攻撃だが...」アリアの表情が一層厳しくなる。
「これがまた厄介だ。主に二種類の攻撃がある。一つは、その巨体を使った物理攻撃。建物を一撃で粉砕するほどの破壊力だ。もう一つは...」
アリアは一瞬言葉を詰まらせた。
「虚無の吐息と呼ばれるものだ。口から放たれる黒い光線で、触れたものが跡形もなく消失する。建物も、人も、魔法の防御も、何もかもを無に帰してしまう」
遥斗は息を呑んだ。想像を絶する破壊力に、彼の体が震えた。
アリアは続けた。
「しかもあれだけの巨体なのに、信じられないほど俊敏に動く。そう...まるで滑るように」
「今はシルバーファングと他の冒険者たちが何とか抑えているが、いつまで持つか分からない」
「僕なんかが行って、何か出来るんでしょうか?」
遥斗の声には不安が滲んでいた。
アリアは一瞬、足を止めた。彼女の目には、複雑な感情が宿っていた。
「正直、分からない」彼女はゆっくりと言葉を紡いだ。
「だが、これが最後の賭けになる。これでどうにも出来なければ、王都は終わりだ」
遥斗は固唾を呑み込んだ。彼の肩にかかる重圧は、想像を絶するものだった。
突如として、二人の前にシャドウストーカーが2体現れた。その禍々しい姿に、遥斗は思わず足が竦む。
「丁度いい」アリアの声が響く。
「遥斗、あいつらで最大MP増加ポーションを生成しろ」
「えっ、で、でも...]
遥斗はすぐには動けなかった。シャドウストーカーの放つあまりの殺気に、彼の体が硬直してしまったからだ。
「大丈夫だ、任せろ」アリアが言い、瞬時に剣を抜いて突っ込んでいった。
彼女の動きは流麗で、まるで舞を踊るかのよう。剣と盾を巧みに使い、シャドウストーカーの攻撃を軽々とかわしていく。
その光景を見て、遥斗はハッとした。アイアンシェルクラブとの戦いを思い出したのだ。あの時も、アリアがこうして敵の攻撃を引き受け、遥斗にレベルアップの機会を与えてくれた。
(もう迷っている場合じゃない)
遥斗の目に、決意の色が宿る。
「ポップ!」
遥斗の声と共に、最大MP増加ポーションが生成された。迷うことなく、それを一気に飲み干す。そして、すぐさま中級MP回復ポーションを飲み、再び最大MP増加ポーションを生成した。
二つの最大MP増加ポーションを立て続けに飲んだ遥斗の体に、凄まじい力が湧き上がる。
「すごい...この力...」
「経験値も持ってけ!」
さらにアリアの声が響く。
彼女の剣が閃き、シャドウストーカーの片手と片足が宙を舞う。遥斗は瞬時にアリアの意図を理解し、マジックバッグから魔力銃を取り出した。
「ファイア!」
三発の弾丸が、シャドウストーカーを貫く。魔物は光となって消え失せ、遥斗の体が赤い光に包まれた。レベルアップだ。
「もういっちょ」
アリアの声が聞こえる。
彼女は驚くべき速さで、もう一体のシャドウストーカーを同じ状態に追い込んでいた。遥斗は素早くリロードし、再び魔力銃を構える。
「ファイア!」
再び三発の弾丸が放たれ、二体目のシャドウストーカーも光となって消えた。遥斗の体は、再びレベルアップの光に包まれる。
アリアが満足げに笑う。
「レベルアップと最大MP上昇の二重取りだ。これで少しは戦力になるだろう」
しかし、遥斗の表情には僅かな不安の色が浮かんでいた。彼の目に映る魔力銃の情報が、気がかりだったのだ。
(耐久値...122/145...)
他の人には見えていないようだが、遥斗の鑑定能力では魔力銃の耐久値が見えていた。おそらく0になると撃てなくなるのだろう。それまでに戦いが終わることを、遥斗は心から願った。
アリアの声が響く。
「さあ、行くぞ。このままレベルアップしながら進む」