458話 風向きは——きっと変わる
二重の竜盾が、神獣の最大の必殺技を防ぎきった。
赤き破壊の光が散り、戦場に静寂が戻る。
焦げた大気の匂いが、鼻腔を刺激した。
「チッ……なんだあのガキは」
ルドルフの舌打ち。
その声には苛立ちと、僅かな恐怖が滲んでいた。
ヴァイスも、げんなりとした表情を浮かべる。
「神獣の攻撃を防ぐなんて……悪い冗談よ」
それでも二人の瞳の奥では、冷徹な計算が成り立っていた。
(確実に追い詰めている)
ルドルフが目を細める。
幾度も危ない場面はあった、死んでいてもおかしくない程の。
ポーションとて無限ではないはず。
(もう少しだ。あと一押しで——)
ヴァイスも同じ考えだ。
どんな化物であろうが、所詮は同じ人間。
唇の端が、残酷に歪む。
(……ああ、坊やの苦痛に歪む顔が早く見たいわ)
***
サラは立っていられなかった。
膝が、がくがくと震える。
目の前で繰り広げられる光景が、現実なのか夢なのか、境界が曖昧になっていく。
神獣。
天を焦がす破壊光線。
それを防ぐ二重の竜盾。
どれもこれも、人の理解を超えている。
(これは……悪夢なの?それとも妄想?)
頭がぼんやりと霞む。
意識が深い水の底に沈んでいくような感覚。
逃避。
心が、現実を拒絶しようとしていた。
その時——
「ハァ……ハァ……ッ」
ケヴィンの苦しげな息遣いが聞こえた。
生々しい命の音。
(……そうか……これは現実なんだ)
残酷なまでに、リアルな現実。
アレクスが必死の形相で、大盾でゲイブとケヴィンを守っている。
額には脂汗が浮かび、唇は真っ青だ。
それでも防御スキルは消さない。
(も、もし、さっきの攻撃が俺たちに向けられたら……)
答えは明白だった。
終わり。
一瞬たりとも、防ぐことは敵わないだろう。
「アレクス……早く、ここから離れましょう」
サラの震え声が、喉の奥から絞り出される。
「ダメだ」
即答。
声の主は、エルウィラインだった。
「アマテラス様の側近として……こんな危険なヤツラを放置するなど……考えられないだろうが!」
強がり。
誰が見ても分かる虚勢。
なぜなら、足が竦んでいる。
地面に根が生えたように、一歩も動けない。
(本来なら……私が先頭に立って戦わねばならんのに)
エルウィラインは、奥歯を噛み締めると、血の味が口いっぱいに広がった。
数百年。
長い時を生き、幾多の戦いを見てきた。
修羅場も、死線も、何度も越えてきた。
しかし、こんな戦いは見たことも、経験したこともない。
視線が、磁石に引かれるように遥斗へ向く。
華奢な少年。
この地獄に似つかわしくない、ただの子供。
それでも——立っている。
その立ち姿には、諦めの色など微塵もない。
エルウィラインの脳裏に、初めて遥斗と出会った時の記憶が蘇る。
伝説の神子の息子。
鼻で笑った。
最初はその程度にしか思っていなかった。
特別扱いされていい気になっているだけの小僧。
アマテラス様のお気に入り。
実力も何もない、ただの飾り。
アマテラス様に勝った?あり得ない。
手を抜いたに決まっている。
そう、信じて疑わなかった。
でも——
違った。
完全に、間違っていた。
遥斗の戦いっぷりに目を離せない。
命を削り、魂を燃やし、それでも前に進む姿。
(あんなことができるのは……アマテラス様か、ツクヨミ様くらいだぞ……)
熱い何かが、目頭に込み上げてくる。
涙が頬を伝った。
「……っ」
慌てて手の甲で拭う。
(なぜだ……なぜ泣いているんだ、私は)
分からない。
でも、止まらない。
数百年生きて初めて見た。
本物の勇気を。
***
「遥斗……」
大輔の声が、風に溶ける。
さくらも、言葉を失っていた。
この戦いの中心。
全ての軸。
それは紛れもなく遥斗だった。
「指示をくれ」
さくらも、小さく頷く。
「私も……遥斗くんの指示に従う」
「キューン」
るなの銀色の瞳も、遥斗を見つめていた。
尻尾が、決意を示すようにピンと立つ。
遥斗は、皆の顔を見る。
(助かるな……これで戦術の幅が一気に広がる)
心の中で、安堵の息を漏らす。
「じゃあ……大輔」
「なんだ?」
「悪いんだけど、力を使わせて欲しい」
大輔の表情に、緊張が走る。
「それって……どういうことだ?」
「大輔の力を使ってポーションを作る。そうすれば僕の竜騎士の力はパワーアップする。その代わり……」
「おれがパワーダウンするってことか?」
「うん」
遥斗の声は、静かで。
「大輔を危険に晒すことになる」
正直だった。
「でも——勝機を見出すためには……」
漆黒の瞳が大輔を見つめる。
大輔は、一瞬。
本当に一瞬だけ、考えて——
「分かった。お前の好きにやってくれ!任せるわ!」
即答。
迷いなど、欠片もなかった。
「さくらさん」
「何?」
「長距離援護と大輔の安全確保をお願いしたい。特に大輔の安全だけは絶対」
遥斗の指示が、流れるように続く。
「それと、彼らを守って欲しい」
視線が、エルウィラインたちを捉える。
「……分かった」
さくらの声に、決意が宿る。
「エレナ」
「はい」
「一緒に来て。少し離れて、補助を頼む」
「分かった」
エレナの返事は、短く力強い。
「危なくなったら白虎を起動。そうじゃなければ——」
「温存ね。了解」
阿吽の呼吸。
言葉は最小限で、意思は完璧に通じる。
「一人で大丈夫か?」
大輔が、心配そうに尋ねた。
「おそらく……」
遥斗は、一瞬言葉を切って。
「勝てない」
爆弾発言だった。
「え?」
全員が、固まった。
「でも——流れを待つ」
遥斗の表情に、不思議な余裕があった。
(負けるとは思ってない。ただ——勝つにはピースが足りない)
遥斗の思考が、高速で回転する。
勝利の為の最後の一片。
それが、まだ見えない。
「流れさえ変われば、絶対に勝てる」
断言した言葉に、嘘は感じられない。
「それまでは何とかするよ」
遥斗は、空を見上げる。
雲が、ゆっくりと流れていた。
「風向きは——きっと変わる」
大輔は、遥斗を見つめる。
この瞬間、何かが胸の奥で音を立てて崩れた。
(異世界に来てから……ずっと不安だった)
涼介と一緒に戦い、必死に生き延びた日々。
でも——
漠然とした不安が、いつも心の底に澱んでいた。
(今は、違う)
遥斗と過ごした時間は本当に短い。
それでも不思議な安心感があった。
(遥斗が強くなったから、じゃない)
違う。
そうじゃない。
(正しい道を、歩いている)
そう確信できる。
それが恐怖を克服し、安心に変わる。
(たとえ——ここで死んだとしても)
後悔はない。
「遥斗」
「大輔?」
「やろうぜ」
大輔が笑った。
あの出会いの日のように。
遥斗も、つられて少し微笑んだ。
「うん」
遥斗の手が、大輔にかざされた。
「ポップ」
アイテム士のスキル発動。
淡い光が大輔を包む。
体から何かが抜け出ていくのが分かる。
竜騎士の職業。
それは魂の一部。
それを素材に——
二つのポーションが虚空に現れた。
「竜騎士のポーション」
大輔の顔が、みるみる青ざめていく。
職業を素材にされたため、竜騎士の力が半分消失してしまったのだ。
バッドステータスを合わせると、大輔の職業はほとんど機能していない。
「はは……無職になっちまったよ、俺」
乾いた笑い声が、漏れる。
でも、後悔はない。
遥斗が、2つのポーションを一気に飲み干す。
喉が、大きく動く。
体に竜騎士の力が流れ込んできた。
熱い。
体の血液が沸騰するようだ。
(どうせステータスがダウンしていたしな。なら、力は集約した方がいいだろ絶対!)
大輔は遥斗の実力を感じて、そう思えた。
「ほら、これも持ってけ」
「助かるよ。ありがとう」
大輔が、躊躇なく装備を差し出す。
アダマンタイトのランス。
クリスタルの盾。
遥斗が、それを装備する。
あまりにも似合わない、アイテム士には不釣り合いな重装備。
しかし——
今の遥斗には、不思議と馴染んでいた。
「エレナ」
目が、合う。
言葉はいらない。
エレナが、小さく頷く。
遥斗が、地を蹴り飛び出した。
その姿は、愚者の証ドン・キホーテか。
それとも……




