284話 世界の真実
謁見の間の扉が重く閉じ、静寂が訪れる。
その場に集った面々の間には、言葉では言い表せぬ重苦しい空気が満ちていた。
部屋の中央に立つ遥斗を、グランディスが笑顔で迎えた。
「お前、来ちまったのかよぉ!まったく……せっかくの気遣い、台無しじゃねーか!」
明るく振る舞おうとする彼の声には、安堵と困惑がない交ぜになっていた。
一方、エーデルガッシュの視線は冷ややかだった。
緑の瞳が、鋭く遥斗を見据える。
(……助けたかったのに。せめてこの者だけでも、安全な場所に残したかったのに)
彼女の胸中には怒りとも後悔ともつかない感情が渦巻いていた。
遥斗を巻き込みたくなかった。
その想いは、皇帝としての責任というより、ひとりの少女としての願いだった。
だが、遥斗はそんな彼女の視線に気づきながら、穏やかに微笑んだ。
「……助けに来たよ」
たったそれだけの言葉だった。
けれどその瞬間、エーデルガッシュの表情から張り詰めた緊張がふっと緩んだ。
(この者は……)
彼女の心の奥底に、久しく忘れていた温もりが灯る。
重圧に押し潰されそうだった彼女にとって、遥斗の存在は、まるで夜明けの光のようだった。
「ようこそ、異世界からの旅人さん」
ツクヨミが優雅に微笑み、頭を下げた。
「……情報は、すでに手に入れていたようだな」
エーデルガッシュが冷ややかに返す。
ツクヨミは意味ありげに笑みを浮かべ、ゆっくりと謁見の間の中央へ歩み出る。
「さあ、役者はすべて揃ったわ。——この世界の未来について、語りましょうか。皇帝陛下?」
「……ああ、望むところだ」
エーデルガッシュが短く答える。
遥斗の隣に立つことで、彼女の心に新たな力が湧き上がっていた。
「では問う。お前たちのうち、どちらがクロノス教団の“教祖”だ?」
その一言に、謁見の間にピリッと緊張が走る。
ツクヨミは一瞬、隣にいるアマテラスに視線を送った——そのわずかな動きを、エーデルガッシュは見逃さなかった。
「単刀直入に言おう」
エーデルガッシュは冷然とした威厳をもって言葉を続けた。
「人族を滅ぼそうとするその思想を、今すぐ撤回してもらいたい。……スタンピードが迫っている。このままではすべての種族が滅ぶ」
言い終えた瞬間、アマテラスが重い口を開いた。
「それが何か問題でもあるのか?」
その言葉に、エーデルガッシュの目が鋭く光る。
「何を……! エルフだけが助かるとでも思っているのか!」
怒気を帯びた声が、幼い身体からは想像もできないほど強く響いた。
アマテラスは表情ひとつ変えずに言った。
「助かるかもしれぬし、助からぬかもしれぬ。だが、結末は同じ。世界は遅かれ早かれ、モンスターに飲み込まれる運命なのだ」
言葉の重さに、グランディスも、エーデルガッシュも、遥斗さえも凍りついた。
「馬鹿な……!破滅を容認する気か?」
「事実を語っているだけだ」
アマテラスの目が、遥斗に向けられた。
「お前なら理解しているのではないか? この世界の本質を」
すべての視線が、遥斗に集まった。
しばしの沈黙のあと、遥斗は小さく頷いた。
「やっぱり……魔法やスキルの力の源は、世界そのものの物質ですか?」
ツクヨミの目がわずかに見開かれる。
「……その通りよ」
「じゃあ、世界を救うにはどうすれば? なにか方法はあるんですか?」
その問いに、今度はアマテラスが答えた。
「魔法も、スキルも……すべて捨て去ればいいだけだ」
その言葉に、エーデルガッシュは息を呑んだ。
「……それで、どうやってモンスターと戦えと?モンスターは放置すればダンジョンとなり、そこからさらにモンスターが溢れる。人も、エルフも、等しく滅ぶぞ」
「それが事実だ」
アマテラスは静かに頷く。
「だからこそ、我々はヴァルハラ帝国と袂を分かった。話し合いは無意味だった。理解されることもなかった」
エーデルガッシュの顔に影が差す。
「……先代皇帝に、何かを言ったのか?」
今度はツクヨミが静かに応じた。
「かつて我々エルフの国は、ヴァルハラ帝国に対して説得を試みたの」
「でも、国民の生命を考えれば飲める条件ではなかったのでしょう。むしろヴァルハラ帝国は、エルフの国がアストラリア王国と共謀して帝国を弱体化しようと企んでいると認識してしまった」
「そして帝国はエルフの国と国交を断絶し、アストラリア王国とも冷戦状態に入った」
エーデルガッシュの表情が曇った。
彼女はその歴史を知っていた。
エーデルガッシュは唇をかみ、拳を握る。
そんな彼女に、アマテラスが冷たく問いかける。
「どうだ、若き皇帝よ。すべてを捨てる覚悟はあるか?」
彼には揺るぎない鋼の意志が込められていた。
「お前が生きているだけで、世界は削れ続けている。神子とは、存在そのものが『魔力の漏出』なのだ」
アマテラスは虚空に手を伸ばし、淡く光を弾くように空間を撫でる。
「世界のために……死ねるか?」
その問いに、エーデルガッシュは言葉を失った。
「……待てよ!」
グランディスが割って入る。
「オカートがあるだろ!理外の刃があれば、魔法なんていらねぇはずだ!」
ツクヨミはどこか寂しげに微笑む。
「通常のモンスターならね、それでもいい。でも——」
言葉を濁し、何かを飲み込むように沈黙する。
「……お前は『神獣』を見たことがあるか?」
アマテラスの問いに、グランディスは首を横に振った。
「神に等しき力。それが神獣だ。理外の刃でさえ、刃が立たぬだろう」
「いずれ神獣はこの世に満ちる。モンスターの進化は止まらない。強さは加速度的に増していく。それは止めようがない現象だ」
遥斗は眉をひそめた。
いくつか疑問が湧いてきたのだ。
「モンスターも常識では考えられないような力や魔力を持っています。ならば、モンスターが生きていれば、やはり世界は滅ぶのではないですか?」
ツクヨミが答える。
「モンスターは能力を使っても、世界に影響することはないのよ」
「それはおかしい」
遥斗は首を振った。
「そのエネルギーはどこから来ているんですか?」
アマテラスは腕を組み、意外そうな表情で遥斗を見た。
「そこまで理解するとはな。ならば答えよう。我々は『イド』と呼んでいる。この世界とは違うエネルギーの塊だ。魂が生まれ、還る場所と定義している」
理解が及ばない概念だったが、ふと宇宙はゆらぎから発生したという話を思い出す。
現代科学が推測しか出来ない領域の話だが、それと比べれば、まったくバカげた話には聞こえなかった。
「テイマーなら、モンスターを通してイドを利用し戦えるのでは?」
遥斗の質問に、ツクヨミは驚いたように目を見開く。
「驚いた……さすが異世界人ね……」
彼女は感心したように言った。
「それはクロノス教団でも研究した内容だったのよ。だけど結果は……テイムした時点で、テイマーの所有物となり、結局世界を消費する現象を起こしてしまう」
ツクヨミは少し顔を伏せる。
「私たちも、モンスターテイマーとモンスターフューザーには期待をしていたのだけど」
「結局『イド』に繋がっているのはモンスターだけなのよ」
彼女の声には失望が滲んでいた。
「つまり、強大になるモンスターと戦い続ければ、いずれは世界が無に帰す……という結論になるのですよね?」
遥斗は一度深く呼吸すると、さらに問いかけた。
「ならば世界が無くなる前に、全力でモンスターを排除してはどうです?モンスターはダンジョンから発生するはず。ダンジョンのコアを破壊して発生を止めれば——」
「ダルクの臨界は越えた」
アマテラスの言葉が、遥斗の提案を切り裂く。
「ダルクの臨界?」
初めて聞く言葉に、遥斗は困惑を隠せない。
「全てのダンジョンを破壊するために消費する、世界の質量の予想だ」
「つまりダンジョンをすべて破壊するには、この世界が消えて無くなる以上の質量が必要になる」
彼の言葉には、もはや救いがない。
「モンスターに徹底抗戦して世界が消滅するか、モンスターだけの世界になるかの二択なのだ」
静寂が謁見の間を支配した。
遥斗もエーデルガッシュもグランディスも、言葉を失っていた。
世界の真実は、あまりにも絶望的だった。




