49話 スタンピード(5)
街の瓦礫の中、マーガスの孤軍奮闘が続いていた。銀の剣が空を切り、シェイドハウンドの牙をかわす。しかし、その動きは徐々に鈍くなっていく。
「くそっ...」
彼の額には汗が滲み、呼吸は荒い。対するシェイドハウンドは、まるで疲れを知らないかのように襲いかかってくる。
「アルケミック!」
銀の剣が長槍に変化する。マーガスは渾身の力で突きを放つが、シェイドハウンドはそれを軽々とかわす。
(このままじゃ...)
絶望感が彼の心を覆い始めた時、突如として空気を切り裂く音が響いた。
「ファイア!」
三つの声が重なり、光線が閃く。シェイドハウンドたちに直撃し、魔物は悲鳴を上げて光となり消滅した。
マーガスは目を見開く。振り返ると、そこには──。
「マーガス!大丈夫?」
遥斗、エレナ、トムの三人が駆け寄ってくる。その表情には安堵と心配が混ざっている。
「お前たち...なぜここに」
マーガスの声は低く、そこには複雑な感情が滲んでいた。安堵、そして...屈辱。
(あいつに助けられるなんて...)
しかし同時に、彼は遥斗たちの力に驚かざるを得なかった。たった今、彼が苦戦していたシェイドハウンドを、一瞬で倒してしまったのだ。
(あいつら...一体どこまで強くなったんだ)
特に遥斗の姿に、マーガスは言いようのない力を感じていた。かつての弱々しい少年の面影はもはやない。
「マーガス、怪我は...」エレナが心配そうに近づく。
その時だった。
「アルケミック!」
マーガスの直感が危険を察知する。
彼の叫び声と共に、銀の壁が形成される。その瞬間、巨大な水の塊が直撃した。
ドガアァァン!
銀の壁は砕け散るが、水魔法は見事に相殺される。
「な...何!?」トムが驚きの声を上げる。
遥斗の目が、ゆっくりとその方向に向く。そこには...。
「シャドウクローラー...」
遥斗の声が震える。その姿は、まるで悪夢のようだった。触手をうねらせ、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
(まずい...)
遥斗は直感的に悟った。これは彼らでは太刀打ちできない相手だと。
「みんな、下がれ!」マーガスが叫ぶ。
しかし遥斗たちは、むしろ前に出る。
「ファイア!」
三人の魔力銃が火を噴く。同時に、マーガスも銀の弓を形成し、
「チャージショット!」
オーラを纏った矢が放たれる。
しかし──。
ザバァァン!
シャドウクローラーの放つ水の壁が、全ての攻撃をはじき返す。
「そんな...」エレナの声が震える。
その時、シャドウクローラーの触手が不気味に蠢いた。
「毒だ!避けろ!」マーガスの警告が響く。
だが既に遅かった。
緑色の霧が辺り一帯を包み込む。
「く...呼吸が...」
トムが苦しそうに呻く。遥斗とエレナも同様だ。
マーガスは必死に銀の仮面を作り出すが、毒は皮膚からも吸収される。
「くそっ...」
視界が歪み始め、意識が遠のいていく。
体が思うように動かなくなり、すべてが絶望の支配される。
「ポップ」
遥斗の声が響く。彼の手の中に、次々と小さな瓶が現れた。そして瓶の中には緑色の液体が揺れていた。
「これは...」
マーガスが驚きの声を上げる。
4人共猛毒の状態は解除されていた。
体を覆っていた毒の霧が嘘のように消えていく。
「どうやって...」
マーガスが呆然と遥斗を見つめる。
「4人の毒状態を素材にして、ポーションに変えたんだ」
マーガスの目が見開く。ただのアイテム士にそんな能力があったとは。
「反撃しよう!」遥斗の声に、3人は我に返る。
銃をリロードし、一斉に発砲。鉄の弾丸が空気を切り裂き、シャドウクローラーに向かって飛んでいく。しかし──。
「ザバァァン!」
巨大な水の壁が現れ、弾を易々と飲み込んでしまう。
「まさか」トムの声が震える。
「効かないの?」エレナが絶望的な声で呟く。
マーガスの表情も曇る。
「通常攻撃では太刀打ちできないか...」
シャドウクローラーの触手が不気味にうねり、再び攻撃の構えを取る。その姿は、まるで獲物を前にする肉食獣のようだ。
絶望が4人の心を覆い始めた時、突如として空気が変わる。
「この魔力は?」マーガスが目を見開く。
風がうねり、空気が震える。そして──。
「エステリアさん!?」
エレナの驚きの声。そこには確かに、エステリアの姿があった。しかし、いつもの優しげな図書館司書の姿ではない。その目には強い力が宿り、全身から魔力が溢れ出ている。
「みんな、下がって!」
エステリアの声が響く。
彼女は杖を空中で振るう。すると、眩い光に包まれた数冊の本が現れ、宙に浮かぶ。それは普通の本ではない。魔力を纏った古代の魔導書だ。
「あれは...まさか魔導書...」マーガスが息を呑む。
ページが勝手にめくられていく。まるで意思を持っているかのように。そして、そこに複雑な魔法陣が浮かび上がる。
エステリアの声が響く。
「サンダーボルト!」
魔法陣が眩い光を放つ。
そして、それぞれの本の魔法陣から稲妻が放たれた。
シャドウクローラーは慌てて水の壁を作り出す。しかし──。
「バリバリバリ!」
稲妻はその壁を易々と貫通。シャドウクローラーの巨体を直撃する。
「グアアアアア!」
凄まじい悲鳴を上げるシャドウクローラー。その体が痙攣し、触手が暴れ回る。
遥斗たちは、その光景を呆然と見つめる。
遥斗は、エステリアの姿に見入っていた。彼女の周りには、まるでオーロラのような魔力が渦巻いていたからだ。
「はやく...逃げて!これ以上は!」
彼女の攻撃では、シャドウクローラーを倒すことはできない。しかし、確実に足止めはできている。
「みんな、行こう!」遥斗が叫ぶ。
4人は全速力で走り出す。
後ろでは、エステリアとシャドウクローラーの戦いが続いている。稲妻と水柱が激突する音が、彼らの背中を押す。
僅かに希望が見えたその瞬間だった。
「うわっ!」
トムが瓦礫に足を取られ転んでしまう。
「トム!」遥斗が振り返る。
しかし、もう遅い。シャドウクローラーの水魔法が完成しつつあった。その標的は、明らかにトムだ。
(間に合わない...!)
遥斗の心臓が高鳴る。エレナとマーガスも、絶望的な表情でその光景を見つめている。
時が止まったかのような瞬間。
そして──。
ザシュッ!
一瞬の閃光。気がつけば、シャドウクローラーの体が真っ二つに切り裂かれていた。
「見つけたぞ、このやろう」
にやりと笑う赤髪の女性。アリア・ブレイディアだった。