41話 光翼の舞
銀月の谷に、不吉な影が忍び寄っていた。満月の光が谷を銀色に染め上げる中、シャドウストーカーの群れが黒い波のように進んでいく。その姿は、まるで夜の闇が実体化したかのようだった。前回のスタンピードの傷跡を残す谷底を、彼らは無言で、しかし確実に進んでいった。
アレクサンダー・ブレイブハートは、崖の上から這うように進む敵を見下ろしていた。彼の鋭い眼光が、敵の数を正確に把握する。数およそ300。対する光翼騎士団はわずか100。圧倒的に不利な状況だった。
しかし、アレクサンダーの表情に迷いはない。彼の背後に控える騎士たちの目にも、恐れの色はなかった。彼らには一糸乱れぬ団結力と、幾多の試練で鍛え抜かれた精神力があった。アレクサンダーは、その事実に誇りを感じていた。
「皆、聞け」彼の低い声が、風に乗って騎士たちに届く。
「我々の前には、強大な敵が立ちはだかっている。しかし、我々には光翼騎士団の絆がある。共に戦おう」
騎士たちの目が、決意に燃えて輝いた。アレクサンダーは満足げに頷き、再び谷底に目を向ける。
彼は慎重に地形を観察し、作戦を練る。谷が最も狭くなる地点に、騎士たちを配置することにした。
「ここで待ち伏せる。敵の半数が通過するまで動くな。それまでは、息を潜めて待機だ」
アレクサンダーが指示を出す。
騎士たちは無言で頷いた。彼らは谷の上部に身を潜め、獲物を待つ猛禽のように静かに待ち構えた。
時間が緩やかに過ぎていく。シャドウストーカーたちは、まるで意志のない人形のように、ふらふらとした足取りで進んでいく。その目は虚ろで、まるで何かに操られているかのようだった。
アレクサンダーは眉をひそめる。
(この数...通常の魔物の行動とは違う)
彼の鋭い直感が、この状況の異常さを感じ取っていた。シャドウストーカーたちの目的地は明白だった。谷の先にある小さな町、シルティーブルック。人口わずか1000人ほどの静かな町だが、そこが魔物たちの標的となっていた。
(ここを抜かれれば、シルティーブルックは全滅する)
アレクサンダーの頭の中で、最悪の事態が駆け巡る。彼は拳を強く握りしめた。決して、そんな事態は起こさせない。
日が天頂に近づく頃、シャドウストーカーの群れの半数が、狭隘部を通過しようとしていた。アレクサンダーは深く息を吸い、全身の筋肉を緊張させる。そして—
「今だ!」
彼の声が、谷の静寂を切り裂いた。その瞬間、騎士たちが一斉に崖を駆け下りる。鎧が触れ合う金属音が谷に響き渡り、光に照らされた彼らの姿は、まるで天から舞い降りた天使の軍団のようだった。
シャドウストーカーたちの群れは、突如現れた騎士たちに一瞬混乱する。その隙を逃さず、光翼騎士団は敵の群れを見事に二分した。
「後衛部隊、敵の後列を抑えろ!」
アレクサンダーの力強い声が響く。
彼の命令に従い、騎士たちの一部が素早く後方に回り込み、残りのシャドウストーカーの進行を阻止する。
彼らの動きは洗練されており、長年の訓練の成果が如実に表れていた。
アレクサンダーは、まるで稲妻のように前列に切り込んだ。彼の剣が閃くたびに、シャドウストーカーが次々と倒れていく。その剣筋は美しく、無駄な動きが一切ない。
しかし、敵の数は圧倒的だ。一体倒しても、すぐに別の魔物が襲いかかってくる。アレクサンダーは無心で剣を振るう。
「くっ...」
彼の額に汗が浮かぶ。周囲を見渡すと、騎士たちも必死に戦っている。彼らの顔には疲労の色が見えるが、それでも諦めの色はない。
(みんな、よく戦っている)
アレクサンダーは誇らしく思う。
「アレクサンダー!」
名前を呼ばれ振り返ると、そこにはイザベラの姿があった。彼女の表情には、戦いへの昂揚感が見て取れる。
アレクサンダーと反対側から別動隊を率いたイザベラが戦場へと躍り出る。
「挟撃!」
イザベラの声が谷に響き渡り、新たな戦いの幕が開かれた。彼女が率いる別動隊が、シャドウストーカーの前面から襲いかかる。これにより、戦況は一変した。
150対70。数の上では依然として不利だったが、騎士たちの士気は一気に上がった。アレクサンダーは一瞬の間を置いて状況を把握し、すぐさま作戦を次の段階に移す。
「イザベラ、左翼を頼む!」彼の声が響く。
「私が中央突破する!」
イザベラは頷き、すぐさま行動に移る。彼女の指揮の下、騎士たちは見事な連携を見せる。まるで一つの生き物のように。
アレクサンダーは中央へと突き進んだ。彼の剣筋は正確無比で、一振りごとに魔物を倒していく。
最初のうちは、光翼騎士団が優勢に戦いを進めていた。シャドウストーカーたちは、予想外の挟撃に混乱し、統制を失いつつあった。
しかし、時間の経過と共に、徐々に形勢が逆転し始めた。シャドウストーカーの耐久力の高さが、騎士たちを疲弊させていく。
「くっ...」アレクサンダーは歯を食いしばる。
彼の周りでは、騎士たちが次々と押し返されていく。イザベラも必死に戦っているが、その表情には焦りの色が見える。
アレクサンダーは一瞬の判断を下した。
「全軍、一旦後退!イザベラ、頼む!」
騎士たちが一斉に後退すると、イザベラが前に出た。彼女の周りに、星々の光が集まり始める。その光景は、まるで夜空そのものが彼女の元に降り立ったかのようだった。
「スターフォール!」
イザベラの叫びと共に、無数の光の矢が天から降り注いだ。日の光を凌駕する輝きが、谷全体を包み込む。シャドウストーカーたちは、その光の雨に打たれ、次々と倒れていく。
「よし!包囲殲滅だ」アレクサンダーの声が響く。
形勢が一転した。光翼騎士団は見事な連携で、残ったシャドウストーカーたちを包囲し、着実に数を減らしていく。
しかし、戦いはまだ終わらない。谷の奥で30人の騎士が、残りのシャドウストーカーたちを必死に抑えていた。彼らの顔には疲労の色が濃く、もはや限界に近づいているのが見て取れる。
「全軍、突撃!」
彼の声が谷に響き渡る。
疲労困憊の騎士たちだったが、団長の号令に応えて最後の力を振り絞る。彼らの目には、決死の色が宿っていた。しかし、シャドウストーカーたちの防御は固く、なかなか突破できない。
戦いは膠着状態に陥った。両軍とも疲労の色が濃く、もはや決定打を欠く状況だった。
アレクサンダーは、事態を打開する必要性を感じていた。彼は深く息を吸い、決意を固める。
「イザベラ」彼が副官を呼ぶ。
「後は任せた」
イザベラは一瞬後、全てを理解したようだった。
「はい、お任せください」
アレクサンダーは前に踏み出した。
「ツインアクセル」
彼の体が、淡い光に包まれ始める。その光は、まるで彼の決意が具現化したようだった。
咆哮が空に響き渡る。次の瞬間、アレクサンダーの姿が消えた。
そして、次の瞬間—
アレクサンダーの姿が敵陣の中心に現れた。彼の周りには、光のオーラが渦巻いている。
「ライトニングチャージ!」
その瞬間、光と雷が融合したような眩い閃光が走った。アレクサンダーの動きが加速し、彼の姿は残像となって敵陣を駆け巡る。彼が通り過ぎるたびに、シャドウストーカーたちが光の粒子となって消えていく。
その光景は、まさに「光の翼」そのものだった。アレクサンダーの動きが作り出す光の軌跡が、巨大な翼のように広がり、闇を切り裂いていく。
騎士たちは、息を呑んで見守っていた。彼らの団長の姿は、まさに伝説の英雄のようだった。中には涙を流す者もいた。その姿があまりにも美しく、感動的だったからだ。
「行けー!」イザベラの声が響く。
彼女の叫びが、騎士たちを我に返らせた。残りの騎士たちも、最後の力を振り絞って突撃する。アレクサンダーの猛攻で混乱したシャドウストーカーたちは、なすすべもなく倒れていった。
戦いは、あっという間に終わった。
銀月の谷に再び静寂が戻る。怪我をした者多数、死者こそいなかったものの地面に倒れる仲間たちの姿も見える。まさに激闘の末の勝利だった。
アレクサンダーは立ち尽くしていた。イザベラが駆け寄る。
「大丈夫ですか、アレクサンダー!」
「ああ...なんとかな」
彼は、疲れた表情ながらも微笑んだ。
騎士たちから、歓声が上がる。彼らは、不可能と思われた戦いに勝利したのだ。
アレクサンダーはゆっくりと周囲を見回した。
彼の表情は複雑だった。勝利の喜びと、何か言い知れぬ不安が入り混じっている。
彼は谷の奥、シルティーブルックがある方向を見つめる。
(なぜ、こんな大規模な攻撃が...)
彼の脳裏に、王との会話が蘇る。
「スタンピードが迫っておるやもしれんのだ」
「イザベラ」アレクサンダーが副官を呼ぶ。
「我々の戦いは、まだ終わっていない」
イザベラは頷いた。彼女もまた、この異常な事態に何かを感じ取っていた。