281話 一瞥
銀色に輝く巨大な門の前で、ユーディとグランディスは立ち尽くしていた。
ここシルバーミストの王宮だけは、周囲の風景とは一線を画していた。
森の巨木をくり抜き改造した建物が並ぶ街並みの中で、ただ一つ、銀と白を基調とした荘厳な石造りの宮殿。
複雑な魔法陣が壁面いっぱいに刻まれ、淡く神秘的な光を放っている。
門の両脇には、長槍を手にした衛兵たちが直立不動で佇み、ただならぬ雰囲気を醸し出していた。
「うわぁ……すげぇ……なんだこれ……」
グランディスは思わず首を仰け反らせ、天を突くような宮殿の尖塔を見上げる。
銀の装飾をまとったその塔は、まるで空を引き裂かんばかりにそびえていた。
一方、ユーディは静かに門を見上げながら、どこか懐かしげな表情を浮かべていた。
かつてヴァルハラ皇城で育った彼女にとって、この手の壮麗な建築は見慣れた光景だったのだ。
「どっから入んだ、これ……ナチュラスじゃ見たことねぇぞ、こんなの……」
戸惑うグランディスに、衛兵の一人が近づいてくる。
「どうされましたか。ご用件をお伺いしましょうか?」
エルフの衛兵は意外なほど物腰が柔らかく、特にユーディには深い敬意を込め声をかけた。
シルバーミストは人族との融和の方針を掲げているため、訓練の中にこうした礼節が叩き込まれているのだろう。
「えっと、月の女神様に謁見を願いたいんですけど……すぐに会えたりしますかねぇ?」
グランディスが恐る恐る切り出すと、衛兵は眉をひそめた。
「許可証はお持ちでしょうか? 通常、申請と審査を経た後でしか……」
「いや、それが、その……」
グランディスはバツが悪そうにユーディを見るが、ユーディは腕を組んで無言のまま動かない。
「俺の母親が、月の女神様と知り合いなんすよ。だから、もしかしたらって……ね?アハハハ……」
「……」
衛兵の表情が厳しくなる。
「そのような理由で、謁見が叶うとは思えませんが」
「そ、そうだ!これ見てこれ!ほら、これ!」
慌てたグランディスは、ポケットから一通の手紙を取り出した。
封筒には、流麗なエルフ文字で「マリエラ・クァスディア」と記されている。
衛兵はそれを見るなり、目を見開いた。
「……マリエラ・クァスディア?」
手紙を受け取ると、衛兵の態度が一変する。
驚きと、微かな緊張を滲ませながら、彼は改めてグランディスを見つめた。
「俺っちはグランディス・クァスディア。それに……」
グランディスは腰のデスペアに手をかけ、一瞬で抜き放った。
黒光りするチャクラム型の武器が、冷たい閃光を放つ。
「これ、理外の刃、デスペア……親父が月の女神様から正式に使用を許された武器だぜぃ。今は俺っちが受け継いでんだ!」
声を張り上げるグランディスの目には、真剣な想いが宿っていた。
「親父は、ここに来たはずなんだ。はるばる探しに来たんだよぉ……」
「お父上のお名前は?」
「デュランディス・クァスディア」
衛兵は一拍置いてから、深く頭を下げた。
「少々お待ちください。確認してまいります」
手紙を携え、衛兵は足早に王宮へと駆け戻っていった。
その場には、静寂だけが残った。
「なぁ、なんで急に態度変わったんだろな?」
グランディスが小声で尋ねる。
「さぁな」
ユーディは冷たく言い放つ。
けれど、瞳の奥には一瞬だけ、かすかな警戒の色が宿った。
「母さんが親友って言ってたけど、ほんとかどうか、正直わっかんねぇしなー」
そんな会話を交わしていると、遠くから複数の気配が近づいてきた。
王宮を目指し、華やかな衣装を纏った一団が現れる。
金髪に青い瞳を持つエルフたち――その立ち居振る舞いは、誇り高く、同時に傲慢だった。
彼らはユーディとグランディスを見とめるなり、あからさまな不快感をあらわにした。
「どけ、邪魔だ。道をふさいでいるぞ!」
先頭に立つ男性エルフが、怒鳴るように言った。
その視線には、あからさまな侮蔑の色が浮かんでいる。
「人族風情が、我らソラリオンの民の前に立つとはな……礼節を知らぬ種族よ」
グランディスの顔がみるみる険しくなる。
「なんだとコラ……ユーディ様に向かってその口の利き方!許されねぇぞ」
怒りを露わにして前に出ようとするが、ユーディが無言で手を伸ばし、制止した。
「構わん」
静かにそう告げたが、次の瞬間――
彼女の小さな体から、凄まじい殺気が溢れ出した。
サンクチュアリに触れることすらせず、ただ立っているだけで周囲の空気が凍りつく。
マーガスの一件以来、ユーディの中に潜んでいた怒りは、もはや抑えがきかなくなりつつあった。
白の礼服を纏ったエルフ――金髪を後ろで束ねた男が、無言のままユーディの横を通り過ぎる。
その一瞥は、刃にも似た威圧感を宿していた。
ユーディもまた、真っ向からその視線を受け止める。
小さな体で、殺意にも似た威圧感に真正面から対峙するのだった。
側近たちもまた、ユーディの気迫に圧倒され、口を噤んで後に続いていった。
静けさが戻った後、グランディスは深々とため息をついた。
「……マジですげぇ。ほんとに皇帝だったんだなぁ、ユーディ様って」
ユーディは答えず、遠ざかる一団を鋭く見つめ続けている。
「あの男……ただ者ではない」
その声は低く、明確な警戒心に満ちていた。
「クロノス教団と……無関係とは思えない」
グランディスが口を開きかけたそのとき、先ほどの衛兵が慌ただしく戻ってきた。
「月の女神様より、直々に謁見のお許しが出ました。申請も審査も不要とのこと。ただちにご案内いたします!」
「マジで!?」
グランディスは両手を突き上げて喜びを爆発させる。
「やっぱ、母さん、ほんとにすげぇんだなぁ!」
ユーディはそんなグランディスを横目に、思考の海に沈む。
(……早すぎる、あまりにも。何かあるのか、それとも……)
だが、今は立ち止まっている暇はない。
マーガスを救うために――前へ進むしかないのだ。
ユーディは小さく息を吸い込み、銀の門へと足を踏み出した。
それは、彼女たちを待ち受ける運命への、静かなる一歩だった。




