389話 護送
マーガスが前に出て、両手を合わせる。
深呼吸をして、魔力を集中させた。
「アルケミック!」
錬金の呪文を唱え、銀のガントレットを変形させる。
しかし——
何も起きない。
魔力が流れた様子もない。
「ちっ、やっぱ駄目かよ!」
「そんな……」
エレナがショックを受けた表情で呟く。
「遥斗くんが折角潜入作戦を考えてくれたのに……こんな所で……」
残念そうに俯く。
重傷者に扮装して潜入する作戦を考えたのは遥斗だった。
昨夜、寝床で綿密に計画を練り、早朝に実行に移した。
時間的に情報が漏れたとは考えにくい。
ではどうやって、これだけの準備を整えていたのか。
遥斗は思案する。
結界の種類、タイミング、全てが完璧すぎる。
考えられる可能性は——
「ならば!」
ブリードが剣を構え直した。
腰を落とし、居合の構えを取る。
「ハヤブサの太刀!」
神速の抜刀術。
剣が一閃し、扉に激突する。
パキンッ!
甲高い音と共に、アイアンソードの方が真っ二つに折れてしまった。
刃の破片が床に散らばる。
「脆すぎる……粗悪品だな……」
ブリードが呆然と折れた剣を見つめる。
そして剣を捨て、掌を扉に向けた。
魔力を放出するのではなく、内部で爆発させようとする。
中国武術の発勁のような動作で、腰から力を伝えていく。
「止めよ」
エーデルガッシュが制した。
深緑の瞳が有無を言わさぬ迫力を称えている。
「ここで暴れて脱出しても、周りは敵だらけ。仮に上手く逃れても、本来の目的であるエドガー王との謁見は絶望的となる。本末転倒であろう」
「さすが陛下、わかっておられるね」
ルシウスが余裕の表情で頷く。
すでに長椅子に横になり、両手を頭の後ろで組んでいる。
自室で昼寝でもするかのような態度だ。
「このままいけば勝手にエドガー王の元に連れて行ってもらえるんだから、楽なもんだよ」
確かに一理ある。
捕虜として連行されるにせよ、王の前に出られるなら目的だけは達成できる。
「そうですね!流石はルシウス様!」
イザベラも目を輝かせた。
希望に満ちた表情で拳を振るう。
「おそらく王の傍には光翼騎士団団長のアレクサンダーもいるはず。彼がいれば、きっと力になってくれるでしょう!行けますよ!」
それを聞いたマーガスもエレナも一安心。
緊張が解け、肩の力が抜けていく。
しかし、遥斗だけは違った。
どうしてもこの状況が腑に落ちない。
頭の奥で警鐘が鳴り続けている。
(……違和感がぬぐえない)
嫌な予感が消えない。
むしろ時間と共に強くなっていく。
遥斗は室内を見回す。
そして一点を見て閃いた。
エレナに近寄り、耳打ちをする。
彼女は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに嬉しそうに頷いた。
そしてマーガスを手招きする。
「マーガス、ちょっと、ちょっと」
「あん?なんだよ?」
マーガスが不機嫌そうに近寄ってきた。
「ここの壁に手をついてくれる?」
「壁に?何のために——」
「いいから!時間がないの!」
エレナの迫力に押され、マーガスは渋々壁に両手をつく。
壁に寄りかかるような姿勢だ。
次の瞬間、エレナが軽やかにジャンプ。
そしてマーガスの頭に着地する。
「ぶへっ!」
マーガスが変な声を上げた。
エレナの体重が頭にのしかかり、首が沈む。
「お、おい!お前、何しやがる!」
「マーガス、動かないで」
怒ろうとするマーガスを、遥斗が制止する。
真剣な表情に、マーガスも文句を飲み込んだ。
エレナはマーガスを踏み台にして、天井近くの小窓を調べる。
鉄格子がはまっているが、窓自体は開閉式。
人が通れる大きさではないが、小さな物なら通せそうだ。
エレナは慎重に窓を開ける。
錆びた蝶番が小さく軋む音がした。
僅かな隙間から、外の空気が流れ込んでくる。
そして肩からマジックバッグを外すと、紐を使って窓の外に吊るした。
バッグは窓の外側にぶら下がり、風に揺れている。
エレナはマーガスの頭から飛び降りた。
着地は音もなく、猫のようにしなやかだ。
「準備できたよ」
小さく遥斗に告げる。
遥斗が静かに頷く。
「何なんだよ!お前ら!」
マーガスが頭をさすりながら怒る。
髪がぐしゃぐしゃだ。
「説明くらい——」
ガチャン!
突然、扉が勢いよく開いた。
ガルバンが兵士たちを連れ入ってくる。
黒い鎧が不気味に輝いている。
「さあ、待たせたなお前ら。王がお待ちだ」
ガルバンの後ろから、続々と兵士たちが鉄の手枷を持って入ってきた。
重く、冷たい鉄の輪が手首にはめられる。
カチャリという音と共に、鎖で繋がれていく。
まるで奴隷か重罪人のような扱いだ。
「なんという無礼!貴様こんなことが許さるとでも……私は光翼騎士団の副団長だぞ!このような扱いを受ける謂れはない!」
イザベラが抗議する。
怒りで顔を紅潮させ、鎖を鳴らしながら詰め寄る。
「げひひひひ」
ガルバンは下品な笑いを浮かべるのみ。
黄ばんだ歯を見せながら、イザベラを嘲笑う。
「裏切り者に相応しい待遇だろう?即処刑にしないだけ、感謝するんだな……何という王の慈悲よ!」
そのまま全員が護送用の馬車に乗せられた。
その際、全て装備は没収となった。
乗せられた馬車は鉄格子で囲まれ、さらなが移動する檻。
窓から外の景色が見えるが、逃げることはできない。
馬車がガタゴトと動き出す。
石畳の道を進み、王城へと向かっていく。
ふと、エーデルガッシュが窓から見える景色に違和感を覚えた。
眉をひそめ、外を注視している。
「人が……少ない……な」
確かに王都の通りは閑散としていた。
商店もほとんどが閉まっており、客の姿も見えない。
スタンピードの傷跡があるにしても、あまりにも人が少なすぎる。
「王都は元々このような状態だったのか?」
「いえ、そんなはずは……」
イザベラも困惑している。
記憶を辿りながら首を振る。
「私が出立した時は、復興も進み、活気に溢れていたはずです。市場には人が溢れ、笑い声が響いていました」
それなのに今は通りを歩く人々も、どこか生気がない。
顔は俯き、足取りは重い。
まるで何かに怯えているかのようだ。
建物の窓からこちらを見ている住民もいるが、すぐにカーテンを閉めてしまう。
好奇の視線ではなく、恐怖の眼差しだ。
「これは……どうしたことだろうね?」
ルシウスも興味深そうに、外を見つめる。
不穏な空気が馬車の中に漂う。
遥斗は黙って外を見つめていた。
しかし、その視線は風景ではなく、もっと遠くを見ているようだった。
やがて、巨大な王城の姿が見えてきた。
白い石造りの城は、陽光を受けて輝いている。
しかし、その美しさとは裏腹に、重苦しい雰囲気が漂っているように感じられた。
ルミナスの中心、アストラリア王城。
そこに住まうはエドガー3世。
彼との再会は遥斗に何をもたらすのか。




