288話 side.エーデルガッシュ
エーデルガッシュも遥斗と同じように、星が欠けていく様を見ていた。
無慈悲にも、澄んだ緑色の星の一部が黒い虚無に変わっていく。
その絶望的な光景に、彼女の小さな手が震えた。
(これでは……これでは本当に終わりではないか……)
確かにこのままでは人族はおろか、全ての生き物は生きていけない。
いや、世界そのものが消え去るのだ。
エーデルガッシュの心に、陰鬱な思いが沈殿していく。
皇帝としての責任感が、彼女を頭から抑え込んだ。
(もし本当に人族が世界を蝕むのなら、消え去るのも仕方ないのかもしれない……)
その考えは、皇帝としては決して許されない。
だが、世界の存亡を前に彼女の心は揺れている。
「なぜそんなにぃ悩んでいるのですか?」
突然ハルカの声が響き、エーデルガッシュは虚空を見上げた。
声の主は見えない。
だが、確かにそこに存在している。
その姿を捉えようと「ゴッドアイ」を発動しようとするが、それは叶わなかった。
ここはエーデルガッシュの精神世界なのだから。
「あなたのことをぉもっと教えて欲しいです」
その言葉と共に、エーデルガッシュの意識は深い闇へと沈んでいった。
記憶が走馬灯のように遡っていく。
——二人の刺客との戦い。
——バートラムとの決戦。
——ゲオルグに裏切られた日。
エーデルガッシュの胸に、鈍い怒りが灯った。
クロノス教団を憎んでも憎み切れない。
多くの人が傷つけられ、踏みにじられた。
その行為は断固として許す事は出来なかった。
「それがあなたのぉわだかまりですか?」
エーデルガッシュの記憶の断片に、ハルカの声が重なる。
「当たり前だ!」
エーデルガッシュの口調が、いつもの凜とした皇帝のものに戻る。
「これだけのことをされて『はいそうですか』と態度を変えられるわけがないだろう!ふざけるな!」
そこにいたのは、もはや単なる12歳の少女ではなく、誇り高き皇帝の姿だった。
「そうですねぇ確かにそうかもしれません……」
ハルカの声には寂しさが滲んでいた。
「でも、彼らも彼らなりに苦しんだのですよぉ。自身の正義のために。悲しいほどぉ誠実な方々でした」
エーデルガッシュはその言葉に、小さく頷いた。
「……そうであろうな。今ならば奴らの気持ちも少しは分かる。だが、それでも余は迎合する気にはなれん!信用など出来るか!」
ハルカの声は、さらに深くエーデルガッシュの心に問いかける。
「あなたのその苦しみはぁ、どこからきているのですか?」
「余は苦しくなどない!」
エーデルガッシュは強く否定した。
だが、その声には僅かな揺らぎがあった。
ハルカの声に導かれるまま、エーデルガッシュの意識はさらに深い記憶へと沈んでいった。
***
そこにいたのは、孤独な少女だった。
幼くして皇帝の座に就いたエーデルガッシュは、誰も信用できなかった。
周囲の大人たちは皆、彼女を利用しようとするか、排除しようとするかのどちらかだった。
彼女の命を狙った者は数知れない。
難を逃れられたのは、《ゴッドアイ》の力と運が良かったからに過ぎない。
相手の真意を見抜く神子の力が、彼女を幾度となく死の淵から救ってきた。
だが、命を狙う者の正体は最後まで分からなかった。
怪しいのは宰相ゲオルグと軍務尚書ブリードの二人。
このふたりだけは《ゴッドアイ》をもってしても、その真意が読み取れなかった。
しかも二人とも、先代皇帝——エーデルガッシュの父から仕えていた者たち。
ということは、彼らは自分の父を殺したかもしれないのだ。
小さな体に抱えきれないほどの不信感で、エーデルガッシュの心は満たされていた。
「辛かったのね。あなたはたった一人で戦ってきた」
ハルカの声が、温かな光となって彼女の記憶を照らす。
なぜだろう。
その言葉だけで、エーデルガッシュの心は癒されていくのを感じた。
自分と同じものを共有し、理解してくれる存在。
時間を超えた信頼感を感じさせる声。
「しかし、それでも教団の考えにおもねるわけにはいかん!絶対にだ!」
エーデルガッシュが、震える声で告げた。
***
さらに記憶は遡る。
そこにあったのは、皇城のバルコニーから帝都レギアス・ソルを眺める幼いエーデルガッシュと、彼女の父の姿。
夕日が街並みを染め、まるで黄金の都市のように輝いていた。
「ユーディ」と、父は彼女をそう呼んだ。
「ここからでは見えないが、この街には多くの人が住んでいる。その一つ一つに多くの幸せがある。それを守ってゆくのが皇帝の役目なのだ」
大きな手が、幼いエーデルガッシュの頭に優しく置かれる。
「余はこの国を愛している。余の宝物だ。お前にもこの国を愛してもらいたい」
そう言って微笑む父。
その笑顔は、彼女の心の奥底に深く刻まれていた。
懐かしく切ない大事な記憶。
そうだ。
教団が信じられるかどうかなど、そんなことは本質的な問題ではなかった。
父の愛した祖国を守ること。
それがエーデルガッシュにとって、最後に残された父との絆だった。
その帝国と国民を裏切ることは、決してできなかったのだ。
「お父様はご立派だったのね」
ハルカの声に、エーデルガッシュの胸が熱くなる。
「でも先ほど見せたように、このままでは、どちらにせよ帝国は滅びます。世界が無くなれば、お父様の生きた証でさえ無に帰すのです」
その言葉は、エーデルガッシュの心を直撃した。
父との絆どころか、父が生きた証さえも消え去ってしまう。
こんな残酷なことがあるだろうか。
皇帝としての威厳も、誇りも、全てが崩れ落ちそうになる。
「あなたの辛い気持ちは、痛いほど分かります」
その言葉に、エーデルガッシュの心が揺らいだ。
ハルカの口調はすでに間延びした話し方ではない。
まさに「メシア」——人の心の奥底で繋がり、共感してくれる存在。
エーデルガッシュの心は救われつつあった。
「でも……」
これ以上何か言われれば、反論できなくなる。
そう思った瞬間——
その言葉が紡がれることはなかった。
頭が割れる様な痛みが走る。
エーデルガッシュの意識は急速にブラックアウトした。




