291話 突破
三人は、風のように廊下を駆けていた。
教団の作業員たちは、突然目の前を通り抜けていく謎の集団に唖然とするばかり。
何が起きたのかもわからず、ただ見送るしかなかった。
エルフの俊敏さを地で行くグランディス。
剣術の極意を極めたエーデルガッシュ。
そして、レベルだけならもうすぐ300に到達しそうな遥斗。
この三人が本気で走れば、追いつける相手はそうはいない。
「右!階段があるよ!」
遥斗の声に、エーデルガッシュとグランディスが即座に反応。
廊下の角を鋭く曲がり、階段を駆け上がる。
ひとつ上の階に着いたとたん、遥斗はすぐにダンジョンの構造を思い出す。
「この階は一直線に突っ切れば、また上への階段があるはず。急ごう!」
だが――次の瞬間、三人の足が止まる。
そこに広がっていたのは、目を疑うような異様な光景だった。
廊下の両側に並ぶ巨大なガラス容器。
その中には、人族やエルフ、どころかモンスター……さらには武器や防具までもが沈んでいる。
しかも、どれも生きているのか、死んでいるのかさえわからない。
容器には魔道具らしき機械が所せましと設置されていて、無数の管が中の生き物たちに繋がっている。
「……気持ち悪ぃな、ここ……」
グランディスが顔をしかめる。
「実験場か……兵器でも作ってるのか?」
エーデルガッシュは一瞥するだけで、眉間に皺を寄せた。
遥斗は寒気を覚えた。まるで――
(……バートラムの実験室みたいだ)
イーストヘイブンのあの地下、アンデッドを生み出す禁忌の場所。
似たような雰囲気がここにも漂っていた。
「行こう、ここに長居はしたくない」
遥斗が先に走り出すと、グランディスが並走しながら、ふと尋ねてきた。
「なぁ、ハルカちゃんに……お前、何かしたんだろ?なんだよ、なにしたんだよ」
「いや、何も……してないよ」
遥斗は困ったように首を横に振った。
確かに一緒に“夢”のようなものは見た。
でも、肝心の内容はどんどん薄れていく。
まるで、本当に夢を見ていたかのように。
それでも、胸の奥には温かい気持ちが残っていた。
(……悲しい。でも、どこか嬉しかった。そんな夢だった気がする)
「あの娘、あんな風に豹変するようには見えなかったがな……」
エーデルガッシュまで、疑問を口にする。
「俺も、いい子だと思ってたんだけどなぁ」
三人とも同じだった。
名前も経歴もほとんど知らない少女。
だけど、どこか懐かしくて、近くに感じる。
心の奥底で繋がった感覚。
――それが「メシア」と呼ばれる存在の力なのかもしれない。
(完全に掌握される前に目が覚めたのは、ある意味で運がよかったのかも……)
遥斗はふと、そんなことを考えた。
だがそのときだった。
「……っ!」
先頭を走っていたグランディスが、突然立ち止まる。
「止まるな!追手が来るぞ!」
エーデルガッシュの鋭い檄が飛ぶが、グランディスは動かない。
呆然と、廊下脇の容器を見つめていた。
「グランディスさん、行こう!」
遥斗が腕を引く。
だが、まるで石になったかのようにグランディスは動かなかった。
「……父さん……」
かすかに漏れる声。
遥斗が視線の先を追うと――そこには、一人のエルフが沈んでいた。
否、“一人”とは言い難い。
右半身が、完全になかったからだ。
それでも、生命維持装置に繋がれたその左半身は、わずかに動いていた。
容器の前面に書かれた名前――
『デュランディス・クァスディア』
それは、グランディスの父親の名前だった。
ーーダダダダッ
背後から、複数の足音が一斉に迫ってきた。
「追いつかれた!」
エーデルガッシュが鋭く言い放ち、遥斗は即座に身構えた。
「グランディスさん、しっかりして!追手だよ!」
遥斗がもう一度グランディスの腕を引く。
だが彼は、まるで魂が抜けたように動かない。
父親の姿が、彼の心を完全に奪っていた。
足音が止まり、武装したエルフたちが姿を現す。
剣を持った兵士が二人、槍が一人、そして弓が一人。
どの顔も冷徹そのもの。
情けも慈悲もない目で、遥斗たちを睨みつけてくる。
「見つけたぞ。全員拘束しろ。命は、別にあってもなくてもいい」
先頭の男が無情に言い放つ。
遥斗とエーデルガッシュは無言で視線を交わし――うなずいた。
やるしかない。
四対二。不利は明らかだった。
「弓が来る!」
エーデルガッシュの警告と同時に、弦の音が響く。
だが――
「ハヤブサの太刀!」
ザシュッ。
空気が鳴った。
エーデルガッシュの剣が、飛来した矢を見事に両断する。
そのまま地を蹴ったエーデルガッシュは、影のように槍兵の懐へ飛び込む。
「……小賢しい!」
鋭く突き出された槍の一撃を、紙一重で避け、返す刀で敵を斬り裂いた。
スパッと、空気が裂ける音とともに槍兵が膝をつく。
「次――」
弓兵が新たに矢をつがえるが、すでに彼女の姿は目の前にあった。
「ウミツバメの太刀!」
宙に舞い上がり、後方に回転しながら両断。
鮮やかすぎる動きに、敵が反応する暇もない。
だが相手も手練れの戦士たち。
残った二人の剣士は、エーデルガッシュの着地タイミングを見計らって両側から襲いかかる。
その瞬間、遥斗が割って入った。
「ポップ!」
深い集中とともに詠唱する。
マジックバックの中の空き瓶と、エルフたちの体内のステータスをイメージしながら、アイテムを生成した。
黄金色の液体を湛えたポーションが、彼の両手に現れる。
「加速のポーション」――だがそれは使う為ではなく、奪うために作られたポーション。
その瞬間、二人のエルフの動きが目に見えて遅くなった。
彼らの速度のステータスを素材にしたのだ。
「シラサギの太刀!」
エーデルガッシュの剣が再び閃く。
速度の落ちたエルフなど、もはや彼女の敵ではなかった。
かすり傷一つ負うことなく、残る二人を切り伏せてしまう。
「さすがユーディ!」
遥斗が声をかけようとした時、さらに多くの足音が後方から聞こえてきた。
「増援か!」
エーデルガッシュはグランディスへと歩み寄った。
「目を覚ませ!ここにいては死ぬぞ!」
しかし彼は依然として父の容器から目を離せない。
エーデルガッシュの手が、迷いなくグランディスの頬を打った。
「父親の秘密が知りたいのなら、まず自分が生き残れ!お前が死ねば、母はひとりになるぞ!」
その一喝で、ようやくグランディスの瞳に生気が戻ってきた。
「わ、悪かった……」
彼は涙を堪えながら、ようやく容器から離れる。
「行こう……」
遥斗が彼を抱き、三人はさらに上の階層への階段を目指して駆け出した。
背後からは、次々と足音が追ってくる。
何としても生き延びなければ――彼らの脳裏にはただその一心だけがあった。




