402話 瞼の母
グランディスは母の元に向かって疾走していた。
エルフの身体能力を、全開にしながら。
「ちょっとー!待つっすー!」
シエルが必死に後を追うが、魔術師の彼女では追いつけるはずもない。
息を切らせながら、必死にグランディスの後を走る。
幸いなことに、冒険者たちはシエルを敵として認識していなかった。
出で立ちが冒険者のそれだったからだ。
戦闘に巻き込まれることなく進むことができた。
しばらく走ると、グランディスの姿が見えた。
シエルを待ってくれていたのだ。
……違う。
危険地帯に関わらず、微動だにせず立ち尽くしている。
「はぁはぁ……あんた!何ぼっとしてるっすか!敵陣ど真ん中っすよ!」
シエルが怒鳴る。
しかし、グランディスはへらへらと笑っていた。
その顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっている。
「あ、あはは……隊長、こんななっちゃった……」
グランディスが足元を指差す。
そこには、球体のような何かが転がっていた。
いや——
球体ではない、頭だ。
しかも見覚えのある顔。
銀色の美しい髪。
エルフ特有の端正な顔立ち。
間違いなくセフィルの首が、そこに転がっていた。
「うっ……」
シエルが吐き気を堪える。
辺りに響くは悲鳴と絶叫。
そして、おびただしい数の死体。
ここは紛れもなく戦場なのだ。
それも最悪の。
少し離れた場所に、人だかりができている。
「やったぜ!俺の手柄だー!」
「見ろよ、この野郎を倒したんだ!ざまー」
複数の冒険者が叫んでいる。
彼らが掲げているのは、槍で貫かれた死体。
メイド服に身を包んだ、エルフの女性。
間違いなくヘスティアの屋敷のメイドだった。
「あ……あ……」
シエルの顔が真っ青になる。
あの強かった二人が。
あんなにも勇敢に戦っていた二人が。
無残な姿で晒し者にされている。
二人の強さを知るシエルは、瞬時に理解した。
このままここにいれば、自分たちも同じ運命を辿るだろう、と。
「逃げるっす!早く!」
シエルがグランディスの手を掴んで走り出す。
幸運にも他の者たちはグランディスの存在に気づかなかったようだ。
しかし——
シエルは走ろうとしているのに、グランディスはよろよろと歩く。
その足取りは、まるで夢遊病者のよう。
いくら力ずくで引っ張っても、全く進まない。
「死にたいんすか!」
シエルが怒鳴る。
しかし、グランディスは虚ろな表情のまま。
周りを見れば鮮血の海、死体の山。
焼死、溺死、圧死……あらゆる死がそこにあった。
非情の惨劇に、思考が追いついていない。
その腑抜けっぷりに、シエルの堪忍袋の緒が切れた。
ガンッ!
杖でグランディスの頭をぶん殴る。
「あんた!マリエラさんをどうする気っすか!今、助けを求めてるかも知れないんすよ!」
涙を流しながら叫ぶ。
その時、グランディスの腕に嵌めていたディスチャージャーが反応した。
バチッ!
電気が走る。
「痛っ!」
グランディスの瞳に、ようやく焦点が戻った。
「母さん!」
そうだ。
この地獄の中、グランディスの母親は取り残されているかもしれない。
あのおっとりした母親が、他の者より先に避難できているとは思えない。
瞼の奥に浮かぶ、優しい母の姿。
「母さん!母さーん!」
グランディスがシエルを置いて駆け出す。
「ちょ、おま!先に行くなっすー!」
シエルが必死に後を追う。
***
グランディスは郊外にある自宅に辿り着いた。
そこもやはり地獄だった。
あの美しかった花壇が踏み荒らされている。
扉は破られ、窓ガラスも割れている。
手遅れ。
すでに複数の冒険者が家を囲んでいた。
「ここにもエルフがいるって話だったが……」
「探せ!まだいるはずだ」
「きゃああああ」
家の中から悲鳴が聞こえた。
女性の声。
「うあああああ!」
グランディスの視界が真っ赤に染まった。
理性が吹き飛ぶ。
「母さん!」
走り出すグランディス。
気づいた二人の冒険者が、双剣とランスで襲いかかる。
「いたぞ!エルフだ!殺せ!」
跳躍。
グランディスは軽々と、伸身宙返りで攻撃をかわしてしまう。
あまりの身軽さに、冒険者たちはあっけにとられ、隙が出来た。
邪魔はもういない。
目の前の扉を潜れば母がいる。
グランディスが必死に家の中に飛び込もうとした。
その時——
ドゴォォォォン!
何かが勢いよく飛び出してきた。
黒い塊?
あわや激突するところだった。
何かの攻撃かと目を凝らす。
攻撃ではない、気絶した冒険者だ。
「あら~、グラン帰ってきてたの~」
扉の向こうから、のんびりとした声が聞こえる。
「帰って来るなら先に連絡しないと~、ごはんの用意、まだなのよ~」
そこには、いつも通りマリエラが立っていた。
ふわりとした髪。
優しい笑顔。
エプロン姿。
その手には、箒が握られている。
「母さん!無事だったのか!」
グランディスが駆け寄るよりも先に、先ほどの双剣とランスの冒険者がマリエラに襲いかかった。
「クソエルフが!よくも仲間をやりやがったな!」
「やめろ!」
グランディスが叫ぶが反応が遅れてしまった。
たった1秒の反応の遅れ。
決定的な1秒だった。
一人なら。
一人ならどうにか出来たのに。
ドン!
マリエラが地面を踏みしめる音が響く。
目に見えぬほどの高速突きが、ただの箒から繰り出されていた。
ドガァァァァン!
二人の冒険者が、紙屑ように吹き飛んだ。
10メートルは優に超える飛距離。
壁にぶつかって、白目を剥いて気絶している。
「ひえっ、つ、つえーっす……」
その光景を見てシエルが目を丸くした。
マリエラが箒を片手に微笑む。
「あらあら、シエルちゃんも一緒なのね~。仲良しさん♪」
相変わらず、のほほんとした口調。
「お茶でも入れましょうか?とっておきのお菓子があるの~」
まるで何事もなかったかのよう。
グランディスとシエルは、ただ呆然と立ち尽くしていた。




