365話 崩壊する常識
アマテラスの長い物語が終わり、会議室には重苦しい沈黙に包まれていた。
誰もが言葉を失い、天井を見つめたり、握った手を見つめたりと、視線の定まらない状況が続く。
あまりの内容に全員が絶句する。
情報を消化しきれないのだ。
遥斗の母親が異世界転移しており、500年間も魔物を生み続けているという衝撃的な事実。
今もこの世界は加奈の犠牲によって、辛うじて生存を許されている現実。
そして全ては遥斗を守るために始まったという、あまりにも重い真実。
エレナが心配そうに遥斗の様子を見つめている。
彼の表情は石のように硬く、まるで魂が抜けたように見えた。
「ねぇ……遥斗くん……大丈夫?」
優しく声をかけるエレナだが、聞こえているのか、いないのか、遥斗は反応を示さない。
まだ現実を受け入れられないのだろうか。
「酷い、あまりに残酷すぎるよ……」
エレナの瞳に涙が浮かんでいる。
愛する人の背負った運命の重さに、胸が張り裂けそうになっていた。
遥斗は黙って俯き、深く考え込んでいる。
エーデルガッシュが青ざめた顔で呟く。
「今まで余が信じていた常識は……何だったのか……」
その声は震える。
国を治める者として、真理を知ったことによる絶望が浮かぶ。
「ダンジョンを用いた国力増強は今やどの国家では必須だ」
「その方針を撤回するなど……国が崩壊する。無理だ、どうする事も出来ぬ」
ブリードも暗い表情で付け加える。
「しかも昨今、モンスターレベル上昇は加速しております。ダンジョンを活用せねば民の安全も守れませぬ。さらにモンスター素材は生活にも必須」
「もはやこの状況は取り返しがつかん!」
拳を握りしめながら、エーデルガッシュが続ける。
「魔力を消費して生活をするのはドワーフ族も同じだ!地上の知的生命を滅ぼすしか道はないぞ……」
その絶望的な結論に、会議室の空気がさらに重くなった。
縋るような眼差しで遥斗を見つめるエーデルガッシュ。
彼女は、最後の希望を求める。
その時、遥斗がゆっくりと顔を上げ、口を開いた。
「やっぱり、この世界と元の世界では時間の流れが違うと思うんです」
あまりにも話の流れと違う内容に、皆がぽかんとしている。
重い議論の最中に突然放たれた、科学的な考察。
マーガスが「は?時間?流れ?何言ってんだお前」と困惑の声を上げる。
構わず遥斗が説明を始める。
「母さんが失踪したのは13年前、こちらに現れたのは500年以上前」
「転移する時にランダムな時間軸になるのか、時間の流れが違うのか」
少し考えてから続ける。
「僕は後者だと思います。過去の時間軸に転移するとタイムパラドックスが起きてしまう。それよりウラシマ効果で説明された方が納得できます」
遥斗の論理的な思考に、他の参加者たちは呆然としていた。
時間の概念について説明する遥斗を見て、皆が困惑している。
その様子に気付いた遥斗は「あ、ごめんなさい、直接関係なかったですね」と慌てて謝罪する。
そんな遥斗に対し、アマテラスが静かに答えた。
「いや構わない。異世界の話は貴重だ。何が突破口になるかわからんからな」
ツクヨミも懐かしそうに微笑む。
「ふふっ……加奈を思い出すわね」
しかし他の面々は呆気にとられていた。
世界存亡の危機に関する重要な会談の最中に、科学理論を語り始める遥斗。
その思考回路を理解できずにいる。
そんな中、ルシウスも口を開いた。
「私も疑問があるんだけどいいかな?」
「ああ、構わん。我で分かる範囲であれば答えさせてもらおう」
「助かるよアマテラス。君の話では魔物は世界を回復させるための物質だったはずだね」
「うむ」
その疑問に一同が「確かに……」と注目する。
「それが何故人族を襲うようになったんだろう?しかも闇の外で倒されれば、モンスターと同じように消滅してしまっている。素材は残さないけど。意味はあるのだろうか?」
アマテラスに代わり、ハルカが静かに答え始める。
「お母様の意識はもうありません。ですが生まれてくる魔物はお母様に影響されています」
淡々とした口調で続ける。
「魔物も思考します」
「心を視ました。『殺す。絶対に殺す。邪魔する者も殺す。このままでは……』とずっと呟いています」
イザベラが身を乗り出す。
「何を殺すというのですか!」
「分かりません。魔物の思考はあまりに単純なので、それ以上は読めないのです」
エーデルガッシュは戦慄した。
「異常なまでの殺意……もしや、それがスタンピードの理由か?」
さらにルシウスが核心に迫る。
「魔物たちには明確な目的がある?ただの暴走ではなく?意図的な行動なのか」
皆、新たな恐怖が走った。
無差別に暴れているのではなく、何かしらの意思を持って行動しているとすれば……。
「目的はアストラリア国王ではないのか?」
ブリードが鋭い指摘をした。
思いがけない推測に、会議室の空気が一変する。
「アストラリア国王は以前から異世界召喚を行っている。先ほどの話にも召喚されたと考えられる異世界人が暗躍していた。ダンジョンの実用化をいち早く提案したのも王国だ」
「スタンピードの目的地は常にアストラリア国王。地理的に1番近いからだと推測されていたが……これは偶然なのか?」
「確かに……俺の祖先も異世界人だ。アストラリア国王には多くの異世界人とその末裔が住んでいる。そして昔から、王国だけが魔物に狙われている……」
マーガスが同意する。
「不自然な点が多い。王国は何か裏で動いている?それがスタンピードに繋がっておるのか」
エーデルガッシュも深刻な表情で頷く。
その発言に対しイザベラは立ち上がり、憤慨する。
「お待ちください!王国を愚弄するのは看過出来ません!根拠もなく王を疑うなど言語道断です!王家は常に民の為にあり続けて来ました!」
しかし今度はエレナが静かに口を開く。
「でも……叔父様は追放された」
その言葉に、今度は全員の視線がルシウスに向けられた。
ルシウスが困ったような表情を見せる。
イザベラも「それは……」と言葉に詰まる。
確かにルシウスの追放には不可解な点が多かった。
「私の追放……確かに唐突だったね。理由も曖昧。神子の能力を軽んじた罪らしい。先代王の一存で決まったんだよ」
エーデルガッシュが、その話に関心を示す。
「賢者マーリンが横車を押した、と聞くが」
「そう、賢者マーリン。不死を可能にした人物。代々王家に仕える神子で、その発言力は王より上とされている。彼が介入したのは間違いない」
「何かそうする理由があったのか?」
ルシウスは少し考えてから続ける。
「うーん?やっぱり、アレがまずかったのかなー?」
その言葉に一同がぎょっとした。




