266話 遥斗の奇策
ルインブリンガーの秘密を見抜いた遥斗は、魔力銃をマジックバックに戻した。
異常なほど冷静な判断。
彼の漆黒の瞳には、もはや何の感情も宿ってはいない。
ただ機械のように行動するだけ。
「ぐぉおおおおっ!」
獣と化したダクソは、ただ破壊の限りを尽くす。
斧の一振りが地面を裂き、空気を震わせる。
その威力は確かに圧倒的だ。
遥斗は斧の攻撃を身軽にかわしながら、視線を周囲に走らせる。
彼の目的は唯一つ。
適切な「武器」となる木を探していたのだ。
森の中を移動しながら、遥斗は先ほど飲んだ「力のポーション」の効果を実感する。
レベルアップで向上した基礎ステータスに、ポーションの効果が相乗的に働き、かつてない力が全身に満ちている。
遥斗の視界に、都合の良い物が映った。
程よい大きさと重さ。
人の背丈の長さの倒木だ。
「がぁあああ!」
ダクソは黒紫のオーラをまとい、斧を振りかざして迫る。
遥斗は落ち着いて倒木に近づくと、強化された腕力でそれを持ち上げた。
常人なら持ち上げることは不可能な重量だが、今の彼にはそれが可能だった。
「ほら、プレゼントだよ!」
軽く言い放ち、巨大な倒木をダクソに向かって投げつける。
回転しながら飛来する物体を見て、ダクソはニヤリと嗤う。
「うがぁああああ!」
斧の一閃。
それは鮮やかに両断され、ダクソの脇を通り過ぎていった。
遥斗の悪足掻きを一蹴する。
それは狩猟者にのみ許された愉悦。
だが、それは一瞬のことだった。
視界が遮られた間隙を突き、遥斗が木の影から躍り出てきたのだ。
両手には小瓶を握りしめ、ダクソの懐に飛び込む。
「!?」
ダクソが反応するより早く、鎧の隙間に手を差し込んだ。
その刹那、遥斗の腹部に膝蹴りを叩き込む。
ドゴッ!
「ぐふっ!」
遥斗の口から血が噴き出す。
内臓が損傷したことは明らかだった。
しかし、彼の表情は一切変わらない。
むしろ余裕さえ伺える。
膝蹴りの衝撃で体勢を崩したように見せかけながら、遥斗は両手の小瓶の中身をダクソに注ぐ。
液体がダクソの鎧を伝って全身に浸透していった。
眩い緑色の光がダクソを包み込む。
「ぐわぁあああ、何をしたァァァ!?」
ダクソの声に、初めて混乱の色が混じる。
彼の身体から黒紫のオーラが急速に薄れていった。
体を覆っていた狂気が、まるで波のように引いていく。
「貴様、一体何を——」
ダクソの言葉は、もはや獣の咆哮ではなく、理性を取り戻した人間のものだった。
「最上級HP回復ポーションを使っただけだよ」
遥斗は血の混じった唾を吐き出しながら、淡々と答える。
「HP回復だと?なぜそのようなものを敵に——」
ダクソの思考が急速に冴え始める。
しかし、それは彼にとっては不幸だった。
遥斗と目が合った瞬間、彼の全身が凍りついた。
少年の瞳には、漆黒の闇が渦巻いている。
喜びも怒りも恐怖も、何一つ宿っていない。
あまりに冷たく、あまりに深い虚無。
(何だ?……この目は)
未知の恐怖がダクソを戦慄させる。
「HPを回復させれば、ルインブリンガーの力は失われるでしょ?違う?」
「君は最大HPと現在HPの差で力を得ていた。HPを全回復させれば、その差はゼロ。力の源が失われたわけだ」
ダクソの顔から血の気が引いた。
まさか自分の力の仕組みを、こんな短時間で見抜かれるとは。
「くっ……まだだ!」
必死に斧を振り上げる。しかし——
「あ?重い……」
斧が驚くほど重く感じる。
以前なら片手で振り回せた斧が、今は両手でも持ち上げるのがやっとだった。
よろめきながら斧を振り下ろすが、遥斗から離れた場所に叩きつけただけ。
「器用さと力量、両方奪ったからね。そんな重い武器、扱えないと思うよ」
遥斗の言葉に、ダクソの目が見開かれる。
そう言えば、先ほど体から力が抜けていくような感覚があった。
まさかステータスを直接奪われていたとは。
「ポップ」
遥斗の掌から青い輝きが生まれる。
「ほらほら。ぼさっとしてる場合じゃないよ。加速のポーション。今度は君の素早さを素材にしたよ」
ダクソの体がさらに重くなる。
動きが鈍くなり、まるで水中を動くような感覚だ。
(なんだれは……ルインブリンガーのスキルがあれば!)
そう思ったのも束の間、彼は事実に気づく。
HPが全回復している今、ルインブリンガーのスキルは何一つ発動しない。
傷つけば傷つくほど強くなる——裏を返せば傷ついていない今は何の力もない。
ダクソは無力だった。
「何なのだ……お前は……」
ダクソに恐怖の色が濃くなる。
ようやく目の前にいる少年の正体を理解し始めたのだ。
「そうか!ゲオルグ様を倒したのもお前……人ならざる者……」
かつて得た情報が頭をよぎる。
マテリアルシーカーには、異世界人の落ちこぼれアイテム士がいると。
そんな取るに足らない存在のはずだった。
「またか……また異世界からの者か!」
怒りと恐怖が入り混じった声を、ダクソは絞り出した。
「あの勇者も、モンスターテイマーも、そして今また……」
「お前らさえいなければ……この世界の救済は成し遂げられたはずだったのに!」
呪詛の言葉を吐き出すダクソ。
彼の心の奥底では、異世界から来る強者たちへの恐怖が膨れ上がっていた。
自分たちの計画を、次々と挫く存在。
そして今、自分自身までをも追い詰める存在。
(駄目だ……逃げなければ!そしてあの方に!)
ダクソの心が焦りに支配される。
彼はつたない動きで逃走を始めた。
しかし重い鎧が体に纏わりつき、移動を妨げる。
遥斗はマジックバックから魔力銃を取り出し、弾丸を装填した。
「これで終わりだね」
その声には感情の欠片すら感じられない。
パンッ!
発射された「恐怖心の弾丸」がダクソの背中に命中した。
彼の精神を直撃するそれは、ダクソが最も恐れるものを見せる効果がある。
「あ……ああ……やめろ……やめろぉ……!」
ダクソの瞳に、恐怖の幻影が映し出される。
そこには崩れ行く神殿の中、勇者たちに取り囲まれるゲオルグの姿。
かつての主は、一度ならず、何度も何度も殺される。
剣で貫かれ、魔法で焼かれ、そして—モンスターに食い破られる。
死に際のゲオルグが、ダクソを見つめる。
「助けてくれ」と口にする。
しかし彼は何もできない。
ただ見ているだけ。何度でも繰り返される惨劇を。
「やめろぉぉっ!もう見せるなぁぁ!」
ダクソは地面を這いながら耳を塞ぎ、目を閉じる。
だが幻影は彼の脳裏に直接焼き付けられ、決して逃れることはできない。
永遠に続く主の死の連鎖。
彼にとっての最大の恐怖—失敗と無力。
その地獄から逃れる術はなかった。
ダクソは何かに追われるかのように震え始める。
理性を取り戻した彼には、この弾丸の効果は絶大だった。
遥斗は続けて「赤竜鱗の弾丸」を魔力銃に装填した。
鱗のような質感を持つ赤い弾丸を4発、ダクソの鎧に向けて撃ち込む。
パンッ!パンッ!パンッ!パンッ!
鎧に赤い亀裂が走り、跡形もなく砕け散る。
ルインブリンガーの予備のHPがなくなり、もはやそのスキルを活かす事もできない。
抵抗することなく、彼は頭を抱えて蹲った。
戦いは終わった。
しかし、あまり時間は残されていない。
遠くの空に、大きな火柱が立ち上がるのが見えたからだ。
(みんな……)
仲間たちの身を案じ、遥斗はマジックバックから中級HP回復ポーションを取り出す。
一気に飲み干し、体の痛みを押し殺すと、遥斗は火柱の方角へと走り出した。




