317話 武器なき激闘
ツクヨミが武器を投げ捨てた瞬間、戦場の空気が変わった。
扇子とヤサカニが地面に転がり、カラン、カランと乾いた音を立てる。
彼女は素手で構えを取り、今までとは比較にならない決意が宿っていた。
もはや計算や戦術ではない——純粋な想いだけが、そこにはあった。
「ならば私も全力で応えよう」
ルシウスも戦闘の構えを取る。
その練達された姿は、一流の戦士顔負けだ。
二人が向かい合う。
武器も理外の刃もない。
ただ魔法と己の身体だけを頼みとした、最も原始的で最も純粋な戦い。
「アイシクル・スライド!」
ツクヨミの叫びに呼応するように、足元から魔法で出来た氷が湧きだす。
ぬかるんだ沼地が瞬く間に氷の平原と化し、鏡のような美しい輝きを放った。
彼女はその氷上を滑走し、フィギュアスケーターのような華麗な動きで加速していく。
氷を蹴って回転し、遠心力を利用した回し蹴りがルシウスの頭部を狙う。
その軌跡は美しく、まるで妖精の遊戯を見るかのようだった。
しかし、ルシウスの手刀が蹴りの力を別方向へ受け流す。
これしかない、という的確なタイミングで。
「フレイムエッジ!」
ルシウスが魔法剣を生成し、攻撃後の不安定な体制を狙って攻撃を仕掛ける。
炎を纏った剣がツクヨミの胴体を狙う。
が——
彼女は氷上で華麗に身を翻し、まるで踊るように回避する。
氷の上での動きは、陸上とは比較にならないほど流麗だった。
「アイススピア!」
ツクヨミが氷の槍を生成し、矢継ぎ早に放つ。
無数の氷槍がルシウスに襲いかかるが、彼は魔力を力に変換してそれらを素手で叩き折った。
氷が砕け散り、戦場に美しい氷片が舞い踊る。
「なんて戦闘技術だよ……二人とも……」
アリアが固唾を飲んで戦いの行方を見守る。
観戦者たちも同様に、この次元の違う戦いに拳を握り締める。
魔法と肉弾戦が融合した、芸術的とさえ言える攻防。
「グランドクエイク!」
ツクヨミが地面に拳を叩きつけ、大地に亀裂を走らせる。
氷の平原が割れ、足場が不安定になった。
女神はその隙を見逃さない。
「ファイアブリッド!」
炎の鳥のような形をした火球が、ルシウスに向かって飛んでいく。
しかし、ルシウスは魔力で空中に舞い上がり、軽やかに炎を回避した。
そして宙に浮いたまま、魔法で反撃に転じる。
「サンダーブレイク!」
連続する雷撃がツクヨミを追い詰める。
稲妻が氷の平原を焼き、水蒸気が立ち上った。
「ウォーターシールド!」
ツクヨミは水の盾を作り出し、雷魔法を受ける。
普通の防御魔法であれば、雷を抑えるどころか貫通して大ダメージを受けていただろう。
しかし、水で通電させることで、威力を地面に逸らす。
さらに水流を利用してルシウスの着地位置に罠を仕掛け、動きを封じる攻防一体の作戦。
背後から急襲を狙う。
しかし——
「残念!君の戦術は読めているよ」
着地したルシウスが幻と消える。
余裕に満ちた声が、別方向から聞こえてくる。
彼は瞬時に炎魔法で陽炎を作り、ツクヨミの目を欺いていたのだ。
距離を取ったルシウスが詠唱を始める。
「炎の精霊よ、大地を!天空を!紫炎で統べよ!インフェルノブラスト!」
上級魔法が戦場に響く。
空気が震え、膨大な魔力が収束していく。
詠唱することで、上級魔法がさらに威力を上げる。
もはや、周囲にいるものさえ被害が及ぶ規模だ。
同時に、ツクヨミも対抗魔法を放った。
「ブリザード・ミスト!」
濃密な氷の霧が戦場を覆い、視界を完全に遮る。
ルシウスの攻撃を回避しようとする苦肉の策だ。
しかし、ルシウスの解析力は神の領域に達している。
霧の中でも、ツクヨミの移動パターンを瞬時に読み取った。
周囲の空気を歪めるほどの炎が、氷の霧ごと敵を薙ぎ払う。
蒸気爆発が起こり、戦場が再び姿を現した。
爆発に紛れ、ツクヨミ渾身の連続攻撃が炸裂するも、ルシウスは常にその上を行く。
まるで全ての手の内を知っているかのような、完璧な対応。
「ヒール・リジェネレーション」
ツクヨミは火傷を癒しながも、攻撃の手を緩めない。
だが、彼女の劣勢は誰の目にも明らかだった。
息は上がり、視認する事すら困難だった動きも、徐々に精彩さが失われつつある。
「もういいだろう?君に勝ち目はないと思うけど」
ルシウスが憐憫の眼差しを向ける。
その声には、恋人に話しかけるような優しさが込められていた。
「駄目!ここで辞める訳にはいかない!」
ツクヨミが叫び、さらに攻撃は苛烈さが増す。
その異常な執念に、教団の観戦者すら困惑した。
もはや勝敗は決しているように見える。
なぜ戦い続けるのか。
「……何があなたをそこまで……何があるというのですか?」
マーガスも複雑な表情を見せる。
その時、ツクヨミの口から荒い呼吸と共に、秘めた想いが溢れ出した。
「この世界の為!異世界の為!」
涙を流しながら叫ぶ。
「今まで蔑ろにしてきた命の為!これから蔑ろにする命の為!」
「そして、今なお闇の中で一人戦い続ける彼女の為に!」
その感情の全てを魔法と拳に込めて、ルシウスにぶつけていく。
戦いが徐々に悲壮感を帯び、遥斗たちも心が締め付けられる。
そして、ついにツクヨミの心の奥底に封じられていた、真の感情が爆発した。
「あなたが好きだった!ずっとそばにいて欲しかった!」
戦場に響く、魂からの叫び。
「力を奪ったことを謝りたかった!王国に迫害されていたのを聞いて助けに行きたかった!」
全ての想いを込めた最後の魔法攻撃が、ルシウスに向かって放たれる。
それは技術ではなく、純粋な感情の発露だった。
しかし、ルシウスは攻撃を受け流し、静かに答える。
「……分かっていたよ」
その優しい声に、ツクヨミの全てが崩れ落ちた。
全ての攻撃を受け止められ、彼女が膝をつく。
「もう……戦えない」
力なく呟く声は、悲哀と共に安堵を含んでいた。
その時、観戦者たちは気づく。
ルシウスが途中から本気で戦うのをやめ、彼女の想いを受け止めていたことを。
ルシウスがツクヨミに歩み寄り、優しく抱きしめる。
ツクヨミは子供のように泣きながら、ルシウスに縋りついた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
謝り続ける彼女の声は、長年の重荷から解放された魂の叫び。
涙声で、ツクヨミが最後の言葉を紡ぐ。
「私の……負けよ」
争いは終わった。
勝負としてではなく、二つの魂が再び結ばれた瞬間として。




