305話 緋色の覚醒
マーガスの表情に、これまでにない凄絶な集中力が宿っていた。
瞳の奥で何かが燃えている——それは単なる闘志ではない。
師への敬愛と、自分自身への挑戦が渾然一体となった、青年の魂の叫びだった。
「うぉぉおお!双竜穿槍!」
彼の叫びと共に、紅い槍身に魔力が奔流となって注ぎ込まれる。
次の瞬間、槍の先端から二匹の竜が現れた。
いや、それは錯覚ではない。
確かに魔力によって形作られた二頭の竜が、螺旋を描きながらアリアに襲いかかったのだ。
バロック流槍術奥義。
本来なら何十年もの修練を要する秘技を、マーガスは見様見真似で、しかも錬金スキルと融合させて再現している。
槍のしなりを最大限に活かした変幻自在の軌道。
二匹の竜は互いを追うように回転し、予測不可能な軌跡でアリアを追従する。
その瞬間——
アリアの唇が、戦慄すべき笑みを刻んだ。
(これだ……これだよ!)
彼女の胸に込み上げてきたのは、純粋な歓喜。
心臓が激しく鼓動を打ち、全身の血が沸騰しそうなほど熱くなる。
マーガスの成長への驚嘆ではない。
これほどまでの練度を持つ攻撃を目にするのは、何年ぶりだろうか。
モンスター相手では決して得られない、人と人との駆け引きの妙味。
命を賭けた真剣勝負でのみ味わえる、至高の戦慄。
生死を分かつ一瞬の判断が、彼女の戦士としての血を滾らせる。
「いいじゃねーか、マーガス!そうでなくちゃあよ!」
アリアの瞳が、一瞬で双竜の複雑な軌道を読み切った。
常人には不可能な動体視力と戦闘勘。
それが彼女をソードマスターたらしめている証左。
だが、その瞳に宿るのは冷徹な計算だけではない。
弟子への愛情と、戦士としての誇りが混じり合っていた。
左手が電光石火で伸びる。
螺旋を描く竜の隙間を縫って、槍の柄を鷲掴みにした。
「おら!捕まえたぁ!」
「なっ……!」
力任せに槍を引く。
マーガスの体が宙に浮き、アリアの方へと引き寄せられる。
彼の瞳に一瞬驚愕の色が走った。
アリアの反応速度は、やはり常軌を逸している。
これでマーガスはアリアの剣の射程内。
「師匠……!」
マーガスの心に恐怖が走る。
だが、それ以上に強いのは、ここまで戦えたことへの興奮だった。
アリアに認められている——その実感が、彼の魂を震わせる。
アリアの右手が、目では捉えられぬ速度で閃いた。
狙いはマーガスの右手首。
利き手を断てば、この勝負は決する。
容赦ない、戦場で培われた実戦の技。
しかし、マーガスの心は不思議なほど静かだった。
恐怖を通り越し、ある種の法悦すら感じている。
これこそが、憧れ続けた師匠の本気なのだ。
ガキィィン!
鋭い金属音が弾けた。
マーガスの左腕に装着されたミスリルのスモールシールドが、アリアの刃を受け止めている。
「……まさか!」
アリアの瞳が見開かれる。
常人であれば、この速度に反応することなど不可能。
しかし——マーガスだけは違った。
アリアに憧れ続け、彼女の戦い方を研究し尽くした彼だけが成し得る、奇跡的な読み。
「師匠の動きは……目を瞑ってもわかる!」
何百回、何千回と師の戦いを思い返し、頭に叩き込んだ動作パターン。
それが今、彼を救った。
「アルケミック!」
マーガスの右手で、槍が再び剣へと変化する。
アリアが強く握っていた槍身が鋭利な刃となり——
「痛ぅ!!」
アリアの左掌が深く裂けた。
鮮血が地面に滴り落ちる。
彼女に、一瞬苦痛が走った。
だが、それ以上に強いのは感動だった。
(やるようになった……あの小っこいガキがよ!)
だが、マーガスに慢心はない。
彼の心は高揚と恐怖が入り混じり、理性と感情がせめぎ合っていた。
勝てるかもしれない。
その事実が、彼の胸を熱くする。
「氷霧剣・絶華!」
マーガスの口から紡がれたのは、アリア自身の必殺技の名前だった。
見様見真似とはいえ、その剣筋には確かにアリアの剣技の片鱗が宿っている。
彼の心は涙で濡れていた。
師へ向ける感謝の一撃。
触れれば氷結する即死の剣。
「てめぇ……舐めやがって!」
その瞬間、アリアの背後に巨大な影が立ち上がった。
鬼の形をした闘気が、彼女の怒りを具現化したかのように蠢く。
自身の技を向けられる——アリアはキレた。
「死ね!月光剣・幻影!」
アリアの技が発動された。
無数の光刃が宙に踊り、マーガスの剣撃を完全に呑み込む。
光の嵐が彼を襲い、全身に幾筋もの傷を刻んだ。
「がああああぁぁぁ——!」
マーガスの絶叫が戦場に響く。
ドサリ。
マーガスの体が地面に倒れ伏す。
全身から血が滲み、呼吸は浅い。
(しまった!やり過ぎだ……クソッ!)
アリアの表情に、後悔の色が浮かぶ。
正直ここまで腕を上げているとは思わなかった。
下手をすれば、取り返しのつかないことになる。
遥斗の言葉が脳裏に蘇る。
『自分の命を優先してください』
(まさか……ここまでとは思わねーだろ……)
その時——
マーガスの体が淡い緑色の光に包まれた。
マジックバックに忍ばせていたHP回復ポーションを口にしたのだ。
光が収束すると、傷一つない彼が立ち上がっている。
「師匠……まだ……まだ終わってない……」
マーガスの声は震えていたが、その瞳には諦めの色はない。
対照的に、アリアの左手からは血が滴り続けていた。
戦況は逆転していた。
「おおおおお!」「アイツやるじゃないか!」「諦めるな!勝てるぞ!」
クロノス教団側から歓声が沸き上がる。
まさか、あのアリア・ブレイディアと互角に戦えるとは。
マーガスの胸に、これまでにない充実感が満ちていた。
「けっ、油断したぜ!でもな?」
アリアは左手の血を舌で舐めとり、不敵に笑った。
その瞳に宿るのは、屈辱ではなく——更なる闘志。
相手が強ければ強いほど燃える。
「ここからがいい所だぜぇ!もっと楽しませてみろよ!」
マーガスは赤い剣を両手で握りしめ、魔力を注ぎ込み始めた。
剣身が脈動し、生き物のように震える。
彼の心は決意で満ちていた。
師匠に、最高の一撃を見せると。
「うおぉぉぉぉーー!応えろヒイロガネ!俺の……俺の想いにーーー!」
彼の絶叫と共に、莫大なオーラが立ち上がった。
それは今までのマーガスとは次元の違う、圧倒的な魔力の奔流。
周囲の空気が振動し、地面にヒビが走る。
アマテラスから託された金属——ヒイロガネ。
クロノス教団が開発した特殊金属で、装備者の能力を爆発的に向上させる。
しかし、加工技術を持つ者がいなかったのだ。
それを、アマテラスはマーガスに委ねた。
錬金スキルを持つ彼ならば、と。
「全力出してみろ、マーガス!てめぇがどこまで来たか、確かめてやる!」
赤い髪が逆立ち、アリアが吼える。
師弟の最終決戦が、今まさに始まろうとしていた。