34話 激突
エルトロスの店を出た3人は、夕暮れの街路に立ち、ほっとした表情を浮かべていた。
「ふぅ、なんとかエルトロスさんに会えたね」遥斗は安堵の溜息をついた。
「ええ、エステリアさんのおかげよ。彼女に感謝しないとね」
エレナは微笑みながら答えた。
トムも頷いた。
「そうだね。エステリアさんって本当に良い人だよな。図書館でも親切にしてくれるし」
3人は歩き始めながら、エステリアへの感謝の気持ちを口々に語り合っていた。街灯が次々と灯り始め、辺りは柔らかな光に包まれていく。
「そうだ、明日エステリアさんにお礼を言いに行こうよ」遥斗が提案した。
「いい考えね」エレナが賛同し、トムも「行こう行こう」と何故かにやけながら答えた。
その時、彼らの前に見慣れた姿が現れた。
「おやおや、これは珍しい光景だな」
冷ややかな声に、3人は驚いて顔を上げた。そこには、マーガスが立っていた。彼の目には明らかな苛立ちが宿っている。
「マーガス...」遥斗の声は小さく震えていた。
マーガスは遥斗を上から下まで眺め、軽蔑的な笑みを浮かべた。
「へえ、異世界人。女と遊び歩いて、高級店でお買い物か?随分と楽しそうじゃないか」
その言葉に、遥斗は言葉を失った。マーガスの心の中では、怒りの炎が燃え盛っていた。
(くそっ...こんな弱虫が、なぜ...)
マーガス家は代々、辺境伯として王家に忠誠を誓ってきた。闇に近い地域を守り、命がけで税を納めてきたのだ。それがこんな異世界の人間の観光に使われるなんて...しかし、その思いを直接口にすることはできない。それは王の政策を批判することに等しいからだ。
「お前は何をやっているんだ?」マーガスは遥斗に詰め寄った。
「モンスターとは戦わない、国の役にも立たない。せめて仲間と同じように何かしろよ。何もしないなら、自分で働け!」
遥斗は顔を伏せた。マーガスの言葉の一つ一つが、彼の心を刺す。仲間に置いて行かれたことを思い出し、胸が締め付けられる。
エレナは遥斗の表情を見て、すべてを察した。彼女の目に怒りの炎が灯った。
「黙りなさい、マーガス!」
エレナの声が響き渡る。その眼には涙が浮かんでいた。
「あなたに何が分かるの?遥斗くんがどれだけ頑張っているか、どれだけ苦しんでいるか...」
エレナの怒号に、周囲の人々が注目し始めた。トムは慌てて二人の間に入った。
「ねぇ、ここでやめようよ。みんな見てる」
しかし、エレナの怒りは収まらない。
「遥斗くんは私たちの大切な仲間よ。誰にも彼を傷つける権利なんてないわ!」
マーガスは一瞬、エレナの激しい反応に驚いたが、すぐに冷笑を浮かべた。
「へえ、随分と熱くなるんだな、エレナ。まさか、こんな奴に...」
「黙りなさい!」エレナの声が再び響く。
「遥斗くんはあなたよりずっと立派よ。彼は自分のやり方で頑張っている。それを理解できないあなたこそ、何も分かっていないのよ!」
周囲の視線が一層集中する中、トムは必死に状況を収めようとしていた。
「おい、みんな落ち着けよ。ここじゃまずいって」
遥斗は黙ったまま、地面を見つめている。彼の心の中では、罪悪感そして自分の無力さへの嫌悪が渦巻いていた。
「おい、お前ら何をやっているんだ?」
振り返ると、そこにはアリアが立っていた。彼女の鋭い眼差しが、騒ぎの中心にいる一行を捉えている。
「ア、アリアさん!?」遥斗は驚きの声を上げた。
「遥斗、どうしてここにいるんだ?実験はどうしたんだ?」と不思議そうに尋ねた。
遥斗は少し躊躇いながら答えた。
「あの...金色の鷲にアイテムを見に来たんです。ルシウスさんが今研究に忙しくて...」
「あいつはいつも自分勝手だな、昔と全く変わってない」
その会話を聞いていたマーガスの顔に、驚きと混乱の色が浮かんだ。
「待て、待て。なぜ遥斗のような弱者がアリア師匠と知り合いなんだ?しかも、遥斗の実験って?」
今度は遥斗たちが驚きの表情を浮かべる番だった。トムが声を上げる。
「え?マーガス、君、アリアさんを知っているの?しかも...師匠?」
マーガスは胸を張り、誇らしげに言った。
「当然だ。アリアさんは俺の剣術の師匠なんだ。英雄『シルバーファング』のリーダーだぞ」
「マーガス、大げさに言うな」
アリアはため息をつきながら言った。
マーガスはアリアに向かって、真剣な表情で尋ねた。
「師匠、申し訳ありませんが、遥斗との関係を教えていただけませんか?彼のような者と師匠が親しく接している理由が、どうしても理解できません」
アリアは何気なく答えた。
「ああ、遥斗のことか。私が鍛えているんだ。知人に頼まれてな」
その言葉を聞いたマーガスの顔が青ざめた。ショックを受けた表情で、さらに遥斗への苛立ちを募らせる。しかし、アリアの前でこれ以上の行動は控えなければならない。
マーガスは歯を食いしばりながら、その場を立ち去る。去り際、遥斗に向かって捨て台詞を吐く。
「貴様のせいで苦しむ者もいるんだ。自分の立場と行いをよく考えろ。いつまでも周りに甘えていられると思うな」
「待ちなさい、マーガス!話が終わってないわ!」とエレナが叫んだが、マーガスは振り返りもしなかった。
エレナは激昂していた。
「落ち着け、エレナ。マーガスにはあいつなりの事情があるんだよ」
エレナの様子を見たアリアは彼女をなだめた。
トムは好奇心に駆られ、アリアに尋ねた。
「アリアさんすみませんが、マーガスのことをもう少し詳しく教えていただけませんか?彼があんなに遥斗を嫌う理由が知りたいんです」
アリアは腕を組み、話し始めた。
「マーガスはダスクブリッジ家の子息だ。あの家は辺境伯で、闇に近い危険な領土を統治している。モンスターも強くてな、時には冒険者ギルドに討伐依頼が来るんだ。私の所属するシルバーファングは何度も依頼を受けてきた」
アリアは少し懐かしそうに続けた。
「マーガスは私たちの活躍を見て憧れたらしくてな。何度か剣術の手ほどきをしてやったんだ。それ以来、"師匠"って呼んでくれている」
トムが首を傾げた。
「でも、マーガスは錬金術士ですよね。剣術は身につかないのでは...?」
アリアは少し笑みを浮かべた。
「それがな、ダスクブリッジ家は異世界人の末裔なんだ。マーガスはレア職業を獲得している。あいつの才能は本物だよ」
遥斗は驚きの声を上げた。
「え!?この世界にはそんな昔から転移者がいたんですか?」
アリアは頷いた。
「ああ、そうだ。中には自分たちの世界に帰らず、ここに定住した者もいるんだよ。マーガスの家系もその一つだ」
アリアは少しおどけた調子で付け加えた。
「まあ、マーガスの剣術もなかなかのもんだし、実直で良い奴なんだがな。ただ、少し頑固すぎるところがあるんだ」
エレナは納得していなかった。彼女の目には怒りの炎が燃えていた。
「でも、あんなひどいことを遥斗くんに言うなんて...許せません。マーガスのような人が辺境伯の家柄だなんて、信じられないわ」
アリアは深いため息をついた。
「エレナ、世の中はそう単純じゃないんだ。マーガスの立場も考えてみろ。あいつは幼い頃から重圧を背負って生きてきた。領地を守る責任、家名を汚さない義務、そして異世界人の血を引く者としての使命...」
トムが口を挟んだ。
「でも、それが遥斗を嫌う理由になるんですか?」
「いや、それは違う」アリアは首を振った。
「ただ、マーガスは自分の努力と才能だけでやってきた。そんなあいつから見れば、遥斗の厚遇は、不公平に映るかもしれないな」
遥斗はエレナの様子を見て、心配そうに声をかけた。
「エレナ、本当にありがとう。僕のために怒ってくれて...でも、僕も反省すべき点はあると思うんだ。マーガスの言葉にも、一理あるかもしれない」
その言葉を聞いた瞬間、エレナの中で何かが崩れた。怒り、悲しみ、そして遥斗への思いが混ざり合い、突然涙があふれ出した。
「う...うぅ...」エレナは顔を両手で覆い、大きな声で泣き始めた。
「遥斗くん、あなたは悪くない...あなたは一生懸命頑張ってる...なのに、どうしてあんな風に言われなきゃいけないの...」
アリアはため息をつきながら、「やれやれ、若いってのは...」と呟いた。