251話 ドラゴンフォーム
高原の中央に聳える巨大な結晶柱が、突如として激しく振動し始めた。
紫の光が波打つように脈動し、不穏な唸りが大地を震わせる。
「何だ……?」
大輔の声が振動に掻き消される。
バレーンの顔から血の気が引いていく。
「まさか……こんなに早く生まれるというのか!」
結晶柱の表面に無数の亀裂が走り、内側から強烈な魔力が漏れ出す。
美咲が放ったマナバーストの余波が、何かを目覚めさせてしまったのだ。
「みんな、下がれ!」
涼介の必死の叫びも虚しく、巨大な爆発と共に結晶柱が粉々に砕け散った。
青紫色の結晶の破片が流星のように四方に飛び散り、一行は反射的に身を伏せる。
閃光が収まり、視界が戻った時、全員の表情が凍りついた。
結晶柱があった場所から、巨大な影が姿を現していた。
全身が紫色の結晶に覆われた、巨大なT-レックスの様な生き物。
その存在自体が脅威としか言いようがない。
鎧のように体を覆う結晶質の外殻は、日の光を受けて怪しく輝いている。
だが、その美しさとは裏腹に、赤く燃える瞳からは底知れぬ殺意が滲み出ていた。
「ア、アメジスト・ティガノックス!」
バレーンが震える。
「こんな……こんな進化を遂げるなんて……想定外だ!」
体長は優に20メートルを超え、頭部からは純粋な結晶で形成された幾本もの角が突き出ている。
牙は剣のように鋭く、その顎は一噛みでミスリルの鎧をもかみ砕くだろう。
ティガノックスは首を反らし、天を仰ぐ勢いで咆哮を放った。
その声は高原全体を揺るがし、周囲の結晶が共鳴して甲高い音を立てる。
「う…っ!」さくらが耳を押さえ、るなを抱きしめる。
銀色の狐は震えながらも、主人を守ろうとしている。
ティガノックスの最初の犠牲者はレイノックスだった。
自らの同族とも思える小型の結晶獣たちを、躊躇いなく踏み潰していく。
砕けた結晶の破片が舞い散る中、ティガノックスは大きく口を開け、倒したレイノックスを次々と咀嚼し始めた。
「食ってる……のか?モンスター同士で?」
大輔はその驚愕の様を、呆然と見上げる。
「見てください!食べているのではありません」
デミットが恐怖に歪む顔を、必死に堪えながら答える。
「あれは……吸収です。魔力を取り込んでさらに強化している!」
状況はさらに悪化した。
地面に新たな亀裂が走り、そこから次々とアメジスト・レイノックスが湧き出してくる。
それらは一行を、津波が迫るがごとく包囲した。
「くそっ、囲まれたか!」
大輔は盾を構えながら状況を確認した。
前方には巨大モンスター、周囲には無数のレイノックス。
逃げ場は完全に封じられている。
「くそっ……速い」涼介が呟く。
彼の言葉通り、ティガノックスの動きは巨体とは思えないほど俊敏だった。
尾を一振りすると、岩盤が粉砕され、衝撃波が砂埃と共に広がる。
その一撃で十数体のレイノックスが吹き飛ばされたが、ティガノックスは嬉々として彼らを踏み砕き、結晶を吸収していく。
その時、ティガノックスの赤い瞳が、地面に倒れたままの美咲を捉えた。
マナバーストの反動で意識を失っている彼女は、この危機に全く対応出来ない。
ティガノックスが美咲に向かって歩み寄る。
「美咲ーーー!」
涼介が叫ぶが、彼自身は魔素の影響で思うように動けない。
地面が振動し、砕けた結晶が舞い上がる。
ティガノックスの巨大な影が美咲を覆い、牙を剥き出しにして襲い掛かる。
動けない美咲の上に、巨大な顎が迫る。
絶体絶命の危機。
「美咲ーーー!」
さくらが絶叫するが、るなの「月光の矢」も、全く間に合う状況ではなかった。
直撃は目前。その瞬間—
「させるかッ!」
大輔が美咲の前に飛び出し、盾ごと身を投げ出した。
ティガノックスの巨顎と大輔の盾が激突し、凄まじい衝撃波が広がった。
「ぐおおおおっ!」
大輔の叫び声が高原に響き渡る。
彼の体は衝撃に耐える事が出来ず、みるみる押し戻されていく。
それでも美咲を守るために踏ん張り続ける。
「諦めろ!みんな逃げるんだ!アレには勝てん!」
バレーンが叫ぶ。
しかし大輔は動かない。
さらに強く足を踏ん張った。
「逃げるわけねぇだろ……美咲は……仲間は……俺が守るんだよ!」
ミスリルの盾と、ティガノックスの牙がせめぎ合う。
砕けた結晶の破片が舞い、風が轟く。
大輔の足が少しずつ結晶の大地に沈み込んでいく。
彼はもはや限界だった。
だが、そんな中でも大輔は笑った。
「親父……見てるか?俺が……みんなの盾だ!!」
パキィィィン!
盾を覆っていた黄金のオーラが砕け散る。
大輔のスキルが破られたのだ。
「ぐあああああッ!」
悲鳴が響き渡る。
ティガノックスの牙が大輔の全身を貫き、内臓が潰れるような痛みに顔を歪めた。
盾の表面にひびが走り、鎧は引き裂かれ、牙が肉に食い込む。
(美咲を、仲間を……守りたいんだ。守りたいんだよ……)
大輔に静かな声が響いた。
それは彼自身の内なる声。
幼い頃から抱いてきた夢。
弱い者を守る強さを得ること。
みんなを守れる人間になること。
目の前が真っ暗になり、脳裏に仲間たちの顔を一つずつ思い浮かべる。
さくら、涼介、美咲、千夏、そして遥斗。
彼らと過ごした日々、共に戦った記憶が、フラッシュバックする。
そして大輔の憧れであり、誇りだった警察官の父。
「俺もみんなの盾になる……絶対に守ってみせるーーー!!」
その瞬間、大輔の体の中で何かが目覚めた。
体の奥底から湧き上がる不思議な力。
それは彼が異世界に転移してきたときに授けられた力。
眠れる龍の血脈だった。
砕けた結晶の破片が宙に浮かぶほどの衝撃が広がり、大輔の周囲に金色のオーラが噴出する。
まるで黄金の炎に包まれたように、彼の体から光が放たれた。
「これは……ドラゴン!」
デミットが驚愕の声を上げる。
「大輔……!」
さくらも思わず声を漏らした。
大輔はゆっくりと顔を上げ、燃えるような瞳でティガノックスを見据えた。
「グオオオオオアアアアァアァァァァ!」
雄たけびと共に大輔の身体に変化が起こり始める。
腕や背中に金色の鱗が浮かび上がり、その硬度はミスリスを遥かに凌ぐ。
両目は竜の如く金色に輝き、全身から圧倒的な波動が放たれる。
かつて竜と契約を交わしたと言われる、古の竜騎士の血が、今、彼の中で目覚めたのだ。
「はぁぁぁぁぁっ!」
金色のオーラに包まれた大輔は、巨大な力でティガノックスの口をこじ開ける。
ティガノックスの顎が持ち上がり、巨獣が一瞬バランスを崩す。
予想外の抵抗に、ティガノックスが痛みに近い咆哮を上げた。
「涼介!今回復するから!待ってて!」
千夏が涼介の元に駆けつけてきた。
そして即座に魔素の除去と傷の回復を図る。
「俺の事は……後でいい……美咲と大輔を……助けるんだ……」
「駄目!涼介が死んじゃうよ!」
「俺は……死なん……ぐはっ」
「やっぱり無理だよ!私は絶対にここから動かない!」
彼女は傷ついた涼介のもとから決して離れようとしない。
涼介は祈るように、大輔とアメジスト・ティガノックスの戦いを見つめていた。
大輔の体には金色の竜のような幻影が揺らめき、まるで彼を守護するように周囲にまとわりついている。
彼の放つ魔力の波動が、ティガノックスを少しずつ押し返していく。
「竜騎士の秘儀、ドラゴンフォームか」
バレーンは呟いた。
「伝説にある竜の力を完全に引き出す奥義……それを使える者がまだいたとは」
「大輔……今……助けるから」
さくらは静かに言った。
さくらは心の中でミラージュリヴァイアスを呼びかける。
(お願い……みんなが死んじゃう……助けて……)
混乱の中、デミットはバレーンの襟を掴み、責め立てていた。
普段の優雅な態度は消え失せ、その目はまるで殺し屋のように鋭く光っていた。
「弱点を教えろ。今すぐにだ!これはお前らの仕業なのだろう……」
デミットの声は低く、そして冷徹だった。
「分からない...本当に分からないんだ!」
バレーンは震える声で答える。
「実験ではこんなことは起きなかった……こんな進化は想定外なんだ。制御不能だ……これではアルカディアが滅んでしまう」
「何のための実験だ?何を企んでいる?言え!」
「それは……」
デミットの追及に、バレーンは目を逸らしながら口ごもる。
そのとき、突如としてバレーンの懐から通信機が鳴り響いた。
そこから声が響く。
「バレーン!状況報告をしなさい!どうなったのですか!」
エレノア首相の声だ。
「あの実験体はどうなりましたか?そちらから異常な魔力が観測されています!この数値は異常です!」
バレーンの顔が青ざめていく。
「エレノア様……通信が……」
バレーンは慌てて切ろうとするが、デミットはそれを許さない。
「なるほど、全てはエレノア首相の仕組んだものでしたか……」
デミットの声には冷たい怒りが滲んでいた。
「最初から我々をとことん利用するつもりだった。最悪死んでも構わないと」
「デミット殿?違います!そんなことはありません!」
「何が違う!このバケモノがいることは承知の上だったのでしょう!だから勇者を向かわせた!あなた達の尻ぬぐいの為に!」
「それは……聞いてください!我々も想定外なのです!」
「倒す方法を教えろ!そうしなければ勇者たちが死んでしまう!この世界の希望が!」
「この世界の……希望……わかりました。よく聞いてください。倒す方法は…………」
一方で、大輔とティガノックスの激闘は続いていた。
ドラゴンフォームの力でティガノックスを押し返してはいるものの、その効果は一時的なものにすぎない。
大輔の体には限界があり、新たに目覚めた力を完全に制御できているわけではなかった。
「くっ……グゥアァァ!」
大輔の額から大粒の汗が流れ落ちる。
足が震え始め、盾を支える腕の力が徐々に弱まっていく。
一瞬の隙を突いて、ティガノックスの尾が大輔を弾き飛ばした。
「がはっ!」
吹き飛ばされ、地面に激突する。
その衝撃で大輔のドラゴンフォームが解け、金色のオーラが徐々に薄れていった。
彼は痛みに顔を歪めながらも、美咲を探す。
自分が動けなくなったことで、美咲が再び無防備になってしまったのだ。
ティガノックスは再び美咲に迫る。
この危機的状況の中、突如として遠くから轟音が響き始めた。
それは徐々に近づいてくる。
地面が揺れ、周囲の結晶が震える。
「来てくれた...」
さくらの顔に希望の光が差し込む。
地面の中から白い影が現れた。
それは結晶の大地を、波のように掻き分けながら飛び出す。
「ミラージュリヴァイアス……!」
大輔が安堵の表情を浮かべる。
しかし、ティガノックスはミラージュリヴァイアスの接近を感知すると、さらに凶暴さを増して襲い掛かった。
牙を剥き出しにした巨大な顎が、神獣に迫る。
「ソニックロア!」
さくらの合図と共に、巨鯨の口から膨大な魔力が放たれた。




