299話 最悪の想定
シエルが手に持った中級MP回復ポーションの瓶を傾け、青い液体を飲み干した。
喉を通る液体が甘く、体内に広がっていく爽快感と共に、枯渇していた魔力がゆっくりと満ちていくのを感じる。
「シエル、よく間に合ってくれたね」
回復した遥斗がシエルに声をかけた。
その瞳はいつもの柔らかな茶色に戻っており、先ほどまでの漆黒の虚無は跡形もない。
「頑張ったっす!でも、師匠の方がもっと頑張ってたっす!」
シエルは照れくさそうに笑い、頬を赤く染めながら帽子を引っ張り顔を隠す。
疲労も見えるが、師匠を助けることができた達成感の方が上回っているようだ。
「ありがとう。君たちが来てくれなかったら……本当に危なかった」
遥斗の素直な感謝の言葉に、シエルの瞳が潤んだ。
一方、ブリードはエーデルガッシュの前で膝をついていた。
普段の威厳ある軍務尚書の姿はそこにはなく、忠実な騎士そのものの恭しい態度で頭を垂れている。
その肩は微かに震え、握りしめた拳からは血が滲んでいた。
「陛下の御身を危険に晒してしまい、深くお詫び申し上げます。私の不徳により、陛下をこのような目に遭わせてしまいました」
「よい。それよりも何故お主がここにおる?どうやってここまで来た?」
エーデルガッシュは困惑した表情で問いかけた。
まるで妖精に幻を魅せられている気分だ。
万一に備え、サンクチュアリから手を放してはいなかった。
ブリードは無言で指輪を差し出した。
それは、エーデルガッシュが遥斗に託した位置探知用の魔道具。
小さな宝石が淡く光を放ち、魔力を帯びて温かく輝いている。
「これは……」
「はい。遥斗殿より託されておりました。『もしもの時は、これを使って陛下を必ず助けてください』と」
エーデルガッシュの表情が驚きに変わる。
遥斗はどこまで先を考えて動いていたのか。
この展開を、全て予見していたのだろうか。
感動と同時に複雑な感情が湧き上がった。
「実は……」
エレナが前に出て説明をする。
「私とシエルちゃんは一度帝都に戻ったよね。シエルちゃんの風魔法で、二人なら短時間での移動が可能だったの」
シエルがこくこくと頷く。
「私たちはブリードさんに大急ぎで報告に行った。丁度そこには、帝国と同盟の話を進める為にアストラリア国王派遣隊が来ていて。シルバーファングが護衛だったの。完全に偶然だったけど」
「ブリードさんに事情を話すと、即座に状況を理解して……大至急救助隊を編成してくれたの。『陛下に何かあれば、この国は終わりだ』っていってね」
「ただ、通常の移動では時間がかかりすぎる。だから風魔法で移動できるだけの精鋭部隊を編成して、シルバーミストまで急行したの」
シエルも補足するように口を開く。
「先発隊として、エレナさん、私、ブリード様が到着して、師匠に接触を図ったっす。その時にリーダーが攫われたこと、そしてユーディさんが王宮に向かった事を知ったっす」
「私たちは本体と合流して王宮に向かう予定だったんだけど、遥斗くんは『時間がない』って言って、ユーディの所へ単身向かうことを選択したのよ」
エレナがため息をつく。
その時のことを思い出しているのか、眉を少しひそめている。
「『後から来て』って言って。私たちが何を言っても、聞いてくれなかったんだから……」
「その際に、遥斗くんは指輪の魔道具と、手持ちのアイテムの半分をブリードさんと私に託していった。『最悪の場合は、これ使ってー』って。最悪が最悪過ぎるんだけど……はぁ」
遥斗の頬が赤くなる。
「その後すぐに本隊と王宮に向かったわ。でも突然反応が消えて……多分転移したんだって。その場所はすぐに分かった。でも……」
エレナの声が震える。
「悪いことに、そこはダンジョンだった。しかも最下層。私たちは大急ぎでダンジョン攻略を進めながら、ここまで降りてきたの」
「途中のモンスターはどうした?相当数いたと思うが?」
エーデルガッシュが不思議そうに尋ねる。
「あの程度雑魚同然。我らの敵ではございません」
ブリードの言葉が釈然とはしなかったが、あえて反論する事はなかった。
「この階層で巨大な火柱が見えたっす。とりあえず一番強いアリアさんとブリード様、そして回復ポーションを大量に持参したエレナさんを自分が風魔法で運んだっす」
シエルの瞳が輝く。
「火柱に遥斗くんの意思を感じたの。きっと何かの合図だって。」
「そうっす。エレナさんが皆を説得してくれたおかげで間に合ったっす!『あれは遥斗くんだ』って、エレナさんだけはすぐに分かって……」
遥斗の表情が柔らかくなる。
胸の奥が温かくなり、仲間への感謝の気持ちが溢れる。
「エレナ、ありがとう……君ならきっと気づいてくれると信じていたんだ」
「遥斗くん……私もきっと生きてるって信じてた……」
「でも本当は怖かった。もしかしたら、もう会えないかもしれないって……」
二人が見つめ合う。
そこには言葉では表現しきれない安堵と信頼があった。
そして再会の喜びが、無言の間に流れている。
コホン。
アリアが咳払いをした。
その音で、二人ははっと我に返る。
「あ、そうだ。アリアさん、本当にありがとうございました。おかげで命拾いしました」
遥斗は慌ててアリアに向き直り、深々と頭を下げた。
「そっかー。あれはモンスターを攻撃する為じゃなかったって訳ね。俺っちを利用しやがってよー」
グランディスが目を輝かせながら近づいてくる。
その顔には明らかに下心が見え隠れしていた。
「ところで!この素敵なおねーさんは誰よ?俺っち、グランディス・クァスディアって言うんだ!よろしく!」
軽いナンパの調子で話しかけている。
「冒険者パーティ『シルバーファング』のリーダー、アリア・ブレイディアさんです。アストラリア王国でもトップクラスの実力者として有名な方で……」
「そしてあちらがヴァルハラ帝国軍務尚書、ブリード・フォン・リッター閣下です。ユーディの信頼する重臣です」
「男はいらねー」
グランディスは即座に返した。
「あー、えーっと……おねーさん強いっすね!おまけに美人!恋人とかいちゃう系?」
グランディスの態度を、アリアは面白そうに笑った。
その笑いには悪意はないが、どこか獰猛さが見え隠れする。
「アハハハ……なんだぁ?このエルフのガキはよぉ~、礼儀って知ってっか?斬るか?」
物騒な台詞に、流石のグランディスも引いてしまう。
「なはは……」と乾いた笑いを浮かべ、一歩後ずさりした。
「ちょっとアリアさん、脅かしちゃダメですよ」
エレナが苦笑いしながら仲裁に入る。
アリアが辺りを見回しながら尋ねた。
あまりに衝撃的な再会だったため、重要なことを忘れかけていた。
「それより、マーガスはどうした?助けられなかったんか?」
エーデルガッシュの表情が曇る。
その小さな肩が震え、言いにくそうに言葉を選んでいる。
「マーガス・ダスクブリッジは……クロノス教団側についた」
重い沈黙が流れる。
その言葉に、アリアが再び大笑いした。
しかし、その笑い声にはどこか乾いた響きがある。
「ハハハハハ!面白い冗談だな、死にかけた割によゆーあんじゃん!あいつは馬鹿だが、王国騎士としてのプライドは並みじゃねーぞ?」
アリアの表情が真剣になる。
「あいつはどんな拷問を受けても、王国を裏切り、自分の家名を汚すことだけは絶対にしねーよ。ダスクブリッジ家の誇りを知ってるからな」
その瞳に鋭い光が宿った。
「それとも……洗脳でも受けたか?呪術系の何かか?」
「違うんです、マーガスは――」
遥斗が口を開きかけた。
その時、聞き覚えのある声が響いた。
「お前の言った通りだな、マーガス……これは流石に予想外だったぞ」
一同が振り返ると、そこに大剣を携えた金髪のエルフの姿があった。




