27話 予兆
研究所の魔法陣が青白い光を放ち、遥斗とアリアの姿が浮かび上がる。ルシウスが両手を広げて二人を出迎えた。
「おかえりなさい!」ルシウスの声には興奮が滲んでいる。
「どうだった? 素晴らしい成果が得られたんじゃないかな? 遥斗くんのレベルはどれくらい上がった? 新しいポーションは作れるようになった? ああ、聞きたいことがたくさんあるよ!」
しかし、彼の笑顔はすぐに曇った。アリアの表情が、いつもの冷静さではなく、何か深刻なものを秘めているように見えたからだ。
「アリア? 様子が何かおかしいようだけど...何かあったのかい? 何か問題でも起きたのか?君がそんな顔をするなんて」
アリアは一瞬、言葉を詰まらせたが、すぐに平静を取り戻した。
「ああ...少し話があるんだ。後でな」
その時、エレナとトムが駆け寄ってきた。
「遥斗くん!大丈夫? 怪我はない? 無理はしなかった? アリアさんと一緒だったとはいえ、心配で...ずっと待っていたのよ」
エレナが心配そうに遥斗の顔を覗き込む。
トムも続ける。
「遥斗無理はしてない? レベル上げは大事だけど、死んじゃったら意味ないよ。僕も心配でさ、エレナと一緒にずっと待っていたんだ」
「大丈夫だよ、むしろ凄くいい経験になったんだ。心配かけてごめんね。でも本当に、とても貴重な体験ができたんだ」
遥斗は二人に向かって微笑んだ。
「へえ、どんな感じだったの?アリアさんの特訓はさぞかし厳しかったでしょう?」エレナが興味深そうに尋ねる。
遥斗は少し考え込んでから答えた。
「うーん、まぁそうかも...でも色々あってレベルが43になったんだ!」
「えっ!?」エレナとトムが同時に声を上げる。
「す、すごいじゃないか!...一体どんな特訓をしたんだよ? たった一日でそんなに上がるなんて...」
トムが驚きの表情で言った。 エレナも目を丸くしている。
遥斗は少し照れくさそうに頭を掻きながら答えた。
「実は僕にもよく分からないんだ。アリアさんと一緒に戦って...気がついたらレベルが上がっていて...正直、自分でも驚いているんだ」
ルシウスはその会話を聞きながら、アリアの様子を窺っていた。彼女の表情が、遥斗の話を聞くたびに微妙に変化するのを見逃さなかった。
(何かあったな...しかも相当深刻なことのようだ。アリアがこんな表情をするなんて...一体何が起きたんだ?)
ルシウスは軽く咳払いをして、アリアに近づいた。
「アリア、ちょっと話があるんだが...隣の部屋で聞いてもらえないか? 」
「ああ、そうだな。私からも話がある。重要な話だ」
二人が隣の部屋に移動すると、アリアは深いため息をついた。
「ルシウス、聞いてくれ。今回の件は...尋常じゃない」
ルシウスは眉をひそめた。
「どういうことだ? 何があった?」
アリアは言葉を選びながら話し始めた。
「...シャドウタロンに襲われたんだ」
「な...何だって!?」
ルシウスの声が上ずる。
「シャドウタロン? そんな高レベル魔物が?どうしてあんな場所に...」
アリアは重々しく頷いた。
「ああ、しかも...2匹だ。最初は目を疑ったよ」
ルシウスの顔から血の気が引いた。
「冗談だろう...シャドウタロンは平均レベル200以上。君でさえ、レベル230台だというのに...」
「そうだ」アリアの目に強い感情が宿る。
「普通なら、私たちは生きて帰れなかっただろう。あの魔物の力は、想像を絶するものだった」
ルシウスは深い呼吸をして落ち着こうとした。
「よく...遥斗を守ってくれたね。君の実力は本物だ。心から感謝するよ」
しかし、アリアの表情が更に曇る。
「いや、違う。逆だ」
「どういうことだ?」
ルシウスの表情が混乱を隠せない。
アリアは真剣な眼差しでルシウスを見つめた。
「ルシウス、遥斗は一体何者なんだ? あいつの能力は...私の理解を超えている」
ルシウスは困惑した表情を浮かべる。
「何を言っているんだ? 彼は異世界から来た--」
「そんなことは知っている!」アリアが声を荒げる。
「私が聞いているのは、なぜアイテム士がシャドウタロンを倒せるのかということだ。しかも2匹相手に、だ。これは常識では説明がつかない」
ルシウスは言葉を失った。
「ま...まさか。そんなことが...遥斗が、シャドウタロンを?」
アリアは続けた。
「遥斗に守られたおかげで、私は生きている。彼の能力は...尋常じゃない。ポーションを使って、シャドウタロンを麻痺させたり、ダメージを与えたり...」
ルシウスは頭を抱えた。
「ちょっと待って、整理させてくれ。そもそも、シャドウタロンが2匹も現れるなんて...そんなことがあり得るのか?見間違いだったんじゃないのか?」
アリアは厳しい表情で答えた。
「そんな訳あるか!ただ異常な事態だったのは話違いない。これは...スタンピードの前触れかもしれなな」
「スタンピード?」ルシウスの顔が青ざめる。
「まさか...そんな。アレが迫っていると?」
「私は王国軍に報告するつもりだ。このままでは取り返しのつかないことになる」
ルシウスは少し震える声で言った。
「もし本当にスタンピードが来るとしたら...王国は...持たないかもしれない」
「分かっているさ」アリアが深刻な表情で言う。
「王国の存亡にかかわる事態になるかもしれない。だからこそ、一刻も早く対策を立てる必要がある」
二人は重苦しい沈黙に包まれた。隣の部屋からは、遥斗とエレナ、トムの楽しげな会話が聞こえてくる。その無邪気な声と、二人が感じている危機感のコントラストが、状況をより一層重く感じさせた。
王城の大広間。エドガー王は玉座に座り、その横にはエリアナ姫が立っていた。賢者マーリンからの報告を二人は厳しい表情で聞いていた。
マーリンは長い白髪を揺らしながら、重々しい口調で語り始めた。
「陛下、不吉な事態でございます。王国各地で魔物の活動が活発化しております。これは単なる偶然ではありませぬ」
エドガー王は眉をひそめ、威厳のある声で問いかけた。
「具体的にはどのような状況だ、マーリン? 我が国の民に危険が及ぶようなことはないのだろうな?」
マーリンは杖を握りしめ、慎重に言葉を選んだ。
「はい...現在のところ、アレクサンダー卿率いる王直属の騎士団と王国軍によって撃退されております。しかしながら...」
「しかしながら、何だ?」
王の声が鋭くなる。
マーリンは深くため息をつき、続けた。
「王都内部にまで侵入を許してしまった事例もございます。これは、かつてない事態でございます」
エリアナ姫が不安そうに父王を見上げた。
「お父様、これはどういうことなのでしょうか?」
エドガー王は娘に優しく微笑みかけ、「心配するな、エリアナ」と言ってから、再びマーリンに向き直った。
「まさか...スタンピードの予兆というわけではあるまい?」
「その可能性は否定できません。最大限の警戒と、戦の準備を進めるべきかと存じます」
マーリンの声が震える。
エリアナ姫は声を震わせながら言った。
「お父様、あの勇者様たちに助力を求めることはできないのでしょうか?」
「よい考えだ、エリアナ。マーリン、勇者たちの現在どうしておる?」
エドガー王は真剣な顔つきでマーリンに尋ねた。 マーリンが言葉を継いだ。
「申し訳ございません。勇者たちは現在、新緑の試練洞窟にて訓練を積んでおります。残念ながら、連絡を取ることは困難でございます」
エリアナ姫は肩を落とした。
「そう...では、彼らはいつ戻ってくるのですか?」
マーリンは杖を軽く床に突きながら答えた。
「おそらく数日で帰還するかと。間に合えば、彼らの助力を仰ぐことも出来ましょう」
エリアナ姫の表情が曇る。
「数日...何もなければ良いのですが」
エドガー王は毅然とした態度で言った。「よし、冒険者ギルドにも依頼を出すのだ。できる限りの戦力を結集せねばならん」
「賢明なご判断かと存じます」
エリアナ姫は父王の腕を掴んだ。
「お父様、私にも何かできることはありませんか?」
「お前の民を心配する気持ちはよくわかる。だが、今は危険すぎる。まずは情報を集めることが先決だ」
エドガー王は優しく娘の頭を撫でた。
マーリンが杖を掲げ、厳かに宣言した。
「私めが、各地の状況を詳しく調査して参ります。スタンピードの可能性について、より確かな情報を得て参ります」
「頼んだぞ、マーリン。我が国の未来が、その調査にかかっているかもしれん」
エドガー王は重々しく頷いた。
部屋に重苦しい空気が漂う中、エリアナ姫は窓の外を見つめた。彼女の瞳に、不安と決意が交錯している。
「お父様、私も王女として、できることを探します。きっと、この危機を乗り越える方法があるはずです」
エドガー王は娘を誇らしげに見つめる。
彼らの決意が、静かに夕暮れの空に溶けていった。王国の未来は、まだ見えない脅威に包まれたままだった。