256話 帰ってきた遥斗
エレナはためらうことなく遥斗に駆け寄った。
彼女の瞳から、二ヶ月分の心配と安堵が涙となって零れ落ちる。
「遥斗くん!無事だったのね!心配したんだから!」
その声には、抑えきれない喜びが溢れていた。
彼女は思わず遥斗の体に手を伸ばしかけたが、皆の視線を意識して途中で止める。
さすがに、そこまでするのは憚られる。
ユーディもまた、珍しく感情を表に出していた。
彼女の瞳が優しいものに変わり、小さな唇から「佐倉遥斗……」という言葉が漏れる。
ヴァルハラ帝国の皇帝とは思えぬほど、少女らしい表情だった。
マーガスは大仰に腕を組み、驚くほどのけ反って遥斗を迎え入れる。
「やっと帰ってきたか!この俺を待たせるとは偉くなったものだな?リーダーに対する畏敬の念が足りんのじゃないか?まぁ無事なら今回は許してやろう!ガハハハッ」
その高笑いは、部屋中に響き渡った。
つい先ほどまで「置いていこう」と言っていたはずだが、すっかり忘れているようだ。
シエルは部屋の中央に立ち、小さな体を揺らしながら嬉しそうに飛び跳ねている。
彼女の帽子が体の動きに合わせて揺れる。
「やっと終わったっす!これからは一緒に行動できるっす!」
「良かったね、シエルちゃん!シエルちゃんが嬉しいと俺も嬉しいよ!」
部屋は一気に活気に満ち、朗らかな雰囲気に包まれた。
しかしマーガスが突然眉をひそめた。
「ん?何か変だぞ……」
彼は指を折りながら数え始めた。
「エレナ、ユーディ……遥斗、シエル……これで四人……それにこの俺と……」
マーガスの声が途切れ、表情が変わる。
「ん?六人?ちょっと待て……人数が多いぞ?」
全員の視線が一斉に、部屋の中央に立つエルフの青年に集中した。
「てへっ♪」
長い銀の髪を持ち、緑の瞳をした彼。
エルフ族特有の整った容姿をしているが、その表情には他のエルフたちには見られない軽薄さがあった。
場違いな仕草と共に、エルフの青年が小さく手を振る。
その不釣り合いな振る舞いに、マーガスが眉をひそめながら詰め寄った。
「お前は誰だ?何故ここにいる?」
「そりゃパーティーメンバーだから」
「お前をパーティーに加えた覚えなぞない!」
「あ、紹介が遅れちゃったけど……」
遥斗は少し慌てた様子で言った。
「こちらはサポートメンバーになったグランティスさんです。エメラルドオーガ討伐でお世話になりました」
グランティスは特有の軽い調子で笑った。
「よろしくー!二か月も付き合ってたら、もう友達だよねー!だからシエルちゃんについてきちゃった!」
「シエルちゃん、やっと君のホームに来られたよ!」
彼の手が彼女の肩に触れようとするが、シエルは素早く遥斗の後ろに避けた。
「触らないでほしいっす!」
彼女の声には嫌悪感が露わだった。
どうやら友達と思っているのはグランディスだけのようだ。
遥斗はそんな二人の様子を見て苦笑する。
二か月の間、グランティスが口説き、シエルが拒否する——その繰り返しだった。
しかし、グランティスの視線はすでにシエルから離れていた。
「おいおい、遥斗……こんな美しい姫君が仲間だったなんて聞いてなかったぞぉ!」
彼の緑の瞳はエレナに釘付けになっている。
彼は小声で遥斗に向かって尋ねた。
「彼女は誰さ?」
「エレナ・ファーンウッド。マテリアルシーカーのパーティメンバーだよ?」
遥斗が答えると、グランティスの瞳がさらに輝きを増した。
彼は優雅に、まるで練達の騎士ように片膝をついた。
「初めまして、エレナ様。この身、グランティスと申します。お見知りおきを」
その声には、シエルに対する時の軽さはなく、芝居がかった重厚さが滲んでいた。
「かくも高貴なお方とお見受けします。是非とも私めをあなたの騎士にお選びください」
いきなりの事に、エレナは困惑の表情でその場に立ち尽くす。
グランディスの言葉に、マーガスの表情が一変した。
彼の眉が吊り上がり、目が見開かれる。
明確な嫌悪感が宿っていた。
「騎士だと?お前は爵位を持っているのか?」
彼の声には、尋常ならざる怒りが込められていた。
マーガスにとって「騎士」とは、単なる肩書きではない。
彼自身の理想であり、人生の目標でもあった。
グランティスは「いやー、別に貴族じゃないけど?」と軽く笑った。
そのあまりにも軽薄な対応に、マーガスの怒りは簡単に限界値を越える。
「この俺の前で騎士の真似事など許さん!」
彼は威圧的な態度でグランティスを睨みつけた。
それまで床に膝をついていたエルフの青年は、その場で立ち上がると興味深そうな表情でマーガスを見つめ返す。
「ふーん?お前は騎士なのか?」
グランティスの問いは、マーガスの神経を逆撫でするには十分だった。
「俺はアストラリア王国貴族、ダスクブリッジ家の次期当主だ!」
マーガスは胸を張り、誇らしげに宣言した。
その態度からは、貴族の誇りと威厳が滲み出ている。
「知らんな」
グランティスはあっさりと言い放った。
その反応に、マーガスが凍りついたように動きを止める。
「偉いのか?」
さらにグランティスの言葉に、マーガスの顔色が変わる。
誰もが認める名家の当主として育てられた彼にとって、自分の家名を知らないという反応は想定外も甚だしい。
「俺の父は辺境伯だぞ!舐めるのも大概にしろよ!」
グランティスはにやりと笑った。
その笑みには、単純な無知ではなく、意図的な挑発が見て取れる。
「なんだ……田舎者か……」
もはや我慢の限界だった。
マーガスは感情に任せて、怒声を上げた。
「なんだと!貴様!ダスクブリッジ家を愚弄する気か!」
「いやいや……その態度……てっきりもっと偉いのかと思っただけさ」
グランティスは手をひらひらと振り、さらに煽るような笑みを浮かべる。
その態度は、明らかにマーガスを挑発するためのものだった。
「本来なら身分の違いで、口もきけないような相手だぞ!」
マーガスの怒りの声が部屋中に響き渡る。
しかし、エルフの青年は全く動じることなく、視線をエレナへと移した。
「じゃあエレナ姫は?」
その問いに、マーガスは反射的に答えた。
「エレナはファーンウッド公爵家の令嬢だ!それがどうした!」
「へえ!じゃあお前より上じゃないか。そんな口のきき方していいのか?身分の違いで、口もきけないような相手だぞ?」
この反論は、マーガスの脳髄を直撃した。
言葉を失い、口をパクパクと開閉するだけ。
辺境伯の息子にとって、公爵家の令嬢は明らかに身分が上。
それを指摘されたショックは大きい。
マーガスは最後の望みを託すように、ユーディに視線を向けた。
「下民は礼儀作法も知らなくていかん!なぁ……お前もそう思わないか?」
その言葉に、ユーディの口元に冷笑が浮かぶ。
彼女は小さいながら、この場にいる誰よりも高位の存在。
ヴァルハラ帝国の皇帝という存在は、公爵家の令嬢をも遥かに凌駕する。
しかし、ユーディは愚かな振る舞いに、ただ深いため息をつくだけだった。
しばらく一緒に暮らして、マーガスという男を嫌と言うほど理解できた。
一方でシエルは、グランティスを見て小さく笑った。
「お前程度がエレナさんに言い寄るなんて、やめたほうがいいっすよ?不釣り合いにも程があるっす!」
遥斗とエレナは互いに目を合わせ、カオスな空気に困ったような表情で苦笑していた。
「グランティスさんは理外の使用を許されていて、森で随分助けてもらったんだ。優秀な戦士だよ」
遥斗が説明を加える。
その言葉に、部屋の雰囲気が少し変わった。
「理外の刃?あのエルフの武器か?」
遥斗の言葉をユーディは聞き逃さない。
グランティスは得意げに胸を張った。
「へへっ!まぁ俺っち天才なもんで」
彼は腰のデスペアを手に取り、クルクルと弄ぶ。
「ひぃ……オカート!」
シエルが悲鳴を上げて、遥斗の背中にしがみ付いた。
「まあ……事情は後で聞くとするが……」
ユーディが静かに言った。
彼女の緑の瞳は遥斗を捉えている。
「佐倉遥斗、成果を聞かせてもらおう。この2か月間のな」
「上手くいったよ。これで何とか、足手まといにはならなくて済むと思う」
「そうか……」
彼の声には確かな自信があった。
二ヶ月前の遥斗とは、明らかに違う存在感を放っている。
「師匠は天才っす!師匠は神っす!」
シエルが遥斗の言葉に割って入った。
彼女の目は熱に浮かされたように輝いている。
「想像を絶する速さでレベルアップしたっす!自分も師匠のおかげでめちゃくちゃ強くなったっすよ!」
彼女は興奮気味に手を広げながら説明を続けた。
その無邪気な崇拝ぶりに、エレナは思わず微笑む。
「遥斗が神なら、俺は何かなー?」
グランティスが茶化すように、シエルに尋ねた。
「半端なナンパ野郎っす」
シエルは一瞬の迷いもなく、辛辣な言葉を返した。
その冷たさに部屋の空気が一瞬凍りつく。
グランティスは小さく笑い、「可愛いなぁ、やきもち焼いちゃって」と言った。
どうやら彼は、自分がエレナに気を取られていることへの嫉妬だと勘違いしている。
想像を絶する自信家だった。
「なぜこんな奴を連れてきた?」
マーガスが遥斗に直球で質問した。
彼の眉間には、ますます深いしわが寄っている。
遥斗は答える代わりに、マジックバックから何かを取り出した。
彼の手のひらには、エメラルドのように美しく輝く宝石のような物体が置かれていた。
淡い緑色の光を放ち、その輝きは部屋の隅々まで届いている。
「これは……翠玉の心核。エメラルドオーガの素材だよ」
エレナが息を呑んだ。
彼女の鋭い鑑識眼は、一目でその価値を見抜いていた。
「明日ギルドに提出して、討伐報告をしてくるよ。その後グランティスさんに渡す予定」
「待て待て!どうしてそんな価値ある素材を他人に渡す?もったいない!」
マーガスが食い入るように翠玉の心核を見つめながら叫んだ。
「彼のサポートへの報酬だから」
「それに、壊れた理外の刃を見せてもらう約束もしてるんだ。この素材で直せるかも」
遥斗は落ち着いた声で答える。
その言葉に、エレナとユーディの表情が変わった。
二人は一瞬で遥斗の真意を察したようだった。
「理解できねーな」
マーガスは頭を振った。
「早くシルバーミストに行くべきだ。それが俺達の目的だろ?遊んでる場合かよ」
「いや、そんなに急ぐ必要はない。我々の力が必要になるやもしれん。一緒に行くべきだ……」
ユーディが静かに言葉を紡いだ。
彼女は遥斗の思惑を十分に理解していた。
「私も理外の刃をみたいな。一緒に行きましょう」
エレナもその考えに賛同した。
「エレナ様も来てくれるんですか!?」
グランティスの顔が一瞬で明るくなった。
彼の緑の瞳は喜びに輝き、まるで子供のように両手を打ち合わせる。
「これは素晴らしい!是非我が家へお越しください!」
遥斗はそんなグランティスの様子を見て苦笑した。
彼の目的は理外の刃の秘密を探ることだ。
エルフの国の闇に切り込むために。
今必要な情報がそこにあるはずだった。




