248話 紅蓮の魔導士
首相官邸の謁見室は、美咲たちの予想をはるかに超えた空間だった。
床には幾何学模様の魔法陣が刻まれ、天井からは無数の小さな魔力結晶が宙に浮かびシャンデリアの役割を果たしていた。
壁には魔法の歴史を描いた壁画が広がり、その色彩は見る角度によって微妙に変化している。
窓際には一人の女性が佇んでいた。
デミットから事前に聞いていた「紅蓮の魔導士」エレノア・シルヴァーン首相だ。
「ようこそ、アルカディアへ」
優美な声が室内に響く。
地位にふさわしくない程若い容姿だが、その振る舞いには相応の年季が感じられた。
琥珀色の瞳は、穏やかながらも鋭い観察眼を感じさせる。
その視線は一行一人ひとりを素早く行き来し、何かを見極めようとしているようだった。
「バレーン、案内ありがとう」
彼女が魔術総監に目配せすると、彼は静かに一礼して退室した。
「長旅でお疲れでしょう。どうぞお座りください」
彼女は部屋の中央に案内する。
そこには魔力で浮かぶ半透明の椅子が、円を描くように配置されていた。
美咲たちは促されるまま、浮遊する椅子に腰掛けた。
一瞬不安定さを感じたが、座るとまるで最高級のクッションのように体にフィットする。
「デミット様。ノヴァテラ連邦はお変わりありませんか?」
「はい、おかげさまで。民も健勝を保っております。」
デミットは丁寧に応えた。
彼には何故か緊張感が滲んでいる。
「挨拶はそのぐらいでいいだろう。本題に入ってくれ」
涼介が話題を切り替える。
涼介の言い方にエレノアの眉が僅かに動いたが、表情は穏やかなままだった。
「わかりました。それではデミット様、お話を伺わせていただいて宜しいでしょうか?」
デミットが前のめりになる。
「それでは。我々はソフィア共和国の持つ、空間魔法に関する知識を求めています。特に『虚空の扉』に関する魔導書についての情報があれば、お教え願いたい」
「なるほど。それはまた大変なお願いですね」
エレノアは意味深に微笑んだ。
彼女は座ったまま指を優雅に手を動かすと、空中に魔力で作られた文字と図像が浮かび上がった。
それは古代の魔導書のページのようだった。
「『虚空の扉』の魔導書は我が国の王立図書館にも写しがあります。しかし……」
彼女は言葉を切った。
「情報には相応の対価が必要でしょう?」
「なるほど。しかし物品の受け渡しはないのですよね?ならば、そこを考慮に入れていただいても宜しいかと」
「ふふっこれだけ希少な情報です。ノヴァテラ連邦のような商業国家なら、その価値はお分かりでしょう?」
「それで、いくらになりますか?」
美咲がたまらずに尋ねた。
彼女の声には切迫感が混じっている。
これからの旅に、絶対必要不可欠だからだ。
エレノアの視線が涼介の腰に下げられた「無双ノ剣」に向けられる。
「アダマンタイトの剣。ノヴァテラの至宝……見事な物ですね」
「これのことか?」
涼介はそっと剣に触れた。
「貨幣では計れない価値があります」
エレノアは言葉を続ける。
「それを扱える勇者の力もまた、同様」
彼女は立ち上がり、テーブル中央に手を翳すと、魔力で作られた映像が現れた。
そこには巨大な結晶質の生物が映し出されていた。
「我が国は現在、魔石獣という脅威に直面しています。これは従来のモンスターが、魔力鉱石の影響で変異したものです」
「金銭ではなく、この魔石獣の討伐を対価としたいのです。成功すれば、『虚空の扉』に関する情報を全て提供しましょう」
涼介は立ち上がり、冷ややかな目でエレノアを見据えた。
「俺は取引には興味がない。情報が欲しければ金で買う。それだけだ」
「ちょ、ちょっと、涼介君……」
その言葉に、美咲の表情が曇った。
彼女は涼介の頑なさを知っていたが、空間魔法の情報を得るチャンスがこんな形で失われるのは避けたい。
美咲が小声で諫めるが、涼介は聞く耳を持たなかった。
「涼介の言うとおり!」千夏が勢いよく立ち上がる。
「私たちは便利屋じゃない!お金で解決すればいいのよ!」
エレノアは冷静に涼介を観察していた。
「強いられた取引は応じない。そうですか。しかし...」
彼女の口元に微笑みが浮かぶ。
「この魔石獣は通常のモンスターの10倍の強さを持つと言われています。我が国の兵士では太刀打ちできないほどの。例え勇者様といえども絶対に安全とは言えない」
涼介の瞳に、微かな光が灯った。
彼は魔力映像に映る巨大な結晶生物を改めて見つめる。
デミットが巧みに会話に入り込んだ。
「涼介様、この機会は貴重だと思います。このような強敵との戦いは、皆様の力をさらに高める絶好の機会でもあります!」
美咲も必死に涼介を説得しようとした。
「涼介君、お願い。遥斗君のところに戻るためにも、空間魔法は絶対に必要なの」
「わざわざ俺達が行く必要があるのか?俺達は闇を滅ぼすために戦っているはずだ」
涼介は腕を組み、納得していない様子だった。
「私たちでは手に負えないのです。この魔石獣は、物理攻撃をほとんど受け付けず、魔法攻撃も通常モンスターより効果が薄い」
「その上、結晶化した外殻を持つため、従来の戦術が通用しない」
涼介は興味を示しつつも、素直に頷こうとはしなかった。
しかし大輔は涼介の表情の変化を見逃さなかった。
「なぁ、涼介。もしかして強そうなモンスターと戦ってみたいんじゃないのか?素直になっていいんだぞ?」
彼は少し茶化したように笑う。
「黙れ」
涼介は大輔に向かって小声で言ったが、その目は既に魔石獣の映像に釘付けだった。
美咲は状況を見て、別の質問を投げかけた。
「それで、その魔石獣はどこにいるんですか?」
「アルワース高原です。依頼をお受けしてもらえるのなら、バレーンが明日にでもご案内いたします」
「......やるなら俺のやり方でやる。指図は受けない。邪魔もするな」
涼介が突然宣言した。
「もちろんです。皆様の力を信じております」
エレノアは、この結果が分かっていたように微笑んでいる。
「さすが涼介ね!私も一緒に戦うから!」
千夏が嬉しそうに涼介の腕にしがみついた。
美咲はほっとした表情を浮かべる。
彼女にとって空間魔法の情報は、これからの旅の希望の光だった。
「ありがとう、涼介君」
「礼なんぞいらん」
彼の直感は、この依頼の裏に何か隠された意図があることを感じ取っていた。
本当は仲間を危険に晒したくなかったが、美咲の願いと、自身の成長のためには避けて通れない道。
「では決まりですね。明日の準備をしましょう」
デミットは役目を終えた安心感で目を瞑った。
「迎賓館をご用意しております。ごゆっくりお休みください」
エレノアも満足げに提案する。
会談はそこで終わり、一行は迎賓館へと案内された。
豪華な部屋に入った美咲は、窓から見える首都の夜景に見とれながらも、明日の冒険に対する期待と不安で胸が締め付けられる。
「涼介君」
美咲は窓辺に立つ涼介に声をかけた。
「ごめんね。あの魔石獣の話、違和感を感じてたんでしょ?」
「ああ」
涼介は外の空を見つめたまま答える。
「だが、例え罠だとしても、俺の成長の糧にしてやる」
「まあいいじゃん!新装備が手に入った涼介に敵なんていないよ!ね?そうでしょ、涼介!」
千夏が楽観的に言い放つ。
「いや、油断は禁物だぞ。そういう時が一番危ないんだ」
大輔は千夏に対し、忠告まじりの意見を述べる。
さくらはるなを膝の上で撫でながら、「大変だね……」と呟く。
るなも不安げに「クーン」と鳴いて応えた。
涼介のアダマンタイトの剣は戦いを予感したのか、静かに魔力を胎動させるのだった。




