336話 佐倉加奈
アマテラスが深く息を吸う。
「加奈との出会いは500年と少し前に遡る」
その言葉と共に、会議室の全員が静寂の中、アマテラスに集中した。
遥斗も母親の過去を知る覚悟を決めて身を乗り出す。
どんな真実が待っていても、最後まで聞き抜かなければならない。
ハルカも静かに目を閉じ、古の記憶を辿る。
まるで何度も聞かされた童話を思い出すように。
アマテラスの語りと共に、時は500年前へと遡る。
***
——森の中で、一人の女性が意識を取り戻した。
「痛っ、あれ……ここはどこ?」
佐倉加奈が呟きながら、ゆっくりと身を起こす。
目が覚めると、見知らぬ森の中にいることに気が付いた。
神隠しの祠に取材に来たはずなのに、何故か見たこともない巨大な植物が生い茂る森の中にいる。
(拉致された?外国?犯罪組織?)
一瞬、事件に巻き込まれた、という予感が頭をよぎる。
しかし縛られている様子はなく、自由に動ける状態だった。
特に怪我も負っていない。
辺りを見回すが、全く見覚えのない風景が広がっている。
空気の匂いや湿度も、日本とは明らかに異なる。
樹木の種類、鳥の鳴き声、何もかもが違っていた。
「どうして……どうなってるの?」
不安と困惑で、加奈は激しく動揺していた。
慌てて一緒にいたはずのカメラマンの沢渡を探し始める。
「沢渡さん!沢渡さーん!」
呼びかけながら辺りを見回すと、近くの木の根元に倒れている人影を発見した。
「沢渡さん!」
慌てて駆け寄り声をかける。
「沢渡さん、大丈夫ですか?」
沢渡が呻き声を上げながら意識を取り戻す。
加奈はほっと安堵のため息をついた。
「いててて……佐倉さん……?ここは……何処なんでしょうか?」
沢渡の問いかけに、加奈も首を振る。
「分からないんです。私も今、目が覚めたばかりで……」
二人とも困惑を深めるばかりだった。
沢渡が携帯を取り出して電話しようと試みるが、電波を全く拾わない。
「圏外ですね……」
次にカメラを取り出し、周囲の景色を撮影し始めた。
「とりあえず記録しておきましょう。警察に聞かれた時のために」
「そうですね。それにしても、ここは何処なんでしょう?」
沢渡も首をかしげる。
二人とも祠に入ったことまでしか記憶がない。
その後の記憶が完全に欠落している。
「まさか……これが神隠し?」
加奈が冗談半分で呟くと、沢渡が苦笑いを浮かべる。
「まさか、そんなことあるはずないでしょう。それより地域住民の謎の習慣!とか反社会勢力が危険な化学物質を開発!だと高く写真が売れるんですけどね」
「ちょっと……怖い事言わないでくださいよ」
「まぁ宇宙人にアブダクション、とかでもいいんですけど、ははは」
冗談で気を紛らせる。
しかし、状況があまりにも不可解で説明がつかない。
現実逃避したい気持ちと、現実を受け入れざるを得ない状況の間で揺れていた。
二人とも内心では、これが異常事態だと理解している。
その時、沢渡のカメラファインダーに、とんでもないものが映り込んだ。
「え……?」
木の槍を持った小さな人間のような存在。
人間にしては肌が緑色で牙もあり、耳も尖っている。
まるでゲームに出てくるゴブリンそのものの姿だった。
「ちょ……佐倉さん、あれって……映画の撮影ですかね?」
沢渡が困惑しながら加奈に問う。
しかし加奈は直感的に理解していた。
これが撮影であるはずがない、と。
風に乗って匂ってくる獣臭と血の匂い。
あまりにもリアルで、作り物とは考えられない。
「沢渡さん……これ、これは撮影じゃないです!」
恐怖が加奈の心を支配し始める。
「ははは、またまた、脅かそう経ってそうはいきませんよ?」
沢渡が不用意にゴブリンに近寄っていく。
「すみませーーん!道に迷ってしまってーー!」
ゴブリンたちが顔を見合わせ、何事か様子を伺っている。
沢渡は外国の撮影隊だと信じ込んでいる。
ジェスチャーを交えてコミュニケーションを図ろうとしていた。
「えっと……ここは……どこ?私たちは……道に……迷って……」
身振り手振りで尋ねる沢渡。
突然——
ブスリという鈍い音が響いた。
「ぐはっ……」
沢渡の腹部に、ゴブリンの槍が深々と刺さっている。
「きゃーーーー沢渡さん!」
加奈が叫ぶが、何が何だか分からないうちに、ゴブリンの集団が沢渡を取り囲んだ。
槍や棍棒で容赦なく叩きのめされる沢渡。
血飛沫が舞い、肉を叩く音が森に響く。
加奈は助けを呼ぶこともできず、恐怖で身体が固まってしまう。
注意をこちらに引くのは危険だと、本能的に理解していた。
ゆっくりと後ずさりを始める加奈。
沢渡はもう助からない。
それは一目で分かった。
そして、ゴブリンたちは次に加奈を狙っている。
「ここは……日本じゃない、それどころか……違う世界……」
恐ろしい現実を理解した加奈。
必死に森の中を駆け抜けて逃げる。
背後からゴブリンたちの甲高い鳴き声が聞こえてくる。
執拗に追いかけてくる気配を感じながら、加奈は走り続けた。
ある程度距離があったとはいえ、ゴブリンたちの方が速い。
小さな体が信じられない程躍動している。
捕まれば抵抗出来るとは思えない。
「もう、駄目……追いつかれる!」
絶望したその時。
ヒュンという音と共に、光る弓矢がゴブリンを貫いた。
撃たれたゴブリンが赤い粒子となって消滅する。
さらに連続して光る矢が放たれ、一撃で倒されていくゴブリンたち。
形勢不利と見て、残ったゴブリンが慌てて逃走した。
加奈が呆然としていると、木の上から人影が飛び降りてきた。
金の瞳に金髪、そして長い耳を持つ人影。
それはまさに伝説のエルフだった。




